2009年03月01日

富士講と、木曾呂の富士塚

c6e4f3ac.jpg いつの世でも富士山は日本人にとって、いや世界中の人たちにとっても日本の象徴的な存在であると思います。山岳信仰が盛んであった江戸時代、その中のひとつに「富士信仰」がありました。

信者たちが団体を組織して富士登山を行うようになりましたが、いわゆるこれが富士講と呼ばれるものです。川口(鳩ケ谷)地域の富士講は、丸参講・月三講・丸鳩講の三講が存在していました。
「富士講」に入ってわずかずつでもお金を積み立てておけば、いつかは富士登山がかなうものと広まっていきましたが、それには何年もかかるものでした。また当時の富士登山への旅は、現在と違って多くの困難が伴うことで誰でもがというわけにはいきません。

そこで考えられたのが、神社や寺の境内に老若男女がたやすく富士登山が出来るようにと、富士山を模造した山を築いたのが「富士塚」なのです。

われわれの近くでは、木曾呂の富士塚・東内野の富士塚・青木5丁目の氷川神社の「富士塚」が現存しています。神根にもありましたが崩壊して石碑一基だけが神根小学校の敷地脇に建てられています。
中でも木曾呂の富士塚は、1800年(寛政12年)に丸参講の信者・蓮見知重(はすみともしげ)の発願によって見沼代用水と通船堀の縁に築造され、高さ約5・4m直径20mの盛土で築かれています。麓には富士塚築造の由来の碑や、数多くの富士信仰を物語る石碑等が残されています。(上の写真)

昭和53年の調査で当時の形態が良好に残されている富士塚として、昭和55年に「重要有形民俗文化財」に指定されました。
このように古き時代の庶民の暮らしや風習・習慣などを垣間見られるものがいつまでも数多く残されるといいですね。                     (ちゃ子)

参考文献 『川口文化財調査報告書』
   『川口市史通史編』


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