2010年11月

延坪島砲撃事件による朝鮮学校無償化停止の不当(下)林田力

【PJニュース 2010年11月30日】本書は「はしがき」で「在日コリアンと呼ばれる民族的なマイノリティー(少数者)が戦後の日本社会をどのように生きてきたかを知ってもらうこと」を本書の目的の一つとする。ここには、これまで在日コリアンの問題について広く知ってもらいたいという思いがある。日本社会が直視してこなかった在日コリアンの問題に光をあてただけでも本書には意義がある。

しかし、本書を読めば、在日コリアンが抱える問題は在日コリアンであるが故の問題とは言い切れないことが分かる。確かに在日コリアンは在日コリアンであるが故に差別され、非合理な扱いを受けている。しかし民族の相違が根本的な問題ではない。在日コリアンを差別する日本社会は、日本人に対しても同じように牙を剥けることを認識する必要がある。

金喜老事件では静岡県警による民族差別が問題になったが、当の警察官は「私には朝鮮人を侮辱したことは身に覚えのないことであるが、万一そういうことがあったら謝罪する」と何ら謝罪になっていない相手の感情を逆撫ででする発言で応じた(本書54頁)。過去の問題を直視しない警察組織の不誠実は、日本人に対する冤罪事件でも見られるものである。

また、在日コリアンは日本国籍を持たないという理由で就職や入居を断られている。これも在日コリアン特有の問題ではない。例えば老人も同じである。就職したいと思っても年齢制限に引っかかることが多い。独居老人には家を貸してくれないことも多い。

在日コリアンの差別を放置・助長するような政府では日本人の人権を保障してくれるかも疑わしい。日本国憲法が保障した自由や平等や個人の尊厳が、いかに日本社会に定着していないか、愕然とする思いで本書を読んだ。この意味で差別を是正するための在日コリアンの裁判闘争は、日本人の人権状況も向上させるものである。
http://news.livedoor.com/article/detail/5173400/
http://www.pjnews.net/news/794/20101126_4
最終章では「残された課題」と題して在日コリアンの参政権の問題について紙数を割いている。裁判によって権利回復を図ろうとしてきた在日コリアンが参政権に行き着くことは当然の帰結であった。何故ならば多くの判決が、在日コリアンへの配慮が欠いている現状を認めつつも、立法政策の問題として在日コリアンを敗訴させていたためである。

どのような法制度を採用するかは国会が決める問題である。そのため、裁判所は国会の判断を尊重し、法律が存在しないのに、または法律に反してまで在日コリアンを救済することに消極的であった。このような裁判所の姿勢は司法消極主義と呼ばれ、強い批判も存在する。

司法消極主義が正当化できるとしたら、国会が国民の代表者である国会議員によって構成されているためである。国会議員が国民の代表者であるという図式(治者と被治者の自同性)が成立する限りにおいて、国会の議決は国民の意思を反映したものとなる。仮に国会の議決が不当であり、国民の利益を損なうものであるならば国民は次の選挙で国会議員を代え、法律を改廃することができる。故に裁判所としては国会の判断を尊重すべきとの結論が導かれる。

この司法消極主義の論拠に対しては少数派を考慮していないとの批判がある。そして少数派の権利を守ることこそ、司法の務めであると問題提起されている。一方で在日コリアンにとって司法消極主義は不合理である。在日コリアンには選挙権・被選挙権がないためである。在日コリアンには自分たちの代表を選ぶ権利がない。それなのに裁判所は国会で決めるべき問題であるとして門戸を閉ざしてしまった。司法消極主義の傾向が強い日本の裁判所は法律による差別に鈍感であり、法律自体を改廃しなければ権利回復ができない。在日コリアンは参政権を持たなければ救済されない。

高校無償化での朝鮮学校差別は政治の場で人権が軽視されていることを示した。人権意識の低い日本では、在日外国人は政治に参画しなければ自らの権利を守ることができないかもしれない。それは日本の人権状況の改善にもつながることである。【了】

『龍馬伝』完結、民主主義を求めた龍馬の志:リアルライブ

 NHK大河ドラマ『龍馬伝』では、11月28日に最終回「龍の魂」が放送された。坂本龍馬を主人公とする作品は、時代に先んじた龍馬のヒーローぶりが突出する傾向にあるが、『龍馬伝』は、迫力のある脇役や、通行人まで凝った映像などで、重厚なドラマを楽しめた。

 坂本龍馬(福山雅治)の暗殺は史実である。2001年放送の大河ドラマ『北条時宗』での主人公の義兄・北条時輔のように、史実に反してドラマでは生きていたという展開に持っていくことも不可能ではなかった。しかし、『龍馬伝』第4部では、語りの岩崎弥太郎(香川照之)が毎回番組の最後に「龍馬暗殺まで、あと○ヶ月」と暗殺までのカウントダウンをしており、暗殺は既定路線と予想できた。

 実際、暗殺は無慈悲に行われた。志半ばで殺されてしまう無念、そのような理不尽なことが起きてしまう現実の不条理を強く実感できた。一方、これまでの流れでは、龍馬暗殺の動機を持つ人物が次々と登場し、暗殺の黒幕が誰なのかというミステリー的な盛り上がりもあった。しかし、最終回での龍馬暗殺の描写は禁欲的であった。龍馬暗殺に対する木戸貫治や西郷吉之助の反応を見てみたい気がするが、それも視聴者の想像に委ねられた。

 その代わり、最終回では龍馬の作成した新政府綱領八策の「○○○自ラ盟主ト為リ」にスポットライトが当てられた。新政府を率いる人物(盟主)を伏せ字にしている。この○○○が誰を意味するのかについては、現在でも議論されている。徳川慶喜(慶喜公、大樹公)や山内容堂(容堂公)などとする説がある。
http://npn.co.jp/article/detail/69093482/
 ドラマでも○○○が誰かが問題になった。薩摩藩でも長州藩でも○○○には具体的な人物が想定されているものと受け止め、それが慶喜ではないかと警戒していた。しかし、龍馬の考えは別次元のところにあった。龍馬は中岡慎太郎(上川隆也)に「志のある者を皆で選ぶ」と語った。

 これは民主主義における選挙の考え方である。現代日本は民主主義体制であるが、龍馬が目指した理想は実現できているだろうか。現代人にも考えさせられるドラマであった。
林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)

宇多田ヒカルがアルバム首位

宇多田ヒカルがアルバム首位
活動休止前のベストアルバムが首位となり、七作連続首位の快挙となった。

東急不動産工作員とネット右翼の共通性

ネット上では東急不動産工作員が東急不動産だまし売り裁判への印象操作を始めた。東急不動産工作員の攻撃はワンパターンである。東急不動産が不利益事実を隠して地上げマンションをだまし売りした事実は否定できず、論理では勝てない。そこで原告の名前を匿名掲示板で連呼して、誹謗中傷を繰り返す。事実は東急不動産が敗訴し売買代金返還を余儀なくされたのに、東急実質勝訴とデマを連呼することも特徴である。
東急不動産工作員は絶好調というよりも、絶叫調であった。まるで暴風圏にいるようであった。東急不動産工作員は金切り声で叫びたてているが、それこそが東急不動産の敗訴を物語る。東急不動産工作員は、わめくしか能がない。東急不動産工作員は自分の意見が通らなければ、相手を馬鹿扱いし、言葉尻を捉える。余程覚えが悪いのか頭が悪いのか、東急不動産工作員は、同じ悪事ばかりを繰り返すものの一向に成功しない。
東急不動産工作員には以下の特徴がある。
第一にネット右翼との共通性である。東急不動産工作員は相手を攻撃して論破すれば自分の正しさが証明されたと勘違いするネット右翼と同じであった。また、一点突破で執拗に相手を攻撃することで相手を精神的に参らせるという卑怯な戦術もネット右翼と同じであった。東急不動産工作員が狙い撃ちにしている存在は消費者や労働者、悪徳商法の被害者や貧しい人である。これもネット右翼と共通するメンタリティである。
日本語を読めず、論理破綻した東急不動産工作員のコメント読むと、東急リバブル東急不動産の愚かしさが思い出される。東急リバブル・東急不動産も、ろくな反論ができないくせに「隣地建物が建て替えられて綺麗になるから良い」などと日照が皆無になる人に対する嫌がらせ発言だけは上手であった。「植民地支配でインフラ整備したのだから、強制連行や従軍慰安婦で奴隷にされても韓国人は日本に感謝しろ」と言うネット右翼と同じ論理を東急リバブル・東急不動産が有していることは興味深い。
http://ameblo.jp/tokyufubai/entry-10720798159.html

RE: 運営委員会で、検討しましたのでお応えします。 ありがとうございます。

運営委員会の最終判断は尊重したいと思いますが、私には違和感があります。
問題の「バカ組」発言は何ら根拠なく、バカと罵倒したもので、不適切な発言と考えます。
> 反論反撃できるのだから、ぜひとも、相手を上回る反論メールをだしていただきたい。その機会を、だれも奪っていないのだから。
とのことですが、根拠を提示せずにバカと決め付けた発言には、そもそも論拠がかけており、反論に値するだけの内容すらありません。せいぜい根拠なくバカと決め付ける奴がバカであると応酬することになります。バカと罵倒された被害者には、その資格はありますが、そのような応酬が展開されることがMLにおいて好ましいこととは思えません。それ故に言われた側も裁定を申し立てたものと思います。
> そもそも、バカという言葉自体、相手を罵倒することばですが、ユーモアのある言葉でもあります。
特に上記の文言に違和感があります。ほとんどの差別語にも差別者にとってはユーモアが含まれており、「ユーモアのある言葉」ということでは問題発言を正当化することはできないと考えます。言われた側が「そこまで発言者に悪意はないだろう」などと善意に解釈しなければならない筋合いはありません。それは不公正です。それこそ馬鹿な人間は「私は言葉が悪いが、悪意はないので理解してね」などと馬鹿な発言をする傾向がありますが、そのような馬鹿な人間には、わざと硬直的な対応をすることが正当です。
発言の影響度合いから「『バカ組』発言は、取り上げて裁定するような、ものではないと考えます。」との価値判断は理解できなくもありません。しかし、それ故にこそ、裁定を求める意義があると思います。鈍感な人間ならば流してしまって何事もなく済まされるところを裁定を求めることで問題提起になったと思います。裁定結果が何であれ、問題提起によって、発言者への牽制になれば好ましい結果です。
今回の論争の発端は「第40回赤旗まつり開催=東京・江東」で、赤旗まつりと無関係な内容で共産党批判が展開されたことに気持ち悪さがありました。議論の中で論点が移動することはありますが、最低限のマナーとして相互主義を保ちたいと思います。相手の論点を認めた上で、それとは異なる論点を問題にしたいならば理解できます。
しかし、相手の論点を無視して自分の言いたいことだけを発言するならば、自分の論点が無視されても文句は言えないでしょう。その点で実は私も「バカ組」発言者と近い感想を有している面もあるのですが、言われた側が流さずに裁定を申し立てたことは高く評価したいと思います。
林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
http://hayariki.wetpaint.com/
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