中落合日乗(國學院大學元職員の日記)

退職したので「國學院大學嘱託職員の日常」をリニューアルしました。身辺雑記記事中心です。たまに國學院大學の様子も載るかも。 なお、内容に関連性がないと私が判断したコメント、トラックバックについては削除させていただきます。

西落合散歩

そろそろ免疫力低下期=骨髄抑制期(白血球値減少)で、明日は病院通院日ですが、体力を落とさないためには近隣散歩も必要ということで西落合方面を歩いてきました。(マスク、帰宅時のうがい・手洗い必須)
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このあたり大きなお宅や、そうでなくとも手入れの良き届いた庭などを持つ家も多く、草花が目を楽しませてくれます。

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一応目的地は区立西落合図書館で本の返却/借り出し。

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アジサイの季節も近いですね。

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この時期中心はバラのようです。

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猫地蔵の自性院では大施餓鬼の法会が行われていました。

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道路脇のちょっとしたスペースも手入れが行き届いているとなかなかいいですね。

さて、明日は早起きして病院へ。採血と診察、それに白血球値を上げる為の注射かな。

國大・緑

本日も人に会うためなどで國學院大學渋谷キャンパスへ。お会いした何人かの方に現況報告ができて良かった。

昨日今日と真夏日でしたが、さすがにまだ5月。さわやかな暑さという感じでした。
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神殿前もすっかり緑に。

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木漏れ日が美しい神殿の杜。

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1号館と5号館の間。

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院友会館でちょっと確認事項。

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渋谷駅周辺のビル工事などもいつの間にか進んでいました。

3月7日(火) 大和の秘仏・笠置の古寺(修二会・お水取り関係旅行2日目)

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2日目はまず奈良市内の大安寺へ。なかなか渋い選択です。個人的には30数年ぶりかな。飛鳥大官大寺の系譜をひく、東大寺ができるまでは奈良朝第一の官寺。そして奈良時代の木彫仏群が見ものというなかなかの由緒あるお寺です。現在では癌封じのお寺としての方が有名でしょうか。

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こちらが本堂。本尊十一面観音が祀られています。悪性リンパ腫も癌の一種ということで、癌封じのお守りをいただいてきました。そして特に祈念。
なお、この後方の嘶堂に安置されている馬頭観音は3月中が特別開扉期間ということで拝観してきました。

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境内は第二次伽藍整備中とのことで、いずれは天平の面影が見られるようになるのでしょうか。そうなったらまたぜひ訪れたいお寺です。

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中門跡の奥が収蔵庫。なんといってもこちらの奈良時代作木彫仏群がこのお寺の見ものでしょう。久しぶりに楊柳観音他の仏さまなどを拝観できました。

大安寺を後に、いよいよ私としては修二会に次ぐ今回癸欧量榲地笠置寺に向かいます。観光バスでは入れないので途中からタクシーに分散乗車。
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駐車場からの道から見た山門。この下が本来の山を登ってくる参道とか。

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毘沙門堂。このあたりからさすが山上、雪が降ってきました。

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椿本護王宮と春日大社本宮神社付近。

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そしてこちらが大磨崖仏と本堂正月堂。笠置寺の大磨崖仏は天平時代作と伝わり平安以降非常な信仰を受けたが、元弘元年倒幕計画に失敗した後醍醐天皇がこの寺に逃れたため、戦乱の中焼けてしまったということであった。なぜ石造の磨崖仏が焼けたのか不思議に思っていたが、この立地を見ると納得。正月堂に接しているので堂が焼ければ確かに石にも火がかかるであろう。当時はもっと磨崖仏と堂は近かったらしいし、石質も関係するのであろう。

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堂内から磨崖仏側。正月堂は修二会の起源とも関係するとのこと。

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磨崖仏(跡)

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磨崖仏足元

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本堂(正月堂)裏手を下ったところの千手窟。良弁・実忠〜お水取りゆかりの修行場とのこと。

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千手窟付近から本堂を振り返る。懸崖造りであり、このようにしてようやく弥勒磨崖仏の礼堂としての正月堂が建てられていることがわかる。

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千手窟先には戦火にかからなかった伝虚空蔵磨崖仏が。確かにこの位置では戦火にかからなかったのもわかる。(右手は崖になっている)

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虚空蔵磨崖仏を下(正面)から見たところ。

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磨崖仏の一部。この仏像については平安期作との伝えもあるが奈良期説もあるようだ。思ったより大きな像であったし、もう少し注目されるべき像なのではなかろうか。個人的にはこの像を見ることができたことも今回の大きな収穫の一つであった。

この後、笠置寺を下り再び奈良公園へ。(このあと南山城へ向かうのですが、このあたりのコース取りはよくわかりません。もう少しショートカットすれば早く解散地の京都へ戻れると思うのですが、まあいろいろ旅行会社の都合があるのでしょう)
リストランテ・オルケストラータでイタリア料理の昼食。このあたりでも雪のちらつく様子が見られました。

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そして最後の目的地は南山城の大御堂・観音寺

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こちらの参道から向かうのは「お水取り」の「竹送りの寺」だそうです。個人的にはこちらの天平仏の十一面観音を見るためにやはり30数年前に訪れたことを思い起こします。あの頃はJRだか近鉄だかの三山木駅からてくてく歩いたはずですが、そのあたり今は同志社大学京田辺校地などが広がっていたりするようです。
お寺自体ももう少し坂の上にあったような気がしたのですが、今回行ってみたらほとんど農地の中の平地でした。とはいえ、あの若々しい十一面観音像に再会できたのはうれしかったです。

今回の旅行のコースは大きく言えば「修二会・お水取り」関係ということになりますが、なかなか渋くて良い御寺巡りでした。こういうコースはまたぜひ行ってみたいものです。それにはとにかく体の方を治さなくてはいけませんね。

3月6日(月)東大寺・二月堂「修二会」他

3月に「大人の休日倶楽部」の旅行に行ってきました。「東大寺・二月堂「修二会」厳かなる「声明」大和の秘仏・笠置の古寺」というコースです。実はこの時は悪性リンパ腫の最終診断となる生検のための入院直前。7日に帰って翌8日から2泊3日の入院というぎりぎりの日程でした。こんな時期に旅行をしていいのか、でもせっかくの機会だから行きたい。もう行けなくなるかもしれないし、悪性リンパ腫平癒祈願ということで行ってしまおう、ということで行ってしまったものです。(^^;)
3月中のことで、まだ大学の仕事もしていたし、ちょっと休みすぎだった(一応理事長には病気のため休む日が多くなるということについての了承はもらっていました)ということもあり、このブログにも載せていませんでした。でもせっかくの写真をお見せしないのはもったいないしということで、今回もう時効であろうと勝手に判断して記事を載せることとしました。

写真も多いので記事は2回に分け、まずは6日の修二会関係から。
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昨年8月にも行きましたが東大寺南大門。その脇の東大寺ミュージアム見学後、東大寺長老・森本公誠師「修二会・お水取り」特別講座聴講。さらに案内者の方から見学にあたっての解説を受けました。

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夕食後、いよいよ二月堂に向かいます。このあたりから時々雨の降るやや悪天候に。

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中央の木(良弁杉)が育ちすぎてはいますが、二月堂全体がほぼ見える位置に案内者の方が連れて行ってくださいました。ちなみに堂の下の人込みの場所はかなり早くから行かないと入れないそうです。

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少々写真がぶれていますが、落ちてきた火の粉を消す為に待機する消防署の方などです。

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雨は落ちていましたが例年に比べ比較的暖かな日だったようです。
ちなみに、修二会のクライマックスとなるや籠松明の見られる3月12日はこの程度ではなく例年大混雑になるそうです。その夜中の13日の午前1時過ぎとなるお水取りの時間はどうなんでしょうか。いずれは行ってみたい儀式です。

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以下それなりに撮れた松明上堂の様子をどうぞ。

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お松明が終わるとかなりの方が帰られてしまうのですが、実はこの後がもう一つのクライマックス。二月堂外陣(女性はその外側の局)で練行衆による声明を聞くことができます。導師と練行衆による声明はなかなかの聞きもの?で、私は往時のドン・コサック合唱団などのロシア民謡を思い出してしまいました。この日は比較的空いていたようで、礼堂脇の畳敷きの部分(格子を隔てたところが西の局)で声明をゆっくり聞くことができ、また五体投地の様子も拝見することができました。
ツアーの時間の都合で9時ごろにはお堂を出たのですが、もう少し神名帳の最後までは聞いていたいところでした。

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二月堂脇からの奈良市街の眺め。

この日はホテル日航奈良泊。すぐ脇のJR奈良駅がすっかりきれいになっていてびっくりしました。懐かしい旧駅舎も移築されて奈良市総合観光案内所になっているようですので、いずれ改めて行ってみたいですね。

以上で第一日は終了です。二日目の分は次の記事で書きます。(続く)

久しぶりに大学へ

4月1日以来の大学へ。足の状況確認の意味もありましたが、どうやら大丈夫そうです。
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表参道駅から歩いたので、まずは白根記念へ。明治・大正期の写真展を見てきました。青学さんの写真は少しあったけど、國學院のはなかった。まあ、大正末に近い12年移転なのでしょうがないかな。

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構内もすっかり緑の季節に変わっていました。

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構内端のウシカタバミと狛犬。

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博物館にも行ってきました。展示の絵巻は所蔵品なので、ほとんどが何度も見たものですが、長く広げたり同じ絵柄を比較したりと若干工夫した展示になっていました。

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AMC1F「みちのきち」。まわりにソファー状のものが増えていました。学生さんはくつろいだりスマホをいじったり。本を読んでいたのはごく少数だったようです。同様の施設をまた別に作るようですが、ただ本を置くだけでは意味がないのでは?

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最後は昼休みの正門。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」の感。(ん、ちょっと使い方が違う?)

この後、何人かの人たちとご挨拶&おしゃべりしたり、図書館で少し調べ物をしたりとゆっくり過ごしました。また時々大学へも顔を出していきたいと思います。

リハビリ散歩と病気のこと

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3週間近くの入院で足の筋肉が弱っているので、近隣散歩でリハビリ中です。病院からも見えていましたが、外はすっかりツツジの季節ですね。

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現住所の氏神様中井御霊神社までは徒歩12〜13分、参拝時間含め往復で30分程度なのでちょうどいいかも。もう少し回復してくれば坂を下って中井駅付近から妙正寺川沿いの遊歩道を歩くのもいいかもしれません。

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こちらは自宅の極近隣風景です。


さて、病気の話ですが、すでに記事カテゴリにもあります通り「悪性リンパ腫」です。このブログは闘病日記にするつもりはありませんが、やはり概略は書いておいた方が良いかと思い、ざっとですが載せておきます。

昨年秋から肩のところにしこりがあり、特にそれ以外の症状がなかったので放っておいたのですが、しこりが大きくなってきたので医者へ。いろいろあって2月下旬から女子医大病院に通院。他にも身体の何か所かにしこりがあり(気づいていたものも気づいていなかったものも)悪性リンパ腫の疑いが濃いということでした。
※自覚症状がないというのも悪性リンパ腫の特徴らしい。皆さんも体のしこりには要注意です。

以下、
3月上旬に肩のしこり部分の生検のため2泊3日の入院(生検部分の関係で耳鼻科)。結果、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫のステージ4(外部から確認されるもの以外に、身体全体に悪性細胞が拡がっている状態)ということでほぼ確定。
同下旬に骨髄検査、PET検査などで状況確認。4月初めから入院治療となる予定だったのですが…
ついでに昔から悪かった鼻を見てもらっていた耳鼻科の方から、先に副鼻腔炎(鼻茸など)の治療をしないと悪性リンパ腫の化学療法で悪化する恐れがあるとの見立てがあり、急きょ4月7日から副鼻腔炎手術のため一週間の入院となりました。(この手術後の鼻の奥に血を止めるための綿を詰められていた3日間が一番つらかったかも)
手術から2週間(いったん退院から1週間)後の21日(金)に抗がん剤投与開始(入院は19日から)、その後副作用などの経過観察で昨日5月8日(月)まで入院ということになっていました。
治療効果としては、腫瘤もかなり小さくなったり柔らかくなったりしているのでかなり効いているということです。
なお、副作用で一番きつかったのは便秘とそれの薬による反動での下痢(その後もおなかの調子はいまいち)でした。

現在受けているのはR-CHOP療法で、今後は通院で抗がん剤投与を全体で6〜8クール行っていく予定。投与後10日〜14日頃中心に副作用として免疫力低下、白血球値が下がり感染症注意時期となる。その後白血球値は上がり次のクールに入るが、完全には上がりきらず、治療が終わるころには当初の半分ぐらいとなるとのこと。その後少しづつ上がって1年後ぐらいには元に戻るよう。
ということで、基本的に1年後までは感染症注意で、食べ物も生ものは不可、発酵食品も注意、酒はOKだが深酒はダメ、犬(ペット)も過度な接触は不可(>_<)とのこと。

結構いろいろ書いてしまいましたが、現状はそんなところです。仕事をつづけながらこの療法をしている人も多いようですので、あまり神経質になることもないのかもしれません。注意はしながらも、家に閉じこもりっぱなしなどということはしないで、時期を選んで外に出たりしていきたいと思っています。そんなときなどにはまたブログ記事を書いていきますのでよろしくお願いいたします。


久しぶりの自宅

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本日午後、無事退院して来ました。やはり自宅はいいですね。以上、とりあえずご報告まで。
明日以降、病気のことなどちょっと書いて見ます。
(写真はうちの犬。ちょっと寄って来たけど、「ああ、帰って来たんだ」といった感じで、すぐ離れて行きました。まあ、治療中はあまりベタベタできないので、それでいいんですけどね…)

暇なので…^^;

ツイッターで時々つぶやいています。
右欄外の犬の写真のところをクリックしてください。
なお、たぶん月曜退院になるかと思います。退院したらまたぼちぼち更新して行きたいと思っています。m(_ _)m

入院なう

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本日より入院。青空は見えるし、なかなか快適な部屋なので、気分は悪くないです。

ということで、しばらくブログはお休みとします。あまりに暇だったらツイッターで発信するかもしれませんが。

前橋藩松平家家臣喜多山家

先日ちょっと書きましたが、2月に國學院大學旧会計課員(元職員)の集まりがありました。(現経理課の旧名が会計課で、そのころの職員という意味)

その時、近くに座ったIさんが川越藩士だったご先祖について調べたいとのことで、手掛かりは三兄弟の仇討ち事件の当事者だったとのこと。当日もちょっと検索して出てきたのがこちらのページ。
戸塚宿大坂二番坂の仇討ち事件
三兄弟の一人がご先祖にあたるとのこと。

とりあえずはそれで間違いないと思われるのですが、帰ってから川越藩の須藤家についてもう少し調べてみました。
まず、川越藩ですが、「戸塚宿大坂二番坂の仇討ち」時の藩主は「直基系越前松平家」(というそうです)で誠丸改め典則のようです。このころの川越藩というか越前松平家関係はいろいろ輻輳していますので、興味のある方は下記Wikipediaの記事をご参照ください。
川越藩
前橋藩 
松平典則 
越前松平家 
要は、いろいろ転封になって前橋に入ったけど水害などで城が使い物にならず、領内の川越の方に移ったということ。
ちなみにこの川越藩時代に荘内藩などを巻き込んだ三方領地替え事件を起こしています。

とにかく、この家は再び前橋に戻って廃藩置県を迎えているようですので、國大所蔵の『前橋市史』を見てみました。
そして以下の記載を発見。
第6巻 資料編1の「202 松平大和守役付 文化四年四月」中に「高百五十石 須藤九右衛門」
同「203 松平家史料「巳給帳」 天保四年」中に「高二百石 須藤喜平治」
同「204 松平家史料「子給帳」 嘉永五年」中に「高二百石 須藤九右衛門」
などの記載が見られました。

そのあたりはIさんにお知らせしたのですが、問題は何と同じ資料中に「百石 喜多山半左衛門」など喜多山姓の者も散見されるというおまけも。

あ、うちの先祖は今までK家と書いてきましたが、正式には「喜多山家」です。

うちの系統ではありませんが、先祖調べの中でかかわってくる可能性あり。
実は、ネット上で川越と関連して若干の喜多山姓が出ているのは知っていましたが(たとえばこちら)、こんなにはっきりと百石クラスで名前が載っているとは。どうやら私も直基系越前松平家を調べなければならなくなったようです。

とりあえず体調が戻ったら國大図書館へ、さらに直基系越前松平家は文書を現群馬県に残しているようですので、また前橋の市立図書館、群馬県文書館、あるいは県立図書館などに行って調べる必要も出てくるかもしれません。
なんだかうちの先祖調べをしていると、いろいろ群馬県に関連してくるのが不思議です。
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