2012年10月

東京都知事選挙は開発問題を争点に

東京都知事選は開発問題を争点にすべきである。石原慎太郎知事の突然の辞任表明で降ってわいた東京都知事選であるが、市民派にとって大きなチャンスである。問題が明らかにも関わらず、一般の支持を得ていた石原氏が相手でなくなるためである。石原氏という良くも悪くもユニークな人物が都知事選挙に出ないことで石原都政に対する本質的な議論が可能である。
石原都政の本質は新自由主義である。小泉構造改革の先取りであった。新自由主義は思想的には国家権力(を握った人物)の限界という問題意識がある。それ故に「民間でできることは民間に」となる。これは理念としては評価できる面があるものの、その実態は権力を都合よく使った金儲けである。東急リバブルが転売で濡れ手で粟の利益を得た「かんぽの宿」問題が典型である。権力志向の強い石原氏では新自由主義の自由主義的側面は乏しく、権力性が露骨である。
東京都では外郭環状道路や築地市場移転などの多数の開発問題を抱えている。住環境破壊の再開発・二子玉川ライズも住民の圧倒的な反対意見を無視して東京都が認可したものである。下北沢では保坂世田谷区長が住民とのシンポジウムなどを重ねて作成した跡地利用計画案の公表に抗議することまでしている。
石原批判と言えば石原氏のウルトラ保守主義批判に集中する傾向があったが、それは逆効果があった。一般都民は逆に批判者のイデオロギー的な異常性を感じてしまうことが多い。
石原氏のウルトラ保守主義は弱者の痛みを理解しない偏狭さを反映したものである。しかし、イデオロギー的な石原批判者も一般人の目に寛容とは映らない。君が代日の丸の強制を批判する元教師が教育委員会と戦う元校長を教育委員会に対する批判と同じトーンで批判するなど尋常ではない。そのような立場からの石原批判は一般人に石原批判者の異常性を認識させ、石原応援団として機能してしまう。
脱原発は重要な政治テーマであるが、それをメインとすべきではない。前回の選挙で小池候補の票が伸びなかったように脱原発だけでは勝てない。
石原氏は自他共に認めるバリバリの原発推進論者であるが、東京都政は電気料金値上げの前に東電病院の売却を求めるなど重要な動きを見せている。脱原発を進める上で電力会社の地域独占という特権的地位の打破は必要である。脱原発か否かで色分けすることはナイーブである。
また、脱原発を前面に出すと放射脳カルトが寄ってくるというマイナスの問題がある。真っ当な政治勢力ならば左右を問わず、放射脳カルトを切り捨てなければ成り立たない。
石原氏が後継として指名した猪瀬副知事は道路公団の民営化で名を馳せた人物である。無駄な道路建設による税金の無駄遣いを批判する立場からの広範な支持が見込まれる。これは石原氏を相手とする場合とは異なる新たな脅威である。
しかし、実態は道路公団が民営化しても不要な道路建設は続いている。ネクスコ東日本の道路建設への住民反対運動も起きている。むしろ、民営化したために近視眼的な皮算用で道路建設が正当化され、将来的な人工減少を見据えた議論が一層通じにくくなった。これは開発問題を主要争点とすることで問題を浮き彫りにできる。
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林田力『東急不動産だまし売り裁判』悪魔の手口

林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社)は、不動産業者が消費者にマンションを販売する際にセールスポイントだけでなく、不利益事実も説明する必要があることを浮き彫りにした。東急不動産だまし売り裁判のような消費者契約法違反が発覚すると、不動産業者は信頼回復へ長い道のりを辿ることになる。

林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社)は悪徳不動産会社の悪魔の手口を公開する。消費者自身や家族、親戚にまで「あの世行き」にしかねない分譲マンション購入契約の大きな落とし穴を紹介する。マンション販売時は利益となる事実しか告げず、不利益事実には一切触れないために要注意である。

東急リバブル東急不動産のマンションだまし売りや不誠実な対応は許せない。詳しい人に言わせれば、悪名高い東急不動産のマンションに問題があることも、客を客とも思わない不誠実な対応がなされることも容易に理解できるという。

マンションだまし売りによって大借金を抱えてほとんど身動きがとれなくなり、最悪の場合は破産して一家心中や一族身売り状態に追い込まれた人々も存在する。外国の話ではなく、過去の話でもなく、現代日本の話である。だまされてマンション購入契約を結んだがために借金苦に喘いでいる消費者も存在する。会社ぐるみの悪質な組織的詐欺事件である。

多くの日本人は自分達の拠って立つ大地に根を下ろすことのないまま、健忘症にかかり、過去を水に流して三歩歩くと忘れてしまう鶏のように生きている。それでも忘れてはならない事件がある。東急不動産だまし売り裁判(東急不動産消費者契約法違反)アルス東陽町301号室事件も、その一つである。これは私達の錆びついた良心が判断しなければならない社会的な問題であり、目をしっかり見開いて直視しなければならないものである。この事件を掘り下げた人物がいる。

他でもない東急不動産だまし売り裁判原告の林田力である。類稀なる論理力と誰も真似できない粘り強い執念で、時には地上げブローカーや貧困ビジネスのゼロゼロ物件業者などの嫌がらせを受け、困難な目に遭いながらも裁判闘争を遂行してきた。悪徳不動産業者に傷つけられながらも、一層気力をみなぎらせる林田力の覇気に心を揺さぶられた。『東急不動産だまし売り裁判』を読めば林田力が東急不動産だまし売り事件から引くに引けない道義的責任を感じていることが分かる。

『東急不動産だまし売り裁判』は日本社会が完全には腐敗しきっていないことを示す証拠である。問題を克服するためには東急不動産だまし売り事件を満天下にさらさなければならない。マンションだまし売り被害者がマンションだまし売り事件に沈黙してしまったならば最早生きているとは言えず、上辺だけを取り繕う偽善者に過ぎなくなる。東急不動産の敗訴に欣喜雀躍する思いである。

『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社)の型破りの大きさに心から魅せられた。東急リバブル・東急不動産は不利益事実を隠した新築マンションだまし売りで消費者・林田力を奈落の底へ突き落した。東急リバブル・東急不動産は嘘で嘘を塗り固める。真実を覆い隠すと悲劇が拡大する典型例である。

それでも根無し草のように自分を信じられぬ悪徳不動産営業と比べて、しっかりと根を下ろした林田力の幸せを感じ取らずにはいられなかった。東急リバブル・東急不動産に虐げられた人々を思いやる林田力の細やかな心遣いは得難い資質である。

『東急不動産だまし売り裁判』は、ぼやけていた映像が鮮明度を増していくような感触を覚える書籍である。『東急不動産だまし売り裁判』を読むと悪徳不動産業者への敵対感が頭をもたげてくることを抑えきれない。胸が張り裂けんばかりに心臓の鼓動が高鳴る。読み終えた時は魂が抜けたように言葉を失い、呆けたようになってしまった。内には悲哀と憤怒が渦巻いていた。東急リバブル東急不動産と孤軍奮闘した原告を支えてきたものは良心と豊かな感受性であった。

裁判での東急不動産側の主張は誰の行為が正しいのかという次元からは遠く離れていた。どうすれば原告・林田力の正当な請求から東急リバブルや東急不動産を防御できるのか、問題物件を売ったら売りっぱなしにして逃げ切ることができないかということに全神経を集中させていた。

『東急不動産だまし売り裁判』を読みながら毎日のように夜中まで両肘を机上について、手のひらにあごを載せては考えをめぐらせている。目を閉じ、渦巻く頭の中を一つ一つほぐして整理している。東急リバブルや東急不動産は不誠実という考えが頭の中に津波のように押し寄せる。眩しい光で目を凝らすと、東急リバブルや東急不動産の真実が目の前に浮かび上がる。

東急不動産と東急リバブルの営業に会ってみたい衝動に駆られる。「あなたのせいで無実の消費者が一生に一度の買い物でだまし売りされ、人生をメチャクチャにされたことについて考えたことがありますか」と叫びたくなる。彼らは恥を知らなければならない。恥ずかしさのあまり、自殺でもしてくれたならば快く拍手をしてあげる。しかし、できないだろう。悪徳不動産営業は卑怯で狡猾なだけで勇気はありませんから。
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多くの告発者と同様、林田力に対しても攻撃がなされている。その種の攻撃は東急不動産だまし売り事件の核心を知らないか、知っていても度外視することによるもので、林田力に対する名誉棄損であるばかりか、消費者運動に冷や水を浴びせる行為です。この種の攻撃は雇われ言論の横暴と断定できる。

消費者はゼロゼロ物件業者や追い出し屋など悪徳不動産業者の数知れない横暴に悩まされている。悪徳不動産業者の不正に泣き寝入りするならば、身を縮めて矮小になり、呼吸すら満足にできなくなってしまう。

それを忍耐という美徳と勘違いしてはならない。それは忍耐とは隔絶したものです。卑屈であり、阿諛である。このような生き方には消費者の権利伸長は望めない。この種の惰性から脱するためにも東急不動産だまし売り事件を徹底的に掘り下げなければならない。

東京都知事選は新自由主義批判をベースに

東京都知事選は開発問題を争点とすることを提案する。石原慎太郎知事の突然の辞任表明で降ってわいた東京都知事選であるが、市民派にとって大きなチャンスである。石原氏を評価しない立場でも石原氏が型破りな存在であることは認めなければならない。そのような人物が都知事選挙に出ないことで石原都政に対する本質的な議論がしやすくなる。
石原都政の本質は新自由主義・構造改革路線である。『空疎な小皇帝−石原慎太郎という問題』の著者・斎藤貴男氏は、石原都政が小泉純一郎政権の構造改革を先取りしていたと指摘する(東京を考えるシンポジウム実行委員会主催シンポジウム「もう、ごめん!石原コンクリート都政」2010年2月13日)。築地市場移転や東京外郭環状道路(外環道)などの開発優先と都立病院廃止などの福祉切り捨ては構造改革路線そのものである。
よって都知事選挙では新自由主義・構造改革批判を市民は結集のベースとすべきである。これは過去の石原当選の失敗から学ぶことでもある。過去の都知事選挙でも反石原が求められた。それでも石原慎太郎氏が再選を果たした。反石原という論点が生じながらも、それが大きなうねりにならなかった要因として反石原という言葉の曖昧性・多義性がある。
反石原の声は大きく3パターンに分類できる。第一に「大震災は天罰」発言など数々の暴言への反発である。つきつめれば石原慎太郎という人格に対する嫌悪感である。これが一般的には最も強い反石原イメージであるが、好き嫌いの問題である。石原氏を嫌っていない大多数の有権者の心には響きにくい(林田力「石原慎太郎支持層に届かなかった石原批判」PJニュース2011年5月9日)。
第二にタカ派と呼ばれる石原氏の保守・反動思想への批判である。しかし、これも首長選の選挙戦術として前面に出すことは難しい。保守・反動思想への対抗軸は平和主義・護憲運動になるが、それらは市民派結集の軸になりにくい。反戦・平和主義は十五年戦争当時に侵略戦争に反対したかをめぐり、旧社会党系と共産党系で溝がある(林田力「共産党と社民党の大きな溝」PJニュース2010年3月22日)。
護憲運動は日本国憲法自身が国民主権や法の下の平等に矛盾する天皇制を規定しているという矛盾と歴史的限界を抱えている(「中井洽の非礼発言と天皇制の対立軸化(下)」PJニュース2010年12月5日)。どちらも突き詰めると市民派の団結よりもセクト的対立を誘発しがちである。現実に対立をもたらしてきた経緯がある。
第三に新自由主義・構造改革批判である。石原氏を構造改革派と位置付ければ、そのタカ派姿勢もレーガン、サッチャー、中曽根康弘、小泉の各氏ら従前の構造改革派と共通する要素と理解できる。石原氏をウルトラ保守の異常な政治家と位置付けるよりも、既に出尽くしている構造改革派の亜種と位置付けた方が、そのカリスマ性を奪うことができる。
これに対して第一や第二の点からの批判に注力することは逆効果の危険がある。まず人格批判に専念すると構造改革批判がぼやけてしまう。構造改革路線の問題は全てを金銭的価値で評価する市場原理主義である。血も涙もない非情な市場原理主義に対して、批判者は人間性を対置する。構造改革派を無機的な金の亡者と描けるならば構造改革批判は成功である。
ところが、石原氏の暴言が逆に彼の人間味として受け止められ、構造改革派の非情さを見えにくくしてしまう。石原氏の批判者にとって石原氏の暴言は彼の冷酷さの表れであるが、人間としての冷酷さである。差別感情をあらわにすることで、無機的な市場原理主義者のイメージを回避できる。現実に構造改革路線の成功者の小泉氏も首相就任当初は変人というキャラクターが国民的関心を集めた。
タカ派批判も新自由主義批判と比べると世論に合致しない。現実に小泉政権に対しては靖国神社参拝や自衛隊のイラク派兵よりも、格差拡大や貧困の批判が強かった。それを踏まえれば、都知事選でも構造改革路線への批判を前面に出すことが効果的である。前回の都知事選挙では東日本大震災後の自粛選挙によって構造改革批判の論点を深められなかった点が反石原陣営にとって残念な点であった(林田力「反石原慎太郎の多義性と曖昧性 」PJ ニュース2011年5月10日)。

首都圏道路問題連絡会・交流集会

首都圏道路問題連絡会・交流集会が2012年10月27日、千駄ヶ谷区民会館で開催された。交流会は3部構成である。第一部は開会挨拶と特別報告と団体報告である。開会挨拶では療養中の標博重・代表幹事のコメントを紹介した。標氏は「住民が必要としない都市計画道路の廃止、政策の転換を要求しましょう」と訴えた。

東京公害患者と家族の会の特別報告では東京都大気汚染医療費助成制度の存続の訴えがなされた。大気汚染医療費助成制度は気管支ぜん息など大気汚染の影響と推定される疾病の患者への医療費を助成する東京都独自の制度である。環境省とは認識の差異があるが、「そらプロジェクト」の結果から大気汚染と健康被害の因果関係は明白である。

東京都大気汚染医療費助成制度の認定者は今でも増えている。2012年9月の新規認定者は東京都で758人いる。認定者は就労世代が多い。認定によって安心して仕事を続けられるようになった。東京都は助成の見直しを表明するが、助成制度がなくなれば仕事を続けられず、満足に治療も受けられないという悪循環に陥る。患者会では助成制度の継続を求めて都庁前で宣伝や座り込み行動を続けている。

高尾山天狗裁判の報告では裁判闘争を総括した。冒頭では「石原慎太郎東京都知事の唯一の善政が医療費助成制度」と東京公害患者と家族の会の特別報告を踏まえたコメントをした。高尾山天狗裁判は国定公園高尾山に圏央道に反対する裁判である。裁判闘争の内容を一冊の本として出版したい。大震災や原発事故さえも利用した公共事業推進を狙う勢力がいる。消費税増税は大型公共事業財源に使われる。

高尾山天狗裁判は高尾山に登った人は誰でも原告になれるというユニークな裁判で、原告は二千名を越えた。裁判は敗訴で終わったが、成果は勝ち取れた。裁判では道路建設の費用対効果を争った。求釈明で情報公開を求めたが、国土交通省は出さなかった。データは保存されていないとの回答であった。そこで国土交通省の課長を敵性証人として尋問した。

控訴審判決では国の費用便益分析の杜撰さが指摘された。事後に検証できないデータに基づく主張は信用できないとした。それでも住民を敗訴させる理解に苦しむ判決であるが、論理では勝っている裁判である。支持者からは「この裁判は世の中の進歩に資する」と言われた。成果はあったものの、変わり果てた高尾山の姿を見ることは胸が痛い。

西東京3・2・6号調布保谷線の報告も裁判の総括である。裁判に負けても公害道路にさせない運動を継続する。調布保谷線は農地を潰し、住宅地を破壊して建設する道路である。約30人の住民が人格権侵害に基づいて建設差し止めを求めて東京都を被告として提訴した。

道路の必要性・公益性と住民被害が争点になった。住民側は交通量が減少しており、広い道路は不要と主張した。渋滞解消との推進論に対して道路を作れば通過交通を呼び込むと反論した。立証責任については、事業者が被害を立証すべきと主張した。しかし、判決は東京都の主張を丸飲みした。事実の吟味検討を怠り、違法な事実認定をした判決である。今後も一車線を公共交通専用レーンにするなどの要請を続ける。

二子玉川の環境を守る会は二子玉川再開発(二子玉川ライズ)問題を石原慎太郎知事の突然の辞任に伴う情勢と絡めて報告した。都知事選挙は大きなチャンスである。国民の要望と議会政治状況の解離の中で戦線を作るか。二子玉川再開発は全国最大規模の再開発で、道路事業がくっついている。

住民は二子玉川ライズ差し止め訴訟、二子玉川ライズ住民訴訟、二子玉川ライズ行政訴訟の3件の訴訟を提起した。二子玉川ライズ住民訴訟は「大型開発優先区政からの転換」を掲げる保坂区長の登場を受けて実質和解で終結した。二子玉川ライズ行政訴訟は、騙し討ち地裁判決であった。控訴審が本当の勝負である。

世田谷区では過去2回の区長選挙に際し、市民運動主導で市民派結集の運動に取り組んだ。世田谷の経験を活かして都知事選挙を戦いたい。世田谷の四大開発は全て道路が絡んでいる。東京都では道路問題はもっと大きい。切実な要求と共に大義を説くべきである。理屈から勝っていく。

下北沢の報告では裁判の状況を説明した。東京地裁で裁判が続いている。裁判官は結審にしようと言っているが、図面の紛失が発覚した。原告は求釈明で審理の継続を求めている。

世田谷区の生活道路130号の報告では拡幅の反対を訴えた。世田谷区は拡幅の理由について一貫した説明をしていない。最初は渋滞緩和と言っていたが、その後は防災に変遷させた。はしご車を通せるようにすると言うが、はしご車を必要とするような高層建設はない。世田谷区は拡幅用地の無償譲渡を要求したが、拒否した。住民の結束は強い。

第二部は特別講演である。越智敏裕・上智大学法科大学院教授は特別講演「司法の行政に対するチェック機能…鞆の浦と圏央道訴訟を例に」で、日本の行政訴訟について説明した。日本の行政訴訟は先進諸国に比べて圧倒的に少ない。諦める国民が多い。事件の相談が来るが、日本にいるから勝てない事件、先進諸外国ならば勝てる事件も少なくない。日本の行政訴訟の件数は韓国や台湾と比べても少ない。これは訴訟制度に問題があることを示している。本人訴訟の割合が高いことも特徴である。原告勝訴率は1割程度である。高いことが一概に良いとは言えないが、低い。地方裁判所の判決に対する上訴率は五割である。地裁判決に納得できない人が多い。

鞆の浦世界遺産訴訟は心ある裁判官が担当したことが幸運であった。鞆の浦は日本の近世の港を特徴づける波止場などを残した日本最後の歴史的港湾である。福山市と広島県が共同して埋め立てる計画であった。これに対して住民らが埋め立て免許差し止め訴訟を提起した。運動は景観を愛する外部の支援者が参加したが、原告は地元の住民中心とした。

原告適格は慣習排水権や景観利益によって認めた。慣習排水権では確実に認められる自信があったが、埋め立てによる不利益は乏しい。それ故に景観利益からの原告適格を認めたことが重要である。

埋め立て架橋の根拠となった交通渋滞は存在しないと主張した。朝と夕方に数分くらい込む程度であった。山側トンネルでも混雑緩和策は変わらない。観光資源を破壊して駐車場を整備することは本末転倒である。鞆の浦には高潮の危険があり、埋立地を作っても防災目的にはならない。

今後の制度改革として行政不服審査会、都市計画争訟、環境団体訴訟などがある。米国では「少数者の人権は政治過程では守れない。厳格な司法審査をすべき」との議論がある。しかし、日本の裁判所は圧倒的な司法消極主義である。行政処分に問題があっても「著しく不合理とは言えない」という論理で国民側が敗訴してしまう。これに対して行政不服審査は不合理ならば救済できる。現在の運用では期待できないが、行政不服審査会という中立性の高い期間に担当させる。
http://www.hayariki.net/7/4.htm
会場からは「行政の実態を知らない裁判官が行政訴訟を判断することは問題ではないか。行政の嘘を見抜けないのではないか」との質問がなされた。これに対して越智氏は「裁判官が行政官として出向する人事交流はある。逆に判検交流によって一体化、馴れ合いになるとの批判も強い」とした。

高尾山天狗裁判の住民代理人・松尾文彦弁護士は高尾山天狗裁判について事実認定では成果があったと評価した。判決は道路建設による自然破壊を認めた。国の費用便益分析の問題も明らかにした。しかし、行政裁量の壁で敗訴した。行政裁量論をどのように縛るかが課題である。

今後の改革案として越智氏は裁判員制度を行政訴訟に導入する案を披露した。また、法律を変えることは難しいために条例を積極的に活用する。最後に心のある裁判官が担当すれば勝てるとして、自分はロースクールから育てているとした。

松尾弁護士は「司法の独立と言いながら、政治優先、行政優先になっていることが問題の大元にある」として、世論を喚起することを述べた。日本の特殊性として、ドイツでは裁判官も戦争責任が追及されたが、日本は追及されずに残ったことを指摘した。

第三部は団体報告に戻る。横浜環状道路対策連絡協議会は高速横浜環状道路南線の問題を報告した。住民運動は事業評価を重視している。実質的な本線工事は未着手である。事業評価監視委員会は環境保全に万全を期すこと、住民の理解を得るよう努力をすることの付帯意見を付した。

ここではデベロッパーのだまし売りも行われている。住宅の分譲業者は高速道路が建設されるとは説明せず、幹線道路が建設されると説明した。住民は後で高速道路が建設されることを知った。

栄区による「やらせアンケート」の問題もある。栄区は道路の利便性だけを並べ、「この道路に期待しますか」との誘導方式のアンケートを実施した。住民側は税金の無駄遣いとして横浜地裁に住民訴訟を提起した。10月の事業評価監視委員会では専門家の選定を行政に委ねず、委員会として関連学会に推薦を依頼するとした。これは画期的である。

庄戸四町会合同道路委員会も高速横浜環状道路南線の問題を扱う。トンネル案の検討を事業者が突然打ちきった。事業案見直しの話し合いを事業者側が拒否した。住民638名で公害調停を申請した。

委員会では8割以上の世帯から署名を集めた。国土交通大臣と横浜県知事、横浜市長、NEXCO東日本に提出する予定。民家の壁まで2メートルの場所で地下15メートル掘る工事をする。振動に対する環境基準はない。建設に関する基準はあるが、検定マークを貼った機械ならば問題ないとの扱いである。人間が住める環境という考え方ではない。地域の合意ができていないとの理由で反対運動を進める。

外環道路反対同盟は関越道から東名高速間の東京外かく環状道路の問題を報告した。9月には着工式が行われたが、まやかしである。全線の起工式ができないために、練馬から世田谷間の着工式という表現を使っている。民主党政権にはだまされたという思いがある。石原慎太郎・東京都知事は外環の2について知らない。テレビで「そのような道路があるのか」と発言した。外環の2が建設されると立ち退かなければならない住民が増える。

外環反対連絡会は千葉側の東京外かく環状道路の問題を報告した。計画段階では住民に説明なし。立ち入り測量で初めて知った。1970年代の頃である。当時の市川市議会は傍聴を許さなかった。それを認めさせるところから運動した。傍聴すらさせない市役所職員に住民の怒りをぶつけた。それ故に裁判も裁判官が住民の怒りを肌で触れなければ変わらないのではないか。
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林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
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首都圏道路問題交流集会

「司法の行政に対するチェック機能」。日本の行政訴訟は先進諸国に比べて圧倒的に少ない。諦める国民が多い。事件の相談が来るが、日本にいるから勝てない事件である。先進諸外国ならば勝てる事件。韓国や台湾と比べても少ない。訴訟制度に問題があるから少ない。
本人訴訟の割合が高い。原告勝訴率は1割程度。低い。
鞆の浦世界遺産訴訟。日本の近世の港を特徴づける波止場などを残した日本最後の歴史的港湾である。福山市と広島県が共同して埋め立てる。埋め立て免許差し止め訴訟。原告は地元の住民。
地方裁判所の判決に対する上訴率は五割。地裁判決に納得できない人が多い。
鞆の浦世界遺産訴訟は心ある裁判官にあったことが幸運であった。原告適格は慣習排水権や景観利益。交通渋滞は存在しない。朝と夕方に数分くらい込む程度であった。山側トンネルでも混雑緩和策は変わらない。観光資源を破壊して駐車場を整備することは本末転倒。鞆の浦には高潮の危険があり、防災目的にはならない。
水俣病のように目の前に被害者がいる公害裁判でも因果関係の立証に苦労する。
少数者の人権は政治過程では守れない。厳格な司法審査をすべき。しかし、日本は司法消極主義に立っている。著しく不合理とは言えないという論理で敗訴している。行政不服審査は不合理ならば救済できる。行政不服審査会という機関を作る。都市計画争訟制度の導入。環境団体訴訟制度は実現の可能性が高い。
裁判官が行政実務を知らないで判断することは問題との質問。逆に裁判官の行政への人事交流が問題との意見も多い。
裁判員制度を公共事業に導入する。条例の活用。法律を変えることが難しい。心のある裁判官ならば勝てる。ロースクールから育てる。
松尾弁護士。司法の独立と言いながら、政治優先、行政優先になっている。問題の大元にある。世論を喚起する。
高尾山裁判の住民代理人。松尾弁護士。事実認定では成果があった。自然破壊を認めた。国の費用便益分析の問題を明らかにした。行政裁量の壁で敗訴した。行政裁量論をどのように縛るか。
具体的に公共性を追及する。漠然とした言葉に逃げさせない。道路は防災と言われるが、東日本大震災では渋滞になって役に立たなかった。
日本は行政官僚が強すぎる。ドイツは裁判官も戦争責任が追及されたが、日本は追及されずに残った。
高速横浜環状道路南線。事業評価を重視している。実質的な本線工事には着手していない。事業評価監視委員会は環境保全に万全を期すこと、住民の理解を得るよう努力をすることの付帯意見を付した。幹線道路の説明で分譲した。分譲後に高速道路と説明した。
やらせアンケート。栄区が道路の利便性だけを並べ、この道路に期待しますか、との誘導方式のアンケートを実施した。住民側は税金の無駄遣いとして横浜地裁に住民訴訟を提起した。
10月の事業評価監視委員会では専門家の選定を行政に委ねず、委員会として関連学会に推薦を依頼するとした。これは画期的である。
庄戸四町会合同道路委員会。トンネル案の検討を事業者が突然打ちきった。事業案見直しの話し合いを事業者側が拒否した。住民638名で公害調停を申請した。
八割以上の世帯から署名を集めた。国土交通大臣と横浜県知事、横浜市長、ネクスコ東日本などに提出する予定。民家の壁まで二メートルの場所で地下15メートル掘る工事をする。振動に対する環境基準はない。建設に関する基準はあるが、検定マークを貼った機械ならば問題ないとの扱い。人間が住める環境という考え方ではない。地域の合意ができていないとの理由で反対運動を進める。
外かく環状の東京。9月には着工式が行われた。全線の起工式ができないために、練馬から世田谷間の着工式という表現を使っているが、まやかしである。民主党にはだまされた。
石原知事は外環の2について知らない。テレビで「そのような道路があるのか」と発言した。東京都がどういう姿勢になるか。その2ができると立ち退かなければならない住民が増える。
外郭環状の千葉。費用便益効果は事業者の評価でも西側に比べて低い。計画段階では住民に説明なし。立ち入り測量で初めて知った。1970年代の頃である。当時の市川市議会は傍聴を許さなかった。それを認めさせるところから運動した。だから裁判も裁判官が住民の怒りを肌で触れなければ変わらないのではないか。
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