病気治しのご利益があった蔵前橋

img059 明治維新のとき徳川幕府の官学昌平塾の学頭、今で言えば東京大学総長と文部大臣を兼ねているような重職にあった安井息軒という学者が幕末の戦乱を避けて領家村(川口市領家)にかくれ住んでいました。
 その年慶応四年(1868)70歳であった息軒先生は元気でした。供一人を連れて毎日散歩に出て、その日の見聞を『北潜日抄』という日記に書き残していました。
原文は難しい漢文ですが、元川口市立高等学校校長の長田泰彦先生が読み下した文に、現在の川口市郷土史会会長の沼口信一さんが口語訳して、立派な本になっています。
その『北潜日抄』に息軒先生が鳩ケ谷へ来られた日の見聞と感想があります。
 四月十九日(慶応四年)晴れ時に正午、大変暑かったので小淵村のせんべい屋で休む。女どもが十余人、着飾って行く、問えば石橋を巡拝しているという。
また「石橋とは何の神か」と問えば「ペストの流行を恐れて路々の石橋や阿弥陀如来を祈るのです」との返事に思わず笑い出した。
 店を出たところに石橋があり、紅い紙が散らばり乱れて両側に貼られている。そばへ寄ってみると、幅は一寸から四・五寸で一様でなく、男女の名前と年齢を書いてある。ほぼ十七、八歳より下で、路傍の阿弥陀像には膚も見えぬほどたくさん貼られている。
 無知の人の惑わされ易さはこのようなもの、民をを治めるものはこの点を用心し道を教えなければならない。(沼口信一著『口語訳北潜日抄』より)。
「小淵村のせんべい屋」というのは、今の三ツ和バス停のところの田中屋さんで、橋は南町の蔵前橋と推定されます。

彰義隊のおきみやげ

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 勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉がありますが、260年余日本を支配して来た徳川幕府が倒れたときに、薩摩、長門の二藩を主力にした
「官軍」に、幕府軍が連敗をしたとなると、日本中の大名たちは、東北の数藩以外のほとんどが官軍側についてしまいました。
 そのような時代の動きの中で、江戸を戦火で焼いてはいけない、庶民を戦争に巻き込んではいけないとの共通の立ち場から、幕府側の山岡鉄舟や
勝海舟、官軍側の西郷隆盛たちの尽力で、江戸は無血開城ということになりました。
 この時に、徳川幕府の「旗本八万騎」と言われた中の、忠義一徹の少数の武士たちが、死に場所を求めるかのように歴代将軍の墓所である上野の
山にたてこもりました。
その人たちは「彰義隊」と名乗って意気盛んでした。
旧幕府は大名からの勧告も聞きません。官軍からの降伏勧告も無視しました。
けれども意気だけでは戦争はできません。
大村益次郎の率いる官軍の総攻撃に、数時間にして敗れてしまいました。
 死を覚悟の彰義隊員たちは、降伏をしたのは数人で、一度は落ちのびて再起を期そうと江戸を離れました。
江戸から5里、鳩ケ谷付近まで落ちて来た武士たちは空腹に耐え切れません。
また東北まで落ちて行く旅費も持っていませんでした。持っているのは、「武士の魂」の刀だけです。
けれども生き延びることが至上命令です。
 そんなわけで、それから120余年過ぎた今も、鳩ケ谷付近の農家で、彰義隊が置いて行ったという名刀を、大切な家の宝にしている家が何軒か
あるということです。

足袋新さんの腕

img052 鳩ケ谷の商人「足袋新」さん、吉田新之助さんの話は前にも書きました。(「商人魂)」。
今度も足袋新さんの話です。新之助さんが育った明治末から大正初めの頃には、鳩ケ谷にはたくさんの機屋があり、何軒も織物中継商の店がありま
した。
けれども鳩ケ谷の綿織物は織ったままの生地で出荷するので、大工場で新しい技術と機械を導入して大量生産するようになると、値段の点で競争で
きず経営が苦しくなっていました。
 その状況を見て育った吉田新之助さんは、高等小学校を終えると、考えるところがあって東京の足袋屋に奉公に行きました。鳩ケ谷の織物を生地
のまま出荷するのではなくて、縫製加工して、一つの完成商品にして出荷することで、鳩ケ谷の機業との連携を考えたのです。
 東京の足袋屋で修行をして帰った新之助さんは鳩ケ谷に足袋店を開業して名物男になりました。
足袋をつくってくれといって来たお客さんの足を見るだけで、寸法も取らず型も取らず、見ている前で布を切って、お客さんがお茶を飲んでる間に
縫い上げました。
その足袋を履くとぴったり合って、はき心地がよいと評判になり、鳩ケ谷の大店のご主人、そうして芸者さんが競って注文しました。その評判は東
京まで聞こえて、注文がさばききれず、また足袋新さんの弟子になりたいという若い
者が沢山きました。
 お店が繁盛して経営にゆとりが出来ました新之助さんは機屋さんに生地を織らせ、裁縫上手の人に下職に出して風呂敷を売り出しました。
そのとき関東大震災で東京から榊原さんが避難して来たのです。
風呂敷では榊原さんだけでなく吉田新之助商店も資産を築きました。けれど大旦那になっても好きな人には足袋を縫って上げたそうです。
はとがやのむかしばなし
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