2013年09月

貧困ビジネス反対運動

貧困ビジネスほどゲンナリさせられる事業も珍しい。ゼロゼロ物件や囲い屋、脱法ハウスなど貧困ビジネスの闇は深い。貧困ビジネスは貧困者を支配し、搾取することに喜びを感じている。貧困ビジネスは過去のどの悪徳商法と比べても、自慢できるような代物ではない。貧困ビジネスでは奇怪な魑魅魍魎の類が次から次へと浮かび上がってくる。貧困ビジネスは人の肉体と精神を衰えさせる。
北千住で足立区議から貧困ビジネスの話を聞いた。
貧困ビジネスは大阪では排除されている。大阪では貧困ビジネスに厳しい指導をしている。生活保護を停止すると警告する。それはケースワーカーの意識と努力に負う。橋本徹大阪市長のお陰ではない。
貧困ビジネス反対運動には貧困者差別的な感覚のものもある。貧困者を搾取する貧困ビジネスは許さないと矛先を明確にする必要がある。
足立区舎人の貧困ビジネスは撤退した。ワンルームマンションになる。貧困ビジネスに転用しないと約束させる。
最大の問題は無届けで知らない間に貧困ビジネスができてしまうことである。住民が目を光らせる必要がある。
大阪府の貧困ビジネス規制条例は一定の効果があったが、運用でのケースワーカーの意識に負うところが大きい。貧困ビジネス規制条例は貧困ビジネスが広がった根本的原因を解決するものではない。隠れていくらでもできてしまう。無料低額宿泊所に行かないようにする。居宅保護の原則を徹底する。都営住宅への生活保護受給者の斡旋は、都営住宅の倍率の高さを踏まえると不公平感があり、難しい。空き家をうまく活用する。家賃補助制度を作る。
以下の感想が寄せられた。
「貧困ビジネスの源流は日雇い労働者を寮に住まわせて給料をピンはねする中間搾取者ではないか」
「貧困ビジネスは市民の税金から支払われる生活保護費をピンはねしている。貧困ビジネスは貧困者だけでなく、市民も搾取されている」

林田力 東急不動産だまし売り裁判 二子玉川ライズ反対運動 wiki Facebook Amazon アマゾン リアルライブ ツカサネット新聞 記者 本が好き (^-^)v

林田力の謝辞

『東急不動産だまし売り裁判』の執筆には、かつてないほどの覚悟が必要であった。それだけに人生有数のやりがいと創造性をもたらしてくれた仕事でもあった。また、数多くの善き東急リバブル東急不動産不買運動家達の支えと励ましに恵まれなければ、決して書き上げることはできなかった作品である。
『東急不動産だまし売り裁判』の出版には予期せぬ妨害も入った。
「あなたの気持ちは、よく分かる。でも、頼むから、これ以上、騒ぎ立てないで」
「騒ぎ立てるって?私はただ、真実を明らかにしたいだけだ」
知人の意外な言葉に林田力は憤慨した。東急不動産だまし売り裁判が風化してしまうことは絶対にあってはならない。それは東急不動産だまし売り裁判が存在しなかったことと変わらなくなってしまうからである。東急リバブル東急不動産らが東急不動産だまし売り裁判を反省せずに風化させようとしている以上、東急不動産だまし売り裁判を伝えることは崇高な使命である。東急不動産だまし売りを告発する意義は大きい。
『東急不動産だまし売り裁判』の出版後も嫌味が寄せられた。
「『東急不動産だまし売り裁判』とは、随分思いきった書籍を出されましたね」
林田力は笑顔で答える。
「東急リバブル東急不動産不買運動の要請に対応したまでで、大それたことをしたという認識はありません」
「そうでしょうね。暴挙という自覚がないから執筆できたと思いますよ」
堂々と嫌みを言う相手に林田力は肩をすくめる。
「私には無茶をしたという自覚はありません」
多くの東急不買運動家達に心からの感謝を贈る。不買運動家は『東急不動産だまし売り裁判』を林田力が書くべきと確信し、それを実現するために力を尽くしてくれた。不買運動家は執筆をスムーズに進める手助けをしてくれた。
不買運動家は、たゆまぬ情熱と鋭い見識で林田力を救った。不買運動家は常に辛抱強く、そして鋭い洞察力をもって執筆中の林田力を支えてくれた。不買運動家は林田力の筆力に、ゆるぎない信頼を寄せ続けてくれた。鋭くも愛に満ちた忠告、閃きと励まし、先々まで見通してサポートしてくれた。不買運動家のユーモアのセンスにも何度となく助けられた。
東急リバブル東急不動産不買運動の皆様には初期の原稿の一部を朗読して聞いていただいた。『東急不動産だまし売り裁判』が出来上がっていく過程でも不買運動家は常に耳を傾け、目を通し、コメントをくれた。様々な専門知識や情報を提供してくれた不買運動の皆様にも厚くお礼申し上げる。東急不買運動には、どれほど感謝してもしきれないと思っている。
http://www.hayariki.net/1/1.htm

ジブリ映画『風立ちぬ』

スタジオジブリのアニメ映画『風立ちぬ』の主人公は体制を支える側の人間である。同じ飛行機映画『紅の豚』の主人公はアウトローであった。『風の谷のナウシカ』のナウシカは王道楽土を建設するという侵略者の論理と戦った。『天空の城ラピュタ』のシータとパズーは滅びの呪文バルスによってラピュタを滅ぼした。『もののけ姫』は歴史で無視されがちな公界の民にスポットライトを当てた。それに比べると『風立ちぬ』は薄い。
映画『風立ちぬ』は大きな議論を巻き起こしている。侵略戦争肯定や喫煙助長などと批判されている。私見はサナトリウム文学とのギャップという点を指摘したい。『風立ちぬ』というタイトルからはサナトリウム文学を連想することは当然のことである。映画でも結核患者が登場する。しかし、サナトリウム文学の特徴である長期に渡る療養生活、それを看とる配偶者という要素は映画にはない。反対に自分が美しいところだけ好きな人に見てもらいたい結核患者の思いが説明される。これは不健康な状態を認めず、パッと咲いてバッと散るという危険な思想にも通じる。重病人や他人のお荷物になる人間は生きる価値がないという危険な思想にもつながる。サナトリウム文学とは対極の位置にある。
結核は難病であったが、すぐに亡くなる訳ではない。サナトリウム文学には長い療養生活の中で、ゆったりした時間が流れていた。それは患者本人だけでなく、付き添う婚約者にも当てはまる。現代人からは信じられないような、ゆったりした時間である。そのゆったりした時間の中でサナトリウム文学という豊かな文学が生まれた。
単純に昔の方が良かったと言うつもりはない。長い療養生活を送れた人は恵まれた人であっただろう。それでもサナトリウム文学の豊かさを踏まえると、「親の介護は地獄だ」という言葉がまかり通る現代日本の貧困を強く実感する。
ところが、映画の主人公は仕事中毒である。ヒロインも自分の美しい時だけ一緒にいたいという発想である。病気に寄り添い、死に寄り添うという思想がない。サナトリウム文学と真逆の映画である。
『風立ちぬ』が戦争肯定映画か否か議論されている。特別高等警察という軍国主義の暗部が描かれている。主人公には国を滅ぼしたという反省も述べさせている。それ故に『風立ちぬ』を教条主義的に批判して、まるでネット右翼と同じ側に追いやってしまうべきではない。
一方で侵略される側の痛みという視点はない。被害者感情は豊富であるが、加害者意識に欠けるという日本人一般の意識を反映している。宮崎監督は「その時代を精一杯に生きた」と擁護する。その時代に獄中で侵略戦争反対を貫いた人々がいたことを考えると、自分の持ち場で精一杯に生きたことを素晴らしいとは思わない。むしろ、そのような人々が戦争体制を支えたと言える。反戦平和運動は、戦争中に戦争反対を貫いた人々の系譜だけが唱える資格があるとは思わない。むしろ、精一杯に生きた人々の真摯な反省に基づく平和運動は、平和運動は国民的な厚みを持つ上で重要である。となれば『風立ちぬ』は、仕事中毒や健康状態ならば生きている価値がないというような根っ子の価値観こそ問題がある。それが戦前から戦後に続く日本の無反省な連続性を支えている。宮崎アニメは『千と千尋の神隠し』でも理不尽な状況に追い込まれた子どもが頑張る姿を生きる力と持て囃した。映画が直接描かない戦争被害の悲惨さは、鑑賞者の想像力で十分補えるように描かれている。それよりも軍国主義
の土台になった特殊日本的精神主義に無批判な点が気になった。

林田力 東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った 二子玉川ライズ反対運動 wiki Facebook リアルライブ Amazon アマゾン (^-^)v 記者 本が好き レビュー

ブラック企業・ブラック士業

真実は単純である。東急不動産や東急ハンズはブラック企業である。気がついたら簡単すぎて涙が出るほどである。ブラック士業は市民の気持ちを踏みにじり、自分だけが正しいと信じ込む。デタラメな法律論を野放図に撒き散らす害虫である。
ブラック士業は臆病な卑怯者である。断固とした表情で睨まれると、ぐうの音も出なくなる。ブラック士業被害者に疲れは見えない。奇妙にも疲れそのものさえ感じなかった。悪夢を見ることもなかった。ブラック士業被害者は確信と希望に満ちていた。
ブラック企業やブラック士業は現代日本の社会問題である。東急ハンズでは心斎橋店員がサービス残業強要やパワハラで過労死し、ブラック企業大賞にノミネートされた(林田力『ブラック企業・ブラック士業』Amazonキンドル)。厚労省がまとめた、心の病による労災のデータでも、「いやがらせ」「いじめ」「上司とのトラブル」が理由として多い。その背景がパワーハラスメントである。日本社会のブラック企業やブラック士業への問題意識も高まっている。ところが、ここにきてブラック企業やブラック士業という表現は好ましくないとの主張が提示された。ここには日本の左翼市民運動の偏狭さと限界がある。
ブラック企業やブラック士業は対象を批判するための表現である。ブラック企業やブラック士業という言葉にマイナスの価値がある。それはブラックという言葉にマイナスの価値を込めていることになる。それが黒人差別になると批判する。
日本社会にも黒人を蔑視する愚かな感情があることは事実である。しかし、日本語は黒人差別以前に黒にマイナスの価値を与えている。「腹黒い」「白黒つける」などである。それ故にブラック企業やブラック士業は普通の日本語感覚の延長線上にある。
ブラック企業やブラック士業はネット上のスラングとして発生した言葉である。それ故に左翼的なネーミングセンスとギャップがあることは当然である。それをそのまま受け止めることができずに何か言わなければ気が済まないところに日本の左翼の教条主義的な偏狭さが感じられてならない。
左翼教条主義者にとっては世代的なギャップもあり、ブラック企業に潰される若者よりも、差別に苦しむ黒人の方が親近感や具体的イメージを感じられるのだろう。それは左翼運動の市民感覚との断絶を意味する。
このように考えると日本共産党がブラック企業批判を掲げたことは、やはり画期的であった。労働者の搾取をブラック企業のような企業の悪辣さに原因を求めるのではなく、資本主義的生産構造から説明するイデオロギーを有し、中小企業経営者を組織化している政党が、ブラック企業批判に注力することは自明ではない。ワタミ渡辺美樹が対立政党から立候補したという事情があるとはいえ、共産党がブラック企業問題を取り上げたことは左翼的偏狭さと比べて大胆なことであった。

林田力 東急不動産だまし売り裁判

消費者無視の東急リバブル東急不動産はブラック企業の一種である。東急リバブル東急不動産の消費者対応は文明社会の扱いとは到底言えなかった。野蛮人にも到底及ばなかった。東急リバブル東急不動産は堕落であった。東急リバブル東急不動産には人の名誉や尊厳を傷つけても、恬として恥じないという傲慢な体質がある。東急リバブル東急不動産は「事なかれ主義」で、消費者が後回しになっている。東急リバブル東急不動産は頭が固すぎる。東急リバブル東急不動産は世間知らずで認識が甘すぎる。
東急不動産だまし売りは悪徳不動産業者が引き起こした悲劇である。東急リバブル東急不動産には必ず、この埋め合わせをさせてやる。そのささやかな第一歩として、まずは気分をスッキリさせることである。東急リバブル東急不動産に逆襲できたならば、どれほどすっきりするか、正直なところ想像もつかない。それだけ重大なものを奪い取られてきた。
http://hayariki.net/1/faqindex.htm
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