hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

因縁

問い「私のこれから」

問い「私のこれから」

【ご質問内容】

命をいただいて生かされているのも理解しています

屋根のある眠れる場所があるのも幸せとわかります

でも思考がマイナスにずっとなってしまっていて

一人暮らしで365日中360日位は1人で食事をとります

心の中で私の事を覚えてくれている人が何人いるか…

毎日体調は悪くなる一方で受診も欠かさずしていますが

よくなる兆しが見えません

虚しい 悲しい 寂しい 辛い その思いのループです

心から笑ったの何年前かな…

人のあたたかさぬくもり感じたの何年前かな…

【拙回答】

少しずつ、一つ一つ、一歩一歩です。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これからの自分は、今の自分次第となって参ります。

善き結果へと向けては、そのための善き因縁(原因と条件)が必要となります。

ですので、その因縁をしっかりと調えてあげることが、結果へと向けて大切なこととなります。

その結果へと向けての動機(原因)と行動(条件)を調えていく、持続させていくことは、一朝一夕には参りませんし、周りの支えや助けも必要なこともあります。

私たちという存在は、独りで生きているようでも、実はそうではなく、無数のものたちに依存して生かされて生きることができております。この助け合い、支え合い、分かち合いの必要となる世界においては、互いに頼り、頼られという関係性のバランスも大切となります。

苦しい時、しんどい時、つらい時は、もっと周りも頼りになさられてみて下さい。そして、また少しでも状態が善くなれば、できることで、誰かの助け、支えにもなってあげてみて下さい。

昨日より今日、今日より明日、明日より明後日・・少しずつ一つ一つ、一歩一歩です。

hasunohaは、ちゃむ様をいつでも応援致します。拙いかもしれませんが、少しでもあたたかさ、ぬくもりも感じて頂けるように努めて参りたいと思っております。

どうかhasunohaをこれからも頼りになさられて下さいませ。

川口英俊 合掌

問い「わかりません」

問い「わかりません」

【ご質問内容】

今更ですが 
自分が生きてきた意味がわかりません

離婚して19年 
ずっとひとりで子供を育ててきました 
周りの人たちも支えてくれたと思います

でも 
辛い時もずっとひとりでした 
強がって生きてこなければ 
この世にいないと思います

今、お付き合いしている彼が 
『女のくせに強がってばっかりや』 
と言います

私は甘え方などわかりません 
どう頼っていいのかもわかりません

彼に 
自分の生き方を否定されているみたいで 
なんともいえない気持ちになります

私の生きてきた道は、生き方は間違いなのでしょうか? 
両親がいて子供がいて 
そういう生活してることが幸せなのでしょうか? 
強がって生きてきたことは間違いなのでしょうか?

私は辛くても 
自分の生き方に後悔したことはありません 
ただ否定されてるみたいで 
間違っていたのかと自信をなくしかけてます

【拙回答】

生きる意味について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「生きる意味」・「生き方」というものは、人それぞれにおいても異なるものであり、「これです」と決めて言えるものではなく、また、色々な因縁(原因と条件)次第によって変わっていくものとなります。良き因縁であれば、良き意味になるでしょうし、悪い因縁であれば、悪い意味になるということでございます。

他の評価を気にされるところもあるかもしれませんが、結局は、自分で満足できているのかどうか、というところによるかもしれません。

とにかく、どのようにすれば、自分が満足して幸せに過ごすことができるのかどうかということを考えて、そこへ向けた良き因縁を調えていくことが大切となります。

自分が満足しているのかどうか、幸せであるのかどうかで判断なされてみて下さいませ。

あとは、私たちという存在は、独りで生きているようでも、実はそうではなく、無数のものたちに依存して生かされて生きることができております。この助け合い、支え合い、分かち合いの必要となる世界においては、互いに頼り、頼られという関係性のバランスも大切となります。

あまり何でもかんでもを独りで頑張ろうとばかりされずに、しんどい時、辛い時、苦しい時には、周りもどうぞ頼られて下さいませ。そして、また自分のできることでお返ししていければ良いのであります。お互い様で有り難うという感じにて。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「離婚を言い渡された」

問い「離婚を言い渡された」

【ご質問内容】

結婚して10ヶ月程になります。先日、主人から逃げられ離婚の運びとなりました。

結婚前より彼の両親からは結婚を反対されており、結婚してからもまともに会話をする機会もありませんでした。

主人は結婚時に、売春や風俗、ギャンブル等をわたしに隠し結婚。そして気が緩んだのかわたしに「実は…」と全てを自分から話しました。また、その他の女性関係についても奔放で、結婚が決定してからも裏切る行為を行っていました。

結婚自体が不安要素の塊だったにもかかわらず、次々と問題が発覚したことによりわたしは彼の行動のすべてが信用できず。妥協点を探しながら努力をしたのですが彼が答えてくれず、最終的に社会生活がままならないほど束縛し、自由の一切を禁じる結果になりました。

それでも、彼は耐えたと思います。けれど問題はなに一つ解決していませんでした。わたしは彼を許す事がどうしても出来ず、抱かれる度にこの男は他の女性を金で買っていたんだと。

結婚前から、自分を殺しながらでも、どうしても彼と添い遂げたいと本当に努力しました。けれどわたしはどうしても彼を許す事ができなかった。

最終的に、彼を責めてはいけないと追い詰められ、けれど彼はわたしの気持ちを理解しようとしてくれない。罵声を浴びせられた記憶、積み増さなる日々の不満、わかってほしいという気持ちが爆発し激しい暴力を彼に浴びせました。

当然彼は逃げ、離婚の運びになりました。わたしはなんのためにこんなに苦しい思いをしてきたんだとただただ逃げて済ませてしまう彼との関係が悲しく。なにも考えられません。

しかし心の底で、やっと解放されたという思いがある事にも一瞬離れただけで気づきました。

どうしてこんなことになってしまったのか。彼との縁が切れてしまったことが、自分の至らなさが悲しくて悲しくて耐えられません。一緒に居たかった、添い遂げたかった、本当に一緒に居たかった。彼を追い詰め、暴力という最低の手段でしか感情を伝える事のできなかった自分がただただとても悔しい。

【拙回答】

私たちの真なる本当の敵とは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

はる様も旦那様も悪い感情・煩悩に支配されてしまったまま行動を起こしてしまっているところに問題があったようです。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、はる様も旦那様も、真なる本当の敵は、悪い行動を支配してしまっている煩悩、そしてその親分の無明(むみょう)・根本的な愚かさでございます。

その「やっと解放されたという思い」も実はほんの一時的なもの・・真なる解放は、もちろん、煩悩・無明からの完全なる解放を目指すことが必要となります。

そのための教えが仏教でございます。

どう煩悩・無明を抑えてコントロールしていくべきであるのか、どう煩悩・無明を対治していくべきであるのか、是非、これを機会に仏教の学びから少しずつでも実践していって頂けましたらと存じます。

そして、この世における全てのモノ・コトは、因縁(原因と条件)次第により変化していきます。

できれば、良き因縁をしっかりと調えていくことで、良き結果、幸せへと向かって参りたいものでございます。

どうにもならないことは、もうどうにもなりませんが、この度のことは、良き教訓として、これから本当の意味での幸せになるためにどうか活かされて下さいませ。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「悪い因果の解消」

問い「悪い因果の解消」

【ご質問内容】

何度も同じ事の繰り返しから抜け出られなくて 
焦燥感は 精神の病気からでしょうか? 
毎日が不安です。 
爽快感など感じられず。 
何をするにも疲れて長続きできない。 
今の状態 生活から抜け出したいです。 
働ける 体 心 の状態を取り戻したいです。 
何処で人生が狂ったのか 先ずは因縁がすっかり無くなり良い因縁を積めるような状態作りたいです。

【拙回答】

副腎疲労、慢性疲労症候群の疑いも

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

精神・心の不調は、身体の不調からきてしまっている可能性もございます。

疲れやすいとのことにて、もしか致しますと、副腎疲労、慢性疲労症候群であるかもしれません。

一度、慢性疲労症候群を疑って、扱いのある医療機関を受診されてみられても。

まずは、身体の不調をしっかりと治されて、それからできることを増やされつつに、焦らずに少しずつ少しずつです。

どうか心身共にご快復なされて、善い因縁をしっかりと調えていけるようになられますことを、心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「寝る前に毎回死ぬことを考えてしまいます」

問い「寝る前に毎回死ぬことを考えてしまいます」

【ご質問内容】

ご閲覧ありがとうございます。 
数年前くらいから、寝る前に毎回死ぬことを考えてしまい、自分の存在が消えて無くなるのに怖くなります。日中考えることもあるのですが、夜ほど怖くなりません。

家族に相談したらそんなもんだよ、と言われて、その時はそんなものかと捉えるのですが、夜寝る前に死ぬことをまじまじと想像すると、怖くなります。

死ぬことを考えるのは生きる意味や人生を考える上で大切だという考え方には賛同しますが、死ぬのは怖いです。まあ、そのおかげで今は一生しかない人生を自分のやりたいように、生きていけているのですが…。

どうしたら死を受け入れられますか?ちなみに、私は職業や性格柄、今まで自分の世界に没頭し続けて来たせいか、宗教に無頓着です。最近は宗教に興味が出てき、宗教の教えを知ることで死ぬことを克服できるのかな…とも思いますが、どうでしょうか…。

ご回答よろしくお願いいたします。

【拙回答】

死後へ向けて、今なすべきことは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死」への恐怖・不安についてのお悩み・・

クリスピー様は、死んでしまうと、自分の存在が消えて無くなるとして、「虚無」・「絶無」であるとして悲観されておられるところがあるのではないかと存じます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)が、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後において、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、実は、肉体的な機能に左右されない微細なる意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると仏教では考えることになります。

そして、その微細なる意識としての心相続、心の連続体において、過去世、現世ももちろん含めて、全てのこれまでの数々の行いの業・カルマというものが、これから先へ向けても引き継がれていくことになります。

ですので、何もかもが消えて無くなるというわけではありません。

但し、その死後における心相続、心の連続体の赴きにおいては、己自身の行い(業・カルマ)によって、おおよそその行き先が決まっていくことになります。

ですので、できる限り、この今、現在、そしてこれからも、善き業・カルマをしっかりと調えることで、より善い行き先へと向かえるように調えて参りたいものでございます。

できれば、仏道を歩み、悟り・涅槃へと向かうための善き業・カルマをしっかりと調えることで、この迷い苦しみの輪廻を解脱して、悟り・涅槃へと至ることを目指すことが、仏教において大切となります。

できましたらこれを機会に、仏教に興味を持って頂きまして、是非、学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「何もできない自分」

問い「何もできない自分」

【ご質問内容】

自分のできる事とやりたいことの釣り合いが取れません

わたしは高校を卒業してから風俗嬢をしています。勉強が苦手で成績は悪く、これと言った取り柄がありません。専門学校に入りましたがすぐに辞めてしまいました

髪の色が派手でピアスはたくさん空いています。この格好を止めればできる仕事の幅が広がって風俗嬢もやめて、飲食店でも仕事ができるのに……と思うのですがこんな格好は若いうちしかできない、やりたいことがこれくらいしかないのに捨てられない、といつまでも続けてしまいます。

親元を離れているのでたまに親から電話で「なんの仕事をしているの?」や「最近どう?」などと聞かれると嘘をついてしまうのもつらいです。

やりたいことばかり高望みしてしまうのに、そのために努力の仕方すら分からない自分が嫌で、親にお金を返したら死にたいと思っています。

わたしはどうしたらいいんでしょうか。

【拙回答】

千里の道も一歩から。小さなことからコツコツと。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

あらゆるモノ・コトというものは、必ず因縁(原因と条件)によって成り立っていると仏教ではご説明致します。

ですので、その因縁をしっかりと調えてあげることが、結果へと向けては大切なことになります。

やりたいことへの結果へと向けては、主に動機(原因)と行動(条件)が必要になります。

動機はあっても、やはり行動も伴っていかないといけません。

そして、何事もそうですが、簡単に楽して、ワープしてやりたいことがすぐにやれるというのも難しいものであります。

千里の道も一歩から。小さなことからコツコツと。

そのためにも、自己嫌悪に陥ってしまっていること、自信を無くしてしまっていることについても少しずつ改めていく必要があります。

目標設定し、そこへ向かう自分をイメージすると共に、もっと自分の可能性、潜在能力を信じて、できることから着実に積み上げていくことが大切となります。

そして、私たちは誰も独りでできることには限界があります。そんな時には、周りの助け、支え、応援も頼りとしていかなければいけません。

もっと自分と周りを信じて、明日からでも少しずつやりたいことへと向けてコツコツと取り組んでいってみましょう。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「何かしようとも何もできない」

問い「何かしようとも何もできない」

【ご質問内容】

色々と相談事書きましたが、尽きる話しは、金縛りの状態と言うのが早いのでしょうか? 
体が動きません、気持ちが重くてできません、周囲の目も声も悪意を感じるようになってる状態です。 
因果応報とでも言えるのでしょうか? 
怠惰な生活、人への妬みが今の自分に返って来たのでしょうか? 
将来このままの状態が続くようなら 何もならなかった人生、最悪な終わり方をするようになる様な気がします。 
悪因を断ち これからの人生を意義のあるものにするには、どうすれば良いでしょうか? 
仕事もできない 意欲もない 人からも良くも言われない 毎日の不安 逃れると言うより立ち向かえる勇気と智慧を伴った行動ができるようになりたいです。

【拙回答】

「因果応報」とは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「因果応報」とは、世間の使い方では悪いイメージが先行してしまっている感が否めませんが、正しくには、善いことも悪いことも含めて、全てのこの世のモノ・コトというものは、因縁(原因と条件)によって結果が成り立っているという、「因縁果の理」のこととなります。

何も原因が無く、また、何も条件も調わないのに、結果が生じることはあり得ません。

例えば、種も撒いていないのに、花は咲きませんし、種を撒いたとしても、土や養分や水や光などの条件の無いところに撒いても、花は咲きません。

あるいは、土や養分や水や光と条件は調っていても、種がなければ花は咲きません。

もちろん、色々な複雑な因縁が無数に依存関係で絡み合って成り立っている世界であり、単純にこれとこれで、こうなったとは言えないところもございます。

しかし、良き結果へと向けては、やはり良い因縁は必要となるため、良い因縁を調えていかないと良い結果は全く望めません。

良い結果へと向けた良い因縁を積むためのヒントが仏教には多くございますので、是非、これを機会に仏教の学びも進めて頂けましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「後悔、これから。」

問い「後悔、これから。」

【ご質問内容】

数年前に結婚するつもりで付き合っていた人から、私がなかなか結婚に踏み切れなかった為に突然振られてから、心に大きな穴が空いたように何をやるにも自信をなくし、地に足がついていないような気持ちが常にあり、無気力な状態になりました。 
それから何年か経って、やっと人を信じれるようになった頃に、今の旦那と出会い結婚、出産をしました。ですが、旦那は外面が良いと自分で言うくらい、他人には良い顔をする人でした。私に見破る力がなかった、軽はずみに結婚をしてしまいました。自分が悪い事をしているのに、私や私の親から注意をされると逆ギレ、自分の非を絶対に認めません。周りの意見は聞き入れません。私の親の悪口を言い、私は許せません。私の親なのに喧嘩を売るような言葉、態度をとり、常識がないです。俺はお前を嫁に貰ったんだ!と、昔の考えで、言いたい事ばかり押し付けてきます。「喧嘩は、良くする為にするもんだ」という考えで、私とは違う考えです。私は出来るだけ喧嘩したくないです。こんな人だと思わなかったです。結婚するべきじゃなかった。こうなるなら、振られた人と結婚していた方が幸せだったなと後悔ばかりです。 
出来ることなら離婚したい、旦那と喧嘩するばかりで疲れました。暴言ばかり言われ、私が悪いとばかり言われるので、また自信がなくなります。旦那から何を言われるのか怖くて、手が震えてくるのです、でも、離婚しても私には経済力があまりないと独身の時から感じていたので、離婚という言葉が浮かんでも踏み切れないのかもしれません。

その時に必要だった人と縁があって巡り会うとかよく言うけど、そうは思えません。何故、付き合っていた人と出会えたのに別れたり、よりによって旦那のような人と出会ったのか知りたいです。 
後悔は、どうしたら消えるのか、教えてください。

また、親は「いずれ、あなたよりも先に死ぬのだから、幸せになっていてほしい、一人じゃなく結婚していてほしい」と言います。そうだとしても出来るだけ親の近くにいたい、親の面倒を少しでも見たい。と、結婚して親から離れてからそう気付いて、その気持ちが強くなりました。旦那は私の親の近くに住むこと、同居は賛成していません。子どもはまだ小さくて手がかかります。質問が多いのですが、どうしたら良いのか教えてください。

【拙回答】

「アスペルガー症候群」の疑い・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

旦那様のことでお悩みのご様子・・

結婚するまでは分からなかったのだけれども・・として多いのが、「アスペルガー症候群」でございます・・

少し旦那様のアスペルガー症候群を疑われた上で、専門機関にも相談し、周りにも色々と協力してもらって、今後の対応について考えていかれると良いのではないだろうかとは存じます。

また、よくあるのが、アスペルガー症候群の旦那さんの配偶者が、「カサンドラ症候群」になってしまうということがございます・・

「暴言ばかり言われ、私が悪いとばかり言われるので、また自信がなくなります。旦那から何を言われるのか怖くて、手が震えてくる」・・

その兆候も少し出てきてしまっているような気もします・・


仏教では、あらゆる全てのモノ・コトというものは、因縁(原因と条件)にて成り立っていると説明致します。

簡単には、悪い因縁であれば、悪い結果になり、良い因縁であれば、良い結果になるということでございます。

過去のことをあれこれと、いつまでも後悔するのではなくて、良い結果へと向けて、今、これから先、良い因縁をどう調えていくべきであるかを考えて、実行していことが大切となります。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「認知症の意味」

問い「認知症の意味」

【ご質問内容】

なぜ認知症になるのでしょうか?

医学的な事ではなく又本人が死に向かっての準備という様な事でもなく『他者に対してどういう意味』があって認知症になるのかわかりません。

食事を食べていないと言ったり誰かわからないなどは認知症の中でもまだ軽い症状です。

認知症が進むと言われていることが解らなくなります。本能であるはずの食べるという事も解らなくなります。

それでも介護者はべ物を口に運び・失禁で濡れた服を替えなければいけません。

現在では認知症の親を施設に預けることが多いと思いますが、職員が暴力・暴言を受けることも多々あります。

しかし職員は言い返すことも手を振り払う事も出来ないため言葉で諭すのみ、生傷が耐えない時もあります。

何をされても言われても職員は自分を守る事が出来ない。認知症の方は弱者…頭では理解していても泥棒・バカ・気持ち悪い等々日々言われ傷つかないわけがありません。施設職員は神様仏様ではないんです…その為 鬱病等を患い辞めていく方も沢山います。 

ゆっくり時間を掛けて対話をすれば違う状況もあるでしょう。しかし介護施設(特に特養)と言われるところは時間に追われる日々  
常に職員不足によるものなので仕方がありません。

これから高齢者は増え続けますが介護職員は減っていくと思います(雇用状況が良くなり若い職員は他業種へ転職・ベテラン職員は順番に退職を迎えます)

子供が認知症の親を看ている時代なら別ですが 他人に介護を任せる時代何故『認知症』と言う病があるのかわかりません。

赤の他人を心身共に傷つけるだけ(可愛いらしく年齢を重ねた方も多くいますが)の最期が何故用意されているのかわかりません。

質問には直接関係ありませんが収入が良い訳でもありません。介護職員の平均年収は320万ほどだそうです。

【拙回答】

意識について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

介護現場の大変さ・・介護保険、介護報酬に係る社会保障制度的な問題については、政府がしっかりと対応していくべきであり、もっと介護従事者の処遇改善も図られてしかるべきであるかと存じます。

さて、仏教では、この世におけるあらゆるモノ・コトは、必ず因縁(原因と条件)により成り立っているとご説明申し上げます。

ですので、「認知症」も、もちろん、身体的機能、特に脳機能的なことを原因として色々な条件も重なって発症するものであると考えられます。

医学・医療の発達により、寿命は延びたものの・・だからといって・・と思うところはありますよね・・

私たちもいずれ認知症になるかもしれず、他人事ではありませんが・・

いずれにしても、生老病死の基本的な苦しみからは誰も逃れることができない・・ということなのかもしれません・・「一切行苦」、「一切皆苦」ということでございます。

何とかこの苦しみ、迷いの世界から離れていくための教えが仏教となります。これを機会に是非学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

ここからは少し難しい話となりますが、私たちの意識には、肉体に支配されている粗いレベルの意識と肉体に左右されない微細なレベルの意識があるとされています。

肉体に支配されてしまっている粗いレベルの意識は、もはや肉体の崩壊とともに、どうしょうもなく、それは認知症の方も同様ですが、死後にも存続していく意識としての微細なレベルの意識へと向けては、色々と働きかけていくことは可能であると考えられます。

その微細なレベルの意識へと向けて、仏教的な働きかけではなくても、慈悲の思いを向けてあげて、優しい言葉をかけたり、心配りや、配慮ができていければ、微細なレベルの意識に良き変容を促すことは可能であり、死後の良き赴きへと向けても、少しなりにも役に立つことができていければ、大変に有り難いことになるのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

問い「生きてる意味」

問い「生きてる意味」

【ご質問内容】

2015年の4月に離婚し、ばつ二回になりました今は一人で派遣社員の仕事してます、二回の結婚で実の子供が三人いまが子供たちにわ 
父親らしいことは何一つ出来てなく養育費も渡してない状況ですこんな自分が情けなく子供たちに申し訳なく日々、死にたい気持ちと格闘してます。 
でも死ぬ勇気がない自分が情けなく思います 
こんな自分がこの世の中、生きてる意味有るのでしょうか、こんなくそみたいな世の中、生きてる意味有るのでしょうか?お金がないと何も出来ない世の中…

【拙回答】

お金がなくてもできることを

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる意味や価値とは、人それぞれでも意味や価値が異なるものであるため、「これです」と決定付けて言えるものではなく、また、色々な因縁(原因と条件)次第においても変わっていくものとなります。

ですので、しかるべき良き因縁が調ったら、良い意味や価値になりますが、調わなかったら難しいということになります。

ですので、良い意味や良い価値にするためには、そのための良き因縁をできるだけ調えて参りたいものでございます。

お金がなくても、子どもさんたちにしてあげられることがあるかとは思います。

仏教では、お金が無くてもできる善い行いとして「無財の七施」がございます。

以下に挙げさせて頂きますので、是非参考にして下さいませ。

眼施(慈眼施)・・慈しみをもって優しいまなざしで接すること。

・子どもたちと会った時に、優しい眼差しで接してあげて下さい。

和顔悦色施(和顔施)・・和やかな笑顔・にこやかな笑顔で接すること。

・子どもたちと笑顔で接してあげて下さい。

言辞施(愛語施)・・優しい言葉で接すること。叱咤激励の厳しい愛の言葉も。

・子どもたちと優しい言葉で接してあげて下さい。時には愛からの厳しい言葉も。

身施(捨身施)・・身体を使ってできるお手伝い・奉仕を自ら進んですること。

・子どもたちと身体を使って遊んであげて下さい。キャッチボールしたり、サッカーしたり、一緒に縄跳びの練習をしたりとか。

心施(心慮施)・・相手の心を思い遣ってTPOに合わせて接すること。

・子どもたちの喜怒哀楽に寄り添ってあげて下さい。子どもたちの味方にいつでもなってあげて下さい。

床座施(壮座施)・・高齢者や妊婦さん、病人などに席や場所を譲ること。分かち合う・譲り合うこと。

・自分の余裕のある分のお金や食べ物、お菓子などを子どもたちに分けてあげて下さい。

房舎施・・自分の住居を提供して、おもてなしすること。

・自分のところに子どもたちが来たら、もてなしてあげて下さい。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌
カテゴリ別アーカイブ
カテゴリー
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ