山本周五郎『艶書』は短編小説集である。だだら団兵衛、槍術年代記、本所霙河岸、金作行状記、憎いあん畜生、城を守る者、五月雨日記、宵闇の義賊、艶書は時代小説。可笑記、花咲かぬリラは現代小説である。

表題作の「艶書」は宝暦事件の頃の武家の物語である。タイトルから色っぽい話を連想するが、そうではない。他の短編もストイックな武士の生き方を描くものが多い。どこの藩かは不明であるが、林田の温泉に湯治に行かせたいという話が出てくる(258頁)。林田温泉と言えば鹿児島の霧島温泉がある。文明崩壊後の日本を描く田村由美の漫画『BASARA』にも林田温泉は登場する。しかし、林田温泉は1929年(昭和4年)に林田産業交通の創始者林田熊一が開発したもので江戸時代に存在しなかった。

最初の「だだら団兵衛」は武士が主君の命で移動中に山賊に襲われる展開が「山だち問答」と共通する。主人公の山賊への態度も同じである。「山だち問答」は孤立を怖れない侍のストイックな生き方が前面に出る。明治の立身出世主義や戦後昭和の右肩上がりの経済成長のアンチテーゼとなる思想である。これに対して「だだら団兵衛」は娯楽小説に仕上がっている。それでも立身出世を求めない点で著者の精神が込められている。

「宵闇の義賊」は義賊とされる鼠小僧治郎吉を捕らえる側から描いた作品である。盗んだ金の大半は自己の遊興に使い、一部を貧者にばらまくことで義賊と持て囃される欺瞞を指摘する。一方で鼠小僧治郎吉を捕らえる方法は卑怯である。正面からでは鼠小僧治郎吉に敵わないと言っているようなものである。それでも組織を背景にせず、一人で戦っている点で現代日本の警察権力のような卑怯さはない。

時代小説は江戸時代のものが多いが、「城を守る者」は戦国時代、上杉謙信の家中の話である。後方の重要性を指摘する。旧日本軍の後方軽視への批判になる。