ハト豆エッセイ

 ここのところ、ご近所の公園で落ち葉や木の実などを拾っていました。ビニール袋を手にサクラ、イチョウやアメリカハナミズキなどの落ち葉、マテバシイのドングリなどを拾い、公園巡り、公園のはしごをすることに。所属する団体が公民館主催で子供の自然体験講座に講師協力しており、講座の年間シリーズのメニューの一つとしてものづくり編が行われます。落ち葉や木の実などを拾っていたのはその材料集めでした。

落ち葉やドングリ集めをしている姿は周囲の公園利用者にはヘンなおばさんそのものだったかもしれません。公園にはお散歩、イヌを連れてのお散歩、ウオーキング、ジョギング、ベンチで休憩・語らう人たちもいれば、ゲートボールを楽しむ高齢者の皆さん、保育園の園児や保育士の先生、若いお母さんや幼児、若者グループ、クルド系外国人の皆さんなどもいます。実に、さまざまなニーズ、多様な層の立場の人たちが公園を利用し、楽しんでいます。

怪しげ系おばさんと思われると困るので、「子供たちの工作の材料集めなんです」といちいち言い訳し、お断りを言いながらの落ち葉拾いです。赤、黄色、オレンジ色、赤から黄色のグラデーションの色合い、全体が黄色なのに緑色の輪っか状紋様が入っているもの、多彩な落ち葉のはっぱたちです。落ち葉拾いはけっこうはまってしまいそうでもくもくと拾っていると、いろいろな人たちが話しかけてきます。

「何をしているんですか」「そうですか、子供たちの工作の材料に」「昔、子供の頃、落ち葉や木の実で工作しましたねえ」とお話が広がってきます。ゲートボールを楽しんでいた男性は「ドングリに楊枝をさして、ドングリごまが作れますね。子供の頃、作って遊びましたよ」とおっしゃったり、「園児が葉っぱを使って絵を描いたりしますよ」と園児を遊ばせていた保育士の先生が口にされていました。中には、いっしょに落ち葉を集めるのを手伝ってくださる方々もいました。

子供たちの工作の材料にと落ち葉や木の実を拾っていたら、多くの出会いがありました。子供たちをめぐって見ず知らずの人同士で会話が交わされたり、子供たちの工作の材料集めに協力してくださったり。川口には子供たちを取り巻くあったかい環境がまだまだあるのだなと思われました。秋から冬に季節は変わっていくのでしょうが、心はぽかぽかしてきそうでした。
(みえこ)

 ご近所の「空き地」に突然、アシ原が出現してきました。なんだ、なんだ、でした。正確に言うと、この「空き地」は以前は空き地で、行事やイベントに使う野草などをよく採集させてもらっていたところです。密集した家並みの一角にポツンとあった空き地でした。ポケットパークのような野草空間。そこには草花の神様がいらっしゃる、そんな感じでした。野良猫がうろうろし、近所の子供たちが寝そべったり草摘みしたりしていました。時にはポインセチアに似たショウジョウソウ等も生えたりしていました。草だけではなく、ヌルデの木もあってキノコが幹に生え、子供たちが根元を掘ってカミキリムシの幼虫を探すこともありました。チョウやバッタなどの昆虫、スズメ、ムクドリなどの野鳥もこの草地を訪れていました。

ところが、ある日、その空き地を近所の方が購入され、駐車場と家庭菜園を始められました。

突然、重機が入り、ヌルデの木は切られ、野草の草地はキュウリ、トマトなどの畑、砂利の地面の駐車場に姿を変えました。新しい地主さんのお気持ちで土地利用はなされるので、しかたがないと言えばそうです。地主さんはお花も好きな方で、ランタナ、ハイビスカスなどを植えて楽しんでいらっしゃいました。それらの花をめざしてアゲハチョウ、クロアゲハなどの在来種も来ていますが、オレンジ色の大型のきれいなチョウが。ツマグロヒョウモンです。派手で見映えのするチョウですが、南方系のチョウで地球温暖化の象徴とされるのは何とも複雑です。

その後、地主のおじいさん、おばあさんが亡くなり、駐車場部分は利用されていますが、畑部分は耕作されなくなりました。畑部分には野草が復活したかと思うと、アシ原が出現してきたのです。それで、なんだ、なんだと目を丸くした次第です。この「空き地」の近くに住んで我が家も二十数年たちますが、ここにアシ原の出現を見たのは初めてだけに驚きました。

ふと、近くのあるお店のおばさんがおっしゃっていたことを思い出しました。「空き地のそばを通る道路は今は舗装されているけど、私がこの店に嫁に来た頃は水路で、水路の周りは土の土手で水辺の草が生えていましたよ」と。その時、あの道路は水路を暗渠(あんきょ)にして上を整備したものだったかと思いましたが、深くはあまり考えず何となくその場は耳にとどめた程度でした。

おばさんのお話と照らし合わせると、耕作されなくなった畑部分に昔の水路の湿生植物であるアシ原が復活してきたもようです。アシばかりか、湿り気のある土地が好きなカヤツリグサやタカサブロウまで姿を現して・・・・。いわばシードバンクとなっていた畑部分の土から昔の湿生植物がよみがえったと言うべきか。植物はその土地の成り立ち、ルーツを表しているものなのですね。これからどんなふうに畑部分が遷移していくか、見守っていこうと思っていました。しかし、さらに、その後、亡くなったおじいさんの息子さん夫婦がこのアシ原を草刈りして、駐車場が拡大することに。よみがえったアシ原は幻(まぼろし)となって消失してしまいました。
(みえこ)


 「どうして日本人は緑色のゴーヤを食べるんですか」とベトナムの留学生が言います。

正式名称はツルレイシ。早い話が一般名称はニガウリ、ゴーヤ。ゴーヤの名称が一番なじみ深いでしょうか。日本では沖縄や奄美などがゴーヤのふるさとであることは皆さん、よくご存じのことです。沖縄出身ではありませんが、九州南部の出身なので、熊本県の南部や鹿児島県では、ゴーヤは幼い頃から身近にあった食品でした。ゴーヤの料理というと、ゴーヤチャンプルーが有名ですが、母がよく作ってくれたのはゴーヤの味噌炒めでした。その頃はご近所に沖縄出身の人たちも多く住んでいたし、ゴーヤという名称よりもニガウリと言っていました。母のゴーヤの手料理は子供心にも少々苦みを伴ったゴーヤの味とともに、故郷の懐かしい思い出の一部となっています。個人的にはゴーヤはマイ・ソウルフードの一つとも言えそうです。

ゴーヤが沖縄や九州のローカルなソウルフードから日本全国的になったのは2001年からだと言われています。沖縄県の小浜島や沖縄本島を舞台にしたその年のNHK朝ドラ「ちゅらさん」から火が付き、番組でも登場した擬人化マスコット「ゴーヤマン」がゴーヤを全国区にしたと。今でこそ本州でもゴーヤが栽培されるようになり、夏バテに効く健康野菜、ダイエット食品などと人気を呼び、夏場の日々の食卓をにぎわしています。

昨今は地球温暖化、環境問題、省エネルギーの見地から日よけ、グリーンカーテンにヘチマ、キュウリやアサガオなどと並んで、ゴーヤが利用され、夏の間、窓を緑陰豊かに縁取り、日差しを和らげてくれています。実ったゴーヤは緑色のうちに採集され、ゴーヤチャンプルーなどに料理されて皆さんを喜ばせています。環境にもやさしく食用ともなり、一挙両得となると、ゴーヤはシナジー効果に・・・。

ゴーヤは熱帯アジアが原産地と言われますが、日本だけではなく、中国、台湾、ベトナム、タイ、インド、マレーやスリランカなどでもアジアの広範囲にわたって食されています。炒め物、蒸し物、スープ、揚げ物、カレーの副菜やお茶など多彩な利用法で歴史的・伝統的に食されてきました。ゴーヤを緑色のうちに収穫して調理する国々もあるのでしょうが、ベトナムの留学生たちは「ゴーヤの食べごろは黄色く熟してからでしょ。日本人は何で完熟していないまずい時期にゴーヤを食べるんですか」と怪訝(けげん)な顔をしています。

はて、日本の皆さんたちはいかがでしょうか。日本では緑色の時期の利用が多いのでしょうが、ゴーヤが黄色く完熟して赤くなった実がダイエット食品としても利用法に。この赤い実にリノール酸の1種が含まれていて、サラダやジュースに入れて美容や健康、ダイエットに効果が期待できるとやら。はて、いかがでしょうか。
(みえこ)

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