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#医療 #病院 #介護
病院の経管栄養の管理はシロップ並の甘さで、蟻がたからないことが不思議な程である。呆れるほど不毛であった。病院の準備書面は、まるで月の裏側のようである。光がない。輝きがない。暖かみがない。洗いざらい調べればいい。
『佼成病院裁判と介護』(Amazonキンドル)は立正佼成会附属佼成病院裁判と介護の問題を取り上げる。立正佼成会附属佼成病院裁判は、高齢化社会に向けて「命の大切さ」を訴えている。高齢者の「命」が大切にされていない。佼成病院では担当医師と患者の長男夫婦の話し合いだけで治療が中止され、患者は何も知らされずに亡くなった。患者の生死が長男夫婦だけに握られてしまうことは恐ろしい。
患者には、自分の体に行われることの真実を知る権利がある。患者の自己決定権とは、死ぬ権利ではない。誰もが通る最期の大事な場面での死の迎え方、死に至るまでの過程をどのように生きるか、生き方を選択する権利である。残された余生を充実したものにする幸福追求権である。
「私が何をするか、何を考えるか、何を望むかを決めるのは彼ではない」(アーナルデュル・インドリダソン著、柳沢由実子訳『湖の男』東京創元社、2017年、167頁)。
患者は、健康になるために入院する。患者が病気療養をする場合、医師は、患者に対して社会通念上必要とされる通常の医療行為をしてもらえるものと信じて患者は入院している。肺炎になっても適切な治療をしてもらえず、呼吸困難になっても死ぬまで放置される。「これでいいか?」と聞かれれば私なら「嫌だ」と答える。どのような死の迎え方をするかは患者が自己決定することで、医師なら分かっているのではないか。
世間では、「無駄な延命」「意味のない治療」等の言葉が散乱し、老人は、いつまでも生きていなくてもいい風潮になっている。高齢者の『命』が軽い。多くの人が、延命治療が何かも分からずに「延命はいやだ」と言わされている状態である。しかし、患者の事情は一人一人異なり、死の迎え方はそれぞれ本人が決める。生きたい人がいてもいい。
大切な家族が突然医療事故に遭い、医療の現実を初めて知り、愕然とする。そこに向きあえるかどうか、被害者・遺族は、厳しい局面に立たされる。人には法的に守られている人権がある。ところが、患者となると権利が優先されなくなる。裁判をして、世間に問うことによって、今まで見えなかったものが見えてくる。黙っていないで声をあげることが、大切である。

【書名】佼成病院裁判と介護/コウセイビョウインサイバントカイゴ/The Suit against Kosei General Hospital and Care
【著者】林田力/ハヤシダリキ/Hayashida Riki
【出版社】江東住まい研究所/コウトウスマイケンキュウジョ/Koto House Laboratory

『立正佼成会附属佼成病院裁判』
事実経過
母の最期
上告事件番号
記者会見
記者会見のお知らせ 立正佼成会附属佼成病院事件は、最高裁へ
記者会見案内
記者会見報告
上告理由書
上告受理申立書
治療拒否を忖度させる佼成病院
大口病院事件と佼成病院裁判
佼成病院の医療ツーリズムと問題点
日本海賊TVで佼成病院事件記者会見
日本海賊TVで佼成病院裁判の上告理由書
日本海賊TVで佼成病院の治療拒否忖度
岐阜県立多治見病院で点滴チューブが外れる
『喪失とともに生きる』
『難病を99%治す技術』
『どんなガンでも、自分で治せる! 』
『血液の闇』
『専門医が教える高血圧でも長生きする本』
『髪は増える!』
『今日の私がいちばんキレイ』
『思考停止人生から卒業するための個人授業』
『視えない世界はこんなに役に立つ』
『極北クレイマー』開発と福祉はトレードオフ
『ケルベロスの肖像』
花押の遺言書は無効
江東区の介護
訪問介護事業と生活支援サービス事業
希望のまち東京in東部市民カフェ第161回「事業としての介護」
希望のまち東京in東部市民カフェ第162回「訪問介護事業」
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江東区のブラック介護
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都政わいわい勉強会in東部地区:貧困問題その3
集会レポート
東京都知事選主要候補の介護政策
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