2006年01月05日
2005年12月31日
2005年12月25日
東京で万博ひらきます(9)《陸軍の病院になりました》
2005年12月23日
東京で万博ひらきます(8) 《開催の延期が決定しました》

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昭和15年開催予定の万博は、非常時のため一時延期になりました。
万博協会長のスピーチを一部抜粋。
『光輝ある紀元2600年、すなわち昭和15年の開催を目指して着々その準備をすすめて参りました日本万国博覧会は、現下の非常時局に対処する政府の大方針に基づき、一時之を延長致し、改めて適当なる時期に之を開催することに※決定いたしました。
邦家未曾有の重大時局に際会し、物心両方面共に総動員して長期戦の態勢をとるに至りました為に、敢えてその延期を決定し、聖戦の目的達成にすべてを捧ぐることとなったのであります。
しかしながら、今回の延期は、この計画を廃止するの意にあらず、内外の情勢に鑑みて、真に光輝ある時期を選び日本歴史に花と咲くべき名実ともに充実せる日本万国博覧会の実現を期するものであります。』 (以上、昭和12〜14頃万博事務局の出していた冊子より)
………………………………………
※御存知の通り「適当なる時期」は、その後めぐってこなかったのです。
※画像は、みりたりーな七五三。昭和12年の「ホームライフ」という高級雑誌の広告。
2005年12月22日
はじめての廃線
2005年12月21日
東京で万博ひらきます(6)《会場までのアクセス》

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昭和15年に開かれる万博。
みんな会場の月島4号地(晴海)と、5号地(豊洲)のことを、めちゃくちゃ遠い場所だと思いこんでいるようだけど、そんなことはない!(原文「一般の人が考へる程とんでもない海中に泛んでゐるものではない」……“とんでもない海中”って。) 銀座のすぐ先だから安心してね。
今日は、万博交通委員会が6月27日に決めた東京会場付近の交通を紹介します。はじめは、会場まで鉄道や地下鉄を延長する案※もあったものの、けっきょく市電と車の利用に落ち着いた。
【以上、昭和12〜14頃万博事務局の出していた冊子「萬博」を、週刊こどもニュース風に要約してアップしております】
■21世紀のお友達へ■お客さんを満載した市電が華やかに行き交うはずだった勝ち鬨橋のたもと。この計画の10年後には、悲しい形で小津映画の舞台となります。(風の中の牝鶏・1948)。敗戦後の貧しさに耐えかねた真面目な主婦が、体を…的なストーリー。 続きを読む