#教育 #書評 #学校
河原井純子『学校は雑木林』(白澤社、2009年)は都立擁護学校の教師が教員生活を綴った書籍である。著者は立正佼成会附属佼成病院裁判も傍聴しており、その縁で私は本書を読んだ。
巻末には解説として斎藤貴男「雑木林の学校を取り戻そう」が掲載されている。そこでは「昔はよかったとは必ずしも言えない」と指摘する(195頁)。これは同感である。教育改革の弊害をいくら説いたとしても、それは誤りでないとしても、戦後の矛盾への問題意識がなければ感銘を受けない。これが戦後の矛盾を清算させられる羽目になったロスジェネ世代の実感である。
一方で解説は「それでも、戦争は絶対悪であるという社会的合意が継続していた事実は重い」と続ける。ロスジェネ世代も、戦後の矛盾を実感しながらも戦後レジームを守る側に立つべきか。戦後の矛盾は一旦脇に置いて、戦後レジームを守ることで共闘しようでロスジェネ世代は救われるか。難しい問題である。
本書は都立七生擁護学校の性教育の問題も取り上げている。東京都の教育長は都議会で「人前で読むことがはばかられるもの」と答弁した(117頁)。私は人前で読むことがはばかられるものでも、きちんと教育する必要があると考える。むしろ、サイン・コサインなどよりも社会で生きるために大切な知識である。私はマンションだまし売りという消費者問題の被害経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』ロゴス社)。そこからすれば、もっと学校教育で悪徳業者の見分け方などの消費者教育に取り組むべきと考える。性犯罪も現実に起こりうるものであり、同じである。
この問題の不幸なところは、告発する側にフリーセックス、フリードラッグのような、かつての解放区文化を継承させることが性教育の目的という意識があったことだろう。それは事実であるならば多くの市民も批判できるものである。本書を読めば、そのようなものではないと分かる。それ故に実際の授業を観ることなく、授業者と論議することなく、「不適切」と決めつけたことが問題である(117頁)。