林田力 ブログ

マンション問題や警察不祥事、書籍や漫画の書評など。書籍『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者。マンションだまし売り被害者。東急不動産消費者契約法違反訴訟原告。みんなの未来(あした)を守る会代表。江東住まい研究所長。マンションだまし売りや迷惑勧誘電話、貧困ビジネス、危険ドラッグのない世界を目指します。 http://www.hayariki.net さいたま市の話題は林田力@さいたま市桜区ブログ

     林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社)は東急不動産(販売代理・東急リバブル)から不利益事実を隠して問題物件をだまし売りされた消費者(=原告)が消費者契約法に基づき売買契約を取り消し、裁判(東急不動産消費者契約法違反訴訟、東京地裁平成18年8月30日判決、平成17年(ワ)3018号)で売買代金を取り戻した闘いの記録。

    FJネクスト・ガーラ・グランディ木場問題
    http://hayariki.x10.mx/
    東急不動産で買ってはいけない 被害者が語る「騙し売り」の手口
    http://www.mynewsjapan.com/reports/1101

    2013年08月

    江東区も世田谷区も第三極への支持は高い。政党票に比べて知名度の低い個人票が少ないなど、第三極の支持は組織化されておらず、ムラがある。それだけ第三極の行政改革志向を純粋に共鳴している市民が多いと分析できる。第三極の政治思想に共鳴するが、是々非々で投票しているということである。

    この点は市民的支持を得る上では非常に重要である。行政には無駄があることは事実であり、それは改善されなければならない問題である。生活保護などの福祉施策が既得権益化し、不正が存在することも事実である。この点の問題意識を持たずに、バッシングと身構えて公務員労働運動的な論理で反論しても市民の支持は得られない。

    江東区と世田谷区の対照的な点は共産党と非共産市民派政党がトレードオフの関係にあることである。共産党が相対的に強い江東区では非共産市民派政党が弱い。世田谷区は逆である。しかも、世田谷区では特定の非共産市民派政党が強い訳ではなく、社民党、緑の党、みどりの風が軒並み伸びている。

    尚、非共産市民派政党というカテゴライズは恣意的である。思想的には共産党と社民党は社会主義の点で親和性があり、緑の党、みどりの風は社会主義とは異質である。しかし、現実の市民運動の世界では社民党、緑の党、みどりの風は親和性があり、共産党が異質である。世田谷区の状況は共産党と非共産市民派政党という分類が意味を与えている。

    都議選や参院選では共産党の躍進が注目されたが、それは他の市民派政党を削り取る側面がある。逆に社民党・生活者ネットが区長与党を構成し、一定の強さを持つ世田谷区では共産党は削り取ることができずに苦戦する。

    これは市民派共闘という命題には頭の痛い問題である。票を奪い合う関係にあるためである。共産党にとっては非共産市民派政党も一緒にしたオール与党批判が合理性を持つ。非共産市民派政党にとっても共産党排除が合理性を持つ。

    この第三極的政治姿勢の支持浸透と、共産党と非共産市民派政党のトレードオフという問題に対しては、共産党が適応できている。

    第一に共産党は都議選では外環道などの大型公共事業という大きな無駄を攻撃した(林田力『二子玉川ライズ反対運動10』「「コンクリートから人へ」の行方」)。これは行政の無駄に問題意識を持つ人々への回答となった。

    第二に共産党は参院選でブラック企業批判に注力した。左派・市民派という狭い世界での椅子取りゲームではなく、もっと別次元の層の支持を集めることに成功した(林田力『ブラック企業・ブラック士業』「ブラック企業と参議院議員選挙」)。

    また、ブラック企業という明確な悪を叩くというロジックは分かりやすい。左翼教条主義者ならば悪者を仕立てて叩くという手法はハシズムと同じと眉をひそめるだろう。しかし、社会悪と闘うというロジックは元々左派の武器と言ってもよく、ハシズムが真似したようなものである。社会悪と闘うというロジックは積極的に打ち出すべきである(林田力『東急不動産だまし売り裁判5東京都政』「発表稿」)。

    一般に非共産市民派政党は共産党に比べれば柔軟とのイメージがある。しかし、今回に関しては共産党に柔軟性があった。それが選挙結果の明暗となった。
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    二子玉川ライズのファーストフード店からに立ち込める悪臭は耐えがたい域にまで達していた。東急不動産だまし売りへの怒りは消えていない。東急不動産だまし売りへのすさまじいまでの怒りは東急リバブル東急不動産に向けられている。東急不動産だまし売りマンションの息がつまるような部屋に比べたら、今の住みかは明るく風通しの良い場所であった。
    東急リバブル東急不動産の物件説明は、物件についての重要な事実をカットしたものであった。もし東急リバブル東急不動産が旧約聖書の創世記を説明したならば、リンゴを食べる場面もイチジクの葉を身に付ける場面もエデンから追われる場面もカットしてしまったことだろう。物語の筋が通らなくなるが、売ったら売りっぱなしの東急リバブル東急不動産にとって、そのようなことは知ったことではなかった。
    東急リバブル東急不動産、地上げブローカーにゼロゼロ物件業者、脱法ハーブ宣伝屋。こいつらは皆、正直者という希少な人種を見つけるとピッタリくっついて離れない。マンションだまし売りのろくでなしどもの中から、まともな人間を選り分けることは不可能である。
    「東急不動産だまし売りは人間のすることではない」「いや、いかにも人間のしそうなことだよ」
    「冗談じゃない。絶対に許せない」

    林田力 林田力 東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った 二子玉川ライズ反対運動 Amazon アマゾン Facebook Twitter 東急不動産係長脅迫電話逮捕事件 ブランズ二子玉川の複合被害 ツカサネット新聞 記者 リアルライブ 脱法ハーブにNO

    得票率の高低で分類すると以下のとおり。

    江東区が世田谷区よりも高い:山口、吉良、たけみ、小倉、桐島

    江東区が世田谷区よりも低い:丸川、山本、すずき、大河原

    山口(公明)、吉良(共産)、小倉(維新)、桐島(みんな)が江東区では高い点は、都議選や比例区と同じである。すずき(民主)、大河原(元民主で生活者ネット色が強い)が世田谷区で高い点も都議選や比例区と同じである。

    自民党や民主党は個人票と政党票(比例票)が拮抗しており、分かりやすい。

    公明党は山口なつお氏の個人票が公明党の比例票を上回っている。これは全都、江東区、世田谷区で共通する。山口氏が公明党代表であるという点から説明可能である。

    吉良よし子(共産)氏の個人票が共産党の比例票を下回っている。これは全都、江東区、世田谷区で共通する。

    吉良氏はワタミキラーとまで呼ばれる目玉候補に成長しており、比例票を下回ったことは意外である。フレッシュな吉良氏に投票しても共産党には投票しないという方が成り立ちそうである。下回った理由として二つの推測が成り立つ。

    第一に吉良氏は思い切って若返りした候補であり、それが奏功したと評されているが、それは共産党の前例に反するものであり、ディープな支持層には不満があった。

    第二に選挙区では山本太郎氏を投票し、比例区では共産党を投票した人がいた。

    第一の推測が正しいならば、政党の変化の難しさを意味する。市民派は共産党に対して「もっと開かれた政党に体質改善しろ」と提言することが多い(林田力『東急不動産だまし売り裁判13選挙』「反共意識の類型」)。しかし、それを真に受けたならば社民党と新社会党の分裂のようなインパクトを及ぼしかねない。開かれた政党に体質改善することが正しいとしても、それをトップダウンで行うならば伝統に照らした反発が生じる。

    第二の推測は当選後の山本太郎氏の行動(共産党創立91周年記念講演を聴く)とも符合する。一方で北九州市での山本太郎氏の共産党批判や、選挙期間中の生活の党、社民党、緑の党陣営の好意・支援を踏まえると、無節操にも見える。

    山本太郎氏の得票率は江東区では低い。東京全体では4位のところ、世田谷区では2位、江東区では5位である。これも脱原発運動の西高東低を物語る。

    特に山本太郎氏は城東地域には縁遠い人とのイメージがある。また、山本太郎氏は放射脳カルト的な言説に批判がある(林田力「山本太郎の立候補に批判」真相JAPAN第134号、2012年12月4日)。それが福島の人々を傷つけているとも批判されるが、城東地域は千葉県とも接しており、程度の差はあれ、福島県民が山本太郎氏に抱く怒りは他人事ではない感覚がある。

    大きなミステリーは山本太郎(無所属)票に対応する比例票である。潜在的支持政党である生活の党、社会民主党、緑の党、みどりの風以上の票を集めている。山本太郎氏の当選は脱原発派にとって明るい話題と位置付けられているが、山本氏の投票者が全て彼の主義主張を理解した上での投票であるならば、比例区の開票結果も別のものにならなければおかしい。結局は「有名人だから」であり、山本氏の当選は民主主義の敗北とも位置付けられる(林田力『東急不動産だまし売り裁判13選挙』「参院選・江東区分析」)。

    小倉淳氏(維新)と桐島ローランド氏(みんな)の得票は所属政党の比例票と比べて著しく少ない。これは政治家としての知名度・実績不足や準備不足で説明できる。
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    得票率の高低で分類すると以下のとおり。
    江東区が世田谷区よりも高い:共産、みんな、公明、維新、生活
    江東区が世田谷区よりも低い:自民、民主、社民、緑の党、みどりの風
    都議選でも候補者を擁立した政党については、江東区と世田谷区の傾向は合致する。
    江東区の共産党は世田谷区よりも高いが、全都には及ばない。共産党は全都では2位であるが、江東区でも世田谷区でも2位は、みんなの党である。共産党は江東区・世田谷区共に3位である。
    みんなの党と維新の会は江東区も世田谷区も全都よりも高い。
    緑の党、みどりの風は世田谷区の方が高い。これは脱原発運動の西高東低を反映している。
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    得票率の高低で分類すると以下のとおり。

    江東区が世田谷区よりも高い:公明、みんな、共産、維新

    江東区が世田谷区よりも低い:自民、民主、生活者ネット、社民

    自民党と公明党の強さは両区ともに安定している。

    みんなの党・維新の会の第三極は、江東区が多い。みんなの党の江東区での強さは2012年12月の総選挙で小選挙区を制した柿沢未途・衆院議員の地元であることが影響している。一方で維新の会も健闘しており、江東区民の政治意識に第3極的な改革志向が強いことを示している(林田力『東急不動産だまし売り裁判13選挙』「東京都議選・江東区選挙区分析」)。

    柿沢議員は2013年8月23日、みんなの党を離党した。野党再編を志向する柿沢議員と、党存続を重視する渡辺喜美代表の対立とされる。柿沢議員の離党の今後の影響が注目される。

    共産党は世田谷区の得票率が江東区の約半分である。これが江東区と世田谷区の比較で最も顕著な相違である。両区の差異の要因として以下が分析できる。

    第一に共産党が強いとされる下町という江東区の地域性が影響している。

    第二に生活者ネットと社民党の支持層の動向である。生活者ネットと社民党は世田谷区で候補者を擁立しているが、江東区で擁立していない。その票が江東区では共産党候補に流れたとの推測も成り立つ。

    世田谷区では仮に民主党と維新の会が候補者を一本化していたならば、民主党と維新の会が議席を獲得し、共産党候補は落選していた。無論、これは単純計算であって、現実には候補者個人を応援する支持者もいる。一本化できないという事実が一つの結論であって、強引に一本化しても票が加算されるとは限らない。
    http://www.hayariki.net/poli/koto2.htm
    控訴審 (東急不動産だまし売り裁判)
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    林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
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    外環道説明会が東京都世田谷区の成城学園前駅最寄りの明正小学校で開催される。道路の立体的区域の決定及び区分地上権設定に関する説明の場。多くの住民が住環境を破壊する外環道に反対している。乱暴な工事の進め方にも反対している。住民は工事によって地獄の苦しみに突き落とされる。
    土建国家は虚偽説明をしてまでも不都合な真実を隠そうとしている。それならば住民は何としてでも、それを突き止めなければならない。
    補償の一年は大深度法の枠組み。それ以外は一般法の枠組み。個別個別で対応する。
    説明会が目白押しとの批判。
    土壌汚染の説明会はするのか。
    地域の掲示板で告知している。
    何らかの形で説明の場を設けたいと思っている。
    何らかの形ではなく、説明会を開いて欲しい。
    何らかはありえないだろう。
    土壌汚染は別途検討して、お知らせする。立体的区域の決定及び地上権設定についての質問をお願いします。
    大深度が地上に影響を及ぼさないことは嘘だという研究者が増えている。一年で結果が出るものでもない。十分検証したのか。トンネルの上に暮らすようなことになる。
    中間取りまとめでは十分な検証を行う必要があるとする。検討を続けている。
    検討を続けているという段階である。それで説明会を進めることは反対である。それで補償交渉をすることは地権者にとって、たまったものではない。
    地下水は微妙である。川の水が地下水になったり、その逆になったりとのキャッチボールが多い。湧水が枯れることがないようにしてほしい。ホタルが自生する貴重な自然。
    大深度の工事ですので、浅いところの地下水を阻害することはないと考えている。
    池の水が下の地下水に落ちていくことを懸念している。
    浅層地下水と深層地下水には水を透さない層がある。
    この辺は浅層地下水と深層地下水がキャッチボールしている。その点を理解して下さい。お金で解決できる問題ではない。
    地下水は工事実施後もモニタリングする。
    説明会の議事録はどういった形で公表するか。
    公表は考えていない。
    記録し、公表すべきである。拍手。
    権利者をお呼びした説明会であり、議事録の公表は考えていない。
    利用価値に関してのみの補償。利用価値以外の部分について、やりようがあるか。その都度考えるのか。
    補償は地下を利用する対価であって、それ以外は個別になる。
    何か起きた時は、こうなるという条項はないのか。後は知らないよ、が怖い。それならば契約しない方がいい。
    何か起きた時にどうするのか、は工事の話である。
    起こってからでは遅い。地震計などを設置してモニタリングする。それは業者を守ることにもなる。
    地権者にも見える形で設置するか。
    検討します。
    排気ガスによる温度上昇のシミュレーションの結果を示してください。
    道路保全立体区域の高さは決まっていない。決まったら、お知らせする。
    温度は上がらずに下がっていくと思われる。
    そんなバカな話はない。
    地中構造物の温度については出していない。
    温度は上がらないのか。
    今までと同じではないが、激しく上がることはない。
    シミュレーションをして下さい。

    結論として反共意識への処方箋は、価値多元主義的スタンスが様々な点で有効である。これは互いに価値多元主義的なスタンスがあって初めて成り立つものである。一部の反共の側には共産党以上に偏狭で独善的なセクト的体質があることも事実であり、そのような層に一方的に譲歩すべきと主張するつもりはない。一方でポストモダン型は当然ながら価値多元主義的であり、社会主義型も科学的社会主義から入った人が空想的社会主義を評価するという傾向に価値多元主義の下地がある。

    価値多元主義的スタンスの観点から近時の共産党の動きを分析すると注目すべき動きが二点ある。

    第一に一点共同である。一点共同は相手と全ての点で一致していないことを前提とする。異なる考えがあることを認めた上での共同を志向する。これは価値多元主義的である。一方で一点共同には限界もある。それは「共産党の主張に賛成できるところだけ賛成して下さい」というようにも聞こえる。そこには自分達から歩み寄る姿勢は感じられない。そのために「共産党に利用されるだけで終わることは嫌だ」という感情が勝れば、一点共同も成り立たない。共産党側からすれば一点共同すら拒む相手のセクト主義を批判したいところであるが、このような考えもあることを理解する必要がある。

    第二にブラック企業批判である。参院選の躍進の要因がブラック企業批判にあったと言っても過言ではない。共産党はブラック企業問題を「資本主義的生産構造の帰結」というようなイデオロギー的解釈ではなく、純粋にブラック企業そのものや渡辺美樹個人を批判した。社会に渦巻くブラック企業への怒りにダイレクトに応えたものである。共産党の側からの歩み寄りである。これが、それまで共産党と縁遠かった人々の支持を集めることになった。

    但し、共産党のブラック企業批判を手放しで絶賛するつもりはない。共産党のブラック企業批判は、自民党からの渡辺美樹の立候補という外部要因に規定された要素が大きい。ワタミキラーで名を馳せた目玉候補にしても「OLをしていた」と自己紹介する。候補者の年代・学歴でOLという言葉が出てくることには違和感がある。OLという言葉には一時代前の古い労働者観が感じられる。

    ブラック企業問題は「名ばかり店長」にみられるように責任と待遇、責任と権限のギャップが根底にある。自己をOLと規定する職業意識でブラック企業の本質を突くことができるか少し疑念がある。むしろ、このようなギャップがあるからこそ、共産党がブラック企業批判に注力することに画期性があり、変化として高く評価できる。

    今後としては価値多元主義的なスタンスで自由で開かれた体質に変わっていくことを望む。とはいえ外部から「体質を変えろ」と言ったところで、容易に変わるものではない。ここでもブラック企業批判を推進剤にした躍進が意味を持つ。この躍進を背景として党勢を拡大できれば、大学教育でマルクス主義の洗礼を受けた訳でもなく、単純にブラック企業に憤りを抱く人々を党員・支持者に抱えることになる。

    異質なバックグランドを有する党員・支持者が増え、多様性が生まれる。少しでも意見が異なる人を異端視して排除するようなことさえなければ、好むと好まざるとに関わらず、価値多元主義的になる。これによって「普通とは異なる異質な組織」という反共意識は減じていくだろう。

    共産党への「開かれた党に」との注文は古くからなされている。これまで、この種の注文は党勢拡大の前提と位置付けられてきた。希望的観測が強いかもしれないが、発想を転換し、党勢拡大を先に考えることもできるのではないだろうか。
    http://www.hayariki.net/futako/14.htm
    控訴審 (東急不動産だまし売り裁判) の書評 / 林田力 / 林田力 / |本が好き!
    http://www.honzuki.jp/book/209349/

    反日本共産党の立場としては個人経験型がある。個人的に共産党から無視・排除・排撃・攻撃された経験から反共になる。典型例は学生運動や、労働運動・核廃絶運動の分裂の当事者である。共産党側にも言い分はあるため、溝は深まる一方である。

    より個別性の強い個人経験型には開発問題などへの対応がある。大局的に「共産党は困っている人の味方」という視点を否定するつもりはない。共産党しか取り上げない問題が多いことも確かである。それでも共産党が無視している問題もある。生活保護申請や都営住宅入居などの定型的な問題には熱心であるが、個別的な問題には問題意識を共有することもしないとの不満もある。これは党全体の問題ではなく、たまたま当該地域の担当者の能力の限界を示すだけの話かもしれない。それでも当人にとっては、それが党に対する評価になる。

    これも共産党側としては、問題の社会性や優先度を理由に取り組まないことを正当化することはできる。しかし、「あなたの問題の社会的意義は乏しい。それよりも我々の運動の重要性を理解し、我々の運動に結集せよ」との主張が、個別の問題を抱える相手に理解されることは絶対にない。反共意識も正当化される。やはり溝は深まる一方である。この個人経験型との関係も、ポストモダニズム的な価値多元主義のスタンスで互いを認める姿勢が求められる。
    http://www.hayariki.net/futako/14.htm

    第三に社会主義型と呼ぶべき類型がある。社会主義者や社会民主主義者の立場から共産主義者と一線を画す。しかし、社会主義者や社民主義者が共産主義と一線を画すことの積極的意義を見出すことは難しくなっている。

    まず社会主義は、旧社会党が長らくマルクス主義に立脚した綱領を掲げていたように社会主義者の多くもマルクス主義をベースとしている。マルクス主義者でありながら、共産主義ではなく、社会主義であるということに思想的一貫性としての魅力は感じにくい。

    55年体制下では自民党に代わる政党としては社会党しかなく、共産党ほど徹底していないという性格に実際的意義があった。しかし、今や社会主義に基づかない非自民政党は幾らでもある。自民党が嫌いという理由で社会主義政党に投票する意味はない。

    社会民主主義には共産主義と一線を画す大きな歴史的意義があった。市場原理主義(ハイエナ資本主義)が横行する現代日本でも社会民主主義的な役割が強く求められている。しかし、既に共産党が事実上、社民主義的な役割を果たしている。共産党側が自己を修正主義とは絶対に認めないとしても、今や一足飛びに共産主義革命を目指そうとは主張していない。議会制民主主義の枠内で行動している。この状況で社民主義を唱えたところで、共産党に対する現実的な対立軸にはなりにくい。

    社民党の村山富市元首相は2013年8月8日に「社民党はこのままいっても先がない。憲法や原発問題といった共通の課題で、党にこだわらず勢力を結集しなければならない。社民党が火付け役になって新しい党を作り上げていくこともある」と述べた(「村山元首相「社民は先がない」 解党し護憲勢力結集促す」朝日新聞2013年8月19日)。社会主義も社民主義も結集軸にはならない状況を示している。
    http://hayariki.jakou.com/futako/14.htm
    一方で市民運動家レベルでは興味深い動きがある。ジャコバン主義や安藤昌益などマルクス以前の社会主義的思想を再評価する傾向である。マルクス主義者は空想的社会主義への逃避と批判するだろうが、反共の社会主義者としての思想的一貫性を追求した帰結と評価できる。

    社会主義型は、脱原発や護憲など当面の政策課題では共産党と重なる面が多い。しかし、共産党が一点共同を掲げても、過去の対立の経緯から失敗することも多い。これは後述の個人経験型とも重なる。空想的社会主義と科学的社会主義の優劣を論じるような姿勢ではなく、ポストモダニズム的な価値多元主義のスタンスで相手を認める姿勢が求められる。
    [asin:B00EQBLG4S:detail]
    [asin:B00ET2QNGU:detail]

    東急ハンズの将来性は厳しい。東急ハンズ不買運動も起きている。東急ハンズは問題が山積みである。第一に東急ハンズはブラック企業として批判されている。東急ハンズ心斎橋店では長時間労働、パワハラ、サービス残業強要で過労死が起きた(林田力『東急不動産係長脅迫電話逮捕事件』「東急ハンズ過労死と東急不動産だまし売り裁判」)。この東急ハンズ過労死事件によって、東急ハンズはブラック企業大賞にノミネートされた(林田力『ブラック企業・ブラック士業』「東急ハンズがブラック企業大賞2013にノミネート」)。

    東急ハンズのようなブラック企業はブラック経営者だけでなく、奴隷根性のブラック社員(社畜)が支えている。東急ハンズのインターネット掲示板では過労死の問題提起をする人が逆にキチガイ扱いされている(林田力『ブラック企業・ブラック士業』「東急ハンズにブラック企業大賞を」)。東急ハンズがブラック企業であると自覚できないブラック社員は哀れである。ブラック社員は黒大理石でこしらえた悪魔の彫像のようであった。その目は過労死の報にも何の感情も表していなかった。

    「ブラック企業を存続させているのは経営者だけではない。ブラックな企業風土に疑問をもたない「ブラック社員」がいて、経営者と共犯関係になって会社を支えているとも言えるのではないか。」(「ブラック企業の共犯者!? サービス残業大好きのブラック社員にどう対抗すればいい?」弁護士ドットコム2013年8月24日)

    第二に東急ハンズのソーダストリーム販売がイスラエルの戦争犯罪加担と批判されている(林田力『東急不動産だまし売り裁判13選挙』「東急ハンズ・東急百貨店のソーダストリーム販売批判」)。イスラエルの違法入植地で生産されたソーダストリームをMade in Israelと表示して販売することも問題である。これは虚偽広告を繰り返した東急リバブルに重なる(林田力『東急不動産だまし売り裁判12東急リバブル広告』Amazon Kindle)。

    東急ハンズ心斎橋店のソーダストリーム売り場に設置された宣伝ビデオは「ソーダストリームが悪質な人権侵害商品であることを隠すための巧妙なイメージ戦略である」(「東急ハンズ心斎橋店にて「ストップ!ソーダストリーム」現地学習会を開催!」『ストップ!ソーダストリーム 売らないで、買わないで、違法イスラエル製品』2013年8月20日)。これは東急不動産だまし売り裁判における東急リバブルのマンションだまし売り手法と共通する(林田力『東急不動産だまし売り裁判購入編』Amazon Kindle)。

    東急ハンズの姿勢はマンションだまし売りの東急リバブル東急不動産と同じく金儲けだけである。社会性のなさはマンションだまし売りの東急リバブル東急不動産と同じである(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス)。このように東急ハンズは社会的存在として失格であるが、ビジネスも厳しい。

    東急ハンズは同業他社に比べて価格面の優位は全くない。品揃えも微妙である。実用性に欠ける奇をてらった商品ばかり。普通の人が行く意味はない。正常な判断能力を持った者ならば、消費者が東急ハンズを支持するとは思えないはずである。

    東急ハンズはデフレ時代に対応できていない。デフレでユニクロや百均が庶民のスタンダードになり、買い物に対する価値観が激変した。さらにネットで価格を調べて安価な店で購入するスタイルも一般化した。しかし、東急ハンズは、あくまで定価販売にこだわり、新たなプラスの要素を提示できなかった。自社の常識に固執し、消費者の感覚からかけ離れた東急リバブル東急不動産と共通する問題である。

    消費者には色々な商品を見て回りたい欲望はある。それは百円均一などで満足できる。ネットでも同じような満足感は得られる。百均とホームセンター以外の、新しい価値観を提示できない東急ハンズの存在意義はない。

    東急ハンズは東急ハンズで買い物することがオシャレであると勘違いしている層に支えられている。東急ハンズがオシャレというのは勘違いも甚だしい。オシャレ要素に期待するならば、普通はLOFTに行くだろう。
    http://homepage2.nifty.com/tokyufubai/hands.htm
    最近の東急ハンズはコスメフロアだけ小綺麗にしているが、同じフロアのそれ以外の場所は、やたら昭和感がある。中途半端である。高級イメージを出そうとしながらも、安っぽい材質しか使わない東急不動産マンションに似ている。地方から都会に来たばかりの人とインターネットをしないデジタルデバイドくらいからしか支持されない。

    値段だけが立派な陳腐極まる店舗である。人を小馬鹿にする店員揃いの店である。通路は狭く、商品は何の意味もないまま無秩序に並べられている。買い物リストにどのような商品が書かれていようと、買い物客は嫌でも店内を五、六回は往復しなければならない。レジでの精算には時間がかかる。露骨に不機嫌な顔を見せるレジ係が、一つ一つの商品を手に取り上げては検分し、その後でおもむろにレジに金額を打ち込むからである。

    第二にポストモダン型と呼ぶべき類型がある。ポストモダニズム・価値多元主義の立場からマルクス主義を含む絶対的なイデオロギーに対して懐疑的な立場に立つ。そのために反共となるが、その批判的視点はマルクス主義だけでなく、自己を唯一絶対と主張する全てのイデオロギーに向けられている。それ故にポストモダン型に対して無知や偏見故の反共と批判することはピント外れになる。

    ポストモダン型とマルクス主義者のギャップは世代間ギャップの側面もある。かつては経済学でも歴史学でも大学教育はマルクス主義一色であった。それとポストモダニズム隆盛後の大学教育を受けた人では土台が異なるものである可能性がある。

    このポストモダン型の持つ違和感は重要である。共産党に対しては、閉鎖的・独善的・偏狭というマイナスイメージが流布している。これに対して共産党側からは「根拠のない偏見であり、民主的な党運営をしている」と反論される。そうであることを期待するが、いくら少数意見に耳を傾ける姿勢を有していても、衆議を尽くす運営をしても、「正解は一つだけであり、それ以外は全て誤り」というスタンスでは、ポストモダン型は違和感を抱く。

    ポストモダン型は冷戦型のように反共が目的化している訳ではない。そのため、共産党の評価できるところは自然に評価する。一票を投じることも躊躇しない。しかし、それ以上は困難である。体質的な自由さが求められる。極端な例を挙げれば自民党員には原発反対を公言する人もいるが、共産党員で原発推進を叫ぶことが許されるかという問題である。基本政策で意見を180度異にすることは政党としてあり得ないとの反論が予想されるが、原発問題の基本政策化は福島第一原発事故後でしかない。
    http://hayariki.net/futako/14.htm
    Amazon.co.jp: 控訴審 (東急不動産だまし売り裁判) eBook: 林田力: Kindleストア
    http://www.amazon.co.jp/dp/B00ET2QNGU

    「輝くものすべてが金とはかぎらない」(『ヴェニスの商人』第二幕第七場)。『二子玉川ライズ反対運動』は金ではないが、輝くものである。
    再開発前の二子玉川に来ると暖かい繭に包まれたような気がしたものである。二子玉川ライズができた後では丸裸になったような感じがする。住民は骨の髄まで傷ついた。

    東野『パラレルワールド・ラブストーリー』は記憶改変をテーマにしたミステリーである。日常の中で物語は進むが、早い段階から何らかの陰謀があることは容易に察知できる。むしろ主人公の認識が遅く、じれったさを感じるほどである。このために先の展開を予想しながら読み進めたが、結末は予想を大きく外れた。私は東急リバブル東急不動産から新築分譲マンションをだまし売りされた経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』ロゴス)。このために悪質な企業の陰謀という展開を予想したが、大きく裏切られた。物語としては、キレイにまとまった終わり方である。社会よりも私の回りの人間関係を重視する日本文学の伝統に即している。
    しかし、信じられないほどの善人だったという読後感があるものの、その研究は倫理的には許しがたいものである。技術者の倫理観のなさは恐ろしいものである。その後の企業の行動は不都合な事実を隠す隠蔽体質である。東急不動産だまし売り裁判と同じである。

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