鳩ケ谷散歩

「鳩ケ谷散歩」は、平成9年から平成12年まで、ミニコミ誌『おしゃべりじゃ~なる』に連載されたものです。 鳩ケ谷の歴史にまつわるエピソードや興味深い話がいっぱい! 鳩ケ谷のこんなところにも、こんな歴史があったんですね。

かつては鳩ケ谷の名産だった柿 『禅寺丸』のある懐かしい秋の風景

1403 かつて辻地区では禅寺丸(ゼンジマル)という甘柿の栽培がさかんに行われていた。

まん丸でころんとした小さな柿で、熟すと実が黒くなりゴマのある懐かしい味だ。

鎌倉初期に柿生の王禅寺で発見された日本で最初の甘柿だという。明治から大正にかけて、柿の栽培をしていた農家は多い時期で40軒近くもあり、柿の木も多い家で100本、少ない家でも30~40本あったという。柿は1年おきに収穫する習わしで大正のころには米よりも生産出荷が多かったという。

千住や駒込の市場に出荷されていたが、富有柿や次郎柿に押され昭和40年代後半には宅地造成など切り倒され残り少なくなってしまった。

 今、その面影を残すのは辻のバス停前にある肥留間家の柿畑だ。辻村の名主をつとめた肥留間家の屋敷は180年前のもの。100本ほどあった柿の木は今は60本になったが、樹齢200年の木もある見事なものだ。柿の葉が落ちる頃には、美しい柿色の実が姿を現して、梅林ならぬ柿林となる。

渋柿が交じっているのが難点だが、見分け方は「柿の顔を見て」というから、食べてみてのお楽しみだ。

ここに来れば鳩ケ谷の懐かしい秋の風景に出会える。


【写真】たわわに実る禅寺丸(肥留間さんの柿畑)

本町3丁目の『コンニャクギトウ』  江戸時代から受け継がれてきた伝統行事

1402 本町3丁目に江戸時代から伝わる「コンニャクギトウ」という珍しい伝統行事がある。

毎年4月の第1日曜日に行われるこの儀式は、獅子頭にコンニャクの味噌おでんを供えて祈祷した後、3体の獅子頭を車に乗せて、太鼓をたたきな

がら町内をまわり、お札とコンニャクの味噌おでんを配る。

 昔は鳩ケ谷の本陣だった船戸家の不動堂(本町3丁目)で行われていたという。

獅子頭は本陣にあったものだが、昭和29年に御嶽神社の境内に獅子社を建立してオジシ、メジシ、コジシの3体の獅子頭を安置し町内の所有と

なった。

コンニャクギトウの由来ははっきりしないが、コンニャクを食べると病気にならないと言われ、疫病除けとして始まったらしい。

O157が流行ったときにはコンニャクの代わりにお菓子を配ったこともあるが、町会の人たちは市内の文化財でもある獅子頭と昔から伝わるこの

伝統行事をいまも大切に守り続けている。


【写真・上】御嶽神社に安置されている獅子頭

【写真・下】獅子頭を車に乗せて町内をまわる

鳩ケ谷~赤羽間の延長認可もされたけど わずか14年で消えた『幻の武州鉄道』

1401 大正末期から昭和初期にかけ、蓮田から岩槻、大門を経て、川口の神根(国道122号「吉野家」付近)まで走った『武州鉄道』というローカル

線があった。

神根からは鳩ケ谷を通り、荒川を渡って赤羽まで延長させる計画だったが、資金不足などで経営不振に陥り、昭和13年にあえなく廃業、幻の鉄道

となった。

 わずか14年で消えた鉄道だったがその痕跡はほとんどなく、埼玉スタジアム近くを流れる伝右川にコンクリートの橋台跡がわずかに残されてい

る。

武州鉄道のロマンを追って、蓮田から神根まで歩いたという安行慈林の星野信義さんは、埼玉高速鉄道が開通して、60年ぶりに形を変えて昔のロ

マンが蘇った思いがしたという。岩槻、蓮田へと地下鉄が延伸すれば武州鉄道のルートとオーバーラップする。

 安行の植木をのせて畑の中をのどかに走る単線の武州鉄道、鳩ケ谷を通ることは夢に終わったけれど、歴史に残る壮大なロマンがそこにはあっ

た。



【写真・上】コンクリートの橋台跡(埼玉スタジアム近くの伝右川で)撮影・星野信義さん

【写真・下】武州鉄道の客車(「鉄道フアン」98年12月号より)

鳩ケ谷散歩
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ