2009年11月01日

236f6d3b.jpg鳩ケ谷市と川口市の境にあるオートレース場の裏を流れる旧芝川は数年前までは、雑排水の流入などで悪臭を放つ汚れた川として県・流域住民を悩ませていて、「なんとかしたい」と考えていた。

そんな時、偶然にもテレビ局から水質浄化・汚泥浄化に効果がある「えひめAI(あい)(食材による環境浄化微生物剤)」の使用協力の依頼が流域自治会にありました。自治会は賛同し、旧芝川再生プロジェクトを立ち上げ(H17年〜)そして、えひめAIを培養し、協力してくれる各家庭に配布して雑排水の浄化からはじめました。
県の取り組みは(H20年〜)ヘドロの除去、生態系や水辺の整備など、技術の投下でした。それが、アシや菖蒲の浮島でありウエットランド(沈澱・接触・植生の3つで浄化したあと本川に流す)の試みです。

これらの努力は、市がH21年に行った水質調査で、「徐々に改善の傾向が現われている」と報告されたことや、市内の南小・中居小の児童たちが生き物調査を行い、ウナギ・フナ・コイ・ハゼ等々、多くの魚が戻ってきたと報告されたことなどからも、確実に成果が出ていることが分かります。取材したこの日も数匹のカニが忙しく横歩きをしていました。

知事は、埼玉新聞の取材(H19.12.12)に「どぶ川は特別な仕掛けをしないと再生は無理」と応え=県は仕掛けて浄化。再生プロジェクトに関わった住民の一人は「えひめAIは即効性がないが一人ひとりがわが家の排水管をきれいにすることでやがては川がきれいになる」と話し=住民は排水管から浄化。そして、テレビの放映によって関心・注目。この三者が「時」を同じにしたことも功を奏した一因なのでしょう。

かつてのどぶ川がせせらぎの清流となり、足早に通っていた住人たちも今では散策に、日向ボッコにと、すっかり憩いの場にしています。(雫)

参考資料
埼玉新聞  市広報6月号  県発行「みどり・川再生」パンフレット
なお、えひめAIの作り方は「ハト豆ねっとサークル探訪」に掲載


hatomame03 at 08:43 

2009年10月01日

88326ff9.jpg 残念ながらとうとうその日が来てしまいました。
2008年8月号の「川口・鳩ケ谷散歩」に掲載された「消防と消えゆく望楼」の最新情報です。
今年7月から解体作業が始まり、8月の半ばには望楼全体がシートで覆われ真四角な白い塔にかわり、9月13日には完全にその姿を消して昭和42年以来の歴史に幕を閉じました。

 この望楼は高さ25メートル鉄筋コンクリート製で、昭和49年までは消防署員が常駐し日夜見張りをしていたそうです。その後消防救急アンテナ、防災無線基地として鳩ヶ谷市民の安全に多大な貢献をしてきました。
半鐘からサイレンの時代、昭和39年から始まった消防119番制度も定着して、火の見櫓望楼はその役目を終えたわけです。
ある意味ではレトロな姿が非常に目立っていましたので鳩ヶ谷市のシンボル的存在でもありました。名残り惜しいのですがこれが時の流れというものでしょうか。 

 上の写真は2009年8月26日の姿、下の写真は2009年9月13日の姿です。
いずれも122号国道の陸橋の上から撮影しました。ここ7月から9月まで毎日変わりゆく望楼になんともいわれぬ感慨をいだきました。消えゆく者への感傷なのでしょうが自分自身のことのようにも思えてなりません。本当に永い間ご苦労さんと声をかけたくなりました。
最近の風潮として一般論ですが、なんでも古いから危険とか安全上問題があるからと、歴史的建造物が消えていきます。鳩ヶ谷市の望楼も補強したり、お化粧直し等で保存しても価値のある建物だったのではないかと今にして思う一人です。
消滅しても知らない人は違和感がないとおもいますが私の瞳には火の見櫓が永遠なのです。
(やまちゃん)


hatomame03 at 08:01 

2009年09月01日

c965cb1e.jpg川口市指定無形民俗文化財
安行藤八の獅子舞  (川口市安行藤八)


 獅子舞は、”シシ”という霊力をもつ獣が村を訪れ悪病を追い払い、村人の幸せをまもり、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祝福するという信仰に根ざして広く伝承されている民俗芸能です。
  
安行藤八の獅子舞は、「夏祈祷」あるいは「フセギ」(たたりや災いを防ぐ)とも称され、夏の流行病予防のために氏子中(村中)を一軒一軒祓い歩くもので、言い伝えによると江戸時代初期に村に悪性の病気がはやり、6月25日にその祓いの祈祷をしたときに行われたのが始まりとされています。(現在では安行藤八獅子舞保存会によって6月25日近くの日曜日に行われています)

この獅子舞は、一つの幌の中に頭と尻、二人が入って演じるもので「二人立ち一頭舞」といわれ、祭囃子や神楽とともに伝承されてきました。   

当日の朝、行事開始を地域に知らせるため笛や太鼓による「朝囃子」が披露されます。
午前8時ごろ氏子衆が天神社に集まり、神主に祈祷してもらい町会会館において「舞い初め」を行った後、午前10時神社を出発します。舞いの行列は、幣束(へいそく)持ち、獅子、囃子連〔笛、太鼓、あたり鉦(かね)〕の後に、揃いの浴衣を着た男衆連も続きます。

氏子の家に到着すると弊束持ちが玄関から入りお祓いをします。囃子方、獅子舞は表の縁側から座敷に上がり、獅子頭を奥に安置します。(写真参照)

まずお囃子が始まり、準備が出来ると獅子が舞いを始めます。獅子は右手に鈴、左手に幣束を持って舞い最後に頭をかむと称し、居間に控えている家人達の頭上で、大口を開いて噛む真似をする。舞いが終わり次の家へと移動します。
町内(氏子宅)を一巡りして、最後に天神社に戻って「舞い込み」を行い終了します。

獅子舞保存会代表の方の話によると、天神社の氏子世帯数は36世帯有り、その年に不幸があった家は除かれる。笛や、太鼓、あたり鉦などの演奏には音符も無く口伝により覚え、獅子舞も氏子代々の人達に引き継がれてきているので後継者には心配ないとの事でした。

練習の様子も見学させていただきましたが、小中学生、高校生の子供達が熱心に大人の指導を受け練習に取り組んでいる姿がとてもさわやかな印象でした。  (寿草)

参考資料  『川口市史・民俗編』  『川口大百科事典』
他に獅子舞保存会パンフレット


hatomame03 at 06:11 

2009年08月01日

f8a69868.jpg8月の終戦記念日前後になると、いまわしい戦争の話や広島、長崎の被爆者たちの悲惨な姿がテレビに映し出されます。そんな中で鳩ヶ谷出身の従軍看護婦として、フィリッピン・ルソン島で昭和20年1月23日に戦死した小垣はなさんを紹介したいと思います。

小垣はなさんは浦寺596番地(現桜町3-4-3)で、父小垣市太郎母よしの長女として大正7年(1918)に生まれ。鳩ヶ谷尋常高等小学校高等科卒業後、昭和10年東京看護学校へと進み、警視庁看護婦を経て14年に日赤の看護婦に任命されました。

1年半の病院船勤務のあと18年1月再召集されて従軍、9月にはマニラに上陸したそうです。
そのころフィリッピンから追われていた米軍は19年に猛反撃を開始、マニラ周辺は戦場となりました。彼女たちは20年1月負傷者、病人を連れて病院をバギニに移動しました。移動後すぐの1月23日、国際法で決められた野戦病院の標識が掲げてあったにもかかわらず米軍機に襲われ、病院は焼け落ちました。小垣はなさんは全身やけどで、病人の名を呼びながらの壮絶な最後となりました。27歳でした。一緒に働いていた埼玉日赤の同僚8名もこの時全員が戦死しました。
その後、同僚と共に靖国神社に祀られましたが、全員が遺骨、遺品らしきものは、ふるさとの日本には帰ってこなかったそうです。

今でもイランやイラクでは戦争が続いています。その中で、はなさんのような健気な人生を送っている人がいたのかと思うとなんともやりきれない思いがいたします。「何とか戦争のない世界に・・」と願わずにはいられません。(のどか)

参考資料
『鳩ヶ谷歴史往来』平野清著
『郷土はとがや第46号』鳩ヶ谷郷土史会会報


hatomame03 at 00:52 

2009年07月01日

0251b06d.jpg 昔の人々は自分の住む村に、悪い病気(疫病や疱瘡のように人に移る病気)が入って来ないようにと、村々の境や川を挟んだ所でお祓いをしました。
 万垢離とは、地元神社の氏神、はやり病いの神様など、外から悪いものが入らないように住民を守る神々を祀って、お祓いをするお祭りのことです。現在のようにかんたんに医者にかかることも出来なかった頃は、身を守るための神頼みだったと思います。
(左の写真が現代の祈祷祭)

 鳩ヶ谷でも昔は各村の鎮守やお寺で行なわれていましたが、今は5月2日の八幡神社(八幡木1丁目)と、5月10日前後の日曜日の十二所神社(南5丁目)に行なわれています。

 八幡神社で行われる「万垢離(まんごうり)」は拝殿内でのお祈りの後、2本の笹竹に神々の名を書いた木札を吊るしたものと、梵天(ぼんてん・長い丸太棒の先に菰(こも・荒く織ったむしろ)を取り付け、赤・青・白の幣束(へいし)を沢山挿した物)を近くの毛長川の両岸に立て、しめ縄を張り祭壇を作ります。 
 そして小さく切ったわらを疫病から守るために流し「清めたまえ,祓いたまえ、六根清浄」と唱えたり、無病息災・地区内安全などの祈願を受けた幣束(へいし・写真円内のお札)は氏子に配られ各家庭の玄関先に飾られます。

 八幡神社総代の高橋氏は「最近は麦わらもこも俵も手に入らず,稲わらにかえたりして、梵天を作るのも大変なので止めようとの声も出ているが、大事な伝統行事であるので自分が元気な間は続ける」と力強く言っておられました。
 見学に行った私達にも大事な幣束を分けてくださいましたので、早速玄関先に飾りました。

 近隣では、浮間氷川神社(JR埼京線・浮間船渡)で毎年海の日に当たる7月の第3月曜日に、または前日に行なっていて、茅の輪くぐりと式典をした後に、梵天と共に数人が荒川の中に入ってお祓いをしているそうです。(葉月)

参考文献『鳩ヶ谷市史・民俗編』
『鳩ヶ谷の歴史』等より


hatomame03 at 17:03 
プロフィール
05年12月から「鳩ヶ谷散歩」から「新・鳩ヶ谷散歩」にリニューアル!

古くは宿場町として栄えた「鳩ケ谷宿」。
普段はなにげなく通っているこの町にも
隠れた歴史やロマンがあります。
その面影を探しながら、昔町ウオーキングしてみませんか。

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