愛知県警中川署は2018年9月21日、名古屋市中川区の会社員男性(22)を2017年11月に窃盗容疑で誤認逮捕していたと発表した。男性は約34時間、身柄を拘束されていた。中川署は裏付け捜査が不十分だったとして、今月14日に男性に謝罪したという。
防犯カメラの解析や鑑識捜査で男性につながる証拠はなかったが、中川署は転売先の情報を重要視してしまったと説明している。本田俊彦署長は「関係者の皆様と県民に深くおわびする。署員の指導を徹底し再発防止に努める」と陳謝した(駒木智一「<愛知県警>22歳男性を誤認逮捕 窃盗容疑で」毎日新聞2018年9月21日)。
警察不祥事があると、決まりきったように「再発防止に努める」と言うが、情報公開もなく、処分も甘い状態では再発防止どころか再発促進になりかねない。
「間違いが起きたらそれを検証し、少なくとも同じ間違いをしない対策を取るという技術屋の発想を、司法に取り入れることの必要性を訴えたつもりである。それによって、えん罪・誤審・誤判を減らしていくことは可能だと考える」(稲葉光行「日本版司法取引でえん罪は増える?不適切な法科学が用いられる危険性」現代ビジネス2018年9月6日)
不当逮捕して冤罪を作るには、まず市民をモノ扱いしなければならない。相手から人間らしさを奪う。狙った市民を人間から、ただのモノに変える。冤罪事件で警察官が異様なことをしでかす例は幾つも目にしている。冤罪被害者が、どのような扱いを受けるのか、その想像は容易く、まったく楽しいものではなかった。心身共に差別され傷つけられる。不当逮捕は悪趣味かつモラルに欠ける。
不当逮捕に対して「なんと酷いこと」との感想が寄せられた。私は同意するばかりであった。不当逮捕だけでも大問題なのに、それを誤魔化そうと姑息な策まで講じている。市民がさらされている脅威が描き出されるのを見て、心を痛めずにはいられない。冤罪の犠牲者を痛み、警察権力の虚しさに涙を流す。警察国家は危険な道である。しかも、先は袋小路である。汚名で終わるか、もっと汚名で終わるかの違いだけである。
不当逮捕を憎む情熱は本物である。変化をもたらしたい、より良い社会にしたいと考えている。市民は良くないことよりも良いことを望む。不当逮捕は良くないことである。事実を明らかにすることは癒しにつながる。