池波正太郎『剣の天地』(新潮文庫)は上泉伊勢守を主人公とした時代小説である。上泉伊勢守は剣法の達人、新陰流の創始者である。上泉伊勢守が宮本武蔵など後の兵法者と異なることは、戦国時代の城主として兵を率いて戦ったことである。上泉伊勢守は実戦に通用する兵法であった。

上泉伊勢守の武名は上野国に響き渡り、上州一槍と評された。上泉伊勢守は剣聖と呼ばれるが、武将としては一番槍である。江戸時代に入ると「刀は武士の魂」と言われるようになるが、戦国時代の武器は槍や弓であった。だから「一番槍」や「海道一の弓取り」が誉め言葉になった。江戸時代の剣術は泰平の時代故という要素がある。

本書の兵法は昭和的な根性論精神論とは一線を画す。上泉伊勢守の武将としての最初の活躍として描かれた戦いは、一戦も交えずに撤退することであった。また、上泉伊勢守は弟子の修行で昼寝を奨励している。また、本書は冬の朝に水浴して心臓発作を起こした武将に対して「自分の老体を乱暴にあつかいすぎた」と評している(357頁)。

純文学と大衆文学が区別されるように歴史小説よりも時代小説は低く見られがちである。しかし、著者の作品に共通することであるが、本書は当時の人々の感覚を描写している。これは近時の歴史学でも大切にされていることである。逆に昭和の歴史小説の大作と呼ばれるものの方が英雄の活躍を描くことに終始し、英雄史観になりがちである。

当時の感覚として学ばされたことは、妻が夫の家と運命を共にする意識があるということである。それは後年の「嫁いでは夫に従え」という従属的なものではなく、夫や子と共に生きるという運命共同体的な意識である。北条政子の頃はもっと実家重視であった。時代が下るにつれて変わっていたと思われる。かつては娘にも相続分があったが、長子単独相続に変わっていった。これが北条政子の頃よりも実家軽視となった一因だろう。