hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

心相続

問い「霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問」

問い「霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問」

【ご質問内容】

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。

 素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。

 実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。

 このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。


【拙回答】

心相続

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

霊魂のことはこれまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。


問題は、霊魂というものも、何か実体的な、独立自存的な、永久永遠の不変的な何かを想像してしまうと、それは誤りとなります。つまり、霊魂も「空」なるものということになります。

「空」なるものといっても、じゃあ、何も無いのかと言うと、そうではないと拙生は考えております。

前世から今世へ、そして死後の来世へと続いていく、我々の普段あるような粗いレベルの意識ではない、心相続(心の連続体)、微細心というものが「縁起」的にあり得ていると考えております。

その心相続のありようを、できる限りより善いものとして、善い赴き、もちろん、悟りへと向かっていけるように仏様とのご縁、仏教とのご縁を大切に日々紡いで、悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、心を浄らかに調えて参りたいものであると存じております。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「自分が自殺をしそうで怖いです。」

問い「自分が自殺をしそうで怖いです。」

【ご質問内容】

半年前に不安神経症を発症してから、自分とは、生きるとは何なのかについて悩むようになりました。

自分には意思があって、自分がしたいと思えば体が動きます。 
そうしたら、自分の心次第で人殺しや自殺もできてしまうんだなと気づきました。 
今も、身体が勝手に台所から包丁をとってきそうで怖いです。 
死ぬのが辛くなるんだったら、なんで生まれてきたんだろうとも思います。

怖いと思うのは、死にたくないという思いが魂胆にあるからなのでしょうが、その気持ちさえなくなってしまうんじゃないかと思ってしまいます。

自分の進路も見えてきて、やりたいこともたくさんあるのに、辛いです。 
考え方をどう変えたらよいでしょうか。


【拙回答】

不安の原因は・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

不安を色々とお抱えになられておられて、特に死に対する不安にお悩みのご様子・・

不安というものは、人間であれば誰もが何らかしか持っているものですが、ある意味では、自己防衛を図るための本能的なものであるとも言えます。

不安があるからこそ、慎重になって、安全に物事を進められているということもありますし、一方では、身動きがとれなくなり、何も手に着かなくなってしまうという弊害ももちろんあり得るものでございます。

不安というものも、有りすぎず、かといって、無いというのでもないというところのバランスが必要となります。

さて、「死」についてでございますが、とにかく、「死」とは何かが分からないことによる不安が一番大きな原因としてあるのではないだろうかと存じます。

そうであれば、「死」についてもっと知ってみるのも、その一つとなります。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の如くに、案外、知ってみると、なんだ・・となって、不安も和らぐことになるのではないだろうかと存じます。

仏教的に考えるのであれば、「死」は、虚無や絶無ではなく、肉体としての「死」という面が強くあり、肉体は滅んだとしても、存続していく微細な意識(微細心・心相続)のありようについて考えていくことになります。

その存続していく心のありようをしっかりと善きものに調えていくための教えが仏教でもあります。

もちろん、死後のことは今は考えずとも、いずれその時は否が応でもやってくるのですから、その時までは、とにかく仏教を修習し、善き因縁を調えていくことに取り組むのも一つ。

いや、やっぱり死についてもっと知りたいとなれば、仏教における死についての教えについて学ばれてみられることもお勧め致します。但し、学べる文献は幾つかに限られています。間違いのないように慎重に学んで参りたいものとなります。

ご興味がおありでしたら、いくつかのお勧めをお教えさせて頂きます。

とにかく、それもまだまだ焦らずで構いません。でも、ある程度知っていけば、納得していけることもあるという感じにて。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「死後の世界」

問い「死後の世界」
http://hasunoha.jp/questions/11603
【ご質問内容】

人は死んだらどうなるのでしょうか? 
私の周りの一部の''人は死んだら無になる''と言います。でも私はどうしてもそうは思えません。たしかに死んだら形がなくなってしまいますが、魂は無くならないと思います。きっと見えない姿になって生き続けるのだと思います。そんなのはただの願望ですか?たしかに証拠がないので断定はできません。でももし死後の世界が存在するのなら死を目の前にする(私がそういう状況というわけではありませんが)人々にとってとても心強い支えとなるでしょう。まだまだずっと先のことだとわかっていますが、やはり死ぬのが怖いです。人間は死んだら自然の一部になるという考えが一番現実的だと思いますが、それは科学的なことです。今生きている自分の魂(心)はどこへ行ってしまうのか。死んだら全ての記憶や体験がなくなってしまうのか。もしそうならやはり「死」は人間にとってとてもとても怖いものだと思います。生きるということ自体が死によって無駄(リセット)されてしまう。形がなくても魂が永遠に生き続けるということは本当なのでしょうか??


【拙回答】

死後について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死後については、拙生も昔は虚無的、悲観的に考えておりましたが、仏教を修習していく中で、存続していくありようについての確信を少しくにも得ることができてきております。

それは、微細なる意識として死後も存続していく心相続(心の連続体)に関するありようについてでございます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)が、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後において、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、実は、肉体的な機能に左右されない微細なる意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁(原因と条件)によって存続していくものであると考えることになります。

そして、その微細なる意識としての心相続、心の連続体においては、過去世、現世ももちろん含めて、全てのこれまでの数々の行いの業・カルマというものが、これから先へ向けても引き継がれていくことになります。

永遠永久に変わらない実体的な自分という何かがあるわけではありませんが、様々な因縁に依りて存続していくものはあり得ているというところとなります。

ですので、何もかもが消えて無くなるというわけではないと考えています。

ただ、その死後における心相続、心の連続体の赴きにおいては、様々な因縁と共に、実は、己自身の行い(業・カルマ)の影響が強く反映され、おおよそその行き先が 決まっていくことになります。

ですので、できる限り、この今、現在、そしてこれからも、善き業・カルマをしっかりと調えることで、より善い行き先へと向かえるように調えて参りたいものとなります。

できれば、仏道を歩み、悟り・涅槃へと向かうための善き業・カルマをしっかりと調えることで、この迷い苦しみの輪廻を解脱して、悟り・涅槃へと至ることを目指すことが、仏教においての要諦となって参ります。

できましたらこれを機会に、より一層、仏教に興味を持って頂きまして、是非、学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「輪廻転生について教えてください。」

問い「輪廻転生について教えてください。」

【ご質問内容】

よろしくお願いします。

輪廻転生について教えてください。

輪廻転生とは生きていて、死んだら記憶を消されてまた新しく生を受けて死んだらまた記憶を消されて…の繰り返しということだと知りました。

なんだか、穴を掘って、埋めて、また穴を掘って、埋めての繰り返しの拷問のような気がします。

生きていて同じ日は二度とこない、大切に生きなければならないことは知っています。

でも、なんだかもう慣れたというか飽きてしまったというか、なんとも言えない気持ちでずっともやもやしています。

そんな風に考えると何のために自分は生かされているのだろう、なぜ生きているのだろう、ととても虚しくなり、毎日がとても苦しいです。

そうやっていつも一人で泣いています。

自分でも何をどうしたらいいのか見当が付きません。 
自分は何に苦しんでいるのか、それすらもわからず苦しいです。

何かアドバイスを頂けないでしょうか。

よろしくお願いします。


【拙回答】


「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「輪廻」というのは、ぐるぐるとまわりつづけている如くに、迷い苦しみ続けてしまっているありようのことで、「転生」は、微細な意識としての心の連続体(心相続)が、死後にも様々に展開して存続していくありようのことになります。

様々に展開していくというのは、「六道輪廻」と申しますように、代表的には、天人、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の生き物として生き死にを繰り返しながら、迷い苦しんでしまっているということでございます。

「自分は何に苦しんでいるのか、それすらもわからず苦しい」・・まさに「無明」(根本的な無知)の状態と言えるのではないだろうかと存じます。

その無明による煩悩によっての数々の行為が、微細な意識にも悪影響を及ぼしてしまう悪業として、迷い苦しみに輪廻してしまうエネルギーとなってしまうのであります。

輪廻から解脱するためには、要は、その溜まってしまっている悪いエネルギーを完全に無くすということが必要となります。もちろん、これまで溜まってしまっている悪いエネルギーを無くしていくことと、これから作らないようにしていくということを、並行して行うことが必要となります。

そのための教えが仏教であり、簡単には、「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」として、「悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、心を浄らかにすること」ということになります。

「一瞬一瞬を大切に」、「生かされてある命を大切に」と言われても、まあ、確かにあまりピンとはこないでしょうが、輪廻からの解脱を目指して、「悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、心を浄らかにするために」、仏教を学び修せれる稀有貴重なる人身を得たこの「一瞬一瞬を大切に」、「生かされてある命を大切に」ということであれば、少しは理解もできるのではないだろうかと存じます。

是非、これから仏教をしっかりと学ばれるための一つのきっかけとして頂きまして、共に仏道を歩んで参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「自殺しようか悩んでます・・・」

問い「自殺しようか悩んでます・・・」

【ご質問内容】

初めまして。 
私は進学校に通っている高3です 
いろいろなことがあり、とてもつらく死にたいです。 
いま、自殺しようかしまいか迷っています。 
というのも、自殺をすると魂が汚れ、天国へも地獄へも行けず、永遠と無間地獄を彷徨うと書いてあったからです。 
あまり死後の世界などは気にしない性分なのですが、いざとなると不安に駆られます。 
そこで質問です。自殺をするとその後どうなるのですか? 
ただ身が朽ち果て土に返るだけなのでしょうか?


【拙回答】

自殺について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)で、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、五蘊にあまり左右されない微細なる意識(上記の識は粗いレベルの意識)としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって死後も存続していくものであると考えられています。

ですので、少し難しいことですが、何もかもが無になり無くなるという断滅論でもなければ、かといって、永久永遠にこれが「私」であるとして言えるような実体としての自分というものがあるわけでもなく、常住論とも違うものとなり、ただ、因縁によって存続していくものがあると考えることになります。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)というものとなります。その行いの集まりの因縁に応じて、どのような赴きとなっていくのかが、おおよそ決まっていくことになるとお考え頂けましたらと存じます。

自殺にも、良い因縁となる自殺もあれば、悪い因縁となる自殺、あるいは中性の因縁となる自殺もあり得るため、一概に「自殺をすると魂が汚れ、天国へも地獄へも行けず、永遠と無間地獄を彷徨う」とは言えるものではありませんが、確実に言えるのは、悪い煩悩、無明(根本的な無知)を動機とする自殺は、全くお勧めできないということでございます。

もちろん、動機が善であるのか、悪であるのかは、更に個別事での仏法と照らし合わせての慎重な検討も必要となります。とにかく、どちらか真なる確信が得られないのであれば、辞めておくべきであると強く思います。

川口英俊 合掌

問い「明日死ぬかもしれないのに、努力できるのはなぜですか?」

問い「明日死ぬかもしれないのに、努力できるのはなぜですか?」

【ご質問内容】

「明日死んでも悔いのないように生きる」 
という考え方と

「目標にむかってコツコツ努力する」 
という行動が、どうしても矛盾してしまうように思います。

1日で達成できない目標がある場合、その過程で死んでしまったら悔いが残るように思えて、コツコツ努力できない自分がいます。

もし本当に明日死んでしまうのであれば、1日でやりきれる楽しいことを選んでしまうのが普通ではないでしょうか?

目標に向かって進んでいれば、道半ばで死んでしまっても救われるのですか?

教えて下さい。


【拙回答】

「目標」をどこに設定するのか

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人生の「目標」をどこに設定するのかによって変わってくるかとは存じますが、今生における世間世俗的な幸せ(お金や地位や名誉や権力など死ねば消えてしまうような幸せ)を目標とするのであれば、死んでしまえばそれで終わりとなってしまいます。

一方、仏教では、今生だけではなく、来世、来来世も引き続いていく心(心の連続体・心相続)の向上に取り組むことで、やがて「悟り」へと至ることが目標となります。

今生だけの世俗的な幸せを目標とするのか、それとも仏教の目指す究極的な悟りという幸せを目標とするのか・・後者を目標とするならば、仏教を修習し、智慧の開発と福徳行(善徳行・方便行)に精進努力していくことが必要となって参ります。

何よりも、これからの心相続、心の連続体の赴きにおいては、己自身の行い(業・カルマ)によって、その赴く先、境涯が決まっていくこととなります。

ですので、できる限り、この今、現在、そしてこれからも、確かなる仏道を歩みて、善き業・カルマをしっかりと調えることで、より善い赴き先、境涯へと向かえるように調えて参りたいものでございます。

できましたらこれを機会に、少しなりにも仏教に興味を持って頂きまして、是非、学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「寝る前に毎回死ぬことを考えてしまいます」

問い「寝る前に毎回死ぬことを考えてしまいます」

【ご質問内容】

ご閲覧ありがとうございます。 
数年前くらいから、寝る前に毎回死ぬことを考えてしまい、自分の存在が消えて無くなるのに怖くなります。日中考えることもあるのですが、夜ほど怖くなりません。

家族に相談したらそんなもんだよ、と言われて、その時はそんなものかと捉えるのですが、夜寝る前に死ぬことをまじまじと想像すると、怖くなります。

死ぬことを考えるのは生きる意味や人生を考える上で大切だという考え方には賛同しますが、死ぬのは怖いです。まあ、そのおかげで今は一生しかない人生を自分のやりたいように、生きていけているのですが…。

どうしたら死を受け入れられますか?ちなみに、私は職業や性格柄、今まで自分の世界に没頭し続けて来たせいか、宗教に無頓着です。最近は宗教に興味が出てき、宗教の教えを知ることで死ぬことを克服できるのかな…とも思いますが、どうでしょうか…。

ご回答よろしくお願いいたします。

【拙回答】

死後へ向けて、今なすべきことは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死」への恐怖・不安についてのお悩み・・

クリスピー様は、死んでしまうと、自分の存在が消えて無くなるとして、「虚無」・「絶無」であるとして悲観されておられるところがあるのではないかと存じます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)が、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後において、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、実は、肉体的な機能に左右されない微細なる意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると仏教では考えることになります。

そして、その微細なる意識としての心相続、心の連続体において、過去世、現世ももちろん含めて、全てのこれまでの数々の行いの業・カルマというものが、これから先へ向けても引き継がれていくことになります。

ですので、何もかもが消えて無くなるというわけではありません。

但し、その死後における心相続、心の連続体の赴きにおいては、己自身の行い(業・カルマ)によって、おおよそその行き先が決まっていくことになります。

ですので、できる限り、この今、現在、そしてこれからも、善き業・カルマをしっかりと調えることで、より善い行き先へと向かえるように調えて参りたいものでございます。

できれば、仏道を歩み、悟り・涅槃へと向かうための善き業・カルマをしっかりと調えることで、この迷い苦しみの輪廻を解脱して、悟り・涅槃へと至ることを目指すことが、仏教において大切となります。

できましたらこれを機会に、仏教に興味を持って頂きまして、是非、学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「死ぬと楽になれますか?」

問い「死ぬと楽になれますか?」

【ご質問内容】

小~高校と自ら招いた種で周りから疎まれ、苦しい学生生活を送り

大人になった今趣味はパチンコに溺れ、親戚や弟にお金を借り、使ってはいけないと思いつつ今日も行って結果使うとまずいお金まで使用してしまい、 
キャッシングこそしてませんが来月はかなりジリ貧状態です(笑)

少し前まではそのうち恋愛したり、家族に孝行できるのではないかと思ってましたが、今はもうそんな考えもでず、ギャンブルで自らを苦しめ、そのストレスから過去に楽しかったことなんてなかったし、この調子で行くと、永遠にないんじゃないかなんて思い始め、最近は自殺のニュースがあると可哀想というより 「いいな~楽になれて」なんて考えるようになりました。

色々長く書きましたが、結論から申し上げますとさっさと死んでこのつまらない現実から退場したいと考えております^^

人生楽もあれば苦もあるなんて言葉がありますが、今のところ自ら苦に足を突っ込んでいる部分もありますし、夢もなければ希望もありません。

どうやったら死ぬ勇気がでるのか教えて頂ければありがたいと思います。 
よろしくお願いいたします。次はもう少しまともな人間に生まれ変われたらいいなと微かながら願います。

長文誠に失礼いたしました

【拙回答】

再び人間として生まれ変わるためには・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)で、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、微細なる意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると考えられています。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)というものとなります。その行いの集まりに応じて、どのような赴きとなっていくのかが、おおよそ決まって参ります。

「もう少しまともな人間に生まれ変われたらいいな」・・

もう一度、人として生まれ変われるためにも、やはりそれなりの善い因縁が必要となります。

もっと良いのは、人間界も含めて、この迷い苦しむ輪廻の世界ではなくて、仏国土、浄土など、仏様のお教えを賜れて、悟りへと向けて修行に励めれる世界へと赴くことです。そのためにも、もちろんしかるべき善き因縁が必要となります。

とにかく、今のままでは人間に生まれ変わることは・・うーん・・難しいかも・・

しかし、これも誠に良い機会です。

是非、今から仏教にもっと関心を持って頂きまして、是非、修習を進めていって頂けましたらと思います。

良い因縁を積むためのヒントも多くございますので。

川口英俊 合掌

問い「死について考えすぎて何も手につきません」

問い「死について考えすぎて何も手につきません」

【ご質問内容】

初めまして。悩みすぎておかしくなりそうな私に母が教えてくれました。 
今、私はすごく死が怖いです。 
家族、親戚、友達がいなくなると考えるといてもたってもいられません。 
自分もいつか無になると、死んでいなくなってしまうと思うと言いようのない不安にかられます。 
今を生きなくてはいけないことも分かっていますが、考えだすと生きている意味までわからなくなり、仕事も何も手につかないのです。

【拙回答】

「死=絶無・虚無」ではありません

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、「死」についてお考え過ぎになられて、少し悲観的、虚無的なところに陥られてしまわれているのではないかとお察し申し上げます・・

実は、「死」というものが、何か実体としてあるわけではありません。また、「死」する何かも実体としてあるわけではありません。

ですので、恐れることも、悲観することもありません。・・と述べさせて頂いたところで、何のことか、全くわからないかとは思います。

仏教では、悟りの境地を表す際に、「不死」の境地とか、「不生」の境地、「不生不滅」の境地などという表現が出て参ります。

これらの境地は、まさに死への恐怖や不安、あるいは生への恐怖や不安を超えたところを目指すものとなります。

これから仏教の学びを少しずつでも進めていって頂けましたら、やがて理解して頂けることもあるかとは思いますので、少しだけご参考にされて下さい。

さて、死後のことについてですが、「死=絶無・虚無」ではありません。

私たちの存在は、身体や心、色々な機能や作用などの要素(五蘊/色・受・想・行・識)の因縁(原因や条件)の和合により成り立っているものですが、もしも、この肉体が滅び、身体的な機能・作用が停止したとしても、微細な意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって死後も存続していくものであると考えられています。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)、また、それまでの様々なご縁(善き人縁、仏縁、法縁など)というものになります。

ですので、できるだけ善き行いに努め励んで、善き因縁を調えておくということが何よりも賢明なことになります。

できれば、死後のことをあれこれと思い悩むのではなく、生きている今をどうより良くに行いを調えて、より良い幸せな人生としていくべきであるのか、また、そのためには何をしなければならないのかを考えて、実行していくことが大切となります。

より良い人生とすべくに、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「死という概念について」

問い「死という概念について」

【ご質問内容】

こんにちわ。 
以前個人的な質問をさせていただき、2度目の質問になります。 
以前は大変貴重な回答を頂き非常に感謝しています。

さて、表題の質問になりますが、 
小学生の頃「死」について考えたことがあり、その時は・・・ 
死んだら考えることすらできなくなってしまう。 
死んだらこうやって「死」について考えることもできない。 
自分という存在はどこへ行くのか。 
と、怖くなって夜寝られなくなってしまった思い出があります。

葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉の意味を調べたり、 
100歳を越えてもなお現役の医師を続けていらっしゃる日野原重明さんのコラムなどを読んでから、私は「死」という概念は、 
抗うものではなく受け入れるもの。 
そしていずれ来る死をどのように受け入れるか。 
が大事なのではと思うようになりました。

私は仏教には詳しくありませんが、仏教にも輪廻転生や極楽浄土など死後の魂の行方や考えがあると思います。

よろしければ、仏教的観点でも宗派的観点でもご回答くださる方の個人的な観点でもよいので、「死」についての考えをお聞かせ願えないでしょうか。 
宜しくお願いいたします。

【拙回答】

「不生不滅」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死」への恐怖・不安もそうですが、私たちの恐怖・不安も含めて、様々な煩悩というものは、「真理を知っていない」という「無明」(根本的な無知)から生じてしまうものとなります。そのため、「死」ということとは、いったい何であるかについてしっかりと知り、理解することによって、その恐怖・不安も少しずつなりにも無くなっていくことになるのではないかと存じております。

仏教では、般若心経に出て参りますように、「不生不滅」、つまり、「生じもしないし、滅しもしない」ということも扱いますが、このことを理解するには、「空」や「中道」ということについて、まず理解しなければなりません。

もし興味がございましたら、是非、これからも仏教に関心を持って修習していって頂けましたらと存じます。

さて、少し前のご質問にもお答えさせて頂きました内容と重なりますが、我々の言う普通の「死」とは何かと申しますと、「肉体の死」、つまり、今の持っている肉体が、今あるように機能しなくなるということであります。

全てのモノ・コトは因縁(原因と条件)で成り立っているため、今の肉体も色々な原因や条件によって成り立っている次第ですが、やがて、因縁次第において、機能しなくなる、崩壊してしまうものになります。

ただ、問題はそれで何もかもが無くなって、「虚無」・「絶無」となってしまうのか、と申しますと、仏教ではそのようには考えません。

肉体に左右されない微細なる意識としての心の連続体、心相続を扱うこととなります。

その微細なる意識としての心の連続体、心相続において、過去世、現世ももちろん含めて、全てのこれまでの数々の行いの業・カルマというものが、引き継がれていくことになります。

そのため、その業・カルマによる結果として、輪廻に迷い苦しむことになってしまっているため、できるだけ、仏道を歩み、悟り・涅槃へと向かう善き業・カルマをしっかりと調えることで、輪廻を解脱して、悟り・涅槃へと至ることを目指すことが、仏教においては大切となります。

死、死後の赴きへと向けて、できる限り善き業・カルマを積んで参りたいものでございます。

川口英俊 合掌
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