千利休を祖とする茶道の教授であり、室町時代より続く華道流派の教授であった母が、脳梗塞で倒れ入院後83日で亡くなった。89歳であった。母の葬儀には、各家元、宗匠よりの献花、弔電が届いた。葬儀は、大勢の弔問客で盛大に行われた。しかし私は母の実子であり長女でありながら弔問客の面前で、「その他ご親族様」と紹介された。葬儀委員長もおかずに葬儀は、兄と兄嫁が主動で行はれた。参列者からは、「兄嫁さん嬉しそうまるで兄嫁さんのお披露目みたい」との声がでた。私は、母の遺影を持つ事も、遺骨を抱きしめる事もできなかった。まるで相続人としての扱いを受けていないこの盛大な葬儀に違和感をおぼえた。思えば母の死にも疑問がある。
私の父は、昭和51年に喉頭癌で亡くなっている。母には、3人の子供がいる。私より6歳年上の兄と、私より3歳年下の妹だ。私は長女で真ん中の子である。世間では、真ん中の子は、我慢することが多く何かと損であると、言われているが、正にその通りである。しかし損な事ばかりではないことに気がついたのは、母の死後今、こうして母を忍んで思い出して、からである。

母は平成19年6月18日、脳梗塞で倒れ東京都中野区の総合病院に入院した。前日に母は、トンカツを食べ、ケーキを食べ、にぎり鮨を10貫食べたと、兄嫁は自慢げに語っていた。思い残す事はない良かったと、言うようであった。母は、高血圧と糖尿病がある。私は持病がある母が、こんなに沢山食べたことが信じられなかった。
母は、一命は取りとめたが左半身が麻痺した。6月26日の医師記録では「急性期を過ぎようとしている。ご高齢のこういう症例では、大事をとりすぎても(慎重にやりすぎても)意味がないので経管栄養流動食を早期に併用している」と、主治医は記録している。又主治医は「7月よりリハビリを始める。とも説明した。
母は、7月に入り快方へ向かって行きリハビリをはじめた。母は、午後から車椅子でリハビリ室に出かけて行った。7月9日の母の付き添いは、私一人であった。この日は、茶道同門会の講習会があり兄嫁はそちらに行った。
私は、母の退院後の介護施設を探していた。兄は、私に「母の介護は地獄だ。齢に不足はない。親が先に死ぬのはいいのだ」と言った。
そんなある日リハビリから戻った母は、ベットの上で嘔吐した。いつも母は、昼食(経管栄養による流動食)後20分位休んでからリハビリにでかける。ところが、兄は、「リハビリに行くのが遅くなる」と言って頻繁に経管栄養の流入速度を速めていた。

母の死から二十八日目に母の遺言の封筒を兄は私に見せた。この時点で私には何が書いてあるのか分からなかったが、兄の言動とその場にいた妹に嫌な気配を感じた。
兄は「仏壇の奥から出てきたよ。裁判所で開けるのもなんだから、四十九日に皆で集まって開けよう」と、遺言書の私的開封を提案する。
遺言書には、公正証書遺言、秘密証書遺言、自筆証書遺言がある。
自筆証書遺言は、本人の自筆である事、日付、署名、押印がある事等の決まりがある。又、自筆証書遺言の発見者は、遅滞なく裁判所の検認手続きをしなければならない。この遺言書は、裁判所で開封されねばならず、私的開封は法律で禁じられている。
兄の出した遺言書の形式は、正にこの自筆証書遺言であった。
迷うことなく私は、兄に裁判所で開ける提案をした。兄は、「本物に間違いない」と、ひたすら叫んでいた。妹も兄と同じに「本物」を押した。
私が「封筒だけで、中身まで本物とは言い切れない。書いている所を見ていたわけでは、ないのだから」と、言ったとたん兄は逆上した「なんだと!俺か光子が書いたと言うのか!こっちには、こういう物があるのだ!」
兄は物凄い剣幕で、書面をテーブルに叩き付けた。何かと思えば30年以上前のしかも、すでに返済済みの借用書である。書面には債権者の名前もなく、債務者は、私ではなく、夫である。
兄は、効力の無い、いい加減な借用書を叩きつけ、大声を出し私を脅して、遺言書の私的開封を押し進めようとした。
その後も兄は、法律に違反する遺言書私的開封を主張したが、私が法令遵守を主張した為裁判所での開封検認となった。遺言書の検認は、あたりまえのことであるが、私は、兄には、何かやましいことがあると、感じた。遺言書には母の遺産のほとんど、土地、茶道具等全てが、兄と兄嫁の物になると書かれていた。

「兄夫婦の対応には、これまで一度も誠実なものはなかった」
悲嘆にくれた原告の瞳は、深い穴のように暗かった。夫は慰めようとして言葉を探す。僅かに早く原告の声が響いた。
「しかし」
恨みのこもった眼差しの底から、微かな光が浮かび上がる。
「諦めない」
言葉に潜む意思が光を強めた。
「絶望することも投げ出すこともない」
言葉と共に光は活気を帯び、生き物のように伸び広がる。
「運命に屈しはしない。勝つつもりでいる。いかに母の無念を晴らし、相続人の権利を全うできるか。私は自分自身に挑んでいる。運命に挑んでいる。」