hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

菩提心

問い「私は死後地獄行でしょうか?」

問い「私は死後地獄行でしょうか?」

【ご質問内容】

極楽浄土へ行くためには 
戒律を守らなければならないと聞いたことがあります。 
では戒律と私がしたことについて 
殺生をしない 
まずこれはどんな生き物とて殺してはいけないのですよね? 
蚊やゴキブリなど殺していますし 
肉や魚も食べています。

盗みをしない 
盗みは少年時代よくやりました。 
しかもつい数年前万引きをして 
警察に捕まりました。 
このことについては 
反省しています。

酒を飲まない 
ビールを飲んでます。

悪口を言わない  
極力言わないようにしていますが 
嫌なことされたり頭にくることされると 
時に反論や悪口を言ってしまう時があります。

嘘を言わない 
嘘はついたことはよくあります。 
大人になってからは正直に生きたいと 
思ってましたが会社などで働いていると 
普通に本音を言うと怒られたり 
敵対されいじめの標的にされた事がよくあります 
そういう経験をして以来 
時に思ってもいない嘘を言って 
ごまかしその場を乗り切ることがあります。

ふしだらなことをしない 
これはあまりしませんがエロ動画や画像などは 
鑑賞します。こういってことでも 
ふしだらなことになるのでしょうか?

心から懺悔をし善行を積み 
南無阿弥陀仏など毎日唱え修行をすれば 
罪罰から遠ざかるとありますが本当ですか?

そもそも地獄は実在するのですか?


【拙回答】

大切なのは諦めないことです。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

無始以来、無知無明、煩悩による悪い行いによって、迷い苦しみの世界に幾度ともなく輪廻する中において、今世に至っており、その間、一体、何度、数えきれないぐらいに地獄にも落ちてきてしまっていたことでしょう・・

今さら地獄(のような苦を受ける心境涯)に陥ることを、さほど気にすることでもありませんが、しかし、だからといって、どうせ地獄行きだろうしと、諦めてしまっては、また同じ繰り返しになってしまいます。

何とか仏様とのご縁、菩提心をしっかりと大事に大切に育み、とにかく今世においても、できる限りに行いをより善くに努めていくことが大切となります。

拙生も毎日のお勤めにて、三宝帰依や菩提心生起、懺悔、各戒保持誓願を繰り返し行いつつ、日々の行いを反省し、一進一退の中ですが、ほんの数ミリでも悟りへと近づけるようにと思っております。

諦めずに取り組んでいければ、きっと何生か後には、やがてその菩提心が花開き、悟りの実を結ぶことへと繋がっていくことになると存じております。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「名声を求めてしまうのは煩悩ですか?」

問い「名声を求めてしまうのは煩悩ですか?」

【ご質問内容】

私は、中高とエリートコースに乗り、大学も旧帝大を卒業しました。しかし、24歳の時、大病を患ってしまい、将来のエリートコースが途絶えました。

私は、公務員か医者、弁護士になりたかったのですが、病気のためそのような志も、もう叶うことはありません。あの時こうしていれば、あの時あんなことしなければ、病気にならなかったのに、と後悔ばかりが先立ち、心がとても苦しいです。

過去を患わず、未来に向かって生きていきたいのですが、病気のためそれもままなりません。一体この心をどうしたらいいのでしょうか?

過去のエリートコースに乗っていた自分と比べて今の自分があまりにもみじめで嫌になります。不躾な質問で恐縮ですが、回答よろしくお願いいたします。


【拙回答】

真のエリートコースは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「世間八法」(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)には、確かに真なる幸せ、安楽はないため、あまり求めてとらわれを起こすべきではありませんが、しかし、その動機によっては、必要である場合もあると考えています。

例えば、真に人々を救える力を有していたとしても、山奥に籠って生活しているだけでは、何も他を救えることはできません。

もし、その力と同等の人々の評価(称賛・誉れ・名声)があれば、自ずとその人のところへと人も馳せ参じ、また、下山を誘い、他を救うための行いを勧めること、実践できていくこともあるでしょう。

とにかく、何事もまずは動機次第。善い動機、それも利己心からではなく、利他心からの動機が大切となります。

仏教の場合でも、動機・初発心としての「菩提心」、悟りを求める強い心が、その後の仏道の進み具合のありようを大きく左右することになって参ります。

ちょっとやそっとのことでは、退かない強い善い動機・志を大切に、今、おかれている現実の下でできる最善を目指して、できることから一つずつでも取り組んで参りましょう。人々による評価はとにかく二の次です。実力がついてくれば、自然と評価もついてくることにもなるでしょうし。

真のエリートコースは、初志貫徹の道であるかと存じております。

川口英俊 合掌

問い「私が死んだら、自力で成仏できますか?」

問い「私が死んだら、自力で成仏できますか?」

【ご質問内容】

私には子供がおりません。 
供養してくれる人がいません(たぶん)

私は、火葬と納骨までしてもらえれば、それで良いと 
考えております。

自然の摂理に沿って、最後は潔く死に、 
そして、誰からも供養してもらわなくとも、 
自力で成仏したいのです。

死後、お線香をあげてくれる人がいなくても、 
一周忌や三回忌の法要がなくても、 
自分の意志で成仏できますか?


【拙回答】

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

亡くなってからのことではなく、是非、できるだけ今のうちから、確かなるご仏縁、堅固なる菩提心(悟りへと向かうための決意)をお持ち頂けますように、仏教により接していって頂けましたらと存じます。きっと、よりよく生きていくための智慧にもなることでしょう。

川口英俊 合掌

問い「ふとよぎる怖さ」

問い「ふとよぎる怖さ」

【ご質問内容】

今の私は、家族と過ごし、仕事にも恵まれ、大変なこともやはりありますが、充分な生活を送っています。

 ハスノハをはじめたくさんの方々のお陰さまです。

 それなのに。

 ふとした時に、「消えてしまいたい。」と頭をよぎります。

 死にたいではなく、現実には誰もが困ると分かっていますが、言葉にしづらい気持ちが静かに起こります。 
  
 また、自分が人をひどく傷つけるのでは、という恐れも起こります。 
  
 思えば10代前半から、リラックスできた時などにふと頭をよぎります。

 これらが、生来の物なのか、環境からか、業や縁起による物か。

 この気持ちとゆっくり向き合っていくにあたり、ご指導、教え、お叱りなど頂けましたら有り難く存じます。


【拙回答】

「出離」の心

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

過去の問答も少し読ませて頂きました。仏教を学ばれておられますこと、誠に尊く有り難いことでございます。

仏教を学んでおりますと、やはり、出家なさられる直前のお釈迦様における苦悩・憂いと同じようなことを思うことで、この俗世世間からの「出離」の心が生じるところもあるのではないだろうかとは存じます。

たまに、拙生も、全てを捨てて、智慧の開発と瞑想修行が専一にできるところへと参りたいと思うことがございます・・

しかし、現実世界におけるなすべき責任、やるべき義務は果たすことが必要となります。それらを放棄して、迷惑を掛けては、ただの無責任な放蕩者であるだけではなく、場合によっては罪や悪業となることもございます。(簡単には保護責任がある子どもの世話を放棄するようなことなど)

しっかりと、三宝帰依、菩提心を堅固に持ち、律して守るべきことを守り、智慧の開発と福徳(善徳行・方便行)に励んでいけば、また機縁が熟せば、というところでございます。

とにかく、今は、家族、生活を大切になさられつつに仏道を歩まれて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「人間とは偽善と悪の塊」

問い「人間とは偽善と悪の塊」

【ご質問内容】

人間とは偽善と悪の塊だとは思いませんか?


【拙回答】

全ては縁起し空である

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人間の心も身体も含めて、全てのモノ・コトのその本質は、「空」なるものであり、実体としてあるものではなく、つまり、善、悪も実体としては無いというものとなります。

しかし、実体が無いと言っても、それは何も無いということではなくて、心も身体も、善も悪も、「縁起」として一応は成立しているものとして説明することにはなります。

「縁起」とは、「縁って起こる」として、「他に依存して成り立っている」ということで、簡単には、例えば、「因縁(原因と条件)に依存して結果がある」といったものとなります。

偽善も悪も、そうなる因縁によって一応はあり得てはいるものの、その因縁をどうにか変えることができれば、偽善も善となり、また悪も善とすることはできるようになるのでございます。

その因縁をより良く変えるための方法が仏教においてたくさん説かれております。

私たちが迷い苦しむ最大の原因は、「無明」(根本的な真理を知らない無知)にあります。それが故に煩悩とその煩悩による行為、悪業という条件によって、結果として、迷い苦しむことになってしまっております。

ですので、迷い苦しみの原因としての「無明」を、悟りを目指したいという強い志としての「菩提心」を原因として、仏教の智慧の開発と福徳(善行・功徳・方便行)の行為、善業という条件により対治していくことで、迷い苦しみを無くしていくことが必要となる次第でございます。

是非、これからもっと仏教に興味を持って頂きまして、学びを進めて頂けましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「配偶者の病気」

問い「配偶者の病気」

【ご質問内容】

初めまして。 
誰にも相談できず、悩んでいます。 
少しでも心が楽になる言葉をいただけたら幸いです。 
どうぞよろしくお願いします。

主人(50歳)が余命一年から二年の癌になり、今は治療中です。 
本人には余命宣告されたことは伝えてありません。 
ただ本人は自覚症状や痛みや治療などからあまり長くは生きられないのではないかと思っています。 
私はもちろん全否定して励ましたりはするのですが、それが逆効果になり、本人は落ち込んだりします。

主人は大好きだった釣りやゴルフができなくなり、歩くことも困難になり、人生の楽しみを失ってしまいました。 
正直毎日落ち込んで沈みがちな主人を見ているのが辛くて悲しくてしんどいです。 
どんな言葉を掛けたらいいのか何をしたらいいのかわからないんです。

本人に生きる希望を持って少しでも前向きになり、治療を頑張ってほしいんです。 
でも病気の痛みや治療の辛さを我慢している主人に少しでも長く生きてほしいと思うのは自分勝手なのだろうかと思ったり、 
余命宣告されているんだから治療を頑張らなくてもいいのではないのかと思ってしまう時もあります。 
私も気丈に前向きに明るく振る舞ってはいますが、どう病気と死と主人と向き合っていいのかわからないんです。

できるならお互いが心穏やかに過ごしたいので、そんな心持ちになれるような言葉や所作など教えていただけたらと思います。 
よろしくお願いします。


【拙回答】

最期の看取りへと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

ご主人様が癌に侵されてしまわれて、余命を宣告されてしまわれたとのこと・・誠におつらいことでございます・・

私たちはいずれ誰もが死を迎える中において、代表的な苦しみとしての八苦の一つに「愛別離苦」も挙げられていますように、愛する者との別れというものは、尚もって誠につらいものがございます。

もちろん、手術、抗がん剤治療、先進医療による治療等にて、まだまだ延命や回復の余地もあるかとは存じます。しっかりとご主人様と共に病気と向き合って頂けましたらと存じます。

しかし、いずれにしても最期の時はやがて訪れることになります・・臆さずに申しますが、臨終へと向けて大切となるのは、悲観や絶望、不安、恐怖、後悔など、悪い煩悩にあまり支配されずに、穏やかに安心して心が落ち着いた状態を保てるようにとして、看取る者たちも、優しく温かい言葉を掛けてあげること、感謝や報恩の気持ちを伝えること、後顧の憂いを無くしてあげれるようにすること、できるだけ最期の望みを聞いてあげて、可能であるならば叶えてあげることなどを通じて、できるだけ安らかに逝かせてあげれるように調えていくことが必要であるかと存じます。

身体の苦しみにつきましては、医師ともよく終末期ケア、緩和ケアについてご相談なされて頂きまして、心の方につきましては、仏教徒でございましたら、更に、お家のご宗旨、帰依されておられるご宗旨における簡単なものでも構いませんので、仏典やその分かりやすい解説書などの読み聞かせ等による仏法の真理への気付きへの促しや、三宝(仏法僧)への帰依、菩提心(悟りを目指したいという強い志)の生起、来世におけるご仏縁と智慧と福徳(功徳)の修習へと向けた志などへの滋養を頂けましたら、それはそれは更に大変有り難いことであるかと存じます。

ご主人様の死後も続く、心の連続体(心相続)へと向けて、仏様、仏法とのご縁の深まりによってのより善き赴きがございますようにと、心から祈念申し上げます。

お安らかな旅立ちとなりますように。

川口英俊 合掌

問い「仏教の道に進みたい」

問い「仏教の道に進みたい」

【ご質問内容】

仏教に生きる道を探しています。大学は仏教系で少しかじってはいます。たまにお寺にいったりする段階から、仏教に生きる道を探し、人生の悩みの解決を仏教に見いだしたいと思っています。 
 考え方や道筋を教えていただきたいです。自分の解決から家族などの悩みの解決に結び付けばと思います。 
 よろしくお願いいたします。

【拙回答】

お志、誠に尊く有り難いことでございます。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏道を歩まれたいとのお志、誠に尊く有り難いことでございます。

ご自身の悩み苦しみの解決も大切ですが、何よりも全ての者たち、一切衆生の悩み苦しみの解決を目指すことも仏道においては大切となります。

是非、この機会に堅固なる悟りを目指すための決意としての「菩提心」を発心して頂きまして、共に頑張って参りましょう。

「三宝帰依と菩提心生起」

仏陀・仏法・僧伽に 
悟りに至るまで私は帰依いたします 
私が積んだ布施行などの資糧によって 
有情を利益するために仏陀となることができますように

すべての有情を救済しようという願いによって 
仏陀・仏法・僧伽に 
悟りの心髄に至るまで 
常に私は帰依いたします

智慧と慈悲をもって精進し 
すべての有情を利益するために 
私は仏陀の御前に 
完全なる悟りのために菩提心を生起いたします

この虚空が存在する限り 
有情が存在する限り 
私も存在し続けて 
有情の苦しみを滅することができますように

また、仏教の学びを進めていかれることにつきましては、以下の拙回答も是非ご参照下さいませ。

問い「私は修行できるのでしょうか。宗派を決めるのが難しいです。」 

川口英俊 合掌

問い「悟りって本当にあるのですか?」

問い「悟りって本当にあるのですか?」

【ご質問内容】

悟りって本当にあるのですか?悟っているお坊さんはどのくらいいますか?

【拙回答】

悟りも空であり縁起なるもの

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「悟り」とは、最高の境地のことになりますが、その境地へと至るための因縁(原因や条件)によって、もちろん至れることになるかと存じます。

ですので、悟りは、あるにはあると思いますが、「実体」として、はじめから「これが悟りだ」というものとしてあるわけではなく、しかるべき因縁によっての結果として、あり得ることになる様相のこととなります。

では、その因縁とは何かとなれば、因は、「菩提心」(悟りを目指すための強い志)、縁は、「智慧」(空性の理解)と「福徳(功徳行・方便行)」を積むこととなります。

悟っているお坊さん・・

悟りを開いた者同士でなければ、分からないのではないかとは思います。

仏教における最高真理としての勝義諦の理解というものは、言語道断、戯論寂滅と申しまして、なかなか言葉などで表現するというのも難しいところがございますし。

私たち凡夫ではなかなか伺えないところとなります。ただ、悟った者同士であれば、お互い自由自在に察せられるのではないかとは思われます。

つまり、自分自身が悟りを開くまでは、誰が悟りを開いているのかは、正直分からないという感じになりますかね。

とにかく、まずは悟りへ向けて、しっかりと仏道を歩んで参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「死の淵にいる母の心を救いたい」

問い「死の淵にいる母の心を救いたい」

【ご質問内容】

以前にも相談し、温かいお言葉を頂戴しまして、本当にありがとうございました。

私の母は髄膜腫を患っているのですが、先日医師より余命2〜3ヶ月と告げられました。

父が3年前に60歳で癌で亡くなり、その後家も火事で失くなり…途方に暮れながらも母や姉弟と何とか3年間やってきました。 
歳を追うごとに母の病状が悪くなっていき、先が長くないということは理解していたつもりですが…いきなりの医師からの宣告に、目の前が真っ暗になって毎日泣き暮らしています。

母も日々意識が保てなくなっていることに恐怖を抱いているのか、たまに自我がはっきりしているときはひたすら呻き泣いています。 
既に動けず、話も出来ませんが、恐らく自身がそう長くないことも感じ取っているようです。

なるべく自我がはっきりしているときには傍にいてあげたいと思い、余命の宣告があってからは毎日病院まで通っているのですが… 
母が呻き泣いていても「頑張って元気になって家に帰ろうね。皆で頑張ろうね」としか言ってあげられず… 
どうしたら母が心穏やかに最期の時を迎えられるのか…私がしてあげられることはありますか?

祖父母も亡くし、父も亡くし、家も失くし、自身ももう10年以上病と闘ってきました。まだ母は64歳です。 
いつでも明るく前向きだった母が、痛み苦しみ絶望しながら最期を迎えるなんて余りに酷すぎます。

死の淵で絶望に覆われている母の心を、何とか救ってあげることは出来ないでしょうか。

【拙回答】

臨終へと向けて・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

色々とご苦労なされてこられたお母様のこと、誠におつらいことでございます・・

生老病死・・誠に無常の理を痛切に思うところでございます。

お母様・・できるだけ身体、心の苦しみも取り除いて頂いて、最期をお迎えできると良いのですが・・

臨終へと向けて大切となるのは、悲観や絶望、不安、恐怖など、悪い煩悩にあまり支配されずに、穏やかに安心して心が落ち着いた状態を保てるようにとして、看取る者たちも、優しく温かい言葉を掛けてあげること、感謝や報恩の気持ちを伝えること、後顧の憂いを無くしてあげれるようにすることなどを通じて、できるだけ安らかに逝かせてあげれることが必要であるかと存じます。

身体の苦しみにつきましては、医師ともよく終末期ケア、緩和ケアについてご相談なされて頂きまして、心の方につきましては、できれば、お家のご宗旨、帰依されておられるご宗旨における簡単なものでも構いませんので、仏典やその分かりやすい解説書などの読み聞かせ等による仏法の真理への気付きの促しや、三宝(仏法僧)への帰依、菩提心(悟りを目指したいという強い志)の生起、来世におけるご仏縁と智慧と福徳(功徳)の修習へと向けた志などへの滋養を頂けましたら、大変に有り難いことであると存じております。

お母様の来世へと続く心の連続体(心相続)へと向けて、仏様、仏法とのご縁の深まりによってのより善き赴きがございますようにと、心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「日本仏教とは何なのか?」

問い「日本仏教とは何なのか?」

【ご質問内容】

 初めてこちらで質問させていただきます。よろしくお願いします。

 私は現在、大学院で社会学を専攻しているのですが、同時に仏教に対しても強い関心を持っております。今後の人生は仏道を中心に据えて歩んでいきたいと思っております。

 現代の日本の政情を私なりに研究した結果、日本の将来には期待できるものがほとんどないという結論に至りました。日本の政治・経済・文化における凋落は民主主義・資本主義体制が崩壊するまで続くだろうと予測しております。

 この現状を踏まえて、私が歩むべき道は仏道以外に見出せないと思いました。しかし、日本仏教を信仰するにはいくつかの問題点があるとも感じております。

 まず、第一に宗派があまりにも多くどの宗派を信仰して良いか分かりません。様々な宗派の本を読んでは見ましたが、どの教えにも深く納得することができず、悩み続けている状況です。(最近では、禅とテーラワーダ仏教の教えに惹かれております。)

 第二に、日本仏教はもはやその求心力を失ってしまっているのではないかという問題です。鎌倉時代など、社会状況が大きく変化した時代には仏教は多大な求心力を持っていましたが、現代では賞味期限が切れた宗派もいくつか存在していると思うのです。(例えば、私の家の宗旨は浄土真宗ですが、個人的には信仰することに困難を覚えます。もちろん、歎異抄などの著作には深い感動を覚えます。)それが、さまざまな新興宗教を生み出す原因になっていると思うのです。

 これらの点を踏まえて、私は禅かテーラワーダの教えを学んでいきたいと考えているのですが、同時に躊躇もあります。その教えに賭けて救われなかった時のことが怖いのです。ここに非常な葛藤があります。

 結局、私がお尋ねしたいのは「私はどう生きるべきか?どの宗派を信仰すればよいか?」ということです。何かアドバイスがありましたら、どうかご回答下さい。よろしくお願いします。

【拙回答】

仏教を一通り概観しての感想※補足追記あり

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生も、一時、すけのじ様と同じような認識に至り、初期・根本仏教から、一から仏教を学び直して、今に至っています。現在の学びの中心は、チベット仏教となっております。

ある程度、仏教を一通り概観致しまして思いましたのは、仏教の根底に控えている釈尊の真意を理解することの必要性でございます。

それを理解せずにして、ある特定の宗派の教義や、ある一面の教義にとらわれてしまっては、それこそがセクト化による独善・排他性に繋がり、カルト化しての弊害があるのではないかと存じております。

とにかく、盲目的に信仰するのではなくて、批判的に、合理的に検証を繰り返しながら、納得できるものは納得して受け入れて、実践に役立てていければ良いのではないだろうかと存じます。

※お礼を読んでの補足・・下記問いの拙回答もご参照下さいませ。

問い「偽経と信心について」 
http://goo.gl/O0iXly

・・

以下は、以前の拙回答の引用となりますが、ご参考にして下さいませ。

仏説は八万四千の法門と言われますように、多くの教えがございます。どうしてそんなに多くの教えが説かれたのかと申しますと、釈尊は、相手の機根(悟りへと向かうための能力・資質)に応じて、巧みに悟りへと導くために説かれた(善巧方便)からでございます。

簡単には、一人一人それぞれに対して説かれた、または八万四千の煩悩の一つ一つの対処法を説かれたと考えることもできるでしょう。まあ、それらの教えのある程度の公約数が、各宗派的なものとしてまとまっていると考えることもできますが、ではいったいどの教えが自分に合うのかと申しますと、やはり、ある程度それぞれあたりを付けていく必要があるのではないかと存じます。

かといって、全ての仏典や論書等を読むには膨大な時間と労力がかかってしまいますから、とにかく仏教思想の全体を概観できるような入門書、参考書からまずは学ばれていかれると良いのではないだろうかと存じます。

中略

仏道を歩む上で大切となるのが「菩提心」でございます。まずは、しっかりと「菩提心」を起こして、そして、悟りへと向けての「智慧(空の理解)と福徳(方便・功徳の実践)」の二資糧を確かに積んでいくことが必要となって参ります。

川口英俊 合掌
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