hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

虚無

問い「早く死にたい」

問い「早く死にたい」

【ご質問内容】

中学生の頃から早く死にたくて仕方ありません。 
だからと言って自殺をしたり自傷をするわけではありません。 
家族や周りには迷惑をかけたくないし、家族に行き渡る保険金が少ないのは嫌だからです。 
毎日あわよくば事故に合わないかな?病気で死なないかな?と思って生きています。 
鬱なわけではありません。 
「はぁ…死にたい…」って言うより「今日死なないかな?(^o^)」くらい明るく生きてます。 
でも早く死にたくてたまらないのです。 
死にたくてたまらないのにはいろいろ理由があります。 
・私のようななんの才能もなく、生産性のない人間が社会保障なんて受けていいとは思えない。 
・親や家族が死ぬのが怖い。家族が大好きです。末っ子なのできっとこのまま長生きしてしまうと全員の死に向き合わなくてはならないだろうこと。 
・頑張って働いたところで年金なんかもらえないだろうこと。 
・きっと自分みたいな人間は一生独り身で寂しく生きるんだろうという不安。 
・なんの娯楽もなく、遊ぶ友達も家族もいないど田舎での毎日のつまらなさ。 
・長生きして介護等周りに迷惑をかけたくない。 
・仕事に興味がなく覚えられない。自分の分野と離れすぎてて理解ができない。(入社後の適性検査により職種が決まる組織です。文系も理系も考慮されません。) 
・自分の人生に価値があると思えない。 
・価値のない、才能のない自分が嫌いです。

毎日が楽しくないわけではありません。 
楽しめる趣味もあります。 
仕事は理解できないけれど人に恵まれて楽しいです。誇りもあります。 
でも上にあげたような理由で死にたくて仕方ありません。 
仕事を選んだのも有事の時は別に死んでも構わない、何かのために死ねたならそこで私というものに初めて価値が出来ると考えたからです。 
私は生きてる価値のある人間なわけでもないし、これから先を生きていきたいともどうしても思えないのです。 
病気で苦しんでいる方や行きたくても亡くなった方々には本当に申し訳なく、失礼な考えだと言うのは重々承知しております。 
周りの人からしたら異常な考えだろうということも重々理解しております。 
どうしたらもっと生きたいと、生に前向きになれるのでしょうか? 
どうやって自分に存在価値を見出せば良いのでしょうか? 
私は生きていていい人間なのでしょうか?

支離滅裂で読みづらい文章ですみません。


【拙回答】

因縁次第

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

少し物事を悲観的、虚無的にマイナスに考えてしまうところがおありのご様子・・

生きるも死ぬも、本来は、ニュートラルなもの(実体として、これだと決定して言えるような価値・意味・理由があるわけではない)なのですが、色々な価値・意味・理由などを付けては、そこにとらわれてこだわってしまうのが私たちの性でございます・・

とにかく、価値・意味・理由も無いわけではなくて、色々な因縁(原因と条件)次第であり得ているものにしか過ぎず、要は、因縁次第では、当然に変えることもできるものとなります。

まずは、あまり最初から諦めないこと、自己嫌悪に陥り過ぎないこと、自分を卑下し過ぎないことです。

結果を出すには、とにかく因縁に努力することが必要になります。最初から因縁に取り組むことを諦めていては、結果も全く望めないものになってしまいます。

自分で自分の可能性の芽を摘んでしまってはいけません。少しずつでも自分の幸せへ向けて、コツコツとできることからでも始めることが大切となります。

川口英俊 合掌

問い「寝る前に毎回死ぬことを考えてしまいます」

問い「寝る前に毎回死ぬことを考えてしまいます」

【ご質問内容】

ご閲覧ありがとうございます。 
数年前くらいから、寝る前に毎回死ぬことを考えてしまい、自分の存在が消えて無くなるのに怖くなります。日中考えることもあるのですが、夜ほど怖くなりません。

家族に相談したらそんなもんだよ、と言われて、その時はそんなものかと捉えるのですが、夜寝る前に死ぬことをまじまじと想像すると、怖くなります。

死ぬことを考えるのは生きる意味や人生を考える上で大切だという考え方には賛同しますが、死ぬのは怖いです。まあ、そのおかげで今は一生しかない人生を自分のやりたいように、生きていけているのですが…。

どうしたら死を受け入れられますか?ちなみに、私は職業や性格柄、今まで自分の世界に没頭し続けて来たせいか、宗教に無頓着です。最近は宗教に興味が出てき、宗教の教えを知ることで死ぬことを克服できるのかな…とも思いますが、どうでしょうか…。

ご回答よろしくお願いいたします。

【拙回答】

死後へ向けて、今なすべきことは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死」への恐怖・不安についてのお悩み・・

クリスピー様は、死んでしまうと、自分の存在が消えて無くなるとして、「虚無」・「絶無」であるとして悲観されておられるところがあるのではないかと存じます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)が、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後において、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、実は、肉体的な機能に左右されない微細なる意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると仏教では考えることになります。

そして、その微細なる意識としての心相続、心の連続体において、過去世、現世ももちろん含めて、全てのこれまでの数々の行いの業・カルマというものが、これから先へ向けても引き継がれていくことになります。

ですので、何もかもが消えて無くなるというわけではありません。

但し、その死後における心相続、心の連続体の赴きにおいては、己自身の行い(業・カルマ)によって、おおよそその行き先が決まっていくことになります。

ですので、できる限り、この今、現在、そしてこれからも、善き業・カルマをしっかりと調えることで、より善い行き先へと向かえるように調えて参りたいものでございます。

できれば、仏道を歩み、悟り・涅槃へと向かうための善き業・カルマをしっかりと調えることで、この迷い苦しみの輪廻を解脱して、悟り・涅槃へと至ることを目指すことが、仏教において大切となります。

できましたらこれを機会に、仏教に興味を持って頂きまして、是非、学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「哀の感情を取り戻したい」

問い「哀の感情を取り戻したい」

【ご質問内容】

3月末に6ヶ月の息子を亡くしました 
乳幼児突然死症候群と言われました

余りにも突然で家族も息子を知っている方々も、大きなショックを受けています

発見したのは私です 
救急車を呼んで、心肺蘇生もしました 
けれど、息を吹き返すことはありませんでした

お昼寝中に仰向けだったはずが 
発見時はうつ伏せでした 
病死と診断された今でも私の不注意で殺してしまったと思っています

息子の死から3日間は辛すぎて、お腹が空くことも眠くなることもありませんでした

けれど息子には双子の姉がいます

娘のために、いつまでも悲しんでいられない 
娘の時間は止まっていないのだから、前と変わらず笑顔で楽しい時間を過ごさなくてはいけない

そう思い、「悲しむのは火葬まで…」と心に言い聞かせていました

お葬式が終わった後 
何故か全く悲しくなくなりました

と言うよりも、まるで息子がいた事が夢だったような不思議な感覚になりました

火葬場に入っていく息子を見ても 
骨になった息子を拾う時も 
帰ってきて写真を見ても 
思い出を語っていても

何も感じなくなっていました

最初はそれで良かったのです 
決めた通りに変わらず娘に接する事ができるし、家事も変わらず出来ました

けれど暫くして 
夫が息子を思い悲しんでいる時 
一緒に涙を流すどころか冷めた目をして見ている自分に気が付きました

物凄く、ショックでした

私がお腹の中で育て、陣痛に耐えて産み、世界一幸せに…と願って育てて来た最愛の息子です 
それなのに失って数日でまるで最初から居なかったかのように生活出来ている自分が恐ろしくなりました

本当は愛していなかったんじゃないか 
感情が乏しいんじゃないか、と思えてなりません

幾ら記憶を辿っても 
息子の名前を読んでみても 
遺品を抱いたり、匂いを嗅いでも 
やはり悲しくなる事も恋しくなる事もありません

どうしたら 
もう一度息子の死を悲しめるでしょうか 
変な質問かもしれませんが、アドバイスを頂きたいです

乱文で失礼致しました

【拙回答】

本能的な自己防衛の可能性も…

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

幼く突然死されてしまわれました息子様のこと、誠におつらいことでございます・・

もしか致しますと、あまりの悲しさのショックから、絶望・虚無・悲観に陥りすぎないために、本能的な自己防衛が働いている可能性がございます。

あまりにもショックな出来事があった時に、その記憶が無くなるというのと似ているかもしれません・・

それだけやはりショックで悲しい出来事だったのではないかとお察し致します・・

決して愛していなかったわけではなく、心底愛しておられたからこそと思われて下さいませ。

どうか、息子様のご供養と共に、今はまだ無理に感情を取り戻そうとされずに、息子様のことを少しずつ受け入れていって頂けましたらと存じます。

息子様のご冥福を心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「死について考えすぎて何も手につきません」

問い「死について考えすぎて何も手につきません」

【ご質問内容】

初めまして。悩みすぎておかしくなりそうな私に母が教えてくれました。 
今、私はすごく死が怖いです。 
家族、親戚、友達がいなくなると考えるといてもたってもいられません。 
自分もいつか無になると、死んでいなくなってしまうと思うと言いようのない不安にかられます。 
今を生きなくてはいけないことも分かっていますが、考えだすと生きている意味までわからなくなり、仕事も何も手につかないのです。

【拙回答】

「死=絶無・虚無」ではありません

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、「死」についてお考え過ぎになられて、少し悲観的、虚無的なところに陥られてしまわれているのではないかとお察し申し上げます・・

実は、「死」というものが、何か実体としてあるわけではありません。また、「死」する何かも実体としてあるわけではありません。

ですので、恐れることも、悲観することもありません。・・と述べさせて頂いたところで、何のことか、全くわからないかとは思います。

仏教では、悟りの境地を表す際に、「不死」の境地とか、「不生」の境地、「不生不滅」の境地などという表現が出て参ります。

これらの境地は、まさに死への恐怖や不安、あるいは生への恐怖や不安を超えたところを目指すものとなります。

これから仏教の学びを少しずつでも進めていって頂けましたら、やがて理解して頂けることもあるかとは思いますので、少しだけご参考にされて下さい。

さて、死後のことについてですが、「死=絶無・虚無」ではありません。

私たちの存在は、身体や心、色々な機能や作用などの要素(五蘊/色・受・想・行・識)の因縁(原因や条件)の和合により成り立っているものですが、もしも、この肉体が滅び、身体的な機能・作用が停止したとしても、微細な意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって死後も存続していくものであると考えられています。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)、また、それまでの様々なご縁(善き人縁、仏縁、法縁など)というものになります。

ですので、できるだけ善き行いに努め励んで、善き因縁を調えておくということが何よりも賢明なことになります。

できれば、死後のことをあれこれと思い悩むのではなく、生きている今をどうより良くに行いを調えて、より良い幸せな人生としていくべきであるのか、また、そのためには何をしなければならないのかを考えて、実行していくことが大切となります。

より良い人生とすべくに、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「空(くう)」

問い「空(くう)」

【ご質問内容】

感情が無い、肉体、つまりただの「物質」になれという事とはまた違うのでしょうか?

【拙回答】

「空と縁起」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「空」は、【感情が無い、肉体、つまりただの「物質」になれという事とは】、もちろん違います。

「空」とは・・

深遠なる真実義、勝義、了義へと向かうための智慧の真髄。

無明の闇を払う智慧の光。

「空」とは、「無実体・無自性・無自相」という事態を示す概念となりますが、簡単には、モノ・コトが、それ自体の側において、永久永遠に変わらずに存在し続けているような独立自存なる何かによって成り立っているのかどうかと言えば、そういった独立自存なるものは、何らとして見当たらないということになります。

もう少し述べるならば、他に(例えば、原因や条件等に)依存せずに独立自存として成り立っているものが何らとして見当たらないということであり、他に依存して成り立っているということを「縁起」(えんぎ)と申します。

ここで注意しなければならないのは、「空」は、「何も無い」という「絶無・虚無」ではない、ということもしっかりと理解しておかなければいけません。

貴女も私も、現に今、このように存在しています。

感情も肉体も物質も、確かにそれらも、現に、今、そのように存在しています。ただ、存在はしていますが、そのありようは、あくまでも「縁起」によって成り立っている「空」なるもの、ということになります。

是非、この「空」の理解につきましては、できれば、これからしっかりと仏教を学んで頂きまして、特に、龍樹(ナーガールジュナ)大師がご教示なされておられますような『「縁起」の見解に基づいた「空」の理解について』の学びも深めていかれますことをお勧め申し上げたいと存じます。

※「縁起」の理解では、主に三つの階層が考えられ、第一に、「原因と条件と結果のそれぞれとの依存関係」、第二に「部分と全体との依存関係」、第三に、「意識作用・概念作用・思惟分別作用により、仮名・仮説・仮設されることによっての依存関係」がございます。

川口英俊 合掌

問い「どうして生きていかねばならないのですか?」

問い「どうして生きていかねばならないのですか?」

【ご質問内容】

なぜ生きていかねばならないのかわからなくなってしまいました。

仕事はものすごくつらいわけではないけど、楽しくもないしやりがいは特にないです。自分が何かの役に立ってる気はしません。

休日に楽しいことをしたいなと思いますが、うまくいきません。 
何をやってもひまつぶしというか、意味がないなという感じです。くだらないな、と思うこともあります。

家族を持ちたいと思うこともありますが、一人でできることではないので、今のところうまくいかず予定は立っておりません。

この先もどうせ楽しいことよりつらいことのほうがたくさんあるんだろうなと思うと、なんで生きなきゃいけないのかわからないです。

みなさんこんな気持ちを持ちながら生きているのでしょうか。また、それでも生きていかねばならないのでしょうか。それはなぜですか?

【拙回答】

「不生不滅」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

かよ様と同様に、拙生も、10年ほど前において、人生に対して虚無的、悲観的になった時期がございましたが、仏教を学び修するうちに、般若心経にも出て参ります「不生不滅」という言葉の意味を考えるようになり、その内容の理解が進むにつれて、そのような虚無的、悲観的な気持ちが、少しずつ無くなって参りました。

この世の真理に出逢っていく、というと大げさになりますが・・それまで、これもまた般若心経に出て参りますが「顛倒夢想」として、間違って逆さまにモノ・コトを捉えてしまっていたことに気付いていったのであります。

世間的なモノ・コトをいくら頑張って何とか世間的な物差しで理解しようとしても、根本のところにおいて、まず捉え方が間違っていては、とても、理解できるものにはなりません。答えの出ないループに陥ることも、もちろんしばしばとなります。

「生きる意味」・「生きる理由」というものも、根本のところにおける捉え方、考え方が間違っていては、答えの出ない無限ループ(仏教的には輪廻)に陥ることになってしまうものとなります。

どうでしょう。これを機縁に、是非、「不生不滅って何?」というところから、仏教を始めてみませんか?

川口英俊 合掌

問い「ぼーずなんかくそくらえ、世の中良いことなんか何もない」

問い「ぼーずなんかくそくらえ、世の中良いことなんか何もない」

【ご質問内容】

いいこと何もなし

【拙回答】

「お坊さんのことは嫌いでも、仏教は嫌いにならないでください」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「お坊さんのことは嫌いでも、仏教は嫌いにならないでください」

お釈迦様のお教えは、誠に尊く有り難いものでございます。どうか私たちのことを嫌いになられても、仏教のことは嫌いにならないでほしいと存じます。是非、共に少しずつでも仏教のことを学ばれて、修していって頂きたいと存じます。

お坊さんとはいえども、まだまだほとんどの皆様が大なり小なり凡夫であり、悟りを目指して修行中の身でございます。

お坊さんも普通の人間である以上、時には、欲望や煩悩に負けてしまって、過ちを犯してしまうことだってございます。そんな時には、もちろん、皆様からのご批正、ご叱正が必要でございます。

そのご批正、ご叱正は、私たちが襟を正し、足元を見つめ直す上においても、誠に大切なことになります。

ですので、是非、これからも厳しくご批正、ご叱正を賜れましたらと存じます。

「世の中良いことなんか何もない いいこと何もなし」・・

良いも悪いも、全ては因縁(原因と条件)次第、己の心のありよう次第となります。良い因縁があれば、良い結果となりますし、悪い因縁があれば、悪い結果になるというもので、それも、それぞれの捉える心のありようにても様々に捉え方次第にて変わるものとなります。人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如しなどとも申しますし。

とにかく、虚無主義や悲観主義に陥られるのにも、そのように思われる因縁があると考えます。

その因縁をしっかりと見極めて、因縁をより良いものへと変えてやる努力をすることで、良い結果へと変えていけるようになると考えます。

「何もない」ということではなく、何か良い結果へと向けては、良い動機と良い行動をしていくことが大切になるとお考えを賜れましたらと存じます。

この因縁果の理を中心として、お釈迦様は「苦・集・滅・道」の四つの聖なる真理から、仏教をお説きになられ始めました。

まずは、その聖なる四つの真理を学ぶことから、是非、仏教にご入門を賜れましたら有り難くに存じます。

また、学び進まれる中で、どうしても分からないことがございましたら、どうぞhasunohaで気軽にご質問下さいませ。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「運勢は何かで決まっているものなのですか?」

問い「運勢は何かで決まっているものなのですか?」

【ご質問内容】

はじめまして、つちのこと申します。 
私は普段、あまり運がいい方ではないです。 
けれど本当に人生で重要な局面や一歩間違えれば命に関わるような事故にあった時などは、結果的に良い方へ転がったり幸運にも無傷で済んだりします。 
この運の良さや悪さは何かで決まっているものなのですか? 
運のいい人や悪い人の違いとは一体何なのでしょうか?

あまり要領を得ない質問ですが、お答えやご意見をお聞かせ願えればと思います。 
宜しくお願いいたします。

【拙回答】

運命論・宿命論・決定論は「中道」に反する考え方

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では、運命論・宿命論・決定論は「中道」に反する考え方として退けることになります。

何事においても、運命・宿命・決定付けられていることだとしてしまうのであれば、これから、何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。

運命論・宿命論・決定論は、極端な楽天主義か、あるいは極端な虚無・悲観主義に陥ることになってしまいかねず、仏教においては退けるべき偏見、断見となります。

藤範雅史様も既におっしゃられるように、仏教で因縁果の理を重視するのも、善き結果のためには、善き原因・条件が必要であり、その善き原因・条件を然るべくに調えていくためでございます。

誠に難しいことですが、死して、この肉体が滅んだ後にも続くことになる微細なる意識、心の連続体(心相続)が、どこへと向かうのかも、他の誰でもない、己における業の因縁次第となります。

そのため、できる限り、色々なご縁によって何とか生かされている今、この時を大切に、そして、善き行いにしっかりと努め励んでおきたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「死ぬことが怖くて夜も寝れません」

問い「死ぬことが怖くて夜も寝れません」

【ご質問内容】

閲覧有難う御座います、カテゴリ違いでしたら申し訳ないです。

私は、死ぬことが怖いです。「死」は全く未知の世界なので恐怖心でいっぱいになります。自分という存在が無くなる事、死に方によっては痛みを伴うこと。考えれば考える程、頭が混乱して嫌になります。

夜、寝る時も布団に入ると不意に「死ぬこと」を考えてしまい、寝れません。死ぬ事が怖くて、死にたくなくて、泣いて夜中まで起きている事が頻繁にあります。

死に繋がることも苦手です。地震が起きると身体の震えが止まらず震度3くらいの地震が起きたときは、それから暫くは地震が頭から離れすま身体が揺れてる感覚に襲われます。両親にも「お前の地震に対するビビり方は尋常じゃない」と言われます。

テレビ番組で特集を組まれる、戦争特集。地震特集、殺人事件。なども見ていて不安な気持ちに駆られ、その日の夜は眠れません。

死は、いつか来るもので受け入れなければならない事ですが、私は受け入れる事が出来ない状態です。

精神科で、気持ちを明るくする薬を出してもらうことも可能(?)だと思います。ですが、そうすると薬に頼らないと生きれなくなってしまいそうです。この状態を変えたいです。どうすれば良いでしょうか。

【拙回答】

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

最近にも死についての恐怖や不安に関する問いに回答させて頂きましたので同内容となりますが、ご参考までにて。

「死」についての恐怖、不安に悩みお苦しみのご様子・・

拙生ももちろん、「死」に対しての恐怖、不安というものを持っておりました。

しかし、今ではさほど、恐怖、不安はございません。

恐怖・不安の原因は、「無知」にあります。

あるいは、仏教では、「無知無明」として、真理を知り得ていない状態のことであるとなります。

そこで、もちろん「考えないようにする」、「無視する」というのも一つでしょうが、いずれは誰もがやがて迎えるものですので、いつまでもそういうわけには参りません。

そのため、手前味噌にはなりますが、「死」についても真摯に対峙して理解を進めていく仏教を学び修していくことを、やはりお勧めさせて頂く次第でございます。

その一つのヒントとしましては、「死」における「肉体」と「意識」(微細な意識)のありようについてのことを、理解していくということになります

「死」について、「無」になってしまうのかもということが、その恐怖・不安の原因の一つのようですので、「死」は決して「無」、「絶無」ということではないということを、しっかりと得心なさることができれば、また「死」についての理解も少しなりにも進み、恐怖や不安も和らいでいくのではないだろうかと存じます。

是非、仏教に関心を持って学ばれて頂きたいと存じます。

川口英俊 合掌

問い「死んではいけない理由」

問い「死んではいけない理由」

【ご質問内容】

私は生きていたくありません。 
でも、自殺する勇気がありません。 
だから、病気とか事故とか殺人とかそういう事が起こらないかなと考えてしまいます。 
自分で死ねないから、誰かに、何かにこの命を終わらせて欲しいんです。 
私は頭がおかしいんだと思います。 
でも、生きてる意味がわかりません。 
だから、死んではいけない理由も分かりません。 
毎日、毎日、ただ死なないから生きてる私に納得できる答えを下さい。 
なぜ、死んではいないんですか? 
なぜ、生きてないといけないのですか?

【拙回答】

変えるための善き因縁を、是非、仏教から学ばれてほしいです。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きてる理由も、死んではいけない理由も、生きる意味も、死ぬ意味も、それぞれの理由も、意味も、実は、実体としてあるものではなく、それぞれ意味、理由など無いと言えば無いのですが、もちろん、有ると言えば、有るのです。(勝義無・言説有)

もしご興味がございましたらにて、仏教を学ばれて頂きまして、「勝義無・言説有」ということについて、是非考究なさられてみて下さいませ。

さて、難しいことは脇にどけて頂いて、とにかく、それらの意味や理由には、必ず因縁、つまり、原因や条件があって、ポリンキー様もそのように思われている次第であり、また人それぞれにおいても、その人それぞれにおける原因や条件によって、色々と思われるのであります。人によっても異なるのも、経験や体験、思考、思想や信条、環境、立場など様々な原因や条件によっても変わってしまうからであります。

ポリンキー様が、絶望や虚無に陥られるのも、やはり、そのように至る何らかの原因や条件があるからであり、問題は、そのようになってしまう原因や条件を変えてあげることが必要となります。

変えるための善き因縁を調えるヒントが、仏教にはたくさんございます。

かく言う拙生も、かつては、虚無主義・悲観主義に陥ったことがございますので、ポリンキー様のお気持ちもよく理解できます。そこから仏教の修習によって、拙生は何とか変わることができました。

是非、この機会より、仏教について少しずつでも関心を持って学んで頂けましたら有り難くに存じます。

仏教の学びで分からないことがありましたら、いつでもhasunohaも頼って下さいませ。

川口英俊 合掌
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