山本周五郎『一人ならじ』(新潮文庫)は戦国時代から江戸時代の武家物を中心とした短編集である。「三十二刻」「殉死」「夏草戦記」「さるすべり」「薯粥」「石ころ」「兵法者」「一人ならじ」「楯輿」「柘榴」「青嵐」「おばな沢」「茶摘は八十八夜から始まる」「花の位置」を収録する。

最初の「三十二刻」から惹きつけられ、一挙に読み進められた。最後の「花の位置」だけは第二次世界大戦中の小説である。しかし、死の恐怖を克服しようとする点で武家物に通じるところがある。

新潮文庫の山本周五郎の短編集は別個独立した短編が収録される。この点は本書も同じであるが、短編同士の関連性が深い。「夏草戦記」と「さるすべり」は共に関が原の合戦の背後で起きた伊達家と上杉家の戦いを伊達家の武将にスポットを当てて描いている。また、「夏草戦記」で言及された多田新蔵は「石ころ」の主人公である。

本書で印象に残った文章は以下である。「どんな美味でも、それを食べることが義務になったばあいには、食欲は減殺される」(「柘榴」240頁)。嫌なことを強制されないことが自由である。断る自由が尊重されない選択肢は自由な選択にはならない。日本は、この点が軽視されている。大衆文学作家と分類されるが、山本作品は集団主義に陥っていない。この点で現代にも通用する。

「茶摘は八十八夜から始まる」は最後はアルコール依存症患者の禁断症状克服の描写がある。現代のアルコール依存症や危険ドラッグなどの薬物依存症克服の大変さにもつながる話である。この展開は『ながい坂』と重なる。『ながい坂』には長編小説ならではの大テーマがあるが、この展開に限れば「茶摘は八十八夜から始まる」が面白い。

「茶摘は八十八夜から始まる」は健全な人間が依存症患者を救うのではなく、救う側も自身の立ち直りを努力している。また、『ながい坂』は依存症を克服させることが救う側の利益になり、その思惑通りの結果になった。これは悪く見れば相手を利用していることになる。カントの道徳律には反している。これに対して「茶摘は八十八夜から始まる」は依存症患者が救う側にとって予想外の行動に出る。救う側の思惑通りにならないが、その決意を尊重しなければならない。物語として秀逸である。