私は昭和生まれのもうすぐ80歳の堂々の「おばあさん」である。
ひとに言われるまでもなく、それは重々分かっては・・・いる。
たしかに、立ちあがるときはドッコイショ、階段は手すりがないと不安だ。
だが、愚かにもまだ自分はそんな「おばあさん」の自覚がない。
持病はあっても、元気だしボケてもいない。
シミやシワは少々?あるけど、腰だって曲がっていない(つもり)
そんな私が「おばあさん」のはずないでしょう。
しかし、最近その自信がゆらぎはじめてきた。トホホ
私は毎朝、僅か5,6分の道のりだが途中に坂もあり自分の運動のためにもと
集団登校の集合場所まで孫を送って行く。
帰り、そのちょっとした坂をヤッコラセとのぼっていたら・・・。
「大丈夫ですか?」
同じ通学班の若いママが、私の背後から心配そうに手をさしのべているではないか。
「あ、ありがとう、大丈夫。ゆっくり行くから、お先にどうぞ」
ニッコリ笑って答えたけど、内心はショックだった!
やっぱり私は、ノロノロ、ヨロヨロのおばあさんに見えてる?
見えてるんだよね。
見えてるから、「大丈夫ですか?」なんだよね。
悔しいけどいかにお気楽な私でも認めるしかない。
そう言えば、なんか最近みんな私に親切になった気がするんだけど・・・?
昨日だって、スーパーでいつも無愛想なレジ係の対応が、
「ああ、慌てなくていいですよ」なんてすごくやさしい。
病院で採血の順番待ちでも、「どうぞ」なんて席をゆずられることが多くなった。
いつだったか友人のSが電車で席をゆずらて、
「私、もう若くないんだって自覚させられたわ」って嘆いていたことを思い出した。
その時「あんた、おばあさんに見られたのよ」なんて笑ったっけ。
ホイホイ喜んで座らせてもらってるけど――笑ってる場合ではなかった。
私も「年寄りのおばあさん」に見られてるんだ。
いつだったか相棒のMが「姿勢が悪いと、年寄りに見えるよ」って言ってたけど、
「ねえ、私、腰曲がってる?」
姿勢、姿勢!背中をぎゅっとそらせたけど、もう遅いかも。
そうかも知れないけど、やらないよりマシでしょ(笑い)
ホント言うと年をとるのは仕方がないが、おばあさんという言葉がイヤなの。
だってヨボヨボの老人のイメージなんだもの(私だけ?)
往生際の悪い私は、夫に「Gさんにそこの坂で、大丈夫?って聞かれちゃった。私、おばあさんに思われてるんだなあってちょっとショック!」っ
て言ったら、
「当たり前だろう。80歳は誰が見てもおばあさんだよ」
呆れたような顔をして言った。
言われてみれば尤もな話だ。
おばあさんがおばあさんに見えないわけはない。
なのにバタバタして・・・。
考えてみればもうりっぱな婆さんなのに、まだ「若くて?」お恥ずかしい。
ああ、勘違いしないで。中身が「未熟」ってことだから。
80年も生きたのに、中身がその年齢に追いついてないのだ。
まだまだ人の気持ちや人生のこと、なにより自分のことが分かっていない。
だからいまさら、年を重ねた分だけの価値ある生き方を!なんて言われても、困る。
こうなったら老人力を最大に発揮して「おばあさん」を楽しもうと思う。
私は今、もう人生の峠を越え、下り道をテクテク歩いているところだ。
振り返って見れば頑張って登ってたあの頃、いろいろな風景がいっぱいあって楽しかった。
下りの風景も楽しまなくっちゃ!
新型コロナウイルスに自由を奪われた2020年が暮れていく。
2021年は月並みだけど幸せいっぱいの年になりますように!
(えいこ)