東急不動産だまし売り裁判

書籍や漫画の書評、マンション問題や消費者問題、警察不祥事など。書籍『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』はマンションだまし売り被害、東急不動産消費者契約法違反訴訟を描きます。マンションだまし売りや迷惑勧誘電話、貧困ビジネス、危険ドラッグのない世界を目指します。

『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社)は東急不動産(販売代理・東急リバブル)から不利益事実を隠して問題物件をだまし売りされた消費者(=原告)が消費者契約法に基づき売買契約を取り消し、裁判(東急不動産消費者契約法違反訴訟、東京地裁平成18年8月30日判決、平成17年(ワ)3018号)で売買代金を取り戻した闘いの記録。

東急不動産で買ってはいけない 被害者が語る「騙し売り」の手口
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原泰久『キングダム 30』

原泰久『キングダム 30』(集英社、2013年)は合従軍襲来編の続き。禍燐の軍五千が背後から函谷関突破を狙う。禍燐はインパクトが強い。身勝手なキャラクターであるが、誰よりも目的の達成を重視している。目的の達成を考えているから、無駄なコミュニケーションに付き合わない。集団主義的なガンバリズムが蔓延する日本型組織では出にくい才能である。

ここで王翦が活躍する。桓騎もストレートに王翦を評価している。王翦は自らが王になろうとする危険人物と位置づけられている。しかし、そのような危険性を裏付ける描写はない。史書の王翦は政の猜疑心の強さを認識し、わざと小人物に見せかけるという工夫をして粛清を免れた。王になろうとする野心は見られない。自らが王になろうとしているとの設定が活かされるのか注目である。

合従軍は韓と楚の総大将を失い、函谷関の攻略にも失敗した。しかし、李牧は別のルートで咸陽攻略を目指す。後の劉邦も函谷関を通らずに咸陽を攻めている。李牧はホウケンを総大将として押し立てる。史書の李牧は本作品ほど活躍していないが、史書との整合性を確保する上手い設定である。

信は王騎に続いて二人目の師匠と呼ぶべき存在を李牧とホウケンのコンビに殺される。李牧やホウケンは悪辣な憎き仇となりそうであるが、そのように描かれないところが本作品の奥深いところである。元はと言えば秦が魏の山陽を占領し、現代流にいえば同化政策で完全に自国領土化したことが問題である。これは戦国時代の流儀とは異なるため、諸国が脅威を感じて合従軍になった。李牧を応援したくなる。

信は李牧やホウケンには実力で及ばない状態であった。戦いではピンチに陥るが、亡くなった将軍達の思いを抱えてパワーアップして倒す精神論根性論が繰り返されそうである。この昭和に先祖帰りしたような展開が支持されることが良いことかどうかは微妙である。

特急「あさしお3号」殺人事件

「夜が殺意を運ぶ」は十津川警部シリーズの推理小説の短編。アリバイ崩しの鉄道ミステリーである。西村京太郎『特急「あさしお3号」殺人事件』『十津川警部 愛憎の街 東京』に収録されている。テレビ朝日の土曜ワイド劇場『西村京太郎トラベルミステリー』「陸中海岸殺人ルート」でドラマ化された。

猫好きで有名なデザイナーとして林田ひろ子が登場する。十津川警部が林田ひろ子を偶然目撃したことが意味を持つ。この意味では万人に平等に与えられた情報から推理する市推理小説としての公正さは欠けている。

多摩川で銀座のクラブママ・玉木みどりの死体が発見される。スポンサーの不動産会社社長の石黒が怪しいが、彼にはアリバイがあった。アリバイ崩しの作品である。十津川警部の調査は丁寧である。一通りの説明が成り立っても、違和感を覚えたら再度調べ直す。現実の日本警察の思い込み捜査とは真逆である。愛媛県警の女子大生誤認逮捕の杜撰な捜査とは大きく異なる。

近鉄特急 伊勢志摩ライナーの罠

西村京太郎『近鉄特急 伊勢志摩ライナーの罠』は十津川警部シリーズの推理小説。月刊誌の企画でお伊勢参りに出かける予定の老夫婦が失踪した。旅のコースには二人の名を騙る不審なカップルが出現したが、そのカップルの女性の他殺体が隅田川で発見された。老夫婦の家で謎の仏像が存在した。これは円空作であり、美術ミステリーの要素もある。

伊勢志摩ライナーは近畿日本鉄道のリゾート特急である。本書で伊勢志摩ライナーを知る人々がいる点で宣伝効果がある。一方で伊勢志摩ライナーが事件現場になることは近鉄にとってはあまり嬉しくないだろう。

警察官には事件捜査を名目に特急に無賃乗車する不届き者がいる。大阪府警の男性巡査長は警察手帳を示して特急に20回ほど無賃乗車した(「警察官が通勤で“特急タダ乗り” 警察手帳を示し「公務です」20回ほど不正乗車」MBSニュース2018年1月26日)。「飲酒して座って帰りたかった」との身勝手な動機であった。この点では殺人事件と関連させる描写は避けたいところだろう。

作者はトラベルミステリーの名手である。伊勢を舞台とした作品は他にもある。『伊勢志摩殺意の旅』や『伊勢路(ルート)殺人事件』『伊勢・志摩に消えた女』である。『伊勢・志摩に消えた女』は失踪が端緒となっている点で『近鉄特急 伊勢志摩ライナーの罠』と共通する。『伊勢志摩殺意の旅』はカルト宗教団体の土地買い占めが起こる。

キングダム 29

『キングダム 29』(集英社、2013年)は合従軍襲来編の続き。蒙武と楚軍の総大将・汗明が対決する。楚の兵士は「誰が至強か!汗明!」と叫ぶ。迫力十分な武将である。蒙武と汗明の戦いは『北斗の拳』などバトル漫画のようである。蒙武は猪突猛進の単細胞で王騎の引き立て役に過ぎないと思っていたが、重要な武将になっている。

蒙武の気になる点は呂氏四柱としての設定である。これまで呂不韋派らしい行動はしていない。むしろ実直な武将であり、派閥争いとは無縁ではないか。後の政と呂不韋の激突ではどのように振舞うのだろうか。

本作品は楚を他の六国よりも強大な超大国と位置付ける。私にとって古代中国は高校の漢文の印象が強い。そこでは超大国は秦であった。楚は屈原のエピソードがあり、秦の脅威を受けていた。そもそも弱い国が強国にまとまって対抗するから合従軍である。楚一国が超大国ならば合従の必要はない。一方で後に楚は項羽を出しており、力のある国であることは確かだろう。

臨武君は楚が大国であり、人口の母数が多いため、楚で将軍になることは他国の将軍とは比べ物にならないと述べた。これは21世紀の日本人が中国とのビジネスで感じることである。向こうのビジネスパーソンは日本では考えられないエリートであることもある。昭和の先進国・発展途上国の感覚は時代遅れである。

楚の第二軍司令の禍燐は色々と画策する。項翼に五千人の兵を率いさせる。急造の五千人の部隊の指揮は誰もが危惧するところであるが、項翼は急造部隊の限界を把握して運用し、騰と互角の戦いを展開した。項翼はヤンキー的なチャラい外見をしているため、凄そうに見えないが、むしろ外見がミスキャストである。騰はファルファルしており、髪型が出来上がっていた。笑いをとるキャラクターである。

東海道新幹線が静岡県を通過

東海道新幹線のぞみ号が静岡県を通過します。静岡県では東急電鉄のファイブハンドレッドフォレストとゴルフ場・ファイブハンドレッドクラブが下水処理費用をめぐり、千福ニュータウン団地施設管理組合とトラブルになりました。千福ニュータウン団地施設管理組合は千福ニュータウンの住宅や、東急電鉄の別荘地ファイブハンドレッドフォレストやゴルフ場ファイブハンドレッドクラブからの汚水を処理しています。管理組合側は東急電鉄の施設の汚水処理費の負担が異常に少なく、ニュータウン住民に転嫁していると主張します。

山田義帰『空蝉』

山田義帰『空蝉』(麻布書院、2019年)は子どもを失った母親が催眠療法を受けて、前世からの人間の縁を感じる物語である。主人公は京都の人で京都弁を話す。女性の京都弁と言えば舞妓さんというステレオタイプなイメージがあるため、不思議な感覚を覚えた。

前世と言うと、現世に不満を抱えている人の逃げ場所としての物語が少なくない。逃げることは必ずしも悪いことではなく、当人の救いになれば意味はあるが、本書は前世の人間関係が現世に反映している。前世を大切にすることは現世を大切に生きることになる。

本書のようにクリニックに通うことで少しずつ過去の真実が分かっていく物語として、韓国ではチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』がベストセラーになった。カウンセリングから主人公が受けてきた社会的不合理が明らかになる。本書でもブラック企業での過労自殺が登場しており、この方向かと思われたが、大きく異なっていた。社会問題に目を向ける韓国と周囲の人達と絆を深める日本という両国の性格の相違が感じられる。

前世の主要舞台はナチス・ドイツに併合されたオーストリアである。ナチス突撃隊の分隊長は以下のように説明される。「相手が民間人なら徹底的にやってしまう。弱い者苛めが好きな変態なのだ」(137頁)。これは古今東西を問わず、官憲の醜い実態である。オーストリア人がナチスの協力者か被害者かは議論があるが、本書のオーストリア人にとってナチスは侵略者であり、嫌悪すべき存在であることは確かである。

原泰久『キングダム 28』

原泰久『キングダム 28』(集英社、2012年)は合従軍襲来編の続き。蒙武は楚軍総大将の汗明と対峙する。騰は禍燐と対峙する。戦象が登場する。本作品は異民族が活躍するグローバルな世界観である。その流れに象も位置する。

騰は象を知っていた。王騎は匈奴の馬の速力を知らず、それが死の原因になった。匈奴の馬よりも象の方が当時の中華の人々にとってはレアな知識に思える。騰は王騎の死の反省から情報収集に注力したのだろうか。それとも王騎の時代から主敵を南方の楚と定め、楚軍の研究を進めていたのだろうか。

函谷関の攻防戦では桓騎が活躍する。籠城戦は城に籠って防戦一方では駄目である。隙をついて攻撃し、かく乱する必要があることを感じた。桓騎の人気急上昇の展開であるが、その奇策は敵兵を装って敵陣に侵入して敵将を殺すというワンパターンである。これは暗殺がタブーであることと同じ意味で合戦のタブーを犯すものではないか。このようなことがなされれば敵側も同じような侵入をして殺害という報復をするようになるのではないか。

王翦は桓騎と同じく六将級と評される。これまでのところ、桓騎ほど目立っていないが、築城の才を持ちながら、籠城一本槍ではない。次巻の活躍に期待する。それにしても白老は、よく桓騎や王翦を山陽攻略戦で副将にできたと思う。桓騎の張唐への態度を見ると、白老は余程の人格者だろうか。

原泰久『キングダム 27』

原泰久『キングダム 27』(集英社、2012年)は合従軍襲来編の続き。信は趙軍の万極将軍と戦う。万極は前回の秦と趙の戦争でも登場した。吃音の将軍として印象に残ったが、その吃音は秦の虐殺のトラウマと思われる。

信は第18巻で秦軍の略奪暴行を許さなかった。この信にとって万極は考えさせられる相手である。中華を統一して戦国時代を終わらせるという政の目標が一つの解になる。これは日本の戦国時代の作品でも、天下統一のための戦争を正当化する論理として多用された。しかし、これは、あくまで自分達に都合の良い平和である。タキトゥスは「ローマ人は廃墟を作り、そこを平和と呼ぶ」と書いた。天下統一だけでは万極への回答にならない。

信は虐殺を起こさないと約束する。「俺は長平みてェなことは絶対にやらねェし!絶対やらせねェ!!」。これは信の倫理観や価値観に関わることである。これを忘れたら単なる出世第一の平目公務員と変わらなくなる。

問題は秦軍に残酷な桓騎将軍がいることである。信は桓騎の蛮行を止められるだろうか。それとも桓騎の残虐さは敵兵を挑発したり、士気をくじいたりするために行われ、無意味な虐殺はしないのだろうか。しかし、桓騎の部隊は元野盗であり、部隊の士気を維持するために征服地の略奪や暴行を放任しそうである。

飛信隊の軍師となった河了貂は戦闘力が低いため、乱戦では後方に下がらされていた。しかし、それでは軍師としての活躍もできない。田中芳樹『アルスラーン戦記』のナルサスのように剣の腕の立つ軍師が必要か。信と河了貂は異性として意識するアクシデントが起きる。信の恋人役には羌カイを望む声が強いが、付き合いの長さや一途さは河了貂である。

楚の第二軍の禍燐将軍が登場する。インパクトがあるキャラクターである。名前も外見も禍々しさが感じられる。本作品には実は女性というキャラクターが多いが、禍燐は最初から女性として登場している。

原泰久『キングダム 26』

原泰久『キングダム 26』(集英社、2012年)は合従軍襲来編の続き。秦軍は函谷関を防衛線として合従軍を迎え撃つ。ここが陥落すれば首都・咸陽は目の前であり、最終防衛ラインである。騰が臨武君率いる楚の第一軍と対峙する。

騰は王騎の副官で、王騎の遺臣をまとめている。『銀河英雄伝説』のオーベルシュタインはNo.2不要論を唱えたが、圧倒的なNo.2がいなければNo.1が倒れた時に散り散りになってしまう。隊をまとめているだけでも騰の実力が理解できる。騰の部隊は第25巻で友軍から王騎残党軍と呼ばれている。友軍から残党と呼ばれることは可哀想である。王騎を称えるために王騎軍で良いのではないか。

騰は話し方が面白い。「あの世で同金、鱗坊、録鳴未と酒でも飲むがいい」と戦死していない味方を死者に含めて宣言するなどギャグシーンもある。シリアスな物語で、シリアス調を崩すことなく、ギャグを入れる。これは本作品の魅力である。

臨武君は強い。北方の国が騎馬民族と対峙しているように南方の楚は百越の猛者と戦っていた。秦軍は挑発のために臨武君の髪形を揶揄する。挑発のためとはいえ、みっともない。

秦の若手武将の王墳や蒙恬と楚の若手武将の項翼や白麗が対決する。蒙恬は大局を見て、障害になるものを予め除去しようとする見えにくい有能さがある。信のような前に進むことしか考えない熱血主人公タイプにとって、都合の良い存在になってしまうが、本当は信よりも貴重な存在である。

項翼はヤンキー的なチャラい外見をしているが、白麗の危機を助けたり、白麗の部隊の連携プレーをしたりするなど考える武将である。ヴィジュアルが誤りで、王墳のような外見ならばシックリくるのではないだろうか。

原泰久『キングダム 25』

原泰久『キングダム 25』(集英社、2012年)は合従軍襲来編が本格的に始まる。秦以外の六国が同盟し、秦を攻め込む。秦は強国と位置づけられていたが、一転して亡国の危機に陥った。他国を攻める国は攻められる覚悟を持たなければならない。秦は山陽を完全に自国領土化したが、同じことを他国が秦の領域にしても不思議ではない。それが相互主義である。

レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』のフィリップ・マーロウには「Don't shoot it at people, unless you get to be a better shot.」との台詞がある。日本ではアニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』のルルーシュ・ランペルージの台詞「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」として有名である。この相互主義を秦の人々に実感させることになった。

合従策は秦以外の六国が同盟して強大な秦に対抗するものである。高校の漢文では縦横家の蘇秦が登場する。これに対して本作品では過去の合従策は斉に対するものであったとする。これは漢文の素養からは違和感がある。秦を圧倒的な超大国として描くと信らの活躍の凄さが描きにくくなることを考えてのものだろうか。一方で近時の研究では蘇秦は斉に対して合従したとの見解があり、それに依拠したものかもしれない。

松本准平『惑星たち』

松本准平『惑星たち』(書肆侃侃房、2019年)は家族関係に葛藤を抱える二人の男女を描いた小説。冒頭はニーチェの永劫回帰が議論される。永劫回帰は普通のアクションゲームとする(11頁)。何度でもリセットして続く。哲学の難解なテーマを現代的に解説する。

哲学的に始まったが、現実の物語は醜い。人間を食い物にする半グレ的な虚業の経営者が醜い。家族には表面的には分からなかった真実があるが、虚業の経営者は最後まで醜い。虚業の経営者は最後に報いを受けることが示されているが、主人公らを利用して食い物にしたことへの報いとしては認識しないだろう。

主人公らによって突き落とされる展開でないとフラストレーションは残る。主題は家族であるが、アウトプットを提供しない虚業の経営者が関わると醜い結果になる。虚業の経営者ではなく、社会課題を解決する価値を提供することが本当のビジネスである。

戦争を煽るタカ派政治家が登場する。その本音は「平和を壊して、人類を滅亡に僅かでも近づけること」であった(268頁)。恐ろしく迷惑な考えである。現実に存在しそうなところが恐ろしい。他国との対立を煽ることは必ずしも国民の利益になるとは言えないが、人類滅亡が目的ならば合理的になる。

もっと大物の政治家も登場する。彼は高い理想を持っていることが最後に分かるが、彼も日常生活から遊離している。政治家は消費者感覚や民間感覚が必須条件になると感じた。

終盤の展開は映画『シックス・センス』を連想した。死者を感じる能力が意味を持つ。理咲の物語はやり直しの物語になるかに引き込まれた。冒頭のニーチェの永劫回帰の議論がテーマになっている。

青山剛昌『名探偵コナン 5』

青山剛昌『名探偵コナン 5』は毛利蘭の親友の鈴木園子が登場する。今やすっかりレギュラーメンバーになっているが、初登場は5巻である。本作品が長寿作品でなければ決して早いとは言えない。

園子はキャラクターも深まっておらず、異性の好みもイマイチである。設定上都合の良い金持ちキャラとして出したところか。園子と比べれば出番がはるかに少ない園子の姉も、ここで一緒に初登場である。

次のカラオケボックス殺人事件も園子が登場する。コナンを事件現場に遭遇させる設定上便利なキャラクターなのだろう。この事件は非常に悲劇的である。すれ違いの悲劇である。

しかし、乱暴な言葉を使っているが、本心に悪意はないことを理解してというのは甘いだろう。言われた方が腹を立てることは当然である。それは誤解ではなく、表現に対する正しい理解になる。

2019年は吉本興業ホールディングスの岡本昭彦社長の発言が炎上した。パワハラ暴言を「はっぱをかけるため」「激励のつもりだった」と正当化する昭和の感覚は絶滅した方がいい。それで、はっぱをかけられるほど人間は浅ましくない。芸能界のパワハラ体質を描いたという点では先進的な作品である。
マンションだまし売り被害を消費者契約法で解決した裁判闘争を描くノンフィクション『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者。
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