原泰久『キングダム 30』(集英社、2013年)は合従軍襲来編の続き。禍燐の軍五千が背後から函谷関突破を狙う。禍燐はインパクトが強い。身勝手なキャラクターであるが、誰よりも目的の達成を重視している。目的の達成を考えているから、無駄なコミュニケーションに付き合わない。集団主義的なガンバリズムが蔓延する日本型組織では出にくい才能である。
ここで王翦が活躍する。桓騎もストレートに王翦を評価している。王翦は自らが王になろうとする危険人物と位置づけられている。しかし、そのような危険性を裏付ける描写はない。史書の王翦は政の猜疑心の強さを認識し、わざと小人物に見せかけるという工夫をして粛清を免れた。王になろうとする野心は見られない。自らが王になろうとしているとの設定が活かされるのか注目である。
合従軍は韓と楚の総大将を失い、函谷関の攻略にも失敗した。しかし、李牧は別のルートで咸陽攻略を目指す。後の劉邦も函谷関を通らずに咸陽を攻めている。李牧はホウケンを総大将として押し立てる。史書の李牧は本作品ほど活躍していないが、史書との整合性を確保する上手い設定である。
信は王騎に続いて二人目の師匠と呼ぶべき存在を李牧とホウケンのコンビに殺される。李牧やホウケンは悪辣な憎き仇となりそうであるが、そのように描かれないところが本作品の奥深いところである。元はと言えば秦が魏の山陽を占領し、現代流にいえば同化政策で完全に自国領土化したことが問題である。これは戦国時代の流儀とは異なるため、諸国が脅威を感じて合従軍になった。李牧を応援したくなる。
信は李牧やホウケンには実力で及ばない状態であった。戦いではピンチに陥るが、亡くなった将軍達の思いを抱えてパワーアップして倒す精神論根性論が繰り返されそうである。この昭和に先祖帰りしたような展開が支持されることが良いことかどうかは微妙である。
ここで王翦が活躍する。桓騎もストレートに王翦を評価している。王翦は自らが王になろうとする危険人物と位置づけられている。しかし、そのような危険性を裏付ける描写はない。史書の王翦は政の猜疑心の強さを認識し、わざと小人物に見せかけるという工夫をして粛清を免れた。王になろうとする野心は見られない。自らが王になろうとしているとの設定が活かされるのか注目である。
合従軍は韓と楚の総大将を失い、函谷関の攻略にも失敗した。しかし、李牧は別のルートで咸陽攻略を目指す。後の劉邦も函谷関を通らずに咸陽を攻めている。李牧はホウケンを総大将として押し立てる。史書の李牧は本作品ほど活躍していないが、史書との整合性を確保する上手い設定である。
信は王騎に続いて二人目の師匠と呼ぶべき存在を李牧とホウケンのコンビに殺される。李牧やホウケンは悪辣な憎き仇となりそうであるが、そのように描かれないところが本作品の奥深いところである。元はと言えば秦が魏の山陽を占領し、現代流にいえば同化政策で完全に自国領土化したことが問題である。これは戦国時代の流儀とは異なるため、諸国が脅威を感じて合従軍になった。李牧を応援したくなる。
信は李牧やホウケンには実力で及ばない状態であった。戦いではピンチに陥るが、亡くなった将軍達の思いを抱えてパワーアップして倒す精神論根性論が繰り返されそうである。この昭和に先祖帰りしたような展開が支持されることが良いことかどうかは微妙である。
