林田力です。私が社会に問題意識を持つきっかけは、自分が購入した分譲マンションのだまし売りです。私は東京都江東区の分譲マンションを購入したのですが、隣の敷地が建て替えられて日照・通風・眺望がなくなることを隠して販売された、だまし売りでした。
不動産業者は隣地が建て替えられることを知っていながら説明しませんでした。隣地と言っても道路を挟んだ隣ではなく、同じ敷地の隣です。このため、消費者契約法に基づき、売買契約を取り消し、裁判で売買代金を取り戻しました。
この問題に直面して、私は様々な団体と相談しました。そこでは実際に苦しんでいる人々の受け皿になりうるものは左派系の団体や運動ばかりと感じました。そのため、私は左派的な世界に身を置くことが多かったですが、違和感もありました。
苦しんでいる人々の受け皿になると書きましたが、生活保護受給など定型的な問題には強くても、個別性の強い問題に個別性に即して考える柔軟性が乏しいと感じています。「弱者のためと言いながら、弱者のためになっていない」と批判された方がいましたが、私の問題でも某政党のマンション相談会では「隣地建て替えは確定的な事実ではないから消費者に説明しなくていい」と不動産業者の言い分と同じ説明を受けました。
私は戦前の日本の軍国主義のような滅私奉公の世界は個人を抑圧するものとして嫌悪します。しかし、それを否定する左派側も「一人は皆のために」という形で個人を抑圧する全体主義があるのではないかと感じることが多々あります。日本社会では「お前一人が我慢すれば全体が上手くいくのだから我慢しろ」という論理が横行しています。そのような被害者の受け皿が見当たりません。
そのような思いを抱えていた中で2017年都知事選の小池百合子候補は大組織を向こうに回して輝いていました。素晴らしいと思いました。これが希望の塾に入った動機です。
先日発表された「都民ファーストの会」の綱領には「一つひとつの灯りが揺らいではいけない」と個々人を大切する姿勢を打ち出しています。綱領は続けて「全体の輝きが褪せてもいけない」と書いています。政治において全体の利益を考慮することは当然ですが、「一つひとつの灯りが揺らいではいけない」を先に出すセンスは強く共感します。