ブログ、最近あまり書けてないのですが、また書きたい欲がムクムクしています。
最近、とっても嬉しい事がありました。
ずっとこのブログを読んで下さってる方が、、、
名取さんになられたんです!
また、師範の試験に合格しました!とメッセージをくださった方もおられて。
本当におめでとうございます。
お試験の稽古中も、このブログを遡って読んでくださって、励まされたと言ってくださって。
もちろん、夢を叶えられたのは、ひとえにご自身の努力の賜物なのですが!!!
このブログが、そんなふうに少しでも励ましになっていたのなら嬉しいなあと思いました。
わたしのほうが、励まされました。
お試験のときのことを、自分でも思い出しました。
そういえば、、、
わたしの名取のお試験のとき、今はもう亡くなられた花柳稔先生が控え室におられて、ご自身のお弟子さんの側についておられたんです。
いざ試験会場にというときに皆で受験番号順に並ぶのですが、わたしは稔先生のお弟子さんのすぐ後ろで。
受験番号は11番でした。
稔先生が、がんばって、というようなことをわたしにもお声がけくださり、背中?肩だったかな?ポンと叩いて下さったんです。
そのときは、まだまだ先生方のお顔もお名前も何も知らない頃でしたので、ただただ素直に励まされ、有り難い気持ちでいっぱいでした。
あとで、うちの先生方に、「稔先生に励ましていただいて良かったね」と教えていただいたのでした。。。
今でもふと思い出して、胸がいっぱいになる有り難い思い出です。
当時は試験会場が築地のお家元様のお稽古場で、試験番号11番は、舞台に上がってみるとど真ん中。
緊張も忘れるベストポジションでした・・・
12月で、ストーブががんがんに点けてあって、ものすごく暑かった。
舞台から左手のほうにピアノがあって・・・なぜか周りがよく見えていました。
お手洗いが、畳なのよ!と先生方に言われ、???となっていましたが、実際行ってみて衝撃だったのを覚えています。
玄関には、小鳥がたくさん・・・
専門部のお試験も、同じく築地のお家元様のお稽古場でした。
学科試験と実技試験があり、学科のほうが先にありました。
毎日必死に勉強(暗記)したので、むしろ学科だけでも報われたいという思いでいっぱいでした。。。あの頃の記憶よ今何処に( ꒪⌓꒪)
実技で立った位置はやや下手寄り。
道成寺でのトンが波のようにドドドドンと響いたのを覚えています。
合格発表は、少ししてから廊下の壁に貼り出しで。
あまりに怖くてなかなか見に行けませんでした。。。
受験番号は31番。
我ながらよく覚えてるなあ・・・
合格を確認したときは、一緒に行ったMさんとその場で抱き合って泣きました。
40人くらいの受験者で、11人合格だったと記憶しています。
夏の専門部の講習会のときは80人位の出席者だったので、本当に狭き門なのだと実感しました。
ただただ先生方に感謝です。
今はもう、あのお稽古場も無いのですね。
名取さんに憧れて憧れて、先生方からの話しを伝え聞いていた頃。
お試験のときくらいしか伺ったことのないわたしですが、今、築地に行ったときにあの角を曲がって、居酒屋さんとマンションが見えると、寂しい気持ちになります。
深く関わっておられた方の寂しさを思うと・・・
書いていいものかどうか迷いましたが、思い出が風化して忘れないうちに、書いておこうと思いました。
思い出したことを、少しずつ書けたらなと思います^^
わたしも、そういえば、
踊りをはじめたばかりの頃
お試験を目指していた頃
新しい踊りをお稽古しだしたとき
踊りの会を観たあと・・・・・・・
よくネットで検索したり、誰かのサイトを読んだり、あの頃はまだブログやFBなんかもなくて。
誰かのサイトの掲示板に集まって、踊りが共通なだけの、顔も知らない誰かと、夜通し!画面上で会話したりしてたっけ。
その頃、掲示板で知り合った方々とはいまだに交流させていただいていて。
懐かしいです。
振り返れば、短いなりに、踊りがなかったら成り立っていない年月です。
めまぐるしいような、でもこれを充実と呼ぶのなら、なんて幸せな。
最近、とっても嬉しい事がありました。
ずっとこのブログを読んで下さってる方が、、、
名取さんになられたんです!
また、師範の試験に合格しました!とメッセージをくださった方もおられて。
本当におめでとうございます。
お試験の稽古中も、このブログを遡って読んでくださって、励まされたと言ってくださって。
もちろん、夢を叶えられたのは、ひとえにご自身の努力の賜物なのですが!!!
このブログが、そんなふうに少しでも励ましになっていたのなら嬉しいなあと思いました。
わたしのほうが、励まされました。
お試験のときのことを、自分でも思い出しました。
そういえば、、、
わたしの名取のお試験のとき、今はもう亡くなられた花柳稔先生が控え室におられて、ご自身のお弟子さんの側についておられたんです。
いざ試験会場にというときに皆で受験番号順に並ぶのですが、わたしは稔先生のお弟子さんのすぐ後ろで。
受験番号は11番でした。
稔先生が、がんばって、というようなことをわたしにもお声がけくださり、背中?肩だったかな?ポンと叩いて下さったんです。
そのときは、まだまだ先生方のお顔もお名前も何も知らない頃でしたので、ただただ素直に励まされ、有り難い気持ちでいっぱいでした。
あとで、うちの先生方に、「稔先生に励ましていただいて良かったね」と教えていただいたのでした。。。
今でもふと思い出して、胸がいっぱいになる有り難い思い出です。
当時は試験会場が築地のお家元様のお稽古場で、試験番号11番は、舞台に上がってみるとど真ん中。
緊張も忘れるベストポジションでした・・・
12月で、ストーブががんがんに点けてあって、ものすごく暑かった。
舞台から左手のほうにピアノがあって・・・なぜか周りがよく見えていました。
お手洗いが、畳なのよ!と先生方に言われ、???となっていましたが、実際行ってみて衝撃だったのを覚えています。
玄関には、小鳥がたくさん・・・
専門部のお試験も、同じく築地のお家元様のお稽古場でした。
学科試験と実技試験があり、学科のほうが先にありました。
毎日必死に勉強(暗記)したので、むしろ学科だけでも報われたいという思いでいっぱいでした。。。あの頃の記憶よ今何処に( ꒪⌓꒪)
実技で立った位置はやや下手寄り。
道成寺でのトンが波のようにドドドドンと響いたのを覚えています。
合格発表は、少ししてから廊下の壁に貼り出しで。
あまりに怖くてなかなか見に行けませんでした。。。
受験番号は31番。
我ながらよく覚えてるなあ・・・
合格を確認したときは、一緒に行ったMさんとその場で抱き合って泣きました。
40人くらいの受験者で、11人合格だったと記憶しています。
夏の専門部の講習会のときは80人位の出席者だったので、本当に狭き門なのだと実感しました。
ただただ先生方に感謝です。
今はもう、あのお稽古場も無いのですね。
名取さんに憧れて憧れて、先生方からの話しを伝え聞いていた頃。
お試験のときくらいしか伺ったことのないわたしですが、今、築地に行ったときにあの角を曲がって、居酒屋さんとマンションが見えると、寂しい気持ちになります。
深く関わっておられた方の寂しさを思うと・・・
書いていいものかどうか迷いましたが、思い出が風化して忘れないうちに、書いておこうと思いました。
思い出したことを、少しずつ書けたらなと思います^^
わたしも、そういえば、
踊りをはじめたばかりの頃
お試験を目指していた頃
新しい踊りをお稽古しだしたとき
踊りの会を観たあと・・・・・・・
よくネットで検索したり、誰かのサイトを読んだり、あの頃はまだブログやFBなんかもなくて。
誰かのサイトの掲示板に集まって、踊りが共通なだけの、顔も知らない誰かと、夜通し!画面上で会話したりしてたっけ。
その頃、掲示板で知り合った方々とはいまだに交流させていただいていて。
懐かしいです。
振り返れば、短いなりに、踊りがなかったら成り立っていない年月です。
めまぐるしいような、でもこれを充実と呼ぶのなら、なんて幸せな。
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