hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

自意識過剰

問い「過剰に反応してしまいます。」

問い「過剰に反応してしまいます。」

【ご質問内容】

いつも、ありがとうございます。

今回は、家族・兄弟の感情に敏感に反応してしまうことについて、ご相談お願いしたいと思います。

腹立つ話、怖い話、悲しい話、ツラい話など、聞いてしまうと自分のことのように、心が過剰反応し、ひどく動揺してしまいます。

ドキドキしたり、モヤモヤしたり、悲しくなったり…、なんで家族がツラい思いしなくてはいけないのか?何かしてあげれたのでは?(何も出来ないことが、ほとんどです。)など、眠れなくなるほど悩んでしまいます。

家族は別の人間であり、私ではないので、感情の整理の仕方、解決の仕方は人それぞれで、話してスッキリ、聞いてもらうだけでイイのだと分かっているのですが…。

正直、私が解決出来る問題は1つもなく、それぞれで解決してもらうしかないのですが…。

自分が病気であっても、酷いことされても、怖い思いをしても、最終的には、自分で消化するしかなく、他の人が解決は出来ないと分かってるんですけど…。

人と自分の感情の境界線がなく、受け取ってしまう性格を改善する方法はないでしょうか?

まとまりのない文章で、申し訳ございません。

【拙回答】

自意識過剰について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

他との関係性における自意識過剰にお悩みのご様子・・

他を自分と置き換えて考えるということは、仏教でも慈悲喜捨の「四無量心」という偏見のない平等な心を滋養する上で必要とされます。

また、それが、自己向上や自己改善、他との関係向上、関係改善に役立つこともあるため、推奨されることもありますが、それも度合いの問題であって、あまりにもひどい場合はやはり改善していくことが望ましいことになります。

私たちの世界は、助け合い、支え合い、分かち合いにて成り立っており、誰も独りで生きていけるような世界ではありません。皆、一人一人弱い存在です。それぞれが色々なモノ・コトとの関係性の中で依存することにより、何とか生かされて生きることができております。

そのため、他との関係性を考えた場合、他も大切ですが、しかし、他だけではなく、自分もやはり大切な存在です。同じように大切とすべきを、この度は、他の方が自分よりも大切としてしまって苦しんでしまっていることが考えられます。

他のことを大切に考えすぎて、自分がしんどい、苦しい、つらいということであっては、やはりバランスが取れないものとなってしまっていると言えるでしょう。

そのバランスの調整をどのようにしていくかということにつきまして、少しお考え頂ければと思います。

仏教でも「自利利他」としてお互い様となる関係性を重視して、修行を進めて参りますので、もし宜しければ、これから少しずつでも仏教の学びも進めていかれまして、そのバランス、中道の取り方についても実践していって頂けましたらと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「もう生きるのが辛い」

問い「もう生きるのが辛い」

【ご質問内容】

気にしすぎる性格が嫌で疲れます。

人からどう思われるか、顔色を伺うなどを気にしすぎてしまいます。

小さい頃から、自分がだいっきらいで消えたい。 
全てに対して申し訳ないと思って生きています。 
楽しいことがあっても、どうせ何かまた辛いことが待ってるから今楽しんでも意味がないって考えて何もかも楽しめません。

もうこの先生きていくのが辛いです。

【拙回答】

極端を是正していく必要

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「自己嫌悪」「自意識過剰」が強くおありのご様子のお悩み・・誠におつらいことでございます。

とにかく仏教では極端は良くないと説きます。極端を避けた「中道」を保つことが求められるものとなります。

あまりに自分を嫌いになり過ぎるのも、他を気に過ぎるのも、あるいは、自分を好きになり過ぎたり、全く他を気にしないということでもいけません。

もしかすると悪いところばかりを考えてしまって、そればかりが目について、あたかもそれしかないかのようになってしまっているのかもしれません。

虚無主義・悲観主義的な考えも、何でもかんでもを否定し過ぎることによって生じてしまっているのではないかと思います。

少しマイナスに振り過ぎている振り子を戻す必要があるのではないかと存じます。

とにかく、私たちの世界は、自分独りで存在できるようなものではありません。他に色々と支えられて、助けられて成り立っています。

つらい時、しんどい時は、もっと他を頼って助け、支えを求めても良いのです。

お互いがお互い様で成り立っている世界です。

「全てに対して申し訳ないと思って生きています。」・・ではなくて、「支えとなり、助けとなってくれているものたちに対して、有り難うの感謝の気持ち」を持って頂けるようになれれば、また世界の見方も少しずつ変わっていくのではないだろうかと存じます。

そのためにも、自分も含めて世界の全てをいったんニュートラルに受け入れてみて下さい。

そして、幸せも、楽しいことも、貴女における因縁(原因と条件)次第になって参ります。幸せ、楽しみへと向けて、今の自分に何が必要か、何をなすべきかを少し前向きに考えて実行されていってみて下さい。

川口英俊 合掌

問い「自己嫌悪」

問い「自己嫌悪」
http://hasunoha.jp/questions/686

【ご質問内容】

私はわがままで幼稚なのに、自分に自惚れているところがありました。イライラしていたので八つ当たりや相手を否定したり上から目線にはなしてバカにした態度をとり酷いことも言ったと思います。そのたび周りを怒らせ悪口言われました。
私は今思いどうりの人生が送れず自信をなくし、自分が嫌いでなりません。過去の自分を責めて今の自分も責め周りに嫌われてるんじゃないか心配になります。嫌われてるんじゃないか心配になり昔の友人に連絡をとったり、今の友人には自分に自信がないから好かれてるかわからないと言って怒らせてしまいます。あと周りを怒らせてばかりいる私は幸せになってはいけないような気がしますし幸せになれる気がしません。どうなんでしょう?

【拙回答】

謙虚さや感謝の心を養う

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

少し自己嫌悪や自意識過剰に陥られてお悩みのご様子・・

「自己嫌悪」につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/自己嫌悪

「自意識過剰」につきましては、下記の各問いにて扱わせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/自意識過剰

自己嫌悪や自意識過剰は、自己向上や自己改善、他との関係向上、関係改善に役立つこともあるため、一概に悪いとは言えないものであります。しかし、それも度合いの問題であって、あまりにもひどい場合は改善していくことが必要となります。その方法としては、下記の拙回答が少しく参考になるのではないかと存じております。

問い「考えすぎて自分だけどころか他人も傷つけてしまう。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002994794.html

『・・私たちは一人で生きている、また生きていける存在ではありません。必然的に他との関係、繋がりにより成り立っている存在であります。このことを仏教的には「縁起」的な存在と申します。・・』

『・・「自分が、自分が」となってしまっている意識を、その「自分が」という存在は、他との関係性の中で成り立っている、自分一人では到底に生きてはいけない、存在できない立場であり、他との関係性をより良く大事にして、意識的に他のことをもっと思い遣れるようになっていこうとして、言動に注意を払うようにしていくということが大切になります。・・』

「幸せ」もそうですが、自分一人では生きていけないように、幸せになるためにも自分一人では到底幸せになることもできません。私たちは無数の関係性の中で有り難くにも存在できているのであり、様々な関係性をより善くに構築していくことが大切となります。そのためには、例えば謙虚さや感謝の心を養うのも必要なことになるのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「考えすぎて自分だけどころか他人も傷つけてしまう。」

問い「考えすぎて自分だけどころか他人も傷つけてしまう。」
http://hasunoha.jp/questions/418

【ご質問内容】

私は親に色々尽くしてもらったりしてても
自分が自意識過剰で考えすぎで人の事をすぐ疑ったりしてしまいます。

ついさっきもそれで親のせいみたいな言い方をしてしまって
親に「もうどうしたらいいかわからない」と言われてしまい傷つけてしまいました。

ゴメンねって謝って「いいよ。気にしなくていいから。」って
言ってくれたけど本心ではない感じがしてます。

私はこうやって人の事をすぐ疑って人も自分も傷つけて
人からもっと心を閉ざしていってしまうのでしょうか。

しかも母親がテレビ観て私が自意識過剰で自分に自信がない人は
いっぱいいてそういう人はこうしたらいいみたいだよって
いい話してくれたのにまた同じような事を言ってしまって
「なんか言っても意味なかったね」って言わせてしまいました。

あそこで私は素直に受け止めればよかったのにって後悔してます。

でもまた明るく楽しくしていきたい気持ちはあります。
なんか自分勝手ですよね。

どうしたら
人の事を素直に受け止めて信じていけるようになるでしょうか?

どうしたら
変な考え方をしたり
自分を苦しめたり他人を疑ったりしなくなりますか?

自分をうまくコントロールする技ってありますか?

【拙回答】

縁起と空

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自意識過剰・・当然に誰もが一番に自分の事に関心があって当然であり、自意識することは、当たり前と言えば当たり前です。

しかし、私たちは一人で生きている、また生きていける存在ではありません。必然的に他との関係、繋がりにより成り立っている存在であります。このことを仏教的には「縁起」的な存在と申します。

そのため、人間関係においても、一体、自分は他人からどう思われているのだろうか、嫌われていないだろうか、変なようにみられていないだろうかと気になるのも、良好なバランス関係を保つためにはある種の自己防衛的な反応と言えるのではないだろうかと存じております。

もちろん、あまりにも過剰すぎると弊害もあるかとは思いますが、自意識が自己向上や自己改善、他との関係向上、関係改善に役立つこともあるため、一概に悪いとは言えないものであるとお考え下さい。

問題は、様々な関係性へのマイナス要素となる場合でございます。もちろん、親子関係であれば、それ程に問題にはならないかとは思いますが、やはり他人とのコミュニケーションのバランスを考えると、過剰な反応がマイナスになってしまうこともあるかとは存じます。

そこで、過剰な自意識へのとらわれの悩みを解消するために、仏教的には、少しずつでも「空」の理解を進めることで、強い自我意識へのとらわれを離していくことが求められるものとなります。「空」と言っても難しいですので、例えば、「自分が、自分が」では成り立たないという存在であることを理解していくということであります。

そして、「自分が、自分が」となってしまっている意識を、その「自分が」という存在は、他との関係性の中で成り立っている、自分一人では到底に生きてはいけない、存在できない立場であり、他との関係性をより良く大事にして、意識的に他のことをもっと思い遣れるようになっていこうとして、言動に注意を払うようにしていくということが大切になります。基本的には、自分のされて嫌なことは他にしないということを心掛けることでも随分と変わってくるのではないだろうかと存じております。

もちろん、すぐには難しいことですが、少しずつでも経験していく中で、失敗もしながら、成長していければ良いのではないかと存じます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「攻撃的な性格を直し、穏やかな生活を送りたい。」

問い「攻撃的な性格を直し、穏やかな生活を送りたい。」
http://hasunoha.jp/questions/415

現在サラリーマン管理職をしております。
昔から攻撃的な性格で、
自分を否定したり、
批判されると、徹底的に追い込んでしまいます。

昔から営業や人を育てる事が得意で、
最優秀社員も頂いております。

ただあまりにも攻撃的で、癇癪持ちで、
口が汚いので、

回りからはキチガイ扱いされて、
嫌われています。

いつも、余裕がなく穏やかな性格になりたいです。

どのような心構えでいれば、
穏やかな生活を送ることができるのでしょうか?

アドバイスいただけると幸いです。

【拙回答】

攻撃的な性格を直すために

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

攻撃的な性格を直されたいとのことですが、それは攻撃的な性格が災いして、これまでも何か色々と損をされたり、負の部分があることをご自身である程度自覚なされているからであるかと推察申し上げます。

下記の問いにて述べさせて頂いておりますが、私たちは、他との関係、繋がりにより成り立っている「縁起」的な存在でございます。

問い「考えすぎて自分だけどころか他人も傷つけてしまう。」
http://hasunoha.jp/questions/418

この回答では、自意識過剰について扱わせて頂いておりますが、攻撃的な性格となる要因の一つとしては、過剰な自意識へのとらわれも関係しているのではないかと存じております。

おそらくどこかで「自分が、自分が」という意識が優先してしまっていて、攻撃してしまう相手のことを思い遣れなくなってしまっていることが考えられます。こう言ったら、相手はどう捉えるだろうか、どう傷つくだろうか、落ち込まないだろうかなど、少し考える余裕が失われている可能性がございます。

そこで、上記問いの拙回答内容から引用となりますが、

『・・仏教的には、少しずつでも「空」の理解を進めることで、強い自我意識へのとらわれを離していくことが求められるものとなります。「空」と言っても難しいですので、例えば、「自分が、自分が」では成り立たないという存在であることを理解していくということであります。そして、「自分が、自分が」となってしまっている意識を、その「自分が」という存在は、他との関係性の中で成り立っている、自分一人では到底に生きてはいけない、存在できない立場であり、他との関係性をより良く大事にして、意識的に他のことをもっと思い遣れるようになっていこうとして、言動に注意を払うようにしていくということが大切になります。基本的には、自分のされて嫌なことは他にしないということを心掛けることでも随分と変わってくるのではないだろうかと存じております。・・』

と書かせて頂いておりますように、自分のされて嫌なことは他も当然に嫌なはずですから、それをしないように少しずつでも注意していくようにすることで、攻撃的な性格も徐々に直すことができるのではないかと考えております。どうか善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「人が信じられない。自分で自分を追い込んでしまう。」

問い「人が信じられない。自分で自分を追い込んでしまう。」
http://hasunoha.jp/questions/369

【ご質問内容】

私は今、両親と下に弟と祖母と暮らしているのですが
過去に祖母が家族に対しての文句やすごくきつい毒舌などを
言っていたりした事が今だに自分の中ですごく深い傷になっているみたいで今はもう弱ってて、嫌味や毒舌を言うわけでもないのに
今だに私たちがいなくなるとなにか言っているのでは?とか
祖母のささいな事でさえわざとにやっているのではと敏感になったりして自分を追い込んで苦しめてしまいます。

家族に考えすぎと言われたり
自分でも自覚していてなんとか考えを変えようとするのですが
やっぱり信じきれていないせいか
本人が目の前にいるとまた同じ事の繰り返しになり
結局また自分の首を絞めるような事になってます。

その当時に祖母が文句を言ったり毒舌を言ったり
していたのにもちゃんと理由があったと最近になって判明して
その時の事はおばあちゃんも苦しかったからだったんだと
そこで私が納得して思いやりをもって理解してあげればいいと分かっているのにやっぱり祖母に対しては今だに信じきれずにいます。

私が中学の頃不登校になった時も味方になってくれたりしたのも
祖母だったのでもうちょっと私が器を広く持てばいいのかもしれないですがでもなかなか難しく疑いの気持ちが、日に日にひどくなる一方です。

元々、他人に「もしかして嫌われているのではないか?」
「悪口言われてるかもしれない」と周りを気にしすぎたり
自意識過剰な所や被害妄想がひどい所もあり
自分でありもしないような事まで考えて
実は取り越し苦労だったなんてこともあるくらい。

結局こうなったのは
自分のせいだから変えていかなければと思っているのですが
なかなかうまくいかなくて。

それと今はずっと家の中にいる事が多いので
何かやりたいと思った物をみつけても
周りの人たちを気にしすぎるあまりに
前に踏み出せないままです。

長くなってしまいましたが
今の私の心の中の苦しみを全部書いたつもりです。

どうすればこの苦しみから解放されるのでしょうか?

こんなどうしようもない私でも変わっていけるのでしょうか?

【拙回答】

「お釈迦様と悪口男」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

字数の制限上、下記引用のみですが、ご参照までにて失礼申し上げます。

「お釈迦様と悪口男」 出典:変わりたいあなたへの33のものがたり

あるところに、お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。

「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」

男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。

ある日、その男は、お釈迦様が毎日、同じ道のりを散歩に出かけていることを知りました。

そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、群集の中で口汚くお釈迦様をののしってやることにしました。

「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」

そして、その日が来ました。

男は、お釈迦様の前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。

お釈迦様は、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。

弟子たちはくやしい気持ちで、「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」とお釈迦様にたずねました。

それでも、お釈迦様は一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。

男は、一方的にお釈迦様の悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。

どんな悪口を言っても、お釈迦様は一言も言い返さないので、なんだか虚しくなってしまったのです。

その様子を見て、お釈迦様は、静かにその男にたずねました。

「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか」

こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。

「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。わかりきったことを聞くな」

男はそう答えてからすぐに、「あっ」と気づきました。

お釈迦様は静かにこう続けられました。

「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。でも、私はそのののしりを少しも受け取らなかった。だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ」

・・ここまで。

川口英俊 合掌

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