hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

幸せ

問い「身近な人の死を受け入れられるか不安です」

問い「身近な人の死を受け入れられるか不安です」

【ご質問内容】

先日、祖母を亡くしました。 
私が小さい頃、両親は共働きだったので祖母が私の面倒を見てくれていました。 
そんな祖母も90才を越え、元気でしたが少し生活の介助が必要になったので、高齢者向けマンションに入居しました。 
祖母が自宅にいたころは時々会いに行っていたのですが、近頃疎遠になってしまい、この前も会いに行くチャンスがあったものの、また会えるから…と先送りしてしまいました。 
そんな矢先、母親から連絡があり、おばあちゃんが亡くなったとのこと。 
あまりに突然すぎて、理解できませんでした。 
祖母は自分の部屋で、一人で誰にも看取られずに亡くなりました。心不全でした。 
見つけてくれたマンションの方に聞くと、亡くなる直前まで元気で、お昼過ぎに少ししんどいから横になると言い部屋に帰り、夕食の時間になったので声をかけに行くともうすでに亡くなっていたとのことでした。 
一人で亡くなったので、最期は寂しかったかな、何を思いながら亡くなったのかな、あのとき会いに行けばよかった、最後にもう1度ばあちゃんに会いたい…といった思いが頭から離れません。 
これから先も大切な人の死が待っています。 
死は避けられないとわかっているのですが、誰かの死に直面するのが怖いです。祖母のように別れは突然なこともあり、ちゃんと見送ってあげられるとは限りません。不安で不安で苦しいです。 
アドバイスをいただけるとありがたいです。 
長文、失礼いたしました。

【拙回答】

「供養」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お祖母様との突然のお別れ・・誠におつらいことでございました・・

確かに突然のことであり、あれこれとお別れに後悔をお持ちになられておられるのも仕方がございませんが、できましたら後悔の代わりに、感謝の思いを抱かれつつに、さわ様が恙無く平穏無事にお幸せに過ごされることが、何よりのお祖母様への善きご供養になるとお考え頂けましたら有り難くに存じます。

また、「供養」とは、「供(とも)に養う」ということになりますが、亡くなられた方と一緒に、悟りへと向かうための行い(智慧の修習と功徳の集積)を養って共有していくということでもございます。

「悟りへと向かうための行い」(智慧の修習と功徳の集積)と言ってしまうと少し難しいことですが、私たちの世界は助け合い、支え合い、分かち合いによって成り立っていることをよく理解して、お互いがお互いで気遣い、配慮し合って、皆が幸せになれるような行いを少しずつでも調えていくということでございます。

お祖母様と一緒に、また、亡くなられたご先祖様方と一緒に、悟りへと向けての善き行いに取り組むという「供養」につきましても、少しお考えを頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「再婚は幸せですよね」

問い「再婚は幸せですよね」

【ご質問内容】

再婚しました。男の子です。

私は子供に構いすぎですが、放っておくわけにいきません。

旦那には過保護だと言われますが普通だと思います、

朝学校に行くのにも、朝はなかなか起きないので放っておけ遅刻したら、遅れてでも行くといいます。

親として、学校には遅刻して行かせるわけにはいかないし、子供は3人で出掛けるとふてくされて、機嫌が悪くなり、中3になったくらいから出掛けるときは私と二人で出掛けています。

旦那は結婚した頃は学校に送迎も一緒に行ったり、どこに行くのも私と一緒の行動でした。

私は何をするのも、何を買うのも旦那が財布を握っていたのでスゴく窮屈でした。

私の働きも月に5万円程度です。 
子供の携帯代に私の車保険の支払い。 
残るのはわずかです。

たまに子供が服を欲しかったりするときと欲しいときはお金を私からあげます。 
私は自分よりか、子供が恥をかかないようにできるだけ最低限だけど、してあげたいと思っています。 
旦那にはいろんなことに気を使い言えないです。

子供が今年高1になりました。 
高校になると凄いお金がかかりましたが、シブシブお金を出してくれました。 
そんなつもりはないかも知れないが、そう感じます。

私は心に私と結婚したら子供もいるし、お金かかるのも知ってて一緒になったんだから気にしなくていいよと言い聞かせます。

高1になってから働きに出たいといいました。 
私が収入が少ないからお金かかるしと言ったら後1年我慢してと言われました。

主人は来年定年退職です。

結婚3年目ですが、ギクシャクしています。

結婚して2年目くらいに、私は旦那の以前結婚していた元嫁と使っていたベッドを何も気にせず使っていました。

私は嫌で嫌で喧嘩した時にそのベッドの事もいいました。このベッドは気にならないか、嫌だといいました。

まだ家の使ってない部屋には元嫁のものがたくさん入っていて、2年経っても気にしない無神経な人に嫌気までさしてきました。

私は倉庫に運びました。

そのことについて旦那も怒って、お前みたいな淫らな女を嫁にもらったのに贅沢をいうなと反対に怒られました

【拙回答】

再婚が幸せかどうかは…

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

再婚が幸せかどうかは、やはり幸せへの因縁(原因と条件)次第となります。

しかし、再婚相手の旦那さん・・ちょっと酷すぎですよね・・正直、モラハラに近い感じもします・・

夫婦関係においては、相互協力、相互扶助の義務があります。お子さまのことについてももっと協力、援助してしかるべきでしょう。

このままでは息子さんへの悪影響も色々と懸念されます・・

あとは、無神経さから鑑みると、もしかすると旦那さんは、「アスペルガー症候群」的な要素もあるかもしれませんね・・

そうなると、しー様があまりに自己嫌悪や自信喪失となられての「カサンドラ症候群」も気になるところとなります。

とにかく、無理して我慢しすぎて、カサンドラ症候群に陥ってしまわれてもいけません。

あまり感情的にならずに、色々と話し合いをされつつに、解決を目指されながら、もうどうしても無理となれば、やはり次のことも考えておかれないといけないのかなとも存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「離婚を言い渡された」

問い「離婚を言い渡された」

【ご質問内容】

結婚して10ヶ月程になります。先日、主人から逃げられ離婚の運びとなりました。

結婚前より彼の両親からは結婚を反対されており、結婚してからもまともに会話をする機会もありませんでした。

主人は結婚時に、売春や風俗、ギャンブル等をわたしに隠し結婚。そして気が緩んだのかわたしに「実は…」と全てを自分から話しました。また、その他の女性関係についても奔放で、結婚が決定してからも裏切る行為を行っていました。

結婚自体が不安要素の塊だったにもかかわらず、次々と問題が発覚したことによりわたしは彼の行動のすべてが信用できず。妥協点を探しながら努力をしたのですが彼が答えてくれず、最終的に社会生活がままならないほど束縛し、自由の一切を禁じる結果になりました。

それでも、彼は耐えたと思います。けれど問題はなに一つ解決していませんでした。わたしは彼を許す事がどうしても出来ず、抱かれる度にこの男は他の女性を金で買っていたんだと。

結婚前から、自分を殺しながらでも、どうしても彼と添い遂げたいと本当に努力しました。けれどわたしはどうしても彼を許す事ができなかった。

最終的に、彼を責めてはいけないと追い詰められ、けれど彼はわたしの気持ちを理解しようとしてくれない。罵声を浴びせられた記憶、積み増さなる日々の不満、わかってほしいという気持ちが爆発し激しい暴力を彼に浴びせました。

当然彼は逃げ、離婚の運びになりました。わたしはなんのためにこんなに苦しい思いをしてきたんだとただただ逃げて済ませてしまう彼との関係が悲しく。なにも考えられません。

しかし心の底で、やっと解放されたという思いがある事にも一瞬離れただけで気づきました。

どうしてこんなことになってしまったのか。彼との縁が切れてしまったことが、自分の至らなさが悲しくて悲しくて耐えられません。一緒に居たかった、添い遂げたかった、本当に一緒に居たかった。彼を追い詰め、暴力という最低の手段でしか感情を伝える事のできなかった自分がただただとても悔しい。

【拙回答】

私たちの真なる本当の敵とは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

はる様も旦那様も悪い感情・煩悩に支配されてしまったまま行動を起こしてしまっているところに問題があったようです。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、はる様も旦那様も、真なる本当の敵は、悪い行動を支配してしまっている煩悩、そしてその親分の無明(むみょう)・根本的な愚かさでございます。

その「やっと解放されたという思い」も実はほんの一時的なもの・・真なる解放は、もちろん、煩悩・無明からの完全なる解放を目指すことが必要となります。

そのための教えが仏教でございます。

どう煩悩・無明を抑えてコントロールしていくべきであるのか、どう煩悩・無明を対治していくべきであるのか、是非、これを機会に仏教の学びから少しずつでも実践していって頂けましたらと存じます。

そして、この世における全てのモノ・コトは、因縁(原因と条件)次第により変化していきます。

できれば、良き因縁をしっかりと調えていくことで、良き結果、幸せへと向かって参りたいものでございます。

どうにもならないことは、もうどうにもなりませんが、この度のことは、良き教訓として、これから本当の意味での幸せになるためにどうか活かされて下さいませ。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「こんな私でも幸せになれますか⁇」

問い「こんな私でも幸せになれますか⁇」

【ご質問内容】

お忙しいところ失礼致します。 
つい先日病気で母を亡くしました。 
7年前に事故で父も亡くしています。 
その間に母方の祖父母も亡くしています。 
今は弟と2人で暮らしています。

また恋愛も上手く行かず今までも 
体だけの関係だったり 
元カノとより戻ったから別れる等 
いい恋愛をして来ませんでした。

この先これ以上悪いことは無いと信じたいですが 
色々考えると不安で不安で仕方ありません。 
毎日が苦しいです。 
こんな私でも普通に幸せになることは 
出来るのでしょうか⁇

【拙回答】

幸せも因縁次第

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

ご両親様とは早いお別れになってしまわれたのですね・・誠におつらいことでございます・・

弟さんも寂しい思いをされているかと存じます。姉弟仲良くに支え合ってお過ごし下さいませ。

「幸せ」とは、人それぞれでも価値や意味が異なるものであるため、これが「幸せ」ですと決定付けて言えるものではなく、また、色々な因縁(原因と条件)次第においても変わっていくものとなります。

まあ、「幸せ」というものは、昼間の星のようなもので、普段は、それが「幸せ」とは、なかなか気付けないものであるかと思います。

しかし、人生、誰でも困難や問題が色々と生じますが、その困難や問題が生じたとき(暗闇)にこそ、それぞれの幸せ(星)も何かがわかるようなものであるかとは存じます。

また、私たちは独りでは生きていけるような強い存在ではありません。皆、実は弱い弱い存在です。

その弱い者同士が生きていくためには、お互いに、色々と助け合い、支え合い、分かち合っていかないといけないのが、私たちの本来のありようでございます。

恋人、伴侶であれ、色々な困難や問題にぶつかった時に、お互いに、助け合い、支え合い、分かち合って、人生を共に乗り越えて、幸せに過ごしていけるようなパートナーであるのかどうかが大切となります。

そんなパートナーとの善き出逢い、ご縁へ向けて、まずは少しずつでもしかるべき良き因縁(原因と条件)も調えて参りたいものでございます。

良き因縁を調えていくためのヒントは仏教に多くございます。

まずは簡単な四摂法(布施・愛語・利行・同事)や七施(慈眼施・和顔施・愛語施・身施など)からでも、是非、仏教の学びと実践をして頂けましたら有り難くに存じます。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「人はみんな平等ではない……。」

問い「人はみんな平等ではない……。」

【ご質問内容】

どんなに頑張っても報われない人っているんですよね……。 
全然よくならない人生が嫌になります。

周りを見れば幸せな人ばかりが目に付きます。

私だって幸せな生活が送りたいです。 
お金持ちでなくてもいい。 
毎日が穏やかに、家族みんなが仲良く、健康に暮らせるだけで幸せなのに。 
そんな幸せさえ、私には与えてくれない。 
色々な問題や辛いことばかりが押し寄せてきます。 
涙が止まらない、毎日がどうやってモチベーションを上げたらいいのか分からない……。

よく、「みんな平等。」と言いますが、私にはそうは思えなくなってしまいました。

【拙回答】

仏教における平等について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「隣の芝生は青い」ように見えるだけで、「幸せ」そうに見えてはいるものの、実際、まあほとんどの人たちは、何らか問題、悩み、迷い、憂いなどを抱えているのではないだろうかとは思います。

世間で、政治的に使われているような「平等」という言葉は、ある意味で不満を抑えさせて、納得させるためのプロパガンダ的なものであると思って下さい。

ちなみに仏教で言うところの「平等」と申しますと、少し難しいことになりますが、例えば、全てのモノ・コトというものは、必ず因縁(原因と条件)によって成り立っているという意味では、それで平等になります。つまり、何らかの因や縁など他に依存せずに成り立っているものは見当たらないということでございます。他に依存して成り立っているということを「縁起」(えんぎ)と言います。

また、全てのモノ・コトは、何らとして独立自存にて実体として成り立っているものがないという意味でも平等となります。「空」(くう)ということであります。

とにかく、因縁によって成り立っているということにおいては、皆、同じであって、その因縁次第において色々と変わっていくということでもあります。

それは、ドラミカ様も、より善い因縁を調えていくことができれば、善い結果も望めるものであるということでございます。

幸せは、昼間の星のようなものです。普段はあまり分からないのですが、問題や辛いこと、苦しいことがあった時(暗闇)においてこそ、やっと幸せ(星)も分かるものとなります。

穏やかで、家族が仲良く、健康に暮らせること、それがドラミカ様の幸せという星のようですね。

目指すべき幸せが分かったのであれば、そこへ向けてしっかりと善き因縁を調えていくことに取り組むことで、やがてその幸せへと至りたいところとなります。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「頑張る意味、生きる意味とはなんでしょうか」

問い「頑張る意味、生きる意味とはなんでしょうか」

【ご質問内容】

生において夢も希望も絶望もありません。

ただ生まれたからなんとなく生きているだけなのですが、このような人生なら、あってもなくても変わらないと思います。 
死ぬと家族が悲しむとは思いますが、その家族も遅かれ早かれ死にますし、その後のことは死んだ私には関係ないと思うので、どうでもいいです。

このような考えを持っている人間なので、社会全体に広がる、 
「夢」に向かって「前向き」に「頑張って」、「成功」することが「良いこと」である 
という雰囲気についていけません。 
なぜ頑張らなくてはならないのでしょうか?

私は頑張ることが嫌いです。 
でも頑張れない自分のことも嫌いです。 
本当は自分も頑張りたいと思っているのかもしれません。でもどうしても 頑張る ということが受け入れられません。 
これは「逃げ」「甘え」だと感じられるかもしれませんが、逃げてはダメなのでしょうか?

自分が何をしたいのか、救いを求めているのか、どうなりたいのか、わかりません。

長くなりましたが、なにか助言をいただければ幸いです。

【拙回答】

汝、法門開かれし

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

『「夢」に向かって「前向き」に「頑張って」、「成功」することが「良いこと」である という雰囲気』・・

拙生もこのような雰囲気に嫌悪致している者の一人でございます。

同士です。

要は世間の物差し、お金や名誉や地位、権力などを価値ある者だと信仰してしまっていると、そのようになってしまい、その信仰が多数であればあるほど、それが正しい、当たり前となり、やがて、そのような価値観を信仰しない者は、排除していこうとなってしまうわけであります。

その排除における疎外感のようなものをお感じであるのかもしれませんね。

しかし、仏教では違います。

世間世俗的な世界における「幸せ」など、本当の「幸せ」でないと考えます。

仏教では、悟り・涅槃という究極的な「幸せ」を目的と致します。

その「幸せ」へと向けて、仏教においては、無明(根本的な無知)・煩悩・悪業を対治するために「智慧と福徳(功徳)」の修習を進めていくことになります。

無常観、出離の心も少しくお持ちのようです。

さあ、扉は開かれました。

仏教を本格的に学び入る良い機会を得られました。

是非、興味を持って学んで頂けましたらと存じます。

分からないことがございましたら、どうぞ遠慮なくhasunohaもご活用下さいませ。

川口英俊 合掌

問い「障がい者の恋愛」

問い「障がい者の恋愛」

【ご質問内容】

夜分に失礼します。

私は、六年前に離婚しました。

それ以降、お付き合いした方もいらっしゃいます。

しかし、私は統合失調症というメンタルな病を抱えており、身の回りの事が出来ません。

家事炊事は、切羽詰まるまで出来ません。

離婚後『この方、良いな。お話ししたい。』とか『この人と一所に居れたら良いな。』と思う方が現れます。

しかし、仮にお付き合いが出来ても、その先の結婚となると躊躇ってしまいます。

以前の結婚生活と比較して良いか分かりませんが、その結婚生活が標準ならば、私はこの先をやっていける自信が持てません。

最近では、幸せになりたいですが『結婚しないで、恋愛だけにしよう。』と割り切ってしまいます。

私の病気で相手の方に負担をかけてしまうことに、罪悪感を持ってしまいます。

障がい者でも、結婚は可能なのでしょうか?

まとまりのない文章ですが、宜しくお願い致します。

【拙回答】

諦めてはいけません

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生は「障害」という言葉が大嫌いです。

「言葉」に惑わされてしまってはいけません。そんな言葉は、都合よくつけられてしまった「ラベル」のようなものです。そこに何か実体的に決定できるようなものがあるわけではありません。

この世における全てのモノ・コトは、因縁(原因と条件)により変化していくものです。

善き因縁により、善き結果も当然に望めるものです。決して、「障害」だと、先入見により決めつけて、諦めてしまってもいけません。

より善き因縁、より善き出逢い、ご縁によっては、もちろん、結婚することだってまだまだ望めるものであるかと存じます。

また、恋愛、結婚したからといって、必ず「幸せ」であるとも限りません。

「幸せ」というものは、昼間の星のようなもので、普段は、それが「幸せ」とは、なかなか気付けないものであって、人生、誰でも困難や問題が色々と生じますが、その困難や問題が生じたとき(暗闇)にこそ、それぞれの幸せ(星)が何かがわかるようなものであると考えております。

私たちは独りでは生きていけるような強い存在ではありません。皆、実は弱い存在です。その弱い者同士が生きていくためには、お互いに、色々と助け合い、支え合い、補い合い、分かち合っていかないといけないのが私たちのありようでございます。

恋人、伴侶であれ、幸せのためには、色々な困難や問題にぶつかった時に、お互いに、助け合い、支え合い、補い合って、分かち合って、人生を共に乗り越えて過ごしていけるようなパートナーであるのかどうかが大切となります。

そんなパートナーとの善き出逢い、ご縁のございますことを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「因果応報」

問い「因果応報」

【ご質問内容】

いつもありがとうございます。 
独身時代、不倫を繰り返していた友人についてです。私は不倫肯定派ではありません。

1人は歳の離れた上司と不倫をして仕事で重要な役職になり若くして出世しました。勿論彼女は賢く仕事の能力も高いです。「不倫の何がいけないの、そんな男と結婚した嫁が悪い」と言う強気な女性です。

もう1人は寂しさから複数人との不倫をし、そのうちの1人に独身の男性を紹介され、結婚しました。旦那様は紹介者との不倫関係は知りません。結婚してからも会ってる男性はいるようです。

二人共、大手企業の真面目な男性と適齢期に結婚しました。不倫をしてなければ得ることの出来なかった幸せを掴んでいます。友人の幸せは喜ばしい事ですが、旦那様を不憫に思う気持ちと真面目に恋愛しても実らない自分と比較したり、複雑な心境です。 
性格は違いますが、私の目から見て彼女達は家柄も美貌も人柄も優れています。悪い行(不倫)以上に人徳があるからの結果なのでしょうか? 
人は平等ではない事は理解しています。不倫は悪い行いと信じ、彼女達の行く末を心配しておりましたが、それを経て幸せになった女性を身近で見て事業自得や因果応報との言葉にも疑問を感じています。ハスノハでも不倫に悩み苦しんでる質問を多く見受けますが、彼女達と何が違うのでしょうか。もし今後違う形で不運に合っても、それをプラスに変える力があるようにも思います。 
因果応報に対してお坊さんのご意見を伺いたいです。宜しくお願いします。

【拙回答】

真なる幸せは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

世間世俗的な世界における「幸せ」は、本当の「幸せ」でないと仏教では考えます。

仏教では、悟り・涅槃という究極的な「幸せ」を目的と致します。

その「幸せ」へと向けて、仏教においては、無明(根本的な無知)・煩悩・悪業を対治するために「智慧と福徳(功徳)」の修習を勧めることになります。

無明・煩悩・悪業による結果は、過去世や現世における無数の因縁(原因と条件)も複雑に絡んでくるため、その「不倫」の結果が、即座に「これ」として出る、分かるものではないのですが、確実に業・カルマとしては相続していくことになるため、しっかりと、慚愧・懺悔した上で善業に取り組むか、あるいは、確かなる仏道に精進するかしない限りは、いずれにしても輪廻で迷い苦しむことになってしまうとお考え下さい。

世間の八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)の中では、真なる「幸せ」はなく、仏教の目指すべき真なる「幸せ」としての「悟り」・「涅槃」というものへと向けて、これを機縁として頂きまして、仏教に関心をより強く持って頂きまして、誠実に日々をお過ごし頂きながら、仏法も学び修されていかれることを、ご一考下さいましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「幸せとはなにか?」

問い「幸せとはなにか?」

【ご質問内容】

大切な人を昔亡くしました。そのあと私は死に対して経験しています。幸せとはなにか?わからずに生きてきました。 
結婚することか?子供を産むことか?生きていることか?

私自身が人生を終わりにしたいと思っているため、結婚しませんでした。自分が子供を産むことも望むことも許されません。許せません。寂しいと思いながらいつでも終われるように家族を作らずにいます。

人を大切にすることで生きる価値を見いだしていたのだと思います。今でもそうです。 
大切にしたいと思いながら結局は、人は裏切り裏切られ、傷つけ傷つけられる人生なのでしょう。それでも一緒になりたいという人と一緒になるべきか、独りで生きていくか?

恵まれた環境のなか、自分の価値がわかりません。一緒に居たいと思う人はもういない。 
でもずっと独りで生きていけるか? 
誰でもいいのか? 
このような考えで生きている私にどうかアドバイスを下さい。

【拙回答】

「幸せ」とは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

本当に大切な方を亡くされたのですね・・悲観なされておられるお気持ち、誠にお察し申し上げます。 

「幸せ」とは、人それぞれでも価値や意味が異なるものであるため、これが「幸せ」ですと決定付けて言えるものではありませんが、「幸せ」は、昼間の星のようなもので、普段は、それが「幸せ」とは、なかなか気付けないものであるかと存じます。

人生、誰でも困難や問題が色々と生じます。その困難や問題が生じたとき(暗闇)にこそ、それぞれの幸せ(星)が何かがわかるようなものであると考えております。

ご心配にもございますように、私たちは独りでは生きていけるような強い存在ではありません。皆、弱い存在です。その弱い者同士が生きていくためには、お互いに、色々と助け合い、支え合い、分かち合っていかないといけません。

恋人、伴侶、友人、子どもであれ、その困難や問題にぶつかった時にこそ、お互いに、助け合い、支え合い、分かち合って、乗り越えていけるような存在であるのかどうかが大切となります。

最初から、生きる意味、価値が無い、幸せも無いとして、恋人、伴侶、友人、子どももいらないというのでは、あまりにも偏った極端な寂しい考え方となるのではないだろうかと誠に危惧致します。

仏教では極端な考え方を避けた「中道」を歩むことが推奨されます。

悲観的、虚無的になられておられるお気持ちも分かりますが、どうぞもう少し柔軟に物事をお考え賜れましたら有り難くには存じます。

善い出逢い、ご縁もまだまだ望めるのではないかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「幸せって何なのでしょうか」

問い「幸せって何なのでしょうか」

【ご質問内容】

私には交際4年になる彼がいます。 
今回のご相談は、その彼との将来についてです。

私の彼は10歳年上のバツイチ子持ちです。 
(お子さんは前妻が引き取っています)

端的に申し上げますと、彼のその過去を受け入れることができません。 
彼のことを、とても愛しています。人生で初めてこんなにも誰かを想うことができました。 
付き合ってきた4年間、何度も別れを決意しました。でも、結局は彼の元に戻ってしまうのです。 
彼と1年あまり別れていたこともあります。その間別の恋人ができたこともありました。ですが、恋をしているというよりは、結婚を考えて条件のみで相手を見つけたお見合いのようなもので、相手には本当に申し訳なく思っていますが一度も恋はできず、傷つけただけでおわってしまいました。 
結局は彼でなければだめなんだと思い知らされただけの1年間でした。

彼は、初婚の私に対し自分の過去に引け目を感じていて、その分本当に大切にしてくれます。とても愛してくれていると伝わります。 
私も彼が心から大好きです。でも、辛いのです。この感情は理屈ではないのです。 
どこかに彼の血を分けた子どもがいるのかと思うと、気が狂いそうになります。彼がそれとなく話した子どものエピソードや結婚の話がずっと頭から離れません。好きな気持ちと比例して、その何倍も苦しいのです。

彼との結婚を一瞬決意できたこともありました。まわりの、ご主人が乱暴だったり浮気をしていたりあまり幸せでない結婚生活を送っている友人に比べ、受け入れられない過去があってもこんなにも大切にしてくれる彼と結婚した方が幸せなのではないかと思ったりもしました。でも、それでは一生自分より不幸な人を探し続ける人生です。

そして何よりも、彼を両親に紹介できません。 
大切に大切に育ててくれた両親に、心配をかけたくないのです。親心は想像でしかありませんが、なるべく苦労のない幸せな人生を送ってほしいと思っているに違いありません。

彼なくしては、幸せはあり得ないと思っています。でも、辛く苦しいです。 
彼じゃない人であれは、苦しくも辛くもなく(結果はわかりませんが)、でもこんなにも恋をすることももうきっとありません。

もう自分にとって何が幸せなのかが分かりません。

長文になり申し訳ありません。 
ご回答お待ちしております。

【拙回答】

「幸せ」とは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「幸せ」とは、人それぞれでも価値や意味が異なるものであるため、これが「幸せ」ですと決定付けて言えるものではありませんが、「幸せ」は、昼間の星のようなもので、普段は、それが「幸せ」とは、なかなか気付けないものであるかと存じます。

人生、誰でも困難や問題が色々と生じます。その困難や問題が生じたとき(暗闇)にこそ、それぞれの幸せ(星)が何かがわかるようなものであると考えております。

恋人、伴侶であれ、困難や問題にぶつかった時にこそ、お互いに、助け合い、支え合い、分かち合って、乗り越えていけるパートナーであるのかどうかが大切となります。

過去のことは過去のこと、いつまでもその彼の過去にとらわれてしまっていては、今の「彼」の想いや気持ちも見えなくなってしまうこともあるかもしれません。

「今」の彼の想い、気持ちを大切に、互いに心を真ん中で受けとめ合える「愛」し合いによって、人生を幸せに過ごしていけるパートナーとして共に歩んでいけると良いですね。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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