■↓↓下と同じ大正うまれの女性が書いた「きもの暮し女の暦」(淡交社)に昭和初期の主婦のふだん着に触れていました。
「冬は銘仙の袷、春や秋はセル、夏はゆかたです。」とあり、以下、その本から浴衣まわりの文章を抜粋してみました。
「ゆかたといっても
湯上がりに着るというものではなく、夏の日常着なのです」
「日中は、紺地などの濃い色の地色に、柄もあまり大きくないもの。夕方から湯上がりに着る浴衣は、白地の大柄でした。」
「素肌に着るため毎日とりかえたので、誰でもゆかたは数多く持っていました」
「気軽な外出着は、絹麻の染め物です。絹麻は絹地のような薄手の麻の白生地に模様を染めたもので、先染の小千谷ちぢみより格安でした。肌じゅばんの上にこんな夏のきものを重ねて、博多の単帯をしめたのです」
■また戦後「三越劇場」のロビーで、蛇の目もようの藍の浴衣を着た
田中澄江さんを見かけた、という思い出バナシも出ていました。ゆかたで、三越劇場…。
(「元禄小袖からミニスカートまで」〈戸板康二〉には“明治30年頃には、上等な浴衣が出来、これを夏の外出着として男女とも着て歩くようになった”とありました。)