hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

無明

問い「人間って」

問い「人間って」

【ご質問内容】

何のためにみんな生きているんですか?


【拙回答】

真なる幸せへ向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

何のために生きているのか・・

それぞれに生きる理由、意味、価値があるとは思いますが、皆、幸せ、充足を求めて生きているのではないだろうかとは思います。

それでもなかなか満足できずに、日々、迷い苦しむことになってしまっているところでございます。

その原因を仏教では「無明」(根本的な無知)にあるとして、その無明を晴らし、正しい智慧により、正しい行いを積むことによって、真なる幸せ、真なる安心を得るための悟りを目指すことを説く教えとなっております。

是非、仏教を学び修することに取り組むことで、真なる幸せ、安心を目指して頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「理趣経の十七清浄句について」

問い「理趣経の十七清浄句について」

【ご質問内容】

理趣経の教えですが、私は「人間の欲望は本来清らかだが、使い方を誤れば汚れたものになる」と理解しています。このような理解で問題ないでしょうか。


【拙回答】

清浄な心と不浄な心

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちの心には、大まかには、清浄な心と不浄な心があり、我々凡夫は、大よそ無明・煩悩により、不浄な心の状態にて、迷い苦しんでしまっておりますが、仏道修習、智慧と福徳の二資糧によって、しっかりと無明・煩悩を対治することで、清浄な心(空にして縁起なる真なる勝義の光明の心)を顕わにして参りたいものでございます。

密教もその清浄な心を顕わにしていくための教えとして、理趣経の教えにつきましても、誤りなく正しく学び実践して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「私は死後地獄行でしょうか?」

問い「私は死後地獄行でしょうか?」

【ご質問内容】

極楽浄土へ行くためには 
戒律を守らなければならないと聞いたことがあります。 
では戒律と私がしたことについて 
殺生をしない 
まずこれはどんな生き物とて殺してはいけないのですよね? 
蚊やゴキブリなど殺していますし 
肉や魚も食べています。

盗みをしない 
盗みは少年時代よくやりました。 
しかもつい数年前万引きをして 
警察に捕まりました。 
このことについては 
反省しています。

酒を飲まない 
ビールを飲んでます。

悪口を言わない  
極力言わないようにしていますが 
嫌なことされたり頭にくることされると 
時に反論や悪口を言ってしまう時があります。

嘘を言わない 
嘘はついたことはよくあります。 
大人になってからは正直に生きたいと 
思ってましたが会社などで働いていると 
普通に本音を言うと怒られたり 
敵対されいじめの標的にされた事がよくあります 
そういう経験をして以来 
時に思ってもいない嘘を言って 
ごまかしその場を乗り切ることがあります。

ふしだらなことをしない 
これはあまりしませんがエロ動画や画像などは 
鑑賞します。こういってことでも 
ふしだらなことになるのでしょうか?

心から懺悔をし善行を積み 
南無阿弥陀仏など毎日唱え修行をすれば 
罪罰から遠ざかるとありますが本当ですか?

そもそも地獄は実在するのですか?


【拙回答】

大切なのは諦めないことです。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

無始以来、無知無明、煩悩による悪い行いによって、迷い苦しみの世界に幾度ともなく輪廻する中において、今世に至っており、その間、一体、何度、数えきれないぐらいに地獄にも落ちてきてしまっていたことでしょう・・

今さら地獄(のような苦を受ける心境涯)に陥ることを、さほど気にすることでもありませんが、しかし、だからといって、どうせ地獄行きだろうしと、諦めてしまっては、また同じ繰り返しになってしまいます。

何とか仏様とのご縁、菩提心をしっかりと大事に大切に育み、とにかく今世においても、できる限りに行いをより善くに努めていくことが大切となります。

拙生も毎日のお勤めにて、三宝帰依や菩提心生起、懺悔、各戒保持誓願を繰り返し行いつつ、日々の行いを反省し、一進一退の中ですが、ほんの数ミリでも悟りへと近づけるようにと思っております。

諦めずに取り組んでいければ、きっと何生か後には、やがてその菩提心が花開き、悟りの実を結ぶことへと繋がっていくことになると存じております。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「輪廻転生パート2」

問い「輪廻転生パート2」

【ご質問内容】

回答率99.9パーセントを誇るお坊様さすがです 
毎回私の質問に答えてくれてありがとうございます 
それではまた輪廻転生について質問です 
前回の質問で人が輪廻転生するのはその人の業によってと聞きました 
それはこの世に借金があって返済しなきゃいけないんですよね 
でも最初に作られた人間はこの世になんの業も残してないのになぜ借金を返済するためにこの娑婆の世界へ生まれるのですか?


【拙回答】

「無始無終」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

とにかく迷い苦しみに輪廻してしまうのは、何らかの因縁(原因と条件)があってのことになります。

因縁の無いところに結果はあり得ません。しかし、ではどの因縁が・・と遡り続けても、正直なところ無限遡及となるのは免れません。

よく、輪廻と合わせて、「無始無終」という言葉も使われますが、「誤った因縁を積み続けてしまう限りは、いつまでも輪廻は続いてしまいますよ」ということでございます。

借金という例えはある程度言い得ていますが、実際には返済できるような行いが、無明・煩悩により、ほとんどできていないのも現実となります。

また、「無始無終」について議論するのは、「無記」ということにもなりますが、とにかく、現に今、人として迷い苦しみの世界に存してしまっている以上、これから少しでも迷い苦しみを無くしていくための因縁を積んで参りたいものとなります。そのための教えが仏教でもございます。

共に頑張って努めて参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「輪廻転生」

問い「輪廻転生」

【ご質問内容】

お坊様に質問です 
なぜ人は輪廻転生をするのですか? 
人が生まれる理由はなんですか?


【拙回答】

有暇具足

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

輪廻する原因・・「無明」(根本的な無知)による業・カルマの結果として、その業・カルマに応じて、私たちは迷い苦しみに輪廻することになります。

しっかりと仏教を修習することで、「無明」を対治すると共に、善き業・カルマを積みて、輪廻から解脱するための悟り・涅槃へと向けた流れに乗って参りたいものでございます。

人は天・修羅と共に、六道輪廻の中でも「三善趣」と言われるだけに、迷い苦しみの中にあるのは変わりませんが、畜生・餓鬼・地獄に比べると、ある程度ましな存在であると言えます。

更に、天と修羅では、「有暇具足」(悟り・涅槃へと向かうための八つの有暇と十の具足を備えている)を円満には得難いため、実際は人のみが、仏道を修せられるための絶好の機会となるだけに、できる限り無駄に過ごしたくないものとなります。

人して生まれたのは、ある程度、過去世における善き業・カルマの因縁(原因と条件)があってのこと。この機会を逃さずに仏教の修習にしっかりと取り組んで参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「死は本人にとっても辛いですか」

問い「死は本人にとっても辛いですか」

【ご質問内容】

なぜ死ぬことが悪いのか未だに理解できません。

周りの人たちが悲しむのはわかります。私は一般的に幸せな子だから。 
でも、本人にとって生きることが死ぬことより辛いとはどうしても思えません。

楽になりたいとは、どうして思ってはいけないのでしょうか。

10年以上考えています。 
お坊さんの考えを教えてほしいです。


【拙回答】

迷い苦しみの輪廻

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この迷い苦しみの輪廻にある限り生死はいずれにしてもつらいものとなります・・

代表的には、八苦としての「生・老・病・死の他に、愛するモノ・コトとも別れなければならないという苦しみの愛別離苦(あいべつりく)、憎しみ怨むモノ・コトとも出会っていかなければならないという苦しみの怨憎会苦(おんぞうえく)、(実体的にモノ・コトを)求めても得られず満足できないという苦しみの求不得苦(ぐふとっく)、心身共の作用が盛んに働いていることによる苦しみの五蘊盛苦(ごおんじょうく)」とございます。

輪廻の問題は、無明(根本的な無知)・煩悩による行い、悪い業・カルマのありようになります。

この業・カルマをできるだけ善い清らかな流れに調えていくことが大切となります。善い清らかな流れに調えていくための教えが仏教となります。

本当の「楽」となる悟り・涅槃へと向けて、是非、これを機会に少しずつでも構いませんので、仏教の修習に努めて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「死刑制度で質問です。」

問い「死刑制度で質問です。」

【ご質問内容】

日本弁護士連合会(日弁連)が6日、福井市内で開催した死刑制度に関するシンポジウムで、”瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。 
日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた。”とあります。

しかし、一番野蛮な行為をした犯人が、軽い刑で済むのはどうかと思います。

また、”目には目を歯には歯をは”いけないのはわかりますが、刑期を終えて出所して社会に復帰すると恐ろしいです。

これでは被害者サイドは泣き寝入りかと存じます。

どう思われますか?ご意見を何卒よろしくお願い申し上げます。


【拙回答】

非常に判断が難しい問題でございます。

日本の死刑制度は、最高法規の日本国憲法第31条の逆説的解釈から、刑法第9条の刑罰規程、刑法第11条と刑事訴訟法第475条から第479条までにおいて執行規程が定められています。

死刑制度は、刑法の法益保護機能と人権保障機能のバランスの中において、日本の場合の死刑制度については、応報刑論・目的刑論(日本では相対的応報刑論の立場)における犯罪抑止力としての法益保護機能を重視する観点から制度が存続していると従来から考えられています。

とにかく、日本の場合では、「法律の定める手続きによれば、人を合法的に殺すことのできる」という日本国憲法第31条の逆説的解釈を国民が容認しているということ、刑法・刑事訴訟法にて死刑の法的根拠・執行根拠を容認しているということは言えるのではないだろうかと存じます。

次に、仏教的な立場と致しましては、「不殺生」(みだりに生き物を殺めてはならない)がございます。何故不殺生なのかと申しますと、殺生が、煩悩や煩悩の親分の無明(根本的無知)による行為であるとして、その行為は、迷い苦しみ続ける輪廻の原因となる「悪業」となってしまうからであります。

では、煩悩、無明によらない行為(例えば、純粋な善行為・慈悲行為として)であれば、殺生は認められるのかどうか、場合によってはもちろん認められる余地はあるにはありますが、かなり判断が難しいものとなります。(軽々に凡夫では判断できないところでもございます。)

例えば、ご質問の内容のように、死刑とせずに無期懲役刑で、20-30年で刑務所から出てくるが、更正の余地は全く無く、社会に出ればまた確実に多くの人を殺すのが明らかな場合において、尊いたくさんの命を守るために、その者の命を奪うこと(死刑にすること)が、果たして仏教的に許されうるものであるのかどうかというところでございます。死刑としてのその殺生が、煩悩、無明による行為では全く無いと、仏教的に果たして言い切れるのかどうかというところであります・・

仏教の場合では、「業」(カルマ)の問題を考えて、死刑制度を容認している場合は、それが悪業となるものであると悪意有過失(知りつつ不注意にて是正せずに放置している)であれば、自らの悪業となる恐れも否めないというところがございます。

字数制限上ここまでにて・・

川口英俊 合掌

問い「人間って?」

問い「人間って?」

【ご質問内容】

もちろん、自分も含めての話なのですが、人間って愚かだと思われませんか? 

自分たちの欲望を満たすために、地球の限りある資源を好きなように使い倒し、環境を破壊している現実。 

地球の命が永遠のものとでも思っているのでしょうか?

地球こそ、人間を産み出した母、言うなれば神だと思います。

その地球(母)の苦悩など全く考えず、欲望の思うままに行動し、うまく行かないと、苦しみ、嘆き、悲しむ。 

本当に、お釈迦様は、そんな愚かな人間を助けるために、仏教の教えを広めたのでしょうか?

授かった命を、自から捨てることは良くないことだと判っていますが、極端かもしれませんが、視点を変えると、死を選ぶことは、自分が使う予定であった、地球の資源を別の人に捧げることになり、これこそ、究極の人の為とは成らないのでしょうか?

火葬もおかしな習慣の様に思います。人間が死んだら土葬にし、地球に戻すべきではないのでしょうか? それこそが、本当の輪廻転生じゃないのでしょうか?

人の命は大切ですが、それ以上に、地球の命は大切なものだと思います。

宗教の違いや、国家の違いだけで、争っている場合では、無いと思います。

最近の自然災害の多さは、地球からの警告だとしか、思えないです。

皆様は、どの様に思われますでしょうか?


【拙回答】

「無明」を対治へ向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人間は確かに愚かです。三毒と言われる煩悩である貪(むさぼり)、瞋(激しい怒り)、そして、痴の、痴がまさに「愚かさ」ということになります。

根本的な愚かさのことを「無明」(むみょう)として、真理を知らずにいる「根本的な無知」を示す言葉となります。

この「無明」を対治し、悟りを目指す教えが仏教となります。

「本当に、お釈迦様は、そんな愚かな人間を助けるために、仏教の教えを広めたのでしょうか?」・・

「梵天勧請」として、梵天という善神から、悟られた教えを説くように請われたということもございますが、無明にある愚かなるものたち(何も人間だけではありません。六道にある衆生の皆)が、いつまでも迷い苦しみ(輪廻)に喘いでしまっていることを憐れみられて、大いなる慈悲の御心も起こされ、教えをお説きになられたのではないだろうかと存じます。

そして、悟りへと至るための四つ(苦・集・滅・道)の聖なる真理(四聖諦)について、お釈迦様は、まず最初にお説きになられました。(初転法輪)

もし、この輪廻から脱するための教えを聞くチャンスを逃したままでは、いくら生死を繰り返しても、また無明によって迷い苦しみを繰り返すだけになってしまいかねません。

非常に得難い人身を受けたる今こそ、仏様の教えを学び修する絶好の機会に恵まれております。真の「平安なる心」である悟りへ向けて、今生、できれば無駄には致したくないものでございます。

また、「災害」というものは、私たちの八苦の一つの「怨憎会苦」にあたりますが、これもあくまでも私たちの都合による「災い」という捉え方となります。地球、自然、宇宙は、ただ因縁に従って移ろい変わりゆくものにしか過ぎませんし、別に人類を住まわせる環境のためにという意図での何か意思が働いているわけでもないかとは存じます。

それよりも、「自業自得」な面がある部分は、どう無明による悪い業(カルマ、行い)を対治していくべきであるのかというところが大切となります。

是非、まだでございましたら、悟りという真の「平安なる心」へ向けまして、まずは「四聖諦」から仏教の学びをしっかりと進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「なぜ人は人を殺してはいけないのか。餓死による自殺について。」

問い「なぜ人は人を殺してはいけないのか。餓死による自殺について。」

【ご質問内容】

 社会や宗教はよく、「人は人を殺してはならない」と説きます。しかし、僕はこの問いに対して自らの内に納得できる答えを出すことが未だできていません。 
 決して僕自身は人を殺したいとは思いませんが、僕は別に人を殺したいなら殺してもいいと思うし、殺してしまったらならそれは仕方がないと思っております。 
 よく、自分が殺されたくないなら人を殺すな、だから人を殺してはならない、という回答を散見します。しかし僕はこれに納得していません。その相手が憎くて「殺されてもいいから、殺してやる」と思う場合、人を殺してもいい、ということになってしまうからです。 
 僕は度々報道される殺人事件のニュースを見ると悲しくなってしまうのです。「なぜ人は人を殺してはならないのか。」この問いに対する真実の答えがこの世のすべての人に知れ渡れば、殺人事件や戦争などという悲しい出来事がなくなると思うし、自殺もなくなると思うのです。 
 僕は決して殺人を犯した人がいなくなればいいなどとは思いません。殺人を犯してしまった人も、この地球に生まれ落ちた我らが同胞であり、兄弟であり、愛すべき存在だと僕は信じているからです。 
 そして、僕は生きる苦しみから逃れたい、自殺したいと思っていた時期がありました。自殺も、つまるところ「人(自分)が人(自分)を殺す」という事象に当たると思っています。自殺もいけないことだと真っ向から否定してほしいのです。 
 僕は生きる悦びを手にし、その生きる悦びを愛しているので自殺することはないと思います。しかし、この地球上に生まれ落ちた愛すべき存在を、殺人や自殺などといった形で失うことを、僕はただただ悲しいと思うことしかできないのです。

 また、自殺の方法として餓死を選んだ場合、人は生きる苦しみから解放されるのでしょうか?一般的に自殺は生きる苦しみからの逃げ、だと僕は思っています。自殺の方法として餓死を選んだ場合、それは生きる苦しみと真っ向から向き合うことだと考えています。 
 近い将来、自分が餓死による自殺をしてしまうのではないか、と不安になる時があります。


【拙回答】

自殺のカルマについて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自殺につきましては、大きく三つの業(カルマ)の結果について考えることができるのではないかと存じます。

一つは、善き動機としての善き行為による善き結果として。

一つは、悪い動機としての悪い行為による悪い結果として。

もう一つは、善いでもなく悪いでもない中性なる動機としての善いでもなく悪いでもない中性なる行為による善いでもなく悪いでもない中性なる結果として。

その内実においてまず重要となるのは、「無明(根本的無知)・煩悩」によるものであるのかどうかというところとなります。

無明・煩悩によるものであれば、当然に迷い苦しみの原因となっていく「悪業」となってしまう可能性は高くなります。

その無明・煩悩によらないものであれば、中性に。

では、善業となる場合・・これは非常に判断が難しいのですが、例えば、大いなる慈悲の心や菩提心(悟りへ向けた心)を動機としての、無明や煩悩によらない、純粋な利他心により他を助けるような善行為となる場合などが考えられます。

中性の場合も、その内実の動機を実際に推し量るのも難しいところがありますが、例えば、どうにもやむを得ない事情による安楽死、尊厳死などが考えられますかね・・

とにかく、大きく分かれる一つの判断基準として、「無明(根本的無知)・煩悩」によるものか、そうでないのか、ここを少しご検討を頂けましたらと存じます。

仏教の基本として、この迷い苦しみ(輪廻)から解放されるためには、しっかりと悪い行いを慎み、善い行いに努め励みて、心を浄らかにしていくことが求められるものとなって参ります。

是非、その方法論がたくさん説かれております仏教の修習を、これからも進めていって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

問い「般若心経を唱える効果」

問い「般若心経を唱える効果」

【ご質問内容】

先日質問をさせてもらい、丁寧なアドバイスありがとうございます。

さて、質問なんですが、私は以前から知人から、般若心経を唱えると私はもちろん、私の周りの方、家族などにもよい影響を与えると言われたので、毎日寝る前などに唱えてます。

宗派は関係なく、唱えてOKと言われました。

般若心経を唱える効果をお聞きしたく質問させてもらいました。


【拙回答】

般若心経の真意について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

般若心経は、「最高の智慧の心髄なるお経」として、私たちの迷い苦しみの原因である無明(根本的な無知)を対治していくための教えとなってございます。

ですので、ただ唱えるだけではなくて、その意味内容をしっかりと理解した上で、実践的に活かしていくことが何よりも大切なことになって参ります。

その般若心経の説く真意につきましては、下記の拙論におきまして僭越ながらにも扱わせて頂いておりますので、少しくご参考頂けましたら有り難くに存じます。

『般若心経における「空」について』 

「・・お釈迦様の教えとなるお経は、その内容を理解して、悟りへと向かうための実践として活かしていくことが大切となります。「般若心経」も同様に、ただ読経するだけ、ただ写経するだけではなく、その「深遠なる空の智慧」の内容を理解して、生きる実践、仏道の実践に役立てていかなければならないものとなります。・・」

共に頑張って努めて参りましょう。

川口英俊 合掌

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