2012年02月

不見当

「不見当」は提出を要求された書類や証拠物が「見当たらなかった」ことを指す言葉であるが、当該物件を提出したくないときに「ない」と嘘をつかずに誤魔化すために使われる言葉である。
この「不見当」は主に刑事裁判で弁護人側の証拠開示要求に対して検察側の回答で使われるものである。たとえば痴漢冤罪事件を扱った映画『それでもボクはやってない』でも弁護人側の要求に検察が「不見当」と答えている。
冤罪事件・佐賀市農協不正融資事件でも弁護人側が要求する供述調書を検察側が不見当と答えた。これは2006年3月5日に放送されたテレビ朝日『ザ・スクープスペシャル』「検証!日本の刑事司法 ?? 布川事件39年目の真実 ??」でも取り上げられた。
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光市母子殺人事件、死刑確定後の実名報道の違和感 林田力、権力犯罪をマスコミは放置している

死刑廃止は理想としては支持できます。権力犯罪を追及すべきという点にも賛成です。しかし、それを光市母子殺害事件の文脈で主張することには疑問があります。光市母子殺害事件に対する私のスタンスは昔から以下の通りです。

「私は硬直的な司法制度と戦い続けた本村洋氏を尊敬する。私自身、民事訴訟であるが、マンションの売買契約をめぐって東急不動産と裁判闘争をした経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。

引渡しが終わった不動産取引では契約の白紙撤回が認められることは難しいと指摘されたが、泣き寝入りしなかった。消費者契約法に基づく契約取消しを貫き通し、売買代金の全額返還を勝ち取ることができた。新たな先例に踏み出させることの大変さを実感しているため、本村氏の活動には感服する。」(林田力「オーマイニュース炎上史(4)光市事件中編」PJニュース2010年8月15日)

オルタナティブの世界では普通に酷い問題が逆に問題とされずにスルーされてしまうことがあります。今はヒステリックにハシズム批判の大合唱です。ハシズムを擁護するつもりはありませんが、官民格差への怒りなど支持される理由を直視しなければ、既得権を守るための批判に映ってしまいます。普通に酷いものを酷いと言う感覚は持ち続けたいものです。東急不動産だまし売り裁判も「マンションだまし売りは酷い」という感覚が出発点でした。

死刑廃止論からは「いかなる残虐非道な犯罪者であろうとも国家が死刑を科すことは許されない。故に元少年も死刑にすべきではない」という結論になります。犯罪者憎しで世論が沸騰する中で上記の議論を展開するならば、その勇気を認めます。しかし、光市母子殺害事件の弁護団は異なりました。「殺意はなかった」などの不合理な主張を展開することによって死刑を免れようとしました。

現在の判例の枠組みでは死刑が合法であることは固まっています。それ故に弁護団が死刑の非人道性や違憲性を格調高く論じたところで、勝てる見込みは限りなく低いものです。それ故に法廷戦術として殺意を否認したのでしょうが、遺族感情や世論を無視した独り善がりな主張でした。嘘のつき得になっている日本の裁判において、最高裁判所が主張の不合理を理由の一つに認めたことは支持できます。

弁護団の反社会性は散々批判されていることですので、もう一つの視点を追加します。弁護団の所業は裁判闘争に真面目に取り組む市民をも嘲笑するものです。現在の枠組みでは可能性は限りなく小さいことを知りながらも日本国憲法の可能性を信じて闘っている市民がいます。現行の法律や判例の枠組みでは否定されていても、日本国憲法上の幸福追求権や平和的生存権などの人権を拠り所として、日本国憲法の実質的な適用を求めて闘っている市民は大勢います。

たとえば東急電鉄・東急不動産主体の再開発・二子玉川ライズの差し止めを求める裁判が最高裁判所に係属中です。ここでも憲法第13条の生命・自由・幸福追求権や第25条の生存権を基礎とする良好な環境の下に生活し続ける権利、環境権、まちづくり参画権を拠り所にして判決の見直しを求めています(林田力「二子玉川ライズ反対運動が学習決起集会開催=東京・世田谷」PJニュース2011年5月9日)。

http://www.pjnews.net/news/794/20110508_4

マスメディアは権力犯罪を大いに追及すべきという点は賛成しますが、やはり光市事件と比較する文脈で述べるものではありません。被害者遺族を目の前にして「犯罪者を憎むよりも東京電力を憎め」とは言えません。

また、権力犯罪という言葉にも難しいものがあります。小沢一郎氏の政治と金の疑惑を延々と追及するジャーナリズムも当人達にとっては権力犯罪を追及しているつもりです。戦後日本で最も有名な権力犯罪の追及は田中金脈問題ですが、これも今の小沢氏と同じく対米従属派による田中角栄追い落としの一環という見方もあります。

ベースとなる社会観が備わっていない状態で、単純に権力犯罪にシフトさせるだけでは、かえって危険な結果になる可能性もあります。その点では『東急不動産だまし売り裁判』著者としては消費者問題など身近な企業犯罪にも目を向けて、生活者の視点を養ってほしいと考えています。

実名報道については、マスメディアというものは制約がなければ実名で報道したがるものです。権力の陰謀以前の問題として、5W1Hを明確にするように訓練されています。

林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
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Re:「不自由の象徴」星飛雄馬

世代的価値観が理解できるものとして、興味深い記事でした。CMがウケている若い世代に近い立場からコメントします。
「日本の高度成長期、社会と個人が試練を乗り越え成長していく姿を投影した、サクセスストーリー」というガンバリズム精神自体が否定すべきものと映っています。それ故に不自由の象徴にすることは、「ちょっとした思いつきでおもしろ可笑しく使われる」という以上の意味があります。この種のCMが登場したことを歓迎します。
昨年同時期に放送されたドラマ『南極大陸』の不評と『家政婦のミタ』のヒットから似たようなことを感じました。
『家政婦のミタ』のエゴと『南極大陸』の協調性
http://npn.co.jp/article/detail/65519029/
『家政婦のミタ』『専業主婦探偵』ガンバリズム否定の労働者像
http://npn.co.jp/article/detail/82400422/

林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
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「橋下人形と新自由主義の大実験」に賛同:林田力

ゆりひなな「橋下人形と新自由主義の大実験」『軒づけ日記』に賛同する。この記事は記事の第一文であり、転載先ブログのタイトルにも使われた「橋下さんは、ほんまに『独裁者』なんかな〜?」でも知られている。

橋下徹・大阪市長は独裁者と批判され、ハシズムという造語まで生まれている。これに対して『軒づけ日記』では橋下市長の問題点の本質を新自由主義と分析する。その上で独裁を批判することはハシズムの本質を見誤らせると警告する。この視点は貴重である。私も東京都知事選挙の後に、東京都知事選挙直後に石原東京都知事の勝因を類似の分析を行った(林田力「反石原慎太郎の多義性と曖昧性」)。

『軒づけ日記』は独裁批判では本質的な批判にならず、ハシズムの本質は新自由主義と分析する。この主張を展開するために独裁と新自由主義を対比的に扱っているが、独裁の害悪を否定している訳ではない。「橋下さんのやろうとしてることが、『独裁』ではなく、その逆の『完全自己責任化』による『責任放棄』」「人形橋下さんを操る財界の目的は、『独裁』ではない」との表現もあるが、究極の目的は独裁ではなく、独裁は新自由主義の手段と主張しているに過ぎない。

実際問題として、新自由主義と独裁は相性がいい。現実に新自由主義の政治家は揃いも揃ってタカ派であり、発展途上国で進められたグローバリゼーションは独裁的な強権そのものである。新自由主義者の語る小さな政府は警察権力の小さな政府では決してない。公務員の腐敗を目の前にすると純粋な理論としての新自由主義経済政策には魅力を感じるが、政策としての新自由主義の実態は宣伝する価値がある。

ここからは独裁批判が新自由主義批判にもなる、それ故に独裁批判の大合唱に加わるべきという考えも成り立つ。それでもハシズムに対して独裁批判よりも新自由主義批判という『軒づけ日記』の主張は正当である。何故ならば独裁を批判する側が自らの独裁的体質に無自覚であるためである。

一般に独裁者とのレッテルは権力者に対して付けられる。権力のない独裁者は白い黒猫のような論理矛盾になる。しかし、権力を持たなくても独裁者的体質が感じられるケースはある。たとえばメーリングリストにおいて自分のことを棚に上げ、俺がルールと言わんばかりに審判になりたがり、他人の表現を批判するような人物を目にしたならば、何ら権力を持っていなくても独裁者的体質を感じてしまう。辞書的な意味を厳密に追及すれば、それは独善であって独裁とは異なるが、問題は一般的なイメージである。

この種の独裁者的体質は残念なことに石原都知事や橋下市長を批判する側にも存在する。むしろ大多数の市民は石原都知事や橋下市長を批判する政治勢力側に独裁者的体質を感じている現実がある。そのような人々が声高に独裁を批判したところで、まさに「独裁?はぁ〜?何言うてんの。」となってしまう。反対に新自由主義の政治家にとっては独裁者のレッテルが貼られることで無機的な市場原理主義者のイメージを回避でき、イメージアップになるというメリットさえある。

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反石原慎太郎の多義性と曖昧性
http://hayariki.net/poli/tokyo.html
2011年4月の東京都知事選挙では反石原がキーワードの一つになりながらも、石原慎太郎氏が再選を果たした。反石原という論点が生じながらも、それが大きなうねりにならなかった要因として反石原という言葉の曖昧性・多義性がある。
反石原の声は大きく3パターンに分類できる。
第一に「大震災は天罰」発言など数々の暴言への反発、つきつめれば石原慎太郎という人格に対する嫌悪感である。これが一般的には最も強い反石原イメージであるが、好き嫌いの問題である。石原氏を嫌っていない大多数の有権者の心には響きにくい(「石原慎太郎支持層に届かなかった石原批判」PJニュース2011年5月9日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110508_5
第二にタカ派と呼ばれる石原氏の保守・反動思想への批判である。しかし、これも首長選の選挙戦術として前面に出すことは難しい。保守・反動思想への対抗軸は平和主義・護憲運動になるが、それらは市民派結集の軸になりにくい。
反戦・平和主義は十五年戦争当時に侵略戦争に反対したかをめぐり、旧社会党系と共産党系で溝がある(林田力「共産党と社民党の大きな溝」PJニュース2010年3月22日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100321_5/
護憲運動は日本国憲法自身が国民主権や法の下の平等に矛盾する天皇制を規定しているという矛盾と歴史的限界を抱えている(「中井洽の非礼発言と天皇制の対立軸化(下)」PJニュース2010年12月5日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101202_5/
どちらも突き詰めると市民派の団結よりもセクト的対立を誘発しがちである。現実に対立をもたらしてきた経緯がある。
第三に石原都政の新自由主義・構造改革路線への批判である。『空疎な小皇帝−石原慎太郎という問題』の著者・斎藤貴男氏は、石原都政が小泉純一郎政権の構造改革を先取りしていたと指摘する(東京を考えるシンポジウム実行委員会主催シンポジウム「もう、ごめん!石原コンクリート都政」2010年2月13日)。築地市場移転や東京外郭環状道路(外環道)などの開発優先と、都立病院廃止などの福祉切り捨ては構造改革路線に合致する。
石原氏を構造改革派と位置付ければ、そのタカ派姿勢もレーガン、サッチャー、中曽根康弘、小泉の各氏ら従前の構造改革派と共通する要素と理解できる。石原氏をウルトラ保守の異常な政治家と位置付けるよりも、既に出尽くしている構造改革派の亜種と位置付けた方が、そのカリスマ性を奪うことができる。
そして小泉政権に対しては靖国神社参拝や自衛隊のイラク派兵よりも、格差拡大や貧困の批判が強かった。それを踏まえれば、反石原も構造改革路線への批判を前面に出すことが効果的である。
しかし、構造改革批判は第一の人格批判によって相殺されてしまう危険がある。構造改革路線の問題は全てを金銭的価値で評価する市場原理主義である。血も涙もない非情な市場原理主義に対して、批判者は人間性を対置する。構造改革派を無機的な金の亡者と描けるならば構造改革批判は成功である。
ところが、石原氏の暴言が逆に彼の人間味として受け止められ、構造改革派の非情さを見えにくくしてしまう。石原氏の批判者にとって石原氏の暴言は彼の冷酷さの表れであるが、人間としての冷酷さである。差別感情をあらわにすることで、無機的な市場原理主義者のイメージを回避できる。構造改革路線の成功者の小泉氏も首相就任当初は変人というキャラクターが国民的関心を集めた。
東日本大震災後の自粛選挙によって構造改革批判の論点を深められなかった点が反石原陣営にとって残念な点になるだろう。
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林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
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東急電鉄・東急不動産の住民トラブル

品川区の東急大井町線の高架下の住民らは東急電鉄(東京急行電鉄)に立ち退きを迫られている。十分な生活保障もなしに長年住み慣れた家を追われ、路頭に迷う苦境に追い込まれようとしている。

世田谷区では東急電鉄・東急不動産主体の再開発・二子玉川ライズが住環境や自然を破壊している。高層ビルのビル風に吹き飛ばされ、骨折した老婦人もいる。東急電鉄の秘密主義や住民への不誠実な対応が紛争を拡大させている(「「ブランド私鉄」東急沿線で住民反対運動が噴出するワケ」週刊東洋経済2008年6月14日号)。

静岡県裾野市では、東急電鉄が下水処理費用をめぐってニュータウン管理組合と紛争になる。管理組合では2005年に東急電鉄の施設の汚水処理費の負担が異常に少ないことに気付き、是正を求めている。

渋谷駅桜丘口地区市街地再開発の対象地域の渋谷区桜丘町では暴力団員による賃借人への暴力的な地上げが行われた雑居ビルを東急不動産が地上げ会社から購入した。賃借人は東急不動産に抗議した(山岡俊介「本紙既報の東京・渋谷再開発地区違法地上げ(最終とりまとめは東証1部大手不動産会社?)で、暴力団組員など逮捕に」アクセスジャーナル2008/07/18)。

東急リバブル・東急不動産は隣地建て替えなどの不利益事実を隠して新築分譲マンションをだまし売りし、購入者とトラブルになっている。江東区のアルス東陽町301号室だまし売りは、消費者契約法・不利益事実不告知で不動産売買契約が取り消されたリーディングケースとなる(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』)。

この裁判を契機に「自分もこのような目に遭った」と上記訴訟の枠を越えた東急への批判が続出して炎上状態になった(「ウェブ炎上、<発言>する消費者の脅威」週刊ダイヤモンド2007年11月17日号)。

同じ江東区の東急ドエル・アルス南砂サルーテでも東急リバブル・東急不動産が隣地建設で日照0時間になることを説明せずに販売し、購入者とトラブルになった(「入居後に環境激変で住民訴訟 どこまで許される営業トーク」週間ダイヤモンド2000年10月14日号)。横浜市のアルス横浜台町でも隣地建て替えを隠して販売し、購入者と裁判になった。

千葉市緑区あすみが丘の分譲住宅地ワンハンドレッドヒルズ(チバリーヒルズ)の住民らが、警備体制が契約に反するとして東急不動産に売買代金の一部返還を求める訴えを東京地裁に起こした。
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東急不動産は分譲マンション建設時に周辺住民から問題を指摘された。横浜市栄区のブランズ本郷台では平均地盤を操作して、法律が許す20m以上の建物を建てようとしていた。東急不動産は横浜市役所からも平均地盤は一番低い部分を取るようにと指導された。

川崎市宮前区で建設を予定していた鷺沼ヴァンガートンヒルズでは鉛やヒ素、六価クロムなどの土壌汚染が発覚し、建設が中止された。

江東区のプライヴブルー東京では東急不動産が江東区の協力要請に応じずに建設を強行したマンションとして江東区から名指しされた(「江東区の協力要請に応じないマンション事業計画に係る公表について」)。

平塚市の湘南袖が浜レジデンス、文京区のブランズ文京小石川パークフロント、守谷市のブランズシティ守谷では建設反対運動が起きた。
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