hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

死後

問い「どうすれば楽になれますか」

問い「どうすれば楽になれますか」

【ご質問内容】

2回目の質問になります…。ジ病にかかり治るという事はないようです。 
ですが、死ぬ事もない。 
このしんどい身体で生きていくしかない…地獄です。 
幼少期に親に捨てられ、自分一人でも食べていけるようにと資格をとり、やりがいのある仕事につきました。その後、心臓♿🏥で3回の手術。障害をかかえても向き合って生きてきました。そして今度は治る事のない難病。 
私は刑事事件の被害者になった事もあります。 
犯人は「証拠不十分で不起訴」になりました。 
その人間が幸せに家庭を持ち何事もなかったかのように平和に暮らしている。 
何故、そんな人間がのうのうと暮らしていて、私がこんなにも重い岩を背負わなければいけないのでしょうか。嘘をついて力の強い人間が笑って生きている。 
岩が重すぎて…楽になる方法ばかり考えてしまいます。人はいずれ亡くなります。ならば、この先何十年も苦しんで生きていく必要はないのでは…と。 
頑張っても報われない、治らないものなら。 
気力体力限界です。 
死にたくないのに亡くなる人がいる。しんどいだけで、ただ生きている。 
どちらも地獄です。 
💊😷🏥この病気は治らないそうです。ならば楽になるにはどうしたらよいのでしょう…。

【拙回答】

楽は楽でも究極的な涅槃という楽を目指しましょう。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「楽になるには・・」・・

残念ながら、「一切行苦」のこの世界、八苦(生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、 求不得苦、五蘊盛苦)することからは容易に逃れられない以上、楽になることは正直、厳しいと言わざるを得ません・・

かといって、死後において、楽になるのかと言えば・・

死後における赴きにおいて、最も重要となる因縁(原因と条件)は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)次第となるため、悪い行いを慎んで、より善き行いをしっかり積んでおかないと、その赴きは厳しいものとなってしまいます・・

しかし、仏教の目指す「楽」となれば、「悟り・涅槃」として、一切の迷い苦しみが滅された境地となります。

その境地へと向けた歩みが進めていけるようにとして、仏道修行がございます。

是非、これを機会に仏教を学び進めて頂けましたら有り難くに存じます。

もちろん、世俗世界的にも楽になっていくための教えもたくさんございますので、是非にも。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「死ぬと楽になれますか?」

問い「死ぬと楽になれますか?」

【ご質問内容】

小~高校と自ら招いた種で周りから疎まれ、苦しい学生生活を送り

大人になった今趣味はパチンコに溺れ、親戚や弟にお金を借り、使ってはいけないと思いつつ今日も行って結果使うとまずいお金まで使用してしまい、 
キャッシングこそしてませんが来月はかなりジリ貧状態です(笑)

少し前まではそのうち恋愛したり、家族に孝行できるのではないかと思ってましたが、今はもうそんな考えもでず、ギャンブルで自らを苦しめ、そのストレスから過去に楽しかったことなんてなかったし、この調子で行くと、永遠にないんじゃないかなんて思い始め、最近は自殺のニュースがあると可哀想というより 「いいな~楽になれて」なんて考えるようになりました。

色々長く書きましたが、結論から申し上げますとさっさと死んでこのつまらない現実から退場したいと考えております^^

人生楽もあれば苦もあるなんて言葉がありますが、今のところ自ら苦に足を突っ込んでいる部分もありますし、夢もなければ希望もありません。

どうやったら死ぬ勇気がでるのか教えて頂ければありがたいと思います。 
よろしくお願いいたします。次はもう少しまともな人間に生まれ変われたらいいなと微かながら願います。

長文誠に失礼いたしました

【拙回答】

再び人間として生まれ変わるためには・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)で、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、微細なる意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると考えられています。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)というものとなります。その行いの集まりに応じて、どのような赴きとなっていくのかが、おおよそ決まって参ります。

「もう少しまともな人間に生まれ変われたらいいな」・・

もう一度、人として生まれ変われるためにも、やはりそれなりの善い因縁が必要となります。

もっと良いのは、人間界も含めて、この迷い苦しむ輪廻の世界ではなくて、仏国土、浄土など、仏様のお教えを賜れて、悟りへと向けて修行に励めれる世界へと赴くことです。そのためにも、もちろんしかるべき善き因縁が必要となります。

とにかく、今のままでは人間に生まれ変わることは・・うーん・・難しいかも・・

しかし、これも誠に良い機会です。

是非、今から仏教にもっと関心を持って頂きまして、是非、修習を進めていって頂けましたらと思います。

良い因縁を積むためのヒントも多くございますので。

川口英俊 合掌

問い「死後について」

問い「死後について」

【ご質問内容】

私はまだ20歳の女子なのですがこの歳でもう死後の事を考えています

気にしたらキリがないのに 
死後の世界が怖くて死にたくもありません。

その上虫や飲酒をするだけで 
地獄行きという事も知り余計に怖くて仕方ないです。

どうすればこのような考えにならないかアドバイスが切実に欲しいです

両親にそのことを話したら考えすぎと言われました。 
確かに神経質過ぎたなとは思っています 
ですが怖くて仕方ないのです どうにか考えなくなるようにしたいです お願いします

【拙回答】

より良い死後へと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死後についての色々なご心配、もっともなことでございます。

しかし、あまり極端にあれこれと偏って考え過ぎてしまってもいけません。

仏教では「中道」と申しますが、極端にとらわれてしまうことを避けるのを大切に致します。

虫を傷つけただけで、あるいは、飲酒しただけで、「地獄行き」という単純なものではなく、善いことと、悪いこと、そのどちらでもないこと、色々な複雑な因縁(原因と条件)が絡むことによって、死後の赴きというものも、おおよそ決まってくることになるかとは存じます。

また、例え悪いことをしてしまっても、慚愧(ざんき)、懺悔、反省、謝罪、償い、仏道修行、善行、功徳などを通じて、リカバリーしていくことも、もちろんできます。

まあ、難しいことは置いておいて、生かされて生きていくことのできている自分のありようをしっかりと理解し、お互い様の感謝の心、親切なる心で、この助け合い、支え合い、分かち合いの世界を過ごしていくことが大切となります。

生かしてくれることとなる食する命にもありがとうと感謝の「頂きます」を。そして、何かにてご恩返しになることもできていければという感じにて。。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「葬式をあげてほしくない」

問い「葬式をあげてほしくない」

【ご質問内容】

死後の事についてご相談があります。

私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。

私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。

ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。

そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 
特に仏教式の葬式です。

なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 
悟りも輪廻も御免被りたいです。

衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。

家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。

死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。

ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 
(論理、公理とは数学上の意味です。)

ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。

ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 
渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。

私は人間らしさを捨てたくはありません。 
仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。

さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? 
それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか?

相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。

よろしくお願いします。

【拙回答】

悪魔の証明という悪魔

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」・・始めて知りました。

「アーメン」と祈る代わりに「ラーメン」と唱えるのですね・・

三度の飯よりラーメン大好きの丹下さん、出前です、いや、出番です。。(あ、でも飯やん・・)

創造主の問題や決定論・宿命論の問題、インテリジェント・デザイン説の問題・・と凝り固まった思想信条をほぐす上で、色々とどこか考えさせられるところがございますよね・・

「スパゲッティ・モンスター神が存在しないという明確な証拠さえ提示されるのであれば、スパゲッティ・モンスター神が存在しないという事さえ否定しない」・・悪魔の証明を持ってくるとは・・

「教祖や教団にお布施をする代わりに、そのお金は「貧困をなくす」、「病気を治す」、「平和に生きて、燃えるように愛して、電話の通話料を下げる」のに使う。」・・

「電話の通話料を下げる」という意味が分かりませんが、意味を問うこと自体に意味はないのでしょうね・・きっと・・

とにかく、貴女様が「悪魔の証明」を持ち出されてしまう以上は、詭弁を説く小悪魔となりかねず、それ以上、議論も話し合う余地もなくなってしまいかねません・・

拙生が、「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」のことをざっとながら少し勉強してみましたように、仏教のことを一通り勉強されて、もっと正確にご理解を賜れましたらとは存じます。

仏教では、仏教という枠の中でしか通用しないような真理を扱っているわけでは決してありません。

例えば「空」や「縁起」という全てのモノ・コトに共通している真理も扱います。

そして仏教では、決して、「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」を全面否定するわけではありません。

その者の迷い苦しみを真に解きほぐしていくために役立つものであるならば、方便として、「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」の教えであっても便宜的に利用させて頂くものとなり得ます。

いわゆる「対機説法」、「応病与薬」ということになります。

但し、最終的には、仏教における悟り・涅槃へといざなうことにはなりますが・・

制限字数の関係上、ここまでにて。是非、もっと色々とご質問を頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「死という概念について」

問い「死という概念について」

【ご質問内容】

こんにちわ。 
以前個人的な質問をさせていただき、2度目の質問になります。 
以前は大変貴重な回答を頂き非常に感謝しています。

さて、表題の質問になりますが、 
小学生の頃「死」について考えたことがあり、その時は・・・ 
死んだら考えることすらできなくなってしまう。 
死んだらこうやって「死」について考えることもできない。 
自分という存在はどこへ行くのか。 
と、怖くなって夜寝られなくなってしまった思い出があります。

葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉の意味を調べたり、 
100歳を越えてもなお現役の医師を続けていらっしゃる日野原重明さんのコラムなどを読んでから、私は「死」という概念は、 
抗うものではなく受け入れるもの。 
そしていずれ来る死をどのように受け入れるか。 
が大事なのではと思うようになりました。

私は仏教には詳しくありませんが、仏教にも輪廻転生や極楽浄土など死後の魂の行方や考えがあると思います。

よろしければ、仏教的観点でも宗派的観点でもご回答くださる方の個人的な観点でもよいので、「死」についての考えをお聞かせ願えないでしょうか。 
宜しくお願いいたします。

【拙回答】

「不生不滅」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死」への恐怖・不安もそうですが、私たちの恐怖・不安も含めて、様々な煩悩というものは、「真理を知っていない」という「無明」(根本的な無知)から生じてしまうものとなります。そのため、「死」ということとは、いったい何であるかについてしっかりと知り、理解することによって、その恐怖・不安も少しずつなりにも無くなっていくことになるのではないかと存じております。

仏教では、般若心経に出て参りますように、「不生不滅」、つまり、「生じもしないし、滅しもしない」ということも扱いますが、このことを理解するには、「空」や「中道」ということについて、まず理解しなければなりません。

もし興味がございましたら、是非、これからも仏教に関心を持って修習していって頂けましたらと存じます。

さて、少し前のご質問にもお答えさせて頂きました内容と重なりますが、我々の言う普通の「死」とは何かと申しますと、「肉体の死」、つまり、今の持っている肉体が、今あるように機能しなくなるということであります。

全てのモノ・コトは因縁(原因と条件)で成り立っているため、今の肉体も色々な原因や条件によって成り立っている次第ですが、やがて、因縁次第において、機能しなくなる、崩壊してしまうものになります。

ただ、問題はそれで何もかもが無くなって、「虚無」・「絶無」となってしまうのか、と申しますと、仏教ではそのようには考えません。

肉体に左右されない微細なる意識としての心の連続体、心相続を扱うこととなります。

その微細なる意識としての心の連続体、心相続において、過去世、現世ももちろん含めて、全てのこれまでの数々の行いの業・カルマというものが、引き継がれていくことになります。

そのため、その業・カルマによる結果として、輪廻に迷い苦しむことになってしまっているため、できるだけ、仏道を歩み、悟り・涅槃へと向かう善き業・カルマをしっかりと調えることで、輪廻を解脱して、悟り・涅槃へと至ることを目指すことが、仏教においては大切となります。

死、死後の赴きへと向けて、できる限り善き業・カルマを積んで参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「自殺したらどこにいきますか」

問い「自殺したらどこにいきますか」
http://hasunoha.jp/questions/2031

【ご質問内容】

こんにちは。

自殺しようか悩んでいるものです。
辛くて辛くてたまりません。
でも自殺してもなにも終わらないのですか?
仏様は罰としてわたしを地獄に送るのですか?
死後の世界が怖くてたまりません。
死んだおばあちゃんのところにはいけないのですか?

教えて下さい。

【拙回答】

死後のこと

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠におつらいお気持ちをお抱えのご様子・・

宜しければ、またその内容につきまして、できる限りで構いませんのでhasunohaへとご相談して頂けましたら有り難くに存じます。

自殺・死後のことにつきましては、これまでにも下記の各問いにお答えをさせて頂いております。

「自殺・自死について」
http://goo.gl/3ZbZUr

「死後について」
http://goo.gl/ejLMq3

「自殺してもなにも終わらないのですか?」・・仏教では常住論と断滅論の両方を否定し、また、実体論も否定することとなります。そのため、死んで、それで全てが終わり、無になるとは考えません。もちろん、五蘊(色・受・想・行・識)の作用の一つとしての色・肉体は、働き・作用を失うため、現に今生きている状態と同じとは言えません。また、肉体に影響の受ける他の作用も無くなる、あるいは弱くなりますが、肉体を失ってしまっても心相続上で他の作用を微細に保つことや、更にその心相続が肉体を持つ潜勢力(可能性)を維持し、やがて五蘊の働きをまた備えることができる場合も当然にありうることになります。しかし、「盲亀浮木」の譬えのように、まさに人身受け難しであり、例えば、再び、この地球上にて人間としての肉体を得られて、今のように生きられるとなると・・正直、奇跡に近いような確率となります。本当に頂いてある今の命をしっかりと大切にして頂きたいものであると存じております。

「仏様は罰としてわたしを地獄に送るのですか?」・・仏様が罰として悪い赴きへと赴かせるのではなくて、あくまでも己の行い(業・カルマ)が己の行き先を決めていくことになります。仏様とのご縁と共に善き行いを積めれることとなれば、それで善き赴きも望めることになりますが、ただ、仏様とのご縁というものは、善き赴きへと向けた原因や条件の一つになる場合がありうるということで、それだけが決して絶対の原因・条件というわけではありません。最も大切となるのは、あくまでも己の行いのありよう次第となります。

制限字数の関係上、ここまでにて。とにかく、これからのより良き行い次第では、必ずより良い結果も望めることとなります。どうか自殺は思い留まって頂きたいと存じております。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「自殺未遂」

問い「自殺未遂」
http://hasunoha.jp/questions/1999

【ご質問内容】

最近、読んだ仏教の本の中で悪徳政治家や悪徳業者、犯罪者(特に殺人犯)は地獄ヘ落ちると書いてありました。 本には書いてなかったのですが、よく自殺者も地獄へ落ちると聞きます。

そこで質問なのですが、自殺未遂をした事がある人は、どういう位置づけになっているのですか?
自殺未遂者の死後はどうなるのですか。未遂者はたまたま運良く死に至らなかっただけだと思いますが、自殺を決行した罪はたとえ自然死しても消えることはないのですか?

やはり殺人未遂と同じくらい罪な事になって地獄行きや生まれ代わる時に何らかの支障が出るのでしょうか?

2度もやってしまいました
※あくまで天国や地獄が存在する前提での話です。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php;_ylt=A7dP5XLVuAtWHAoAiLOV_PN7?page=2&qid=1367098398&pos=1&ccode=ofv

【拙回答】

自殺・自殺企図・自殺未遂につきまして

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

二度も自殺未遂されてしまわれたとのこと・・誠におつらいことでございます・・

自殺を企図してしまうほどの悩み苦しみ・・どうか和らぎ、癒されますように、三度目の無いことを心から祈念申し上げます。

自殺につきましては、これまでにも下記の各問いに回答させて頂いております。

「自殺・自死について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319870.html

「・・死後の赴きにおいて、もっとも影響を与えることになるのは、何よりも己自身の行い(業・カルマ)となります。その業が、煩悩や無明(根本的無知)によっての悪業に比重が重くあってしまえば、やはり、その果報(向かう先、輪廻)は厳しいものにならざるを得ないと考えることになります。・・」

「悪徳政治家や悪徳業者、犯罪者(特に殺人犯)は地獄ヘ落ちると書いてありました。」・・世間の道徳的規準と仏教的な因果応報における善悪の基準とでは、一致しないこともございますが、勧善懲悪を勧めるという点では大差がないものであるかと存じております。

ただ、悪い行いをしてしまっても、心から慚愧して懺悔し、しっかりと善い行いに努め励み、善い業・カルマの因縁(原因と条件)次第においては、より良い死後の赴きへと参れることができることとなります。

「よく自殺者も地獄へ落ちると聞きます。」・・自殺したからといってそれが悪い業・カルマとなるかどうかは、ケースバイケースとなるのではないかと存じます。一つ言えますのは、無明(根本的な無知)・煩悩による自殺であるならば、やはり悪い業・カルマとなるため、十分に気を付ける必要があるのではないだろうかと存じております。

次に、自殺企図、未遂の場合についてですが、行為と動機の問題につきましては、下記の問いにて詳しく扱わせて頂いておりますのでご参照下さいませ。

問い「心を込めた行動とは? 」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1005257984.html

とにかく、これからの良き因縁次第では、必ず良き結果も望めることとなります。どうか自殺は思い留まって頂きたいと存じております。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「自殺した人の魂はどうなるのでしょうか?」

問い「自殺した人の魂はどうなるのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/1636

【ご質問内容】

最近、父が自ら首を吊ってなくなりました。
私は家族とは離れ1人暮らしなのですが、家族の話ですと前の晩も当日も普段と変わりなかったようです。

遺書とか何もなく、自殺の原因が分かりません(鬱病とかでもありません)
思い当たる事と言えば、父は若いころからずっと運転に係る仕事をしていまして(数年前には年で辞めています)運転には自信があったようなのですが、その父が亡くなる少し前に運転中に意識が無くなったらしく、事故を起こしてしまったのです。
幸い人も巻き込まず、本人もムチウチと少し少切り傷が出来た位で、
1週間弱で退院出来ました。

家族もよくあの事故でこの程度でで済んで良かったと安堵しており、ただし、また運転中意識が無くなったりしたら大変なので心配だから今後はもう運転はしない方がいいね、となっていました。
そうすると大好きな孫(弟の子供)の送り迎えも出来ず、楽しみがなくなったのかな?
運転に自身あったのに、事故を起こして本人は気にしていたようなので自信喪失したり、老いを感じたのかな?等、それ位しか自殺の原因が分かりません。

残された私たち家族は原因も分からず、とても辛い思いをしております。
ですが原因はもう父しか分からないので仕方ない、とは思いながら自殺してしまった人の魂はどうなるのかとても気にかかります。
人生を全うして亡くなった方と違って、成仏できるのでしょうか?
生きるのが辛くて自ら命をたったのに、成仏できないとか、天国と地獄があるのなら、地獄に行ってしまうとか、亡くなっても尚更、辛い思いをするんではないか?と胸を痛めております。
どうか教えて下さい、お願いします。

【拙回答】

死後の赴きについて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度はお父様のこと、誠につらく悲しいご心境、ご心痛の程、いかばかりであろうかとお察し申し上げます。心からお悔やみを申し上げます。

死後のこと、魂、霊魂のことに関しましては、最近でも下記の問いにて扱わせて頂いておりますが、あくまでも論理的推論によって仮定・措定されて言えているものとしての「心の連続体」・「心相続」というもの、またその赴きに関わる因縁(原因・条件)について、ご説明をさせて頂いております。

問い「生まれ変わりについてです。」
http://goo.gl/rw0BXp

死後についてこれまでに扱わせて頂いている問答
http://goo.gl/ejLMq3

上記の内容を踏まえて頂いた上にて、どうか亡くなられた方のその心相続が、より善き因縁(善徳・福徳、仏縁・法縁)によっての善き赴きにあるようにと御供養申し上げることが大切になるのではないかと存じております。

また、自殺なされてしまわれた方のその後のことに関しましては、これまでにも下記の各問いなどにて扱わせて頂いております。

問い「自殺した人の魂について」
http://goo.gl/fd0Cid

問い「自殺した恋人は、あの世で今」
http://goo.gl/ZzoLXa

問い「自殺で亡くなった彼のように…」
http://goo.gl/2aM634

死後の赴きにおいて、もっとも影響を与えることになるのは、何よりも己自身の行い(業・カルマ)となります。その業が、煩悩や無明(根本的無知)によっての悪業に比重が重くあってしまえば、やはり、その果報(向かう先、輪廻)は厳しいものにならざるを得ないと考えることになります。

「・・どうか善き赴きへと向かうようにとして行われる善徳行が何よりも一つ大切に、そして、次には、更にその善徳行による福徳、つまり、幸せや功徳が、あらゆる一切の衆生たち、三界の全ての者たちのためにも及ぶようにと回向することが大切になるかと存じております。・・」

どうか、お父様の赴きがより善いところ(悟り・涅槃)へと向かいますようにと、これからも御供養を賜れましたら有り難くに存じております。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「自殺で亡くなった彼のように…」

問い「自殺で亡くなった彼のように…」
http://hasunoha.jp/questions/1567

【ご質問内容】

先日も質問させて頂き複数の回答有難うございました。
彼が自殺でいなくなり7ヵ月が過ぎました。
彼が居なくなり…人は亡くなると本当に【無】になるのだと…
彼の後を追っても会えない事はなんとなく分かるような…最初は頑張って彼の為にも生きて行こうと思いました。でも…それは偽善の言葉で、本当は
意味も分からず残され、他人に責められ…それでも、
人って悲しい思いしても生きて行かなければいけないのでしょうか??
病気や事故や老衰や自殺どんな亡くなり方でもそれが寿命ならば早く彼のように楽になり…無になりたいです。
もう自分でも理解出来ない事で人に責められる事に疲れました。
死んで無に本当になれるのなら親にだけ詫びて、彼のように楽になりたいです。

【拙回答】

死後のありようについて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

彼氏様を自死にて亡くされまして、誠に悲しく、つらいこと、ご心痛、いかばかりの程であろうかと存じます・・

どうしてもまだまだ悲観的、虚無的になられますことも、当然にやむを得ないことではないかと存じます。

焦らず少しずつ気持ちの整理も調えていって頂けましたらと存じております。

死後につきましては、これまでにも下記の各問いにお答えさせて頂いております。

「死後について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_324660.html

とにかく、私たちの存在は、身体や心、色々な機能や作用などの要素の因縁(原因や条件)の和合により成り立っているものですが、もしも、この肉体が滅び、身体的な機能・作用が停止したとしても、微細な意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると考えられています。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)というものとなります。その行いに応じて、どのような赴きとなっていくのかがおおよそ決まって参ります。

もちろん、生前にしっかり仏縁・法縁により善き功徳を積んでおければ誠に良いのですが、もしも、そうでない者であったとしても、何とかその赴きがより善いもの(悟り・涅槃へと向かうためのもの)に向かうようにとして調えさせて頂くために葬儀や供養などを行って参る次第でございます。

しっかりと亡き彼氏様が仏道を歩めますようにとして、私たちも微力ながらにでも日々のお勤めを致して参りますので、なみえもん様におかれましても、これからのご供養をどうか宜しくお願い申し上げたいと存じております。

また、自死・自殺はあまりお勧めできることではありません。お勧めできない理由はこれまでにも何度か回答させて頂いておりますものの、ここでは制限字数の関係上、もう述べれませんが、どうか思いとどまって下さいませ。宜しくお願い申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「死後」

問い「死後」
http://hasunoha.jp/questions/1516

【ご質問内容】

死後というのは無ですか?
もう、無ということすら理解できないくらい無ですか?

【拙回答】

「四句分別」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死後」についての拙回答一覧
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_324660.html

上記これまでの回答も踏まえまして、まず仏教的には「無記」(無駄な議論・戯論)として、お答えしないのが基本にはなるのでしょうが、しかし、本サイトが、Q&Aサービスである以上、お答えするのも使命としてございます。

もしも、仮にお答えせずにそのままであっても、それはそれで答えになるのですが、それが答えだとわかるためにも、やはり仏教にかなり精通していないとわからないものとなります(維摩居士レベルにおける大乗仏教理解が求められることになります)。

また、お答えとして、死後について、「有る」、「無い」、「有るとも言えるし、無いとも言える」、「有る、無いのどちらでもない」として四句分別のいずれかにてお答えするのも、対機説法・方便的にはあり得るものとなりますが、それら四通りの答えがそれぞれ「あり得る」と理解するためにも、やはりある程度の仏教理解が必要となります。

そこで、例えば、拙生がまつなか様のその問いに対機説法・方便的にお答えするためには、まつなか様の仏教理解、また、理解するための気質、機根を正確に推し量ることが必要となります。

その正確な気質・機根を察する上に必要となる智慧を磨くために、まさに拙生も日々精進努力を致している次第でございます。

そのため、拙回答において、ご満足頂けないとなれば、それはそれでまだまだ拙生の修行の未熟さということの露呈となります。

そこで、拙回答となりますが、「無ではないし、かといって有でもない」となります。但し、そこには「実体として」とお付け致すことになります。

もしも、「無」ということであるならば、そもそも「無」は「無」であって、何も生じたり、滅(死)したりはしないはずです。一方で「有」でも同じであり、「有」なるものも永遠・永久に「有」であるはずで、生じたり、滅(死)したりするものではないはずです。

そこで、現実には私たちは生じ、滅(死)するものであるということは、「無」でなく、また、永久永遠なものでもないため「有」でもないということになります。回答字数制限の関係上ここまで。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
カテゴリ別アーカイブ
カテゴリー
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ