2009年10月01日

77bfe078.jpg 隅田川下流左岸に開ける深川は、江戸の下町が発展してできた町で、気風の良さを売りにした辰巳芸者で有名な花街でもある。
地下鉄東西線門前仲町駅下車、富岡、冬木、深川、清澄、常盤、と歩いて都営新宿線森下駅まで約6キロの道のり、新しい街並みの中にも商店街は下町らしい風情がある。(写真は富岡八幡宮)

 もともと門前仲町とは、永代寺の門前町から付いたといわれ、吉祥院が永代寺を受け継ぎ、今では深川不動の参道脇に建っている。深川不動は、成田不動の出開帳の場で後に不動堂を建立したといわれ参詣者も多い。

 富岡八幡宮は朱塗りの重層八幡造りで、社殿は戦後の昭和31年に再建されここには深川力くらべの力石が置かれ、歴代の横綱名を刻んだ番付の碑が建っている。また貞享元年(1684)から100年の間、この境内で勧進相撲が興行されたという。

 深川には七福神も祀られていて、富岡八幡宮には恵比寿様があり、むかし材木商が軒を並べ大店の冬木家屋敷跡に弁天堂が建っている。福砂通りを戻り清澄通りと交差する右側に、玄信寺、陽岳寺、深川閻魔堂(法乗院心行寺)には七福神の一つ(福禄寿)が祀られている。「東海道四谷怪談」に出てくる直助権兵衛屋敷跡も、採茶庵跡も、深川江戸史料館(入館料300円)」、「清澄庭園」、「芭蕉記念館(月曜休館、有料)」などがあり、江戸ばなしを探りながらの散歩のかたわら、途中で名物の「深川飯」(アサリ飯・剥き身の浅利を甘辛い醤油または味噌で煮込んだ丼飯)、で休憩。

★参考に・・・・・
交通
(往路)鳩ケ谷駅(埼玉高速鉄道)飯田橋駅(メトロ東西線)に乗り換え 
門前仲町 所要時間50分 料金530円(所要時間45分 料金630円
昼食代
 深川めし 800円
歩行の距離6キロ 散歩時間4時間


hatomame07 at 08:05 

2009年09月01日

0d14b5c9.jpg日光街道千住宿場通り


奥州・日光街道は千住から宇都宮までは同一街道を兼ね、その先が奥州街道ということになる。
日暮里から常磐線に乗り継いで南千住で下車。当時の史跡は、これより新、旧日光街道沿いに残されている。
常磐線南千住駅に入る手前、右下に丈六地蔵尊(じょうろくじぞうそん=立像の高さが1丈6尺の仏像のこと、)が目に入る。駅を降りてガードをくぐると、さっき見た延命地蔵(通称首切り地蔵)のある小塚原(こづかっぱら)刑場跡に出る。ここは南の鈴ヶ森刑場に並ぶ、北の仕置き場、小塚原(こつかっぱら)刑場である。常磐線の北側に処刑された罪人を弔う小塚原回向院がある。

回向院の前の道路は、旧日光街道の道筋で南に行くと、明治通りとの交差点が泪橋跡である。その昔、思い川に架けられた橋で、小塚原刑場に曳かれていく囚人にとってはシャバとの別れを惜しむ場所であった。

旧街道を折り返し、500メートルほど行くと、国道4号線日光街道に合流する。その交差点角に素盞雄(すさのお)神社がある。境内には松尾芭蕉の「奥の細道」旅立ちの句碑「行く春や 鳥啼き 魚の目は泪」が立っている。日光街道を上野方面へ戻ると円通寺前に出る。

再び北千住方面へ、隅田川に架かる橋が千住大橋である。その袂に「千住というところにて舟をあがれば、前途三千里の思い胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ・・・」松尾芭蕉の奥州の旅立ちの碑がある。千住大橋を渡って、国道4号線から分岐して右へ、旧日光街道に入る手前に足立市場がある。むかしこの辺一帯の街道筋には問屋が軒を並べていたのだが、今はその面影はない。ただそこには、道の両側に並ぶ家々の軒先に当時の屋号と取扱商品名を書いた古い看板が掲げられている。

千住河原町を過ぎて仲町へ進むと千住一丁目、ここから荒川べりの五丁目までが江戸時代の千住宿である。町割は当時とあまり変わっていないという。区役所の裏通りが旧道で、千住宿問屋場、貫目改め所跡の石柱などがある。その奥に慈眼寺、右に不動院がある。区役所あたりからは商店街も賑やかで人通りも多い。旧日光街道は幅5間(約9m)と道幅も狭く、商店が並び、買い物をするには丁度いい道幅だ。この千住宿もまた、今では最適なショッピングロードとして残されている。さらに先へ進み、北千住駅前通りに出たら右に曲がり、路地に入り込むと一杯飲み屋が軒を連ねていて、その奥に病没した飯盛り遊女たちを供養する寺として金蔵寺がある。
千住四丁目あたりからは賑わいもやや薄れ、しもた屋風の街並みにかわる。しばらくすると「千住宿高札場由来」の看板のある小さな公園が目に入る。その先には旧家の面影を残す横山家がある。右に折れると子育て地蔵の長円寺である。それに並んで氷川神社がある。

★ 参考に・・・・・
交通
(往路)初乗り・鳩ケ谷(埼玉高速鉄道)  乗換え・王子(京浜東北線)  乗換え・日暮里(常磐線)  到着・南千住 所要時間40分 料金620円
(復路)初乗り・北千住(メトロ千代田線)  乗換え・西日暮里(山手線)  乗換え
・田端(京浜東北線)  乗換え・王子(埼玉高速鉄道)  到着・鳩ケ谷
所要時間 45分 料金770円
散歩の距離 5キロ 歩行時間4時間
昼食代 1000円


hatomame07 at 06:04 

2009年08月01日

cba14b21.jpg京浜東北線品川駅で、京浜急行に乗り換え一つ目、北品川で下車。いまだに安藤広重が描いた頃の面影を残す街、東海道品川宿から鈴ケ森までの旧街道を散歩する。
 (写真は現在の品川宿)
 品川宿は、江戸五街道のうち最も栄えた東海道の第一番目の宿場である。歴史本の記録によると当時商店民家を合わせ1600軒、旅籠だけでも100軒を数え、人口7000人の人たちが暮らす活気のある大きな町であったという。それだけに遊興や賭博も盛んで、飯盛り女(遊女)も1500人もいたといわれている盛り場であった。ここの賭場は江戸前で海も近く「鉄火丼」が生まれたという言い伝えが残っているのもなんとなくわからなくもない。

北品川から旧東海道へ出て、八ツ山から善福寺あたりまでが品川徒歩新宿(かちしんじゅく=徒歩で歩ける範囲の宿場の起点)で、法善寺から目黒川まで(現北品川1〜2丁目)が北本宿、目黒川を渡り、さらに下って海雲寺あたり(現南品川1〜2丁目)が南本宿と呼ばれていた。この道沿いは、今でも間断なく商店街が続いている。

北品川から旧東海道に出た交差点角の「菊ずし」の店前に「問答河岸跡」がある。(三代将軍家光が東海寺参詣のおりに沢庵和尚に「海近くして東(遠)海寺とはこれいかに」と問うたところ、沢庵和尚すかさず「大軍を率いても、将(小)軍というがごとし」と答えたえたという伝説の碑が建っている)
その碑を見ながら南へ少し行くと、江戸の旅籠・土蔵相模屋跡があり、今はコンビニェンストアに様変わりしてしまったが、昭和57(1982)年までは、土蔵相模の後を継いだ「ホテル相模」があったという。

北品川2丁目に入って右側に法善寺。旧目黒川跡につくられた道路との交差点手前奥には聖蹟(せいぜき)公園で、品川宿の本陣跡など明治天皇が江戸城行幸の際、立ち寄った行在所跡もある。目黒川の手前、こんもりとした杜が荏原神社である。緑が川面に影を落とし、散歩コースの中では緑が一番色濃く映えて美しく楽しめるところである。


hatomame07 at 08:11 
邦太郎より
鳩ケ谷に住んでおよそ半世紀、その多くの時間を勤務地の東京で過ごしてきた。7年前に仕事を辞めて、今はもう東京に行くことも少なくなったが、何かの用事で荒川を越えると、そこに思いがけない東京の新たな街を発見することがある。

東京の街には、昔懐かしい江戸の町並みや、以前には見かけなかった摩天楼や、多くの先人たちが生きた歴史を再発見することができる。そこには喧騒な新しい街と情緒あふれる静かな下町などが混然一体に溶け合った、世界に誇れる東京があり、おこがましくも、私の拙文をもって、皆さんにご紹介しようと思いたった。

09年8月号から始まりますので、宜しくお付き合いください。邦太郎拝



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