國學院大學嘱託職員の日常

國學院大學渋谷キャンパスに勤務する(法人)再雇用嘱託職員の極私的Photo日誌(個人ブログ)。学内風景などについて書いて行きます。 入試関係では「国学院大学」を使っていますが、こだわりをもって「國學院大學」で通します。法人名は「学校法人國學院大學」ですし。 なお、内容に関連性がないと私が判断したコメント、トラックバックについては削除させていただきます。

平成28年5月27日(金) 雨が上がって

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涼しくなった昼休み。(完全にツイッター状態<(_ _)>)

平成28年5月26日(木) 蒸し暑い日

今年は平年より高温気味の日が多いですね。それでも湿度が低ければまだよいのですが、だんだん湿度が高くなってきたようです。風があるだけましではありますが。

そんな日々の学内の様子です。
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AMC前昼休み。

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上の2枚はAMC裏手にて。

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アジサイはこんな感じ。(近隣の温故学会塙保己一記念館前)


おまけ.
ツイッターのTLでちょっと懐かしいお名前を見つけたのでご紹介。
『八世紀末期〜十一世紀初期 燉煌氏族人名集成 ―索引篇―』(土肥義和編、汲古書院刊)
土肥先生、なんだかすごいですね。

おまけのおまけ.

知り合いが出したようです。

平成28年5月24日(火) 梅雨前の?暑さ

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夏の暑さになりました。さすがに5月なので「真夏」までは行きませんが、半袖が似合う昼休みです。

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AMC1Fの複製展示は、博物館の展示に合わせてでしょうか、遮光器土偶でした。後方の常磐松ホールでは東京オリンピック・パラリンピック企画アイディア募集説明会が開催されていました。いろいろケチのついている東京オリンピック・パラリンピックですが、さてどうなるのでしょうか。

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梅雨の指標となるというタチアオイの花もスタンバイOKですが。

平成28年5月21日(土) 院友大会出席

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毎年恒例の院友大会に出席してきました。
写真は院友会長賞贈呈。受賞しているのは院友の部の野本寛一氏(67文、近畿大学名誉教授、昨年の文化功労者)、後ろは石原奈央子氏(106神専攻、リオ五輪クレー射撃代表)の代理の古峰神社の神職の方(すみません、お名前を失念しました<(_ _)>)。
会の詳細は大学公式と、間もなく記事がアップされるであろう院友会公式ページでご確認ください。

例年のことなので記事&写真は以上。<(_ _)>
でも、表彰や挨拶がやけに多かったかなという印象。

個人的には、いろいろ打ち合わせなどができてよかったかなといったところ。
そういえば、会長あいさつで来年院友会の130周年記念ということで大学(渋谷でしょうね)で院友大会を開催したいということでした。ホームカミングデーと同時開催とのこと。大賛成です。でも会場とかどうするのか、そのへんが課題でしょうね。今までと違う、もっとオープンな会にすればよいのではないかと思います。
いや、いままでがオープンじゃなかったということではなくて、もっと若い人でも参加しやすい参加費や時間の設定をしたらどうかということです。


参考ブログ
「今年の院友大会」(千野隆司の「時代小説の向こう側」)
「平成28年度院友大会」(國學院大學院友会東京都23区支部ページ管理人ブログ)
Twitter記事検索結果

平成28年5月20日(金) 本日は「小満」

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昨日に続き放映中ですが、昼の学内の雰囲気はこんな感じでしょうか。このあと一時盛り上がりそうになりましたが、結局盛り下がりでした。(T_T)


そんなこんなで?昼は学外散歩。今日は氷川神社周辺です。
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氷川神社隣の元別当寺寶泉寺さん。緑が見事でした。

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氷川神社さんも緑がいっぱい。あとでニュースを見ていたら、今日は24節気の小満なのだそうです。期せずしてぴったりの写真を撮っていました。

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氷川の杜公園でも。

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アジサイの季節も近づいています。

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ツツジの階段。いつもながら都会とは思えない雰囲気です。

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こちらは帰りに通った近隣コカ・コーラさんのビル。だいぶ出来上がってきました。

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同じく裏手の工事の様子。このビルもガラスを多用していますが、日建設計ではない。(^^;)
最近のはやりなのでしょうか?

平成28年5月19日(木) 図書館「新収蔵資料展」へ

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こちらの記事を見て行ってきました。新収蔵ということで必要最小限の解説のみでした。個人的には、絵巻の正月の宮廷行事の場に庶民が普通に入っているように見えるところとか、描かれた人々が何を見ているのかなど気になるところがいくつかありました。「次に展示される機会はなかなかありません」などと言わず、さらに研究を深めた上でもう少し詳しい解説付きで展示してほしいものです。


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学内では大型ディスプレイなどで野球の経過を放映していました。(明日に期待)

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最後は緑咢梅の実。

平成28年5月17日(火) 雨の神殿前

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今日はそれだけ。(ほとんどtwitter状態ですね<(_ _)>)

平成28年5月14日(土) 続・「さくら横ちょう」

「さくら横ちょう」に関して、そのすぐ脇に住んでいる友人に聞いてみました。
確かに友人の子供時代(昭和20年代後半?)までは桜並木はあったそうです。ただ、そのあたりでは「桜横丁」ではなく「さくらみち」(漢字は不明)と呼ばれており、そのころあった駄菓子屋さんでは「さくらみち」と書かれた袋を使っていたそうです。名残の桜の木は、和菓子店の「千本堂」さんが数年前に建て替えられるまでは庭に残っていたとのこと。
「桜横丁」か「さくらみちか」のどちらが一般的に使われたのかはわかりません。正式名称ではないようですので、あるいは住んでいる場所(や年齢)によって違う呼び方をされていたのかもしれません。

概要は以上ですが、念のため加藤周一氏の本が大学図書館にあったので借りてきました。

該当部分だけをざっと読んだのですが、当時の付近の様子や常磐松小学校での生活などが書かれている部分はなかなか面白いです。母方の祖父は軍人、父は医者という恵まれた家庭の子、一言でいえばエリートの目で見たものではありますが。
ちなみに、大正15年に氏が入学した常磐松尋常小学校は前年12月に開校したばかりの出来立てほやほやでした。『羊の歌』に出てくる校長は、常「盤」松では皿が割れるに通じるので、石の常「磐」松にしたという逸話が残る方なのでしょうね。
父親の意向で「普通」の学校に通ったということですが、加藤氏宅の当時の位置は現クロスタワー近くであり、現ヒカリエあたりにあった渋谷尋常小学校のほうが圧倒的に近いはずです。新設校で児童を集めなければならなかったのか、父親の意向なのか、あるいはほかの理由があるのか、加藤氏の本からはわかりません。

参考までに当時の地図を載せておきます。
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以前の記事に使ったものなので、今回の記事関係には若干外れるのですが大まかな位置はわかると思います。(加藤医院の位置は昨日区立図書館で確認しました)

以上で「さくら横ちょう」関係は終わります。ただ、加藤氏の本その他を読んでまた何かあったら書くかもしれません。


以下、昨日撮った写真を若干載せておきます。(ちょっと飲みすぎて遅くなり、更新できなかったというのは内緒)
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なお、上2枚は桜ならぬハナモモの実です。(今の時期の桜は、緑の葉ばかりであまり見栄えがしないので)


5月16日追記
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加藤邸(医院)は多分このあたりだと思います。渋谷駅南側から六本木通りと別れて246(青山通り)へ上がっていく道。当時は狭い道があったようです。したがって旧加藤邸は現在一部道路にかかっているのかもしれません。
しかし、このクロスタワーの裏手から東福寺(金王八幡宮隣、旧別当寺)の裏あたりまでが長井邸でした。めちゃくちゃ広いですね。長井邸についての参考ページはこちらこちら(うちのブログですが(^^;))など。

平成28年5月12日(木) 「さくら横ちょう」の碑

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透明な空気の中で緑があふれる五月らしい日でした。あまりに見事な青空に富士山が見えるかと思ったけど、残念ながらそちらの方向だけ雲が沸いていて見えませんでした。

ところで、大学への通学(通勤)路上に先日突然詩碑が現れました。
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加藤周一という名は新聞などで見かけてはいましたが、私とはあまり接点がありませんでしたのでよくわからず。
さすがに気になったのでちょっと調べてみました。
4月28日に完成という朝日新聞の記事は見られなくなっているようですが、その前の東京新聞の記事に詳しく書かれているのを見ることができます。さらに毎日新聞にも。(そんな歌が2種類もあったんだ)
しかし、この3紙ということは…なるほど、政府御用達の讀賣しか取っていない我が家では気付かなかったわけだ。

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確かに國學院大學への通学路上ですね。

一応の由来と、詩碑がここに建てられたわけは上記記事でわかりましたが、「さくら横ちょう」(桜横丁?)そのものについてがわかりません。加藤氏の著作が根拠となっているようですが、ほかにも区史とか著作物に書かれているのでしょうか?この狭い道の両側に桜がなぜ植えられていたかとかも気になるところです。
とりあえず加藤氏の著作あたりからはじめて区立図書館で調べてみましょうか。


ちなみに、加藤周一さん。調べたら1冊だけ読んでいました。私、あまりお気に召さなかった(笑)みたい。

平成28年5月10日(火) ブラタモリに出ていた電柱表示を調べてみました

先日のブラタモリで、電柱に旧町名など歴史を伝える表示があるということをやっていました。伏見の回でしたが、東京千駄ヶ谷には徳川の表示もあるとか。(明治になってから徳川家の屋敷があった)
では、大学付近はどうなのかと思って調べてみました。
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まず、3号館外側付近の電柱。なるほど、旧町名の「若木」が見えます。

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道路の反対側は、NTTのものですが同じく「常盤松」。旧町名は「磐」の字を使っていましたから、正確にはそれ以前の旧地名かな。

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こちらは跨道橋下の電灯。ここが渋谷区の散歩道であることがわかります。

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大学正門前には「大学支」なる表示もありました。

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氷川神社側に渡ると「氷川」の表示も。これも旧町名「氷川町」由来か。

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5号館側に行くと旧町名由来の「若木」とともに、新町名由来の「東四」の表示(NTTによる)もありました。

と、電柱の写真ばかりではなんなので、ちょっとブレイク。
5号館脇和風庭園の写真をどうぞ。
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さて、大学周辺はそんなところでしたが(また機会があれば近隣も回ってみます)、それでは自宅周辺はどうかと見てみました。
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「中井」は現町名、「下落」は旧町名下落合由来として、「明治」はなんなのでしょう?近くを通っているのは山手通りで明治通りではないし???

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もう一つ「文化」がありました。たぶん目白文化村由来。まだ残っているのですね。

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さらに「大原」がありました。これもかなり古い地名です。字とか大字があった落合村時代のものでしょう。


電柱表示、なかなか面白いですね。すでにこれに注目していたタモリさんたちはすごい。
なお、なぜ電柱に旧地名などが表示されているかについての参考ページはこちらなどをご覧ください。
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