hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

自殺

問い「自分が自殺をしそうで怖いです。」

問い「自分が自殺をしそうで怖いです。」

【ご質問内容】

半年前に不安神経症を発症してから、自分とは、生きるとは何なのかについて悩むようになりました。

自分には意思があって、自分がしたいと思えば体が動きます。 
そうしたら、自分の心次第で人殺しや自殺もできてしまうんだなと気づきました。 
今も、身体が勝手に台所から包丁をとってきそうで怖いです。 
死ぬのが辛くなるんだったら、なんで生まれてきたんだろうとも思います。

怖いと思うのは、死にたくないという思いが魂胆にあるからなのでしょうが、その気持ちさえなくなってしまうんじゃないかと思ってしまいます。

自分の進路も見えてきて、やりたいこともたくさんあるのに、辛いです。 
考え方をどう変えたらよいでしょうか。


【拙回答】

不安の原因は・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

不安を色々とお抱えになられておられて、特に死に対する不安にお悩みのご様子・・

不安というものは、人間であれば誰もが何らかしか持っているものですが、ある意味では、自己防衛を図るための本能的なものであるとも言えます。

不安があるからこそ、慎重になって、安全に物事を進められているということもありますし、一方では、身動きがとれなくなり、何も手に着かなくなってしまうという弊害ももちろんあり得るものでございます。

不安というものも、有りすぎず、かといって、無いというのでもないというところのバランスが必要となります。

さて、「死」についてでございますが、とにかく、「死」とは何かが分からないことによる不安が一番大きな原因としてあるのではないだろうかと存じます。

そうであれば、「死」についてもっと知ってみるのも、その一つとなります。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の如くに、案外、知ってみると、なんだ・・となって、不安も和らぐことになるのではないだろうかと存じます。

仏教的に考えるのであれば、「死」は、虚無や絶無ではなく、肉体としての「死」という面が強くあり、肉体は滅んだとしても、存続していく微細な意識(微細心・心相続)のありようについて考えていくことになります。

その存続していく心のありようをしっかりと善きものに調えていくための教えが仏教でもあります。

もちろん、死後のことは今は考えずとも、いずれその時は否が応でもやってくるのですから、その時までは、とにかく仏教を修習し、善き因縁を調えていくことに取り組むのも一つ。

いや、やっぱり死についてもっと知りたいとなれば、仏教における死についての教えについて学ばれてみられることもお勧め致します。但し、学べる文献は幾つかに限られています。間違いのないように慎重に学んで参りたいものとなります。

ご興味がおありでしたら、いくつかのお勧めをお教えさせて頂きます。

とにかく、それもまだまだ焦らずで構いません。でも、ある程度知っていけば、納得していけることもあるという感じにて。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「なぜ人は人を殺してはいけないのか。餓死による自殺について。」

問い「なぜ人は人を殺してはいけないのか。餓死による自殺について。」

【ご質問内容】

 社会や宗教はよく、「人は人を殺してはならない」と説きます。しかし、僕はこの問いに対して自らの内に納得できる答えを出すことが未だできていません。 
 決して僕自身は人を殺したいとは思いませんが、僕は別に人を殺したいなら殺してもいいと思うし、殺してしまったらならそれは仕方がないと思っております。 
 よく、自分が殺されたくないなら人を殺すな、だから人を殺してはならない、という回答を散見します。しかし僕はこれに納得していません。その相手が憎くて「殺されてもいいから、殺してやる」と思う場合、人を殺してもいい、ということになってしまうからです。 
 僕は度々報道される殺人事件のニュースを見ると悲しくなってしまうのです。「なぜ人は人を殺してはならないのか。」この問いに対する真実の答えがこの世のすべての人に知れ渡れば、殺人事件や戦争などという悲しい出来事がなくなると思うし、自殺もなくなると思うのです。 
 僕は決して殺人を犯した人がいなくなればいいなどとは思いません。殺人を犯してしまった人も、この地球に生まれ落ちた我らが同胞であり、兄弟であり、愛すべき存在だと僕は信じているからです。 
 そして、僕は生きる苦しみから逃れたい、自殺したいと思っていた時期がありました。自殺も、つまるところ「人(自分)が人(自分)を殺す」という事象に当たると思っています。自殺もいけないことだと真っ向から否定してほしいのです。 
 僕は生きる悦びを手にし、その生きる悦びを愛しているので自殺することはないと思います。しかし、この地球上に生まれ落ちた愛すべき存在を、殺人や自殺などといった形で失うことを、僕はただただ悲しいと思うことしかできないのです。

 また、自殺の方法として餓死を選んだ場合、人は生きる苦しみから解放されるのでしょうか?一般的に自殺は生きる苦しみからの逃げ、だと僕は思っています。自殺の方法として餓死を選んだ場合、それは生きる苦しみと真っ向から向き合うことだと考えています。 
 近い将来、自分が餓死による自殺をしてしまうのではないか、と不安になる時があります。


【拙回答】

自殺のカルマについて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自殺につきましては、大きく三つの業(カルマ)の結果について考えることができるのではないかと存じます。

一つは、善き動機としての善き行為による善き結果として。

一つは、悪い動機としての悪い行為による悪い結果として。

もう一つは、善いでもなく悪いでもない中性なる動機としての善いでもなく悪いでもない中性なる行為による善いでもなく悪いでもない中性なる結果として。

その内実においてまず重要となるのは、「無明(根本的無知)・煩悩」によるものであるのかどうかというところとなります。

無明・煩悩によるものであれば、当然に迷い苦しみの原因となっていく「悪業」となってしまう可能性は高くなります。

その無明・煩悩によらないものであれば、中性に。

では、善業となる場合・・これは非常に判断が難しいのですが、例えば、大いなる慈悲の心や菩提心(悟りへ向けた心)を動機としての、無明や煩悩によらない、純粋な利他心により他を助けるような善行為となる場合などが考えられます。

中性の場合も、その内実の動機を実際に推し量るのも難しいところがありますが、例えば、どうにもやむを得ない事情による安楽死、尊厳死などが考えられますかね・・

とにかく、大きく分かれる一つの判断基準として、「無明(根本的無知)・煩悩」によるものか、そうでないのか、ここを少しご検討を頂けましたらと存じます。

仏教の基本として、この迷い苦しみ(輪廻)から解放されるためには、しっかりと悪い行いを慎み、善い行いに努め励みて、心を浄らかにしていくことが求められるものとなって参ります。

是非、その方法論がたくさん説かれております仏教の修習を、これからも進めていって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

問い「死にたい」

問い「死にたい」

【ご質問内容】

精神病が酷くて勉強ができません。 
10月試験ですが、絶望的です。

何もなれないし、ハンドメイドもできなくなり、私はこの先どう生きたらよいのでしょうか。

死んでしまいたいと頭に毎日、死ぬという言葉が付きまといます。

私が死ねば喜ぶ人間が沢山いるんです。

私なんか生きてても仕方ないんです。

何もできない最低な不良品です。


【拙回答】

向精神薬による副作用の可能性

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

少し以前のご質問も読ませて頂きました・・

もしか致しますと今の医療機関にて頂いているお薬があっていない可能性もございます。

ご存知であるとは思いますが、向精神薬においては、副作用として希死念慮をもたらすものもございます。

あるいは、一度、セカンドオピニオンを受けられることも必要かもしれません。

また、向精神薬による副作用の問題を嫌気して、最近では栄養学的治療を選択される人も増えてきているようです。

是非、参考までに、「精神病 栄養学的治療」で検索されて情報収集をなさられてみて下さいませ。

川口英俊 合掌

問い「これから自殺するつもりの者です」

問い「これから自殺するつもりの者です」

【ご質問内容】

自殺した後の死後の世界のことが気になっています。また、お釈迦様は死んだ者の死に方、死にぎわを問わないとは本当でしょうか?仏教の法典?について色々と調べてみて、お釈迦様が自殺したら地獄に落ちると言っていないことや、自殺を否定していないこと、それら全ては人間の善悪の価値感であることがわかったのですが、サイトや書籍によって若干のバラツキがあったので本職であるお坊様にお聞きしました。じゃないと何か未練のようなものが残りそうで…

また、人間は死んだらどうしても輪廻転生をしなければならないのでしょうか?私は今まで生きてきて、もう生まれ変わるのはこりごりだ、無になるか世界をただ傍観するだけの存在になりたいと思いました。そういうものになる方法はあるのでしょうか?

あとこれは個人的なことなのですが、人間は肉体を離れて霊や魂だけになったら性別や年を超えて姿を変えられるのでしょうか?

以上、よろしくお願いします。


【拙回答】

仏教で死後のことが語られるのは何のためであるのか

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠に自殺をお考えになられておられる切実なお悩み・・

仏教で死後のことが語られることがあれば、それはいったい何のためであるのか・・

それは、いずれにせよ、仏教の基本となる、悪いことをなさずに、善い行いに努め励みて、心を浄らかにするためであると考えております。

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」でございます。

しっかりと仏法を修習し、悟りへと向かう資糧(智慧と福徳)を確実に積めるように、今生においても、できる限り怠ることなく努めて参りたいものでございます。

どうしても死後のことについて、もっとお知りになりたいと思われるのでしたら、下記を是非お読みになられて下さいませ。

「チベットの生と死の書」講談社/ソギャル・リンポチェ著/訳・大迫正弘氏・三浦順子氏

既に絶版のため、古書しかございませんが、お勧め申し上げたいと存じます。


もし、お読みになられて分からないことがございましたら、どんどん遠慮なくに、hasunohaへとまたご質問下さいませ。できる限りお答えさせて頂きます。お待ち申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「自殺した魂はどうなるのでしょうか」

問い「自殺した魂はどうなるのでしょうか」

【ご質問内容】

原因不明・完治が難しい多くの症状に悩まされ、鬱・パニック状態に陥るようになってしまいました。症状緩和のため、自分なりに努力していますが、時々発作的に死んでしまいたいと思う事があります。

実際に踏み切る勇気もないのですが、死後の世界は悪くないと聞く中、自殺者の魂はこの世での課題を放棄したペナルティが課されるという事も聞きかじりました。

これは自殺者からの真のメッセージなのか、或は自殺防止のための宗教的教えなのかと疑問に感じています。 
アドバイスよろしくお願いします。


【拙回答】

「因縁無くして結果無し」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

原因不明・完治が難しい多くの症状に悩まされていることで、自殺まで考えてしまうほどに追い込まれてしまわれているご様子・・誠におつらいことでございます・・

とにかく、必ずモノ・コトには、その結果へと至るための因縁(原因と条件)がございます。

何でもそうですが、「因縁無くして結果無し」でございます。

もう少しその症状の因縁について深掘りして調べて、因縁を明らかにすることで、何とか快復へと向けた治療のメドをつけて参りたいものでございます。

例えば、原因として考えられることとして、更年期障害によるホルモンバランスの変化やストレスによる副腎機能の低下によっての慢性疲労症候群や、免疫機能の低下による膠原病の発症などもございますが、そのあたりにつきましては、もう既にお調べになられていますでしょうか。

もしも、まだでございましたら、一度、「慢性疲労症候群 ○○県」で検索されて、扱いのある近くの専門病院で調べてみられてもどうであろうかと存じます。

少しアプローチを変えてみることで、今まで見えてこなかったところに光を当ててやると、もしかするとその因縁も見つかってくるかもしれません。

因縁が分かると共に、更に良くなるための治療も望めるとなれば、自殺など考えることもなくなり、少しずつでも前向きに過ごせていけるようになるのではないだろうかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「精神病で自殺をするのは病死だと思います。」

問い「精神病で自殺をするのは病死だと思います。」

【ご質問内容】

ろくに働きも税金をおさめもせずに20代で精神病を発病しました。 
一番重い精神病とされている2つのうちの1つです。 
以後約20年通院と1日1食食べ物を買う以外ずっと独り暮らしの引きこもりです。 
よろこび嬉しさ楽しさはこの20年殆ど感じていません。 
絶望と苦しみと悲しさ虚しさだけです。 
毎日殆ど何も出来ず、一日中布団で泣くかぼんやりして暮らしています。 
親にはお前を育てた意味がないと言われました。 
家族親戚友人には見放されました。 
医師には予後はかなり悪く、良くなることはない、 
生活保護も受けて精神障害者施設に入るよう言われています。 
もう生きていく気力がなくなりました。 
「生きるのが体質に合わない、 
生かされているのが嫌がらせだとしか思えない」 
非常に共感しました。 
働かず結婚も出産もせずに食べて泣いて寝るだけ。 
なのに他人様の税金で障害者年金で暮らしています。 
人に迷惑をかけるのみで役に立たない人間です。 
精神病で自殺をするのは病死だと思います。 
もう疲れはてました。


【拙回答】

まだまだ今は甘えて下さい。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

屠所の羊・・涅槃経に出て参ります無常の理趣を示す言葉でございますね・・

とにかく、あまりご自身を卑下なさられず、悲観なさられずに、予後が悪いという医師の言葉にも諦めずに、良くなる道を模索して、長いトンネルを抜け出して頂きたいと思います。

精神・心の病は、実は、身体における機能的な問題から生じてしまっている場合もございます。例えば、自己免疫機能、ホルモンバランス機能、メチレーション代謝機能などの問題であります。対症療法ではなくて、身体的機能における根本的治療が、もしかすると改善へ向けて有効であるかもしれません。心と身体はそれぞれ別のものではなく、密接に関連し合っています。少しこのことも意識して治療に取り組んで頂けましたらと存じます。

とにかく、そんな辛いことをたくさん抱えておられる貴女様のために、私も何とか頑張って働けて、税金を納めさせて頂けることは、功徳にもなることにて、有り難いことであると考えております。

「福祉」とは、全ての人々の幸せという意味であり、まさに福祉に貢献できることは、貴女様の幸せ、皆の幸せに繋がることであり、仏教的にも喜ばしいことでございます。大丈夫です。

「坊主は丸儲けで、税金は納めていないのでは」とよく世間で言われてしまいますが、

それは間違いです。

私たち坊主も、皆さんと同様に所得に応じて、源泉徴収されて、確定申告し、所得税・府民税・市民税をきっちりしっかりと納めています。

特にお坊さんは、税金が皆さんの幸せ(福祉・利他)に繋がることに使われているということに、大賛成にて、私たちも功徳を積められて、逆に感謝致すぐらいでございます。

どうか今はまだまだ甘えられて下さい。また少しなりにも良くなって、できることが増えてきて余裕が出てきてからで構いませんので、その時に、今度は自分が誰かのためになる番として取り組まれて下さい。それまでは無理せず、頑張り過ぎずにて。

川口英俊 合掌

問い「自殺を思い至った経緯について」

問い「自殺を思い至った経緯について」

【ご質問内容】

こんにちは。前回の質問した続きで、 
私が自殺にい思い至った経緯を書かせていただこうと思います。 
私は、いま18歳の高校生です。 
私は生まれてこの方18年間人生を振り返ってみても何も良いことがありませんでした。常に不幸。 
小学生の時、母をなくしたり・・・ 
現在は鬱気味で、学校に友達や話し相手はおらず、孤独感にさいなまれており、右目に違和感が出てきはじめ体調もすぐれません。常に吐き気とめまいにさいなまれています。 
また、受験という壁がこのような状態の私に一層焦りと圧迫感を与えています。 
まるで、深淵の海に沈みつつけているかのように息苦しく、そしてこれからの自分がどうなるのかという光も見えてきません。 
これが、私の自殺をしようかしまいか思い至らせた原因です。 
何度もこの原因に立ち向かおうと思いましたが、私の力など非力なものです。どうしようもありませんでした。 
やはり自殺すべきでしょうか? 
自殺すればこの息苦しさから解き放たれますか? 
もう”生きたい”と思いません・・・。 
(一応、自殺の準備は進めております。完全自殺マニュアルとロープは購入しました。)


【拙回答】

自殺は断固として勧められません。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

心と身体は密接に関連し合います。

心が病んで身体も病む場合、身体が病んで心も病む場合、と色々考えられますが、とにかく、身体の不調には、何か心とあまり関連のない別の原因もあるかもしれません。例えば、副腎疲労や自律神経系・免疫系の疾患などが考えられます。それらによる体調の不調が、心へと影響を与えて、心の不安定な要因になっているかもしれません。

心も身体もその治療によっては、対症療法で根本的な治療とならない場合もございます。少しこのことも気にして、色々と調べて頂いて扱いのある病院へと行かれてみて下さい。

孤独感については、あまり無理に友達を取り繕って作る必要はありません。また、別に通っている学校内にこだわることもなく、別の学校や塾・予備校、またはFacebook、TwitterなどのSNS上でも、情報・意見交換できる、志共にできる人とのご縁もあるかもしれません。

拙生も、今では、現実に会える友達よりも、SNS上において真剣に情報・意見交換できる人、志共にできる人の方が、友達であると思っております。このhasunohaでも、回答僧侶の皆様方とほとんどお会いできてはいませんが、皆さん志共にしている法友であると思っております。まあ、少しご縁の定義、範囲をご自身の中で広げられても良いのではないだろうかと思います。

受験については・・現役・浪人・仮面浪人と三度、第一志望に敗れ去った私からは何とも・・それでも別に第一志望に受かることが人生の目的ではなかったため、ある程度は別のことでも頑張っていくうちに気にならなくなりました。

受験、大学のその先をもう少し意識して、色々と取り組んでみて下さい。

今思えば、確かにその時はその時で色々と悩み苦しみましたが、高校・大学生活も終わってしまえば、正直、あっという間でしたね。

どうしても、抑圧された小さな世界にいると、まるであたかもそれが世界の全てであるかのように錯覚して、視野が狭くなってしまい、とらわれてしまって身動きのできないこともあるのではないだろうかとは思います。もう少し自分を客観視して、また俯瞰的に見てみることもお勧め致します。

とにかく、自殺は断固としてお勧めできません。このことは改めて強く申しておきたいと存じます。

川口英俊 合掌

問い「自殺しようか悩んでます・・・」

問い「自殺しようか悩んでます・・・」

【ご質問内容】

初めまして。 
私は進学校に通っている高3です 
いろいろなことがあり、とてもつらく死にたいです。 
いま、自殺しようかしまいか迷っています。 
というのも、自殺をすると魂が汚れ、天国へも地獄へも行けず、永遠と無間地獄を彷徨うと書いてあったからです。 
あまり死後の世界などは気にしない性分なのですが、いざとなると不安に駆られます。 
そこで質問です。自殺をするとその後どうなるのですか? 
ただ身が朽ち果て土に返るだけなのでしょうか?


【拙回答】

自殺について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)で、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、五蘊にあまり左右されない微細なる意識(上記の識は粗いレベルの意識)としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって死後も存続していくものであると考えられています。

ですので、少し難しいことですが、何もかもが無になり無くなるという断滅論でもなければ、かといって、永久永遠にこれが「私」であるとして言えるような実体としての自分というものがあるわけでもなく、常住論とも違うものとなり、ただ、因縁によって存続していくものがあると考えることになります。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)というものとなります。その行いの集まりの因縁に応じて、どのような赴きとなっていくのかが、おおよそ決まっていくことになるとお考え頂けましたらと存じます。

自殺にも、良い因縁となる自殺もあれば、悪い因縁となる自殺、あるいは中性の因縁となる自殺もあり得るため、一概に「自殺をすると魂が汚れ、天国へも地獄へも行けず、永遠と無間地獄を彷徨う」とは言えるものではありませんが、確実に言えるのは、悪い煩悩、無明(根本的な無知)を動機とする自殺は、全くお勧めできないということでございます。

もちろん、動機が善であるのか、悪であるのかは、更に個別事での仏法と照らし合わせての慎重な検討も必要となります。とにかく、どちらか真なる確信が得られないのであれば、辞めておくべきであると強く思います。

川口英俊 合掌

問い「罪人や自殺」

問い「罪人や自殺」

【ご質問内容】

こんばんは

罪を犯した人や、自殺した人は成仏出来ないのでしょうか?

よろしくお願いいたします


【拙回答】

成仏へと向けて ※追記あり

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この世の全てのモノ・コトというものは、因縁(原因と条件)により成り立っております。

成仏も同じです。ですので、成仏のためのしかるべき因縁を調えることができれば、誰だって成仏することが可能となります。

成仏のためのしかるべき因縁を調えるための教えが、仏教となります。

しっかりと仏教を修習していくことで、成仏への因縁を調えて参りたいものとなります。

また、亡くなられた方であっても、成仏への因縁へ向けたお役立ちの一つとして供養、回向ということがございます。

しっかりと皆が成仏できるようにと供養・回向して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

※追記・・信仰だけではダメです。成仏へと向けては、しっかりと仏教を学ぶことはもちろん、智慧の開発と福徳(方便・慈悲・善徳行)の集積が欠かせないものとなりますので、その点はどうかご理解の程を宜しくお願い申し上げます。

問い「死ぬと楽になれますか?」

問い「死ぬと楽になれますか?」

【ご質問内容】

小~高校と自ら招いた種で周りから疎まれ、苦しい学生生活を送り

大人になった今趣味はパチンコに溺れ、親戚や弟にお金を借り、使ってはいけないと思いつつ今日も行って結果使うとまずいお金まで使用してしまい、 
キャッシングこそしてませんが来月はかなりジリ貧状態です(笑)

少し前まではそのうち恋愛したり、家族に孝行できるのではないかと思ってましたが、今はもうそんな考えもでず、ギャンブルで自らを苦しめ、そのストレスから過去に楽しかったことなんてなかったし、この調子で行くと、永遠にないんじゃないかなんて思い始め、最近は自殺のニュースがあると可哀想というより 「いいな~楽になれて」なんて考えるようになりました。

色々長く書きましたが、結論から申し上げますとさっさと死んでこのつまらない現実から退場したいと考えております^^

人生楽もあれば苦もあるなんて言葉がありますが、今のところ自ら苦に足を突っ込んでいる部分もありますし、夢もなければ希望もありません。

どうやったら死ぬ勇気がでるのか教えて頂ければありがたいと思います。 
よろしくお願いいたします。次はもう少しまともな人間に生まれ変われたらいいなと微かながら願います。

長文誠に失礼いたしました

【拙回答】

再び人間として生まれ変わるためには・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)で、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、微細なる意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると考えられています。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)というものとなります。その行いの集まりに応じて、どのような赴きとなっていくのかが、おおよそ決まって参ります。

「もう少しまともな人間に生まれ変われたらいいな」・・

もう一度、人として生まれ変われるためにも、やはりそれなりの善い因縁が必要となります。

もっと良いのは、人間界も含めて、この迷い苦しむ輪廻の世界ではなくて、仏国土、浄土など、仏様のお教えを賜れて、悟りへと向けて修行に励めれる世界へと赴くことです。そのためにも、もちろんしかるべき善き因縁が必要となります。

とにかく、今のままでは人間に生まれ変わることは・・うーん・・難しいかも・・

しかし、これも誠に良い機会です。

是非、今から仏教にもっと関心を持って頂きまして、是非、修習を進めていって頂けましたらと思います。

良い因縁を積むためのヒントも多くございますので。

川口英俊 合掌
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