2010年05月01日

”老い”は突然にやって来た! & 「ゲゲゲ」の思い出

☆”老い”は突然にやって来た!

 
 「えっ、もう70歳?そんな歳にゼンゼン見えない。若いよねえ」
なんて煽てられて、いい気になっていた。
「もうトシだから元気なうちに遊ばなくちゃ!」
「そうよ、そうよ。いつどうなるかわからないもんネ」
などと言いつつ、元気が取り柄の私は楽天的で、
「いつどうなるかわからない」は遊ぶための方便にすぎなかった。
「ねえ、元気な妻と、病気の妻の介護と、どっちがいい?」
なんて究極の選択で夫を騙くらかしながら、旅行に、芝居に、映画に、ゴルフに、美術館に、ランチに――今思うと、しのび寄る老化も知らず、ルンルンの日々だった。
 まさか、こんなことが待っていようとは!
心臓カテーテル検査&治療入院・・・とくに合併症もなく退院し、もう、これで無罪放免のつもりの私を”老い”は追いかけてきた。
不遜にも私は”老い”について甘く考えていた。
言いたくないけど、顔を合わせると、さながら病気自慢をしているみたいなお年寄りをみて内心、
「ヤだなあ。あんな年寄りにはなりたくない」
なんて、えらそうに上から目線でものをいってた。
なんたる思い上がりだろう。今さらながら恥ずかしい。
愚かにも、自分が老人になるなんて想像すらしていなかった。
常日頃、「トシは自分で決めるものよ。まだ、と思うか、もう、と思うかで人生は変わってくるものよ」などと豪語していた。
そりゃこの歳だもの、老いを感じなかったわけじゃない。
でも、人ってさあ、いつの間にかシワや白髪がふえ、風邪ひてもいつまでも治らなかったり、疲労回復に時間がかかるようになったり、ついこの間まで出来たことが出来なくなったりしながら、ある日、鏡に映る自分を見て、「ああ、老けたなあ・・・」って気がつくんじゃない?
そんなふうに、”老い”というのは、じわじわと忍び寄ってくるもんだと思っていた。
 でも、今日は昨日の続きではなかった。
私の場合”老い”は突然、「狭心症!」の姿でやって来た!
そして、それは私の能天気さを慌てさせるのに十分な出来事だった。
病気になってはじめて自分の”老い”を自覚した。(遅い?よね)
私って口ほどもなく弱い人間であると思い知った。
他人には「病気になっても、病人になったらダメよ」なんて言っておきながら、主治医の先生の「命にかかわる危険性があるところを優先的に治療しました」の言葉に過剰反応。
じゃあ、命にかかわらない悪いトコってどこ?・・・なんてモヤモヤ。
「あまり神経質にならず、普通に生活したほうがいいよ」と相棒。
そうは思うんだけど・・今までの能天気が嘘のように、体調の変化に一喜一憂。
体力に自信がなくなった。
これが”老い”ってことなのか?
かの野末陳平著『ちょいボケ迷走記』に「老人になると、なにが起きるか、これは老人になってみなければわかりませんよ。心身にまさかまさかの大変化が襲ってくる、体の故障が次々と起こる、とだけ言っておきましょう」とあった。
人間はトシとともに全ての機能が衰えていくと理屈ではわかっているんだけど、往生際が悪い私は、自分の老化を認めたくない。
「もう若くないんだから」――年甲斐のない私は何遍いわれたことか。
こうなったら、無駄な抵抗は止して”老い”とうまくつきあい、これからの人生を模索するっきゃないのかなあ。
 退院したばかりで体力に自信がなく、心ならずも、海外旅行ロシアもゴルフもキャンセルした。
去年の今ごろは、「やっぱり旅は女友だちにかぎるよね!」
なんてワイワイガヤガヤ、豊満?なヌードを見せ合いながら、箱根の宿で温泉三昧だったのになあ。
ゴールデンウイークを横目に、最近の私は老化していく体の衰えと、お出かけ虫うずうずのバランスがとれなくて・・・ちょぴりイライラ、迷走中!(えいこ)




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☆「ゲゲゲ」の思い出

♪ありがとう〜って伝えたくて〜♪
またまた朝ドラの「ゲゲゲの女房」にハマってます。
でも15分早くなったので、朝寝坊の私には朝ドラではなくて昼ドラか夜ドラ。
まあ、見逃しても土曜日に1週間分まとめて見ることができるので別にいいんですけどね。
原作を読んだことがあったので、興味も2倍、実話だから面白さも2倍です。
脇役がいいですよね。頑固な布美枝のお父さんの大杉蓮、対照的な茂のお父さんの風間杜夫、茂のお母さん・イカルの竹下景子は最高です。
東京での生活に出てくる人たちもなんだか面白そうで、目が離せません。
それに昭和の風景が妙に懐かしくて、大阪からお見合いで東京にお嫁に来た(なんか古いなあ)私には、共感できる部分もいっぱい。
まあ時代はもう少し後なので、新幹線もあって大阪から東京はそんなに遠くはありませんでしたけどね、
「きっと、母も東京には行かせたくなかったんだろうな」とか「わかる、わかる、その不安な気持ち」って感じなんです。
水木夫妻のインタビューをプレミアム8でも見ましたが、とてもいいご夫婦でした。
岡本太郎みたいな天才の夫と、それを支える妻。奥さんは夫とは全く違う性格で、夫婦って面白いなあと思いました。
なんでも受け入れて、「終わりよければすべてよし」…そう言える奥さんが素敵でした。
実はここだけの話、いきものがかりの主題歌「ありがとう」は最初の部分が、
「ありがとう〜」の後、なんて言ってるのか分からなくて気になってたんです。
♪ありがとう〜てつだえたくて〜?(なんか違うなあ)
調べてみたら、「ありがとうって伝えたくて〜」でした。
こんな風に思ってたの、私だけなのかなあ…。
「ゲゲゲの鬼太郎」には、私たちには楽しい思い出があります。
あれは平成9年のことですから、今から13年も前です。
友好都市になったばかりの群馬県大間々市で開催された「大間々まつり」の仮装大会に参加したんです。1泊2日のイベント参加旅。
「おしゃべりじゃ〜なる」の取材で友好都市に決まる前から、すっかり大間々の人たちとお友達になっていたので、優勝賞金30万円に釣られてその気になってしまったのです。
すぐ盛り上げ係になってします私たち。出し物は『ゲゲゲの鬼太郎の愉快な妖怪たち』。9人の「おしゃべりじゃ〜なると仲間たち」はみんな可愛い(?)妖怪に変身。
みんな役者揃いなんですが、女優になれない相棒と私は、かぶり物。相棒が「鬼太郎」で私は「傘化け(かさばけ)」。
圧巻だったのは「ぬりかべ」です。なんとMさんは古いアルミサッシを使って大きな「ぬりかべ」の妖怪を作ってしまったんですからスゴイ!
街中を練り歩きながら、チェックポイントでのショータイムは5ヶ所位あったでしょうか。
みんなで踊りながら、私は1.5メートルもある大きな傘を被っていたので恥ずかしさは半減。
でも「おっ、きれいな足をしてるなあ」とオジサンに下から覗かれた時はびっくり!
思わずマリリンモンローみたいに膝を抑えていました。ちょっと色っぽい一つ目小僧の傘化けでした。
真夏の大間々まつりは、鳩ケ谷からやってきた怪しい妖怪集団に注目が集まり、なんと初参加で優勝してしまったのです。
30万円ゲット!もちろん、大間々に寄付をしたり、その時の写真で作ったテレホンカードをみんなに配ったり…、まあホールインワンしたようなもんでしたね。
そんなわけでしばらくは私たちの中でゲゲゲブームが続き、境港に旅行したときには、相棒には鬼太郎、私はねずみ男ののキーホルダーを買ってきたこともありました。
ゲゲゲは楽しい思い出がいっぱい。若かったなあ…私たち。(まゆみ)


hatomame05 at 01:13│