#教育 #書評 #学校
河原井純子『学校は雑木林』(白澤社、2009年)は都立擁護学校の教師が教員生活を綴った書籍である。著者は君が代不規律を貫いた教師である。著者は立正佼成会附属佼成病院裁判も傍聴しており、その縁で私は本書を読んだ。
本書は著者の教育姿勢を書いている。著者の理想は以下に表現されている。「画一の人工林ではなく、一本一本の雑木がその雑木らしさを決して失わずに、共生共存している雑木林」(103頁)。これは本書のタイトルにも反映されている。
私は多様性の尊重に賛成する。権威主義的なあり方に反対する。それ故に著者の主張に共感できる。
一方で私のようなロスジェネ世代にとって難しい点は、戦後民主主義的なあり方も、一つの画一性・権威の押し付けに映ることである。それ故に戦後民主主義的なあり方を変えることも多様性尊重の面から支持できることもある。例えば本書では修学旅行先を広島とするか、東北とするかを議論して決めたが(82頁)、広島コースと東北コースに分けて選択できるようにすることが、より多様性を尊重することにならないか。市場主義的な制度設計と多様性の尊重は両立するのではないか。それは一体性が失われるとして批判されるものなのか。そうであるならば、そこに皆で決めたものを皆が行う画一主義が潜んでいないか。
また、かつての職場には子育て中の教師に配慮する、おおらかなところがあったとする(33頁)。そこを出発点とすると今の職場は余裕がなくなったとなるだろう。しかし、これもロスジェネ世代から見れば実感を持てる過去の職場は会社人間やモーレツ社員であった。安倍政権の働き方改革や女性活躍の推進によって、ようやく配慮されるようになってきたという感覚がある。多様性の尊重は共感できるが、そこに昭和の時代は良かったが加わると、昭和の仕組みの矛盾を受けたロスジェネ世代としては難しくなる。