2014年09月

希望のまち東京in東部TV第6回

希望のまち東京in東部TV第6回
希望のまち東京in東部TV(KTTTV)第6回は「さよなら原発・江東の亀戸宣伝」と「江東区探訪その1」です。
日時:2014年10月6日午後10時〜10時30分

●「さよなら原発・江東」亀戸宣伝
「さよなら原発江東」が2014年9月14日に東京都江東区亀戸の亀戸駅北口で川内原発の再稼動反対などのアピール活動を実施しました。冒頭には畔上三和子・東京都議会議員も参加しました。原発再稼動の是非を問うシール投票や署名集めも行った。福島視察時の写真をパネルにして掲示しました。

●江東区探訪その1(東陽町、木場、門前仲町、豊洲、塩浜)
江東区東陽3丁目(希望のまち東京in東部事務所)から車で回りました。永代通りを西に進み、木場、門前仲町、豊洲、塩浜に行きました。
http://www.hayariki.net/tobu/

希望のまち東京in東部TV「本間龍講演」
希望のまち東京in東部TVは、原発と足立を考える会・本間龍講演会「原子力村のプロパガンダに騙されるな」を3回に分けて放送します。これは2014年8月30日(土)に足立区千住の東京芸術センター9階会議室で開催されたものです。制作:sugip.com。
第3回「本間龍講演会1/3」:2014年9月15日午後10時〜10時30分
第4回「本間龍講演会2/3」:2014年9月22日午後10時〜10時30分
第5回「本間龍講演会3/3」:2014年9月29日午後10時〜10時30分
http://www.hayariki.net/tobu/ktttv.html
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■ 林田力 Hayashida Riki
■■ 『東急不動産だまし売り裁判』著者
■■◆ http://www.hayariki.net/

癒し屋キリコの約束

森沢明夫『癒し屋キリコの約束』(幻冬舎、2014年)は癒し屋という、困っている他人の悩み事を解決する仕事をめぐる物語である。表向きは昭和の香りがする喫茶店「昭和堂」である。昭和歌謡を流しており、本文でも所々で歌詞を引用している。この昭和堂では癒しの相談を受け付けている。

癒しというとヒーリング的なイメージがあるが、内容はストーカー被害や結婚詐欺など現実の悩みが起点になる。癒し屋は何でも屋ではないため、現実の被害救済にはならないが、現実から遊離して心の安らぎを追求している訳ではない。日本には精神論だけで解決しようという古い体質があるが、それでは問題解決にならない。

癒し屋の霧子は癒し屋というイメージとは異なる。口は悪く、酒が好きで、金にがめつい。笑い声は「ぐふふふ」である。現実に金儲け目的のスピリチュアルも存在する。放射能不安につけこみ、怪しげな浄水器やベクレルフリーの食材を売り付ける放射脳カルトの詐欺商法もある。そのような悪徳業者に依頼することは現実では悲劇になるが、本書の霧子の指示は適格であり、依頼者は救われる。
http://hayariki.sa-kon.net/kiriko.html
本書は一つの物語であるが、依頼者が来て依頼を解決するというオムニバスが続く形式である。プロローグの文章は物騒であるが、序盤は依頼者の悩みこそ深刻であるが、ユーモラスな雰囲気で物語が進む。

中盤に視点人物である癒し屋アシスタント・カッキー自身の物語があり、霧子自身の物語がクライマックスに来る。ここでは視点人物に仕掛けがあり、物語を否応なく盛り上げる。最後まで読むことでタイトルの『癒し屋キリコの約束』の意味も分かる仕組みになっている。

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■ 林田力 Hayashida Riki
■■ 『東急不動産だまし売り裁判』著者
■■◆ http://www.hayariki.net/

海賊とよばれた男

百田尚樹『海賊とよばれた男』は出光興産の創業者・出光佐三をモデルにした小説である。主人公・国岡鐵造は、どのような商人になりたいかと聞かれて「中間搾取のない商いをしたいと思っています」と回答した。現代日本で問題になっているブラック企業経営者の対極に位置する。終戦後の混乱期にも一人の社員も解雇しないなど古き良き経営者としての気概を示している。

但し、ブラック企業は日本的経営の延長線上のものである。本書にもブラック企業の萌芽はある。計画では2年かかる製油所建設を国岡の「何としても十ヵ月で完成させろ」との号令により、十ヶ月で完成させたエピソードがある。心労で5キロ痩せたメンバーがいる。また、後半のメインである日章丸事件も「国家のことを第一に考えよ」で、船員の安全を二の次にしているのではないかと辛辣に評価することも不可能ではない。

書名の『海賊とよばれた男』は福岡県の門司で石油販売会社を開業した時のエピソードに由来する。卸売業者と「対岸の下関では販売しない」という協定を締結していたが、国岡は伝馬船を使用し、海上で下関の水産企業に販売した。当然のことながら抗議を受けるが、国岡は「海上の販売であり、下関で販売していない」と突っぱねた。この伝馬船のエピソードから海賊と呼ばれるようになった。

現代の価値観では卸売業者による販売地域の制限は不公正な取引方法になり得る。国岡の行動は支持できるものである。協定に守られた既得権に胡坐をかく人々に海賊と罵られることは、むしろ誇ってよい。同じ悪名でも東急グループ創業者の強盗慶太とは大違いである。国岡の論理は脱法的であるが、脱法ハーブ(脱法ドラッグ)や脱法ハウスのように法の隙間で悪事を働こうという卑怯さはない。既得権への反発は戦後も健在であり、国岡は官僚的な石油配給公団や、旧体質の石油業界とやりあった。
http://hayariki.sa-kon.net/kaizoku2.html
後半のメインは日章丸事件である。イランはナショナリズムの高まりから石油国有化を断行し、利権を失った英国らはイランを孤立させようとした。これに対して国岡は「イランの苦しみは、わが国岡商会の苦しみでもある」として、極秘裏にタンカー日章丸を送り、イランから原油を購入することに成功する。

著者の歴史認識などの発言が物議を醸しているが、それで相手を全否定する左翼教条主義は支持できない。「安倍死ね」は表現の自由で「在日韓国人出て行け」はヘイトスピーチという二重基準に正当性はない。仮に著者の歴史認識に否定的であっても、本書を面白く読める理由は英米中心の国際秩序への反骨があるからである。その立場から同じように帝国主義的支配に虐げられたイランとも共存共栄を志向する。

左翼もアメリカ帝国主義を批判してきたが、それがソ連共産党万歳や中国共産党万歳の立場からならば別の支配に取って代わるだけである。そのようなものならば戦後レジームを打破することが歓迎される。むしろナショナリズムこそ自主独立や国際的連帯の可能性を見出すことができる。自国の独立を大切にするナショナリズムは他国の独立も尊重する。自己の正義を他者に押し付ける左翼教条主義とは異なる。

実際にはナショナリスティックな歴史認識を唱える人々が安全保障政策などでは対米従属・属国化を進めているようにしか見えないことがある。ナショナリスティックな論調に対して本物であるか、雇われ右翼に過ぎないか注意深く吟味することは必要である。あくまで一つの作品として本書を評価するならば、反骨精神に裏打ちされた健全なナショナリズムが存在することは認められる。

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■ 林田力 Hayashida Riki
■■ 『東急不動産だまし売り裁判』著者
■■◆ http://hayariki.zero-yen.com/

林田力書評・村上海賊の娘

和田竜『村上海賊の娘』は戦国時代の海賊・能島村上家の当主・村上武吉の娘の景を主人公とした歴史小説である。景は海賊船に乗り込み、帆別船(通行料)を払わない船に自ら乗っ取りをかけるほどの女傑であった。織田信長に攻撃された石山本願寺を救援する戦いが物語の中心である。

本書のタイトル『村上海賊の娘』はフェミニズム的には否定的評価を下される可能性がある。景は海賊の首領の娘という枠から飛び出た存在である。当時は戦船に女性を乗せてはいけないという不文律があったが、それを破っている。そのような個性ある存在を「村上海賊の娘」としか見ないことには如何なものかという考えもあるだろう。
http://hayariki.sa-kon.net/kaizoku.html
タイトルを『村上景』としても通じず、マーケティング的には『村上海賊の娘』が優れている。また、本書には武吉が景を「俺の子だ」と実感するシーンがある。景は本願寺門徒の心意気に感動して彼らのために戦いたいと父親に語る。それを聞いた武吉は「俺の子だ」と実感し、景を本願寺に送り出す。このシーンを重視するならば『村上海賊の娘』のタイトルに必然性が出てくる。

当時の海賊は封建的主従関係や支配被支配関係に組み込まれていない自由の民であった。本来ならば景の言動は海賊の常識からも外れたものであるが、そのような異端者が出てくるとしたら海賊からだろうと自然に思わせる自由さが海賊には存在する。この意味では『村上海賊の娘』のタイトルに納得である。
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ネオナチ・ツーショット写真の問題

自民党の高市早苗総務相や稲田朋美政調会長、西田昌司参院議員と政治団体「国家社会主義日本労働党」代表のツーショット写真が明らかになり、問題になっている。この代表は「民族浄化を推進せよ!国家社会主義闘争に立ち上がれ!」と叫び、ネオナチと見られているためである。

以下のように評される。「この政治団体代表との関係がどうであろうと、結果からすれば軍国少女隊の名を世界に知らしめ、安倍政権の足を引っ張ってしまった」(「ネオナチ高市の入閣は安倍改造内閣最大のアキレス」DAILY NOBORDER 2014年9月17日)

「政治家がどんな信条を持とうがそれぞれの勝手だが、今回の2S写真は間違いなく、日本の国際的な評判を落とした」(水島宏明「政治家として国際社会でアウト!「国家社会主義=ナチ」と2Sの脇の甘さ。高市早苗総務相らの写真」2014年9月10日)

政治家として求められれば一緒に写真撮影するとの論理は頭ごなしに否定すべきではない。それは「元過激派とのツーショット写真」など左翼候補へのブーメランになる可能性はある。在日韓国朝鮮人へのヘイトスピーチを糾弾しながら、「安倍死ね」は言論の自由という左翼教条主義のダブルスタンダードは市民社会に通用しない。

それでもナチスやネオナチと認識されることは国際的には日本人が考えている以上に厳しい立場に置かれることになる。弁護士法人アヴァンセ・リーガルグループ代表・金崎浩之弁護士が自らのウェブサイトでナチスのシンボル・ハーケンクロイツを使用するという問題もあった。この種の問題では「その意図はなかった」という類の弁解は通用しない。ネオナチ・ツーショット写真事件からは保守の劣化を実感する。

管見は保守の可能性を評価している。保守思想にはブラック企業や貧困ビジネス、脱法ハーブ、半グレ・ヤンキー、イジメ問題など社会悪への断固たる姿勢があると感じられるためである。逆に左翼には社会を構造的に捉えようとするあまり、体制批判や権力批判には熱心であるが、市民が感じる社会悪への関心が疎かになりがちである。「そのようなことよりも護憲運動や脱原発運動に注力せよ」と切り捨てる傾向さえある。それ故に「教職員組合はイジメ問題を放置して脱原発デモに参加している」「オスプレイよりも脱法ハーブの死者の方が多い」という右からの批判も省みる価値があると考える。

一方で日本の保守には権力に擦り寄って、おこぼれをもらうことしか考えない傾向もある。中国や韓国・北朝鮮を敵視するが、アメリカは批判できない「雇われ右翼」も多い。ネオナチとの親和性は歴史認識の観点でも保守の劣化を示している。

若年層の右傾化にはカウンターカルチャーという側面もある。私は今と比べて頑張っている教職員組合の活動家が多かった時代に教育を受けた。そこでは左翼的な歴史認識が支配的であった。右傾化には支配的な言説への反抗という積極的側面がある。優等生的な人間は左翼的な歴史認識を受け入れるが、反骨精神がある人ほど右傾化する。

特に左翼的な歴史認識の問題は「これが正しい歴史認識です」という形で自己の歴史認識が唯一絶対であると押し付ける傾向があったことである。それ故に多様性尊重という意味でのリベラルな人も左翼の基準では右傾化することになる。別に右翼的な歴史認識を信奉するつもりはなくても、様々な歴史認識に触れたいと思ったならば、左翼教条主義を排除した世界に行く必要があった。

これは「今と比べて頑張っている教職員組合の活動家が多かった時代に教育を受けた」世代の話である。それより下の世代は前提が異なる。左翼的な歴史認識に触れることなく、支配的言説に従順なために右傾化した世代は深刻である。それは別の問題として考える必要がある。

左翼から歴史歪曲・美化と批判される歴史認識に「日本軍は占領地でも品行方正で、組織的な略奪や強姦を行わず、占領地の独立や民生の向上に貢献し、住民から感謝歓迎された」というものがある。日本軍の人権意識の欠如を考えれば、この歴史認識は事実に反するものである。一方で、この歴史認識は「占領地で略奪や強姦を行うことは悪いことである。植民地になっている地域の独立運動を支援し、民生の向上に貢献することは良いことである」という価値観に立脚している。

この価値観の健全性は評価されていい。それは「在日韓国朝鮮人を殺せ」というヘイトスピーチや、米兵の性犯罪被害者に対して「夜中に出歩いている被害者が悪い」と言い放つ主張とは異なる。その違いを理解せず、自己の歴史認識を唯一絶対のものと押し付けるだけの左翼教条主義は人々を右傾化に押しやるだけである。
http://www.hayariki.net/poli/nazi.html
右傾化がカウンターカルチャーであった学生時代に流行った作品に荒巻義雄『紺碧の艦隊』がある。山本五十六が死後に38年前のパラレルワールドにタイムスリップし、前世の知識を使って太平洋戦争をやり直す物語である。真珠湾攻撃でハワイを占領するなど日本優位に進む。しかし、結局、日本は英米と講和し、共にナチスドイツと戦うという展開になった。日本を美化する御都合主義作品でもナチスドイツは絶対悪として描かざるを得ない。

日本を善玉にするならば、日本はナチスドイツとは異なると主張しなければならない。日本とドイツは戦後の歩みが異なる。「ドイツを見習え」と言われることが多いが、それに反論が成り立つとすれば「日本は欧米列強が過去にしたと同じ意味での侵略はしたが、ドイツのようなジェノサイド目的の侵略はしておらず、日本とドイツの戦争責任は質的に異なる」になる。ナチスドイツとの差異が日本における旧体制存続の拠り所になる。それ故にネオナチ・ツーショット写真は深刻な問題である。

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■ 林田力 Hayashida Riki
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