2004年07月01日

紺白の時代

藍ゆかたクリックでけっこう大きく拡大します。1973年のアンアンを借りました。化粧は思いっきり濃いのに、紺と白のゆかたしか存在しない時代。

※このブログ、クリックすると拡大する機能があることを知りませんでした!  

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2004年05月21日

座談会に出る、かっこう

つるみこの本に、ゆかたで座談会に出ている話があります。1956年のことです。

「母が着古した縮ゆかたを着ています。いまなら捨ててしまうようなよれよれの寝巻きといったところですね。」

「(1956年頃は)こんなものを着て外に出ても、誰もおかしいとおもわなかったのです。こういう時期はかなり長く続きましたね」

この本は個人的に、微妙〜に苦手な文体なので(笑)10年前に買ってそれっきり★だったのですが、写真、サムネイルとゆうことでスミマセン、小さく借用させてもらいました。内容はたいそう立派でタメになる本です、はい。

帯締めを使っていて、この着方が近いように見えます。

■また別の本ですが、戦後「三越劇場」のロビーで、蛇の目もようの藍の浴衣を着た田中澄江さんを見かけた、という思いで話がありました。ゆかたで、三越劇場。
  
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2004年05月20日

銀座で飲む時のかっこう

山口瞳私の住んでいるところでは、「ウカジさん」と「山口瞳さん」について知識があると、コミュニケーションがスムーズなんですよ。というわけでエッセイを読んでいます。

ゆかたで銀座にのみにいき、「デタラメをする」という話が出ていました。

「浴衣がけで酒をのみにゆくのは、気持ちのいいことである」……つまり、銀座では友人・知人がセビロとネクタイで社用接待しているのに、自分は浴衣でいると愉快だ→愉快だから痛飲する→痛飲してはケンカばかり。という感じだったそうです。

……って、このエピソードは、熟年向け雑誌なんかに、繰り返し引用されているのかもしれませんけど!

■あと、「やってみなはれ みとくんなはれ」(山口瞳・開高健著)では、サントリー(「寿屋」?)の社長が、夏は「チヂミのシャツにステテコ1枚」で社長室にいたというエピソードが印象的でした。

見た目がちょっとアレですけれど、まぁ、高温多湿の国むきのエコな装い、かもしれません(笑


  
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2004年05月13日

戦前、主婦のふだん着

■↓↓下と同じ大正うまれの女性が書いた「きもの暮し女の暦」(淡交社)に昭和初期の主婦のふだん着に触れていました。

「冬は銘仙の袷、春や秋はセル、夏はゆかたです。」とあり、以下、その本から浴衣まわりの文章を抜粋してみました。

「ゆかたといっても湯上がりに着るというものではなく、夏の日常着なのです

「日中は、紺地などの濃い色の地色に、柄もあまり大きくないもの。夕方から湯上がりに着る浴衣は、白地の大柄でした。」

「素肌に着るため毎日とりかえたので、誰でもゆかたは数多く持っていました」

「気軽な外出着は、絹麻の染め物です。絹麻は絹地のような薄手の麻の白生地に模様を染めたもので、先染の小千谷ちぢみより格安でした。肌じゅばんの上にこんな夏のきものを重ねて、博多の単帯をしめたのです」

■また戦後「三越劇場」のロビーで、蛇の目もようの藍の浴衣を着た田中澄江さんを見かけた、という思い出バナシも出ていました。ゆかたで、三越劇場…。

(「元禄小袖からミニスカートまで」〈戸板康二〉には“明治30年頃には、上等な浴衣が出来、これを夏の外出着として男女とも着て歩くようになった”とありました。)  
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2004年04月28日

藍色のゆかた

浴衣写真は、クリックで拡大します。1972年のアンアンを借りる。こってりメイクに紺白浴衣。

やはり紺色は、スッキリしてて良いなあ〜。右は秋川リサさんです。浴衣2.800円(市田)帯1500円(東急本店)。

この特集は、浴衣の帯も茶封筒のような色だったり、白い博多帯だったりと、まあ、渋いこと、渋いこと。

  
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