以前ツイートしていた、岡田以蔵の恋と京での出会いダイジェストです。
(一部歴史改変あり)




~岡田以蔵、捨てきれぬ操への想いと一人の女性~|



 文久二年10月、武市らによる攘夷督促勅使が江戸へ向け出立する数日前。この頃にはすでに、訳あって土佐藩邸に居づらさを感じていた。
 この日、以蔵が一人で呑んでいると裏通りの方から娘の悲鳴が聞こえた。武市の役に立つ事だけを考えてここまで来たが、元来人見知りでおとなしく内向的、事なかれ主義の以蔵。世間の「人斬り以蔵」という悪名から好戦的で暴力的な輩だと思われがちであったが、こういったイザコザにはむしろ背を向けて関わろうとない性格であった。
しかし今回は、悲鳴をあげたであろう娘の声が岡元操のものに似ていた為、しばらく考えてからのっそりと立ち上がり、様子を見に行った。


 薄暗く人気のない現場では2,3人の浪人風情が娘を取り囲んでいた。「…何をしちゅう…」気まぐれで割って入った以蔵に対し浪人たちが殴り掛かってきたので、そつなく投げ飛ばすなどで対処する。しかしこの時、相手にしている謎の男がかの「人斬り以蔵」である事に気付いた浪人が異常に恐れ動揺し始めた。娘もその悪名を聞き、恐れたような表情で以蔵を見ている。
混乱して散り散りに逃げ出す浪人達だったが、厄介な事に以蔵の名を叫びながら逃げていった。奉行所の捕り方の笛の音があがり、以蔵は小さく舌打ちをすると娘を気に掛ける事もなく逃げ出そうとする。
 ここで娘が以蔵を引き留め、彼の袖を引くと近くの自宅に匿った。遠くに聞こえる捕り方らの声を警戒しつつ、以蔵は「なぜ匿った」と声でなく視線で訴えると、娘は「あ、あなた様は私を助けてくれたから…」と、まだ緊張した様子で応える。
 会話はほとんど無く、当然他の何事もなく時は過ぎ、以蔵はずっと別の事を考えていた。そして夜明けと共に、娘には何も告げず静かに去った。


 11月頃、江戸にて柊智が土佐勤王党内にいる過激派を一喝する一幕がある。この時以蔵ら他数名(過激派とされる、武市の静止にかまわず天誅と称した殺しや焼き討ち、押し入り等を繰り返していた輩)の名が土佐勤王党血判書から削除されている事を知り、ただでさえ迷いや不明が募っていた気持ちが押し潰されそうになってしまう。

 12月、京へ帰るなり武市はついに上士格へ昇進し、更なる工作の為に一時帰藩したが、以蔵は共をする以前に京土佐藩邸にはほとんど寄り付かなくなっていた。

 文久三年1月、武市の不在時に前藩主である山内容堂が入京し、土佐勤王党に工作斡旋の禁止と大叱責を行う。これ以来、容堂の近辺で要人の暗殺や嫌がらせが続くが、事もあろうかその首謀者が以蔵を筆頭とする過激派の仕業であるという嘘の噂が流れてしまう。この事でますます居場所を失った以蔵は次第に金銭も尽き、冷えと監視の厳しい京の町で昼夜野良猫のように過ごしていた。

 現状に耐え兼ね、脱藩して江戸にでも行こうと考えていた所、いつぞや助けた娘が以蔵を見つけ、働き口の茶屋の裏で食事をふるまう。以蔵の噂と様子から察し、然り気無く自宅へ連れていくと再び匿うと言い出した。

 この折にようやく自己紹介をし、娘は「お道」という名である事を知る。

 出会った時は以蔵の名に恐れを抱いたものの、助けてくれた実際の以蔵は鬼のような乱暴者ではなく、大人しく人見知りで少し根暗なぐらいの人だと見抜き、その後元気にしているのかと心配していたと笑って言う。当時も思い悩んだ様な顔をしていたし、きっと何か、思い悩む事があるんだろうと。
衣食住が整った安心感と、気さくに世話を焼いてくれるお道に操が重なってしまい(とにかく声はよく似ている)、その日二人は男女の一線を越えてしまうのだった。


 結局以蔵は江戸には向かわず、おとなしく匿われ、お道の内職を手伝うようになった。
 (史実では江戸へ向かってひと月ほど高杉晋作の世話になり、3月下旬頃に高杉と共に京へ入った後、金を借りて無宿潜伏の浪人となる。)


 2月下旬になり、お道から「江戸から将軍がきた」「江戸の浪士組が怖い」などの報告を受け、そっと様子を見に外へ出る事に。もしや操もいるのではないか…と考えたが操を見つける事はできず、浪士組の実態については以蔵にはよくわからなかった。
 この混乱に乗じてついでに武市の寓居も遠くから様子見していた時、坂本龍馬と近藤長次郎に再会する。以蔵がもう藩邸には出入りしていない脱藩状態である事を確認した龍馬は、以蔵の現状に至る経緯等を色々と察し、勝海舟に紹介する事とした。


 龍馬と勝海舟に会い、この時はじめて土佐勤王党が危険な状況になりつつある事を知らされる。土佐藩主豊範は京から引き上げ、武市の右腕である平井や門崎らが次々に投獄され、土佐勤王党員には帰藩命令が出されたという。以蔵もこのままだと脱藩扱いになるが、帰藩すればまず間違いなく取り調べは受けるだろう、と。

 今は何をして食っているのかと訪ねられ、お道に匿われている事を打ち明ける。茶屋の看板娘であるお道を龍馬は知っていたらしいが、もし匿っている事が奉行所などに知れたらお道が大罪を被るだろうと現実を伝える。
 動揺する以蔵であったが、この時龍馬から勝海舟の護衛をやらないかと言われ、引き受ける事に。


 龍馬からもらった支度金6両を、ためらいなく全額、お道の家に置いて出ていく以蔵。
息を切らして帰って来たお道と出くわし、自宅に姿のない以蔵を心配して探し回っていたと聞くと、去る事に後ろ髪を引かれる様な想いがした。しかし意を決して「もうここには来ん。礼金を置いておいたき、自由に使ってとおせ」と言って去ろうとする以蔵を引き留めるお道。

 正直、こんなに必死に引き止められるのは初めての事だった。以蔵の前髪で隠れた顔に動揺の表情が広がる。お道の事を都合のいい女とは思っていないが、かといって好いているのかも正直分からない。お道が気になったのは、その声が操のそれによく似ていたからだ。操の様にほかの人と分け隔てる事なく世話を焼いてくれようとしたからだ。…そうやって操を重ねる事もあったが、それだけではない気もした。

 いずれにせよ自分の悪名のせいでお道を罪人にする訳にはいかなかった。生まれて初めてこんなに求められ、そこに甘んじたい想いもチラついたが、その場を去っていった。


 そして以蔵は髪を短く切り、勝に「ほぉ!いい男じゃねぇか!どーして隠してたんだい」と顔を誉められる。淡々と「よう上士らから顔の事で悪態をつかれましたき…面倒じゃき、髪で隠しちょっただけです」と答える以蔵に、勝は「へえーっ!そいつら、お前さんの男前な顔にひがんでたんじゃねぇか?ケツの穴のちいせぇ奴らだな!はっはっは!」と更に笑い飛ばしてやった。
 少年時代、上士のやんちゃ小僧らから『その顔を見てると虫唾が走る』などと言われ、顔中に青あざたんこぶができる程殴られる事もしばしばだった。母も以蔵を愛してはくれたが、人前に出るとやんちゃ上士の目にとまらぬ様、以蔵を後ろに下げる様なそぶりを見せていた。少年時代はそれなりに「もしや自分の顔のせいで…」と傷付く場面も多く、自発的に顔を隠す様に前髪を伸ばす様になっても、両親がそれをやめさせる様な事がなかった事で、以蔵少年の心は顔を隠すのと同じ様にどんどん陰りを帯びる様になってしまっていた。
 そういった事から以蔵は自分の顔は忌みられているとばかり思っていたので勝の言葉には内心驚きもしたが、よく思い出せば操やはつみ、龍馬からも「男前」といった言葉をかけられていた事を思い出した。煩わしい世辞か何かだと相手にしていなかったが、勝に言われた今ではなんとなく悪い気はしなかった。


 6月、勝海舟らが将軍家茂と共に江戸へ行くことになる。以蔵はこの時すでに操が京の壬生浪士組に所属している事を知っていた為、思うところあり勝海舟の元から抜け出す。
 操を一目見たさに京へ戻るが、潜伏するのは以前よりも厳しかった。唯一の顔馴染みであるお道を頼ろうと自宅近くまで行くが、別れの時を思い出し、いくらなんでも都合が良すぎる上にお道に迷惑がかかるのは今も変わらないと思い直し、去ろうとした。
 しかし運命の悪戯か、そこでまたお道と出くわし、往来でしがみついて来た上にもう離さないと泣かれ、なし崩し的にお道の元に戻ってしまう。お道は龍馬から極秘に以蔵の無事を聞かされており、以蔵の金も使わずずっと待っていた。


 以降、慎ましくお道の家で過ごす。
 お道の提案で「石造(こくぞう)」と名を改める。
(その辺にあるごく普通の石、という意味を込めて)
一人で京を歩いていた時は捕り方にばかり集中していたので気付かなかったが、髪を切り身なりを整えたせいか往来の人々から疑惑まじりの視線を投げかけられる事が減っており、以前よりも町に馴染みやすさを感じた。お道に匿われる生活は続き、818の政変の折りにはお道を守って逃げている。

 しかし壬生浪士組が新撰組となって台頭すると少しずつ状況は変わってきた。勤王志士は潜伏することすら難しくなり、そんな折り、以蔵の所在をあらかじめつかんでいた元土佐勤王員や長州浪士らが以蔵に匿ってくれとコンタクトをとるようになってしまう。(はつみや龍馬ら、もちろん操も以蔵の所在を掴んでいる)
 事投獄された武市を救い出す為に必死な柊智は長州浪士と行動を共にしており、かつては以蔵の考えなしの剣が武市の立場を悪くし追い詰めているなどと説教してきたにも関わらず、今こそ以蔵の剣がまた必要だと迫る。


 こういった不穏なやりとりが続き、何処からか通報があったのかお道が新撰組の取り調べを受ける事になってしまう。内部粛清を繰り返す新撰組は容疑者から罪状を聞き出すための拷問も厭わないと噂が流れており、以蔵は我を忘れ我が身を振り返る事もなく操に取り次ぎ、助けを求めた。しかし操にすがった所で当然どうにかなるものではなかった。
(操がどう受け取ったかの詳細は那由他にお任せするが、この場で以蔵が捉えられなかったのは操の情けがあっての事と思われる。おそらく以蔵が石造として新たに生活していた事も、操はとっくに気付いていた。)

 お道は気丈にも知らぬ存ぜぬを繰り返し長い間を牢獄で過ごす事となっていたが、操のぎりぎりの擁護もあって拷問等は受けずに済んでいた。かたや以蔵に策を練る頭脳は無く、探し回って何とか取り次ぐ事ができた龍馬やはつみに相談するも、彼らに新撰組の聴取まで介入できる訳がなかった。

 孤立する以蔵は龍馬からの再度の誘いも受けず、成す術無くまた野良猫のようになりつつも京から離れられずにいた。人知れず土井鉄蔵と名を改め、身ぐるみはボロボロで髪も髭も伸び、人々の視線を恐れ廃屋の陰に潜むその姿は、以前の以蔵よりもみすぼらしく矮小な存在に見えた。


 元治元年2月、商家に金を借りようとした所を捕らえられ、京から追放されたところを土佐藩に捕縛され、強制帰藩となる――。


 尚、お道は新撰組に捕らえられた際に妊娠していた。容疑が晴れず1ヶ月ほど獄中で過ごしたがこの間に急速に腹が膨れはじめ、原因不明の嘔吐や微熱といった体調不良も続いていた事で、察した操が医者を用意し発覚した。もちろんその子供の父親についても詮議を受けたが、お道は(この間の818政変で)あんたらが追い出した長州のお人の子どす!何か!?等ときっぱり言い切り、見事釈放されている。
その後は茶屋の看板娘として仕事に復帰しており、父親不在のまま、茶屋の女将の助けで見事男児を産み落とした。

数年後、少年は近所では有名な美少年となり、母と共に茶屋に奉公している。




~おわり~