東急不動産だまし売り裁判

書籍や漫画の書評、マンション問題や消費者問題、警察不祥事など。書籍『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』はマンションだまし売り被害、東急不動産消費者契約法違反訴訟を描きます。マンションだまし売りや迷惑勧誘電話、貧困ビジネス、危険ドラッグのない世界を目指します。

『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社)は東急不動産(販売代理・東急リバブル)から不利益事実を隠して問題物件をだまし売りされた消費者(=原告)が消費者契約法に基づき売買契約を取り消し、裁判(東急不動産消費者契約法違反訴訟、東京地裁平成18年8月30日判決、平成17年(ワ)3018号)で売買代金を取り戻した闘いの記録。

東急不動産で買ってはいけない 被害者が語る「騙し売り」の手口
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書評

AZUMI-あずみ- 2

小山ゆう『AZUMI-あずみ- 2』(小学館)は、あずみの立ち位置が少し明らかになる。第1巻冒頭では井伊直弼を襲撃した。ここからは尊皇攘夷派に思えるが、異人の血が流れている、あずみが攘夷派のために働くとしたら滑稽である。
その後は尊皇攘夷派から外交官を守った。これで攘夷派でないことが分かる。大久保一翁のような幕府内改革派を支持する立場のようである。それが水戸斉昭の暗殺を目指すことは興味深い。日本史の教科書的には南紀派と一橋派の対立が語られる。一方の親玉が井伊直弼で、他方が水戸斉昭になるが、どちらも支持しない人々がいたことになる。
過酷な修行で育てられた点は『あずみ』と同じである。異なる点は大商人が育てたことである。あずみは任務一筋ではなく、生き別れの双子や義家族と交流している。現代流に言えばワークライフバランスを実現している。
あずみの表情も豊かである。暗殺が汚れ仕事であることを最初から自覚している。人間性を失わずに育てられた。これは家のために死ぬことを当然とする武士ではなく、商人に育てられたためではないか。

センゴク権兵衛

宮下英樹『センゴク権兵衛』は戦国武将・仙石権兵衛秀久を描く歴史漫画の第四部である。『センゴク』『センゴク天正記』『センゴク一統記』の続きである。羽柴秀吉配下の仙石秀久は淡路国の大名になった。
プロローグでは沖田畷の戦いが描かれる。これは島津家久が龍造寺隆信を破り、島津家が九州の覇権を握った戦いである。肥前の熊の異名を持つ龍造寺隆信側から描かれ、島津勢の不気味さを強調する。これをプロローグにもってきたということは、仙石の大失態である戸次川の戦いを描くのだろう。
羽柴秀吉は『センゴク一統記』で織田信長の後継者としての立場を確固とする。『センゴク一統記』とのタイトルなので、秀吉の天下統一事業を描くかと思われたが、そこで終わっている。『センゴク権兵衛』で毛利との和議がまとまり、西国では紀伊、四国、九州を残すのみとなった。第1巻では紀伊の根来攻めが始まる。羽柴秀吉の大物量作戦が展開される。
石田三成ら奉行衆は書類仕事で忙しい。余計なコミュニケーションを嫌い、効率的に業務を遂行する。コミュニケーション至上主義に陥り、無駄な会議を重ね、外国と比べて生産性の低さが問題とされる日本型組織は大いに見習うべきだろう。
後の豊臣家は奉行衆と武断派が対立するが、奉行衆から見れば加藤清正や福島正則は小物に映るだろう。一般に武断派と文治派の対立は平和な時代になって創業の功臣である武断派が用済みになり、文治派が台頭するパターンである。しかし、羽柴家では奉行衆が統治だけでなく、大軍の兵站も支えていた。加藤清正や福島正則の台頭は後である。
朝鮮出兵では兵站が上手く回らず、各大名は自律的に兵站を回す必要があった。それが大名の分権的傾向を高め、奉行衆との対立を生み、豊臣政権と比べれば分権的な徳川家康が人気を集め、江戸時代を用意したのではないか。

NARUTO―ナルト― 38

岸本斉史『NARUTO―ナルト― 38』は、うちはサスケと大蛇丸が対決する。『NARUTO』は忍者アクション漫画。木ノ葉隠れの里の忍者・うずまきナルトらの戦いと成長を描く。ナルトの夢は歴代の勇者、火影の名を受けついで、先代を超える忍者になることである。しかし、ナルトには出生の秘密があった。

主人公ナルトのライバル・うちはサスケは一族を皆殺しにした兄・うちはイタチに復讐する力を得るため、木ノ葉隠れの里を抜けて伝説の三忍の一人・大蛇丸に師事する。しかし、今回遂にサスケは大蛇丸に反旗を翻す。テレビアニメ『NARUTO−ナルト− 疾風伝』(テレビ東京系列)では2009年6月11日放送の333話「大蛇の瞳孔」が相当する。

『NARUTO』は勝利・友情・努力の3拍子が揃った伝統的な週刊少年ジャンプの王道を歩む作品である。但し、近時の漫画は「努力」が軽視される傾向がある。漫画は空想的な異世界を舞台とした作品であっても、現実世界を映し出す鏡である。格差が深刻化し、身を粉にしても働いても貧困から抜け出せないワーキング・プアという過酷な現実の前では、最初は弱かった主人公が努力だけで強くなる展開は現実味に欠ける。

この格差社会の影響を『NARUTO』も受けている。主人公のナルトは四代目火影(木ノ葉隠れの里の長)の息子である。また、ナルトは忍者の使うエネルギーのチャクラが桁外れであるが、それは九尾の妖狐を封じ込められているためである。好敵手のサスケはエリート一族である、うちは一族の出身である。しかも『NARUTO』には血継限界(遺伝によってのみ伝えられる特殊能力・体質)という設定まである。

それでも『NARUTO』は他の現代の漫画に比して努力の要素を色濃く出している。それは師弟関係を強調しているためである。多くの登場人物に師弟関係(ナルトと自来也など)がある。師弟関係があることで、直接的な修行の描写を長々としなくても、登場人物が修行によって成長したことが推測できる。

この師弟関係は主人公側だけでなく、敵側にも存在する。サスケと大蛇丸の関係がそれである。主人公側の師弟関係が情愛で結ばれたものであるのに対し、サスケと大蛇丸の師弟関係は互いに相手を利用するだけの存在と位置付けていた。そのために今回の放送で両者は激突することになる。対照的な師弟関係が主人公側と敵側の落差を象徴していた。

からかい上手の高木さん

山本崇一朗『からかい上手の高木さん』(小学館)は学園物ラブコメの少年漫画である。中学生の西片くんは同級生で隣の席の高木さんにからかわれている。『ゲッサンmini』『ゲッサン』連載作品。

本作品は2018年にアニメ化され、アニメも好評であった。2019年1月にTVアニメ第2期の制作が決定したと発表された。アニメでは高木さんのかわいさが注目されたが、漫画では意地悪顔に見えることもある。読み切り作品では、もっと意地悪顔であった。

高木さんは可愛らしいが、よく読むと、からかうことにかなりのエネルギーを注いでいる。わざわざプールを見学したり、長時間隠れていたり。中々できることではない。ほほえましい思春期を通り越し、一歩間違えるとヤンデレになりそうである。高木さんがそこまで西片くんに執着する背景は何だろうか。

ほとんど西片くんと高木さんのやり取りで物語が進む。登場人物の少なさが特徴である。学園物はネタが切れたら転校生と言われるように人間関係の広がりの中で話を膨らます傾向がある。これに比べると『からかい上手の高木さん』はストイックである。

十字軍物語 第一巻 神がそれを望んでおられる

塩野七生『十字軍物語 第一巻 神がそれを望んでおられる』は中世の大事件である十字軍を描いた歴史物語である。主に西欧側から描く。

本書は世界史の教科書的な定説とは異なる視点を出している。カノッサの屈辱は神聖ローマ帝国皇帝がローマ教皇に屈した事件であるが、破門が許された後に皇帝は教皇を追い詰め、教皇の立場は不安定になった。その教皇の権威を強めた策が十字軍の呼びかけであった。

また、イスラム教徒はカトリックに比べて異教徒に寛大だったとされる。「剣かコーランか」は誤りで、「剣かコーランか貢納か」が正しいという話は今では逆に有名である。カトリックよりも相対的に寛大であることは本書も否定しないが、貢納さえすれば自由ではなく、様々な面で差別される二級市民の立場に置かれたとする。

逆に十字軍は異教徒を虐殺したイメージが強い。現実にエルサレム占領後などで虐殺が行われた。しかし、異教徒の居住を認めた十字軍国家の為政者もいたという。

十字軍は攻める側も攻められる側もグダグダ感がある。戦況は十字軍に有利に進み、個々には名将の活躍もあるが、迷走や無駄も目につく。アレキサンダー大王のような英雄の征服事業のような話ではない。日本史で言えば豊臣秀吉の朝鮮出兵を連想した。

本書は最初から十字軍とビサンツ帝国の間に不協和音があったとする。ビサンツ帝国を占領した第四回十字軍は本末転倒の強欲のなせるものと見られがちであるが、最初から対立の根があったことになる。

著者は現代のパレスチナ問題を問題意識として持っている。イスラエルはアラブ側からみれば十字軍国家そのものに映るのではないだろうか。イスラム側は分裂して足を引っ張りあっている。これが十字軍国家やイスラエルの存続に力を与えている点は共通する。そうであるならば百年二百年のスパンで見ればイスラエルが安泰とは言えないだろう。

進撃の巨人 27

諫山創『進撃の巨人 27』(講談社)は、国と国との交渉で始まる。物語序盤のコミュニケーション不能な巨人が一方的に攻撃してくる展開からは様変わりしている。

日本を連想させる国が登場する。利に聡い民族性と描かれる。かつてエコノミックアニマルと揶揄された日本人を風刺している。相手の犠牲の上に自己の利益を得るならば浅ましい拝金主義者である。これに対して相手の求める価値を提供して代わりに利益を得るならば相互主義が成り立つ。このようなビジネス感覚からエコノミックアニマルと言われるならば、それは誉め言葉になる。むしろ最近は既得権益を守ろうとする発想の残存が目につく。

ミカサ・アッカーマンのルーツが明かされる。これはエレンの謎と関わるのだろうか。それとも独自のエピソードになるのだろうか。

エレンは何を考えているか分からない。同期生からも疑念が生まれる一方で、その外に信奉者が生まれる。皆が同じ方向で目の前の問題解決に向けて一致団結して頑張るという展開ではない。本作品は週刊少年ジャンプ編集部に持ち込まれた際にジャンプらしくないと言われたという。まさにジャンプらしくない作品である。

貧民、聖櫃、大富豪

高橋慶太郎『貧民、聖櫃、大富豪』(小学館)はマネーファンタジー漫画である。女子高生の聖夜は、ある日天地が入れ替わる感覚と共に異空間に足を踏み入れる。そこで御使いを駆使して戦うことになる。Fateの聖杯戦争に似ている。御使いがサーバントに相当する。

御使いの一人のヴァイキングの首領ロロはイスカンダルを連想する。しかも、イスカンダルよりもキャラクターの魅力が乏しいため、劣化コピーとの印象を受ける。

ファンタジーバトル物として見たら劣化コピーとの辛辣な評価も下されるが、本作品のユニークなところはマネーゲームの要素である。主人公の住む横浜は経済特区の金融都市という設定である。高校生が起業して会社を経営している。ファンタジーバトルでは現実の金銭が消費されるという、ある意味で夢のない世界である。資本主義が当たり前になった世界を反映した作品とも言える。

エンタメのトレンドに転生物があるが、現世をリセットするばかりではなく、現世のビジネス経験を活かした作品群もある。古くは『ドラえもん のび太の魔界大冒険』が魔法の使える世界にしたところ、優れた魔法を使うには高価な道具を買わなければならない世界であった。

著者の描くキャラクターは目に不気味な魅力がある。過去作品では武器商人など尋常ではないキャラクターに描かれており、尋常とは異なる存在であることを示していた。これに対して本作品はファンタジーの戦いに巻き込まれなければ、学力優秀であるが、一般の女子高生に描かれている。彼女は特別な存在なのか。それとも頑張って成長する主人公なのか。

ONE PIECE 3D2Y エースの死を越えて! ルフィ仲間との誓い

尾田栄一郎、浜崎達也『ONE PIECE 3D2Y エースの死を越えて! ルフィ仲間との誓い』(集英社、2014年)はTVアニメ放送15周年特別作品のノベライズである。マリンフォード頂上戦争後の2年間を描く。ルフィは覇気を習得するため、レイリーと共にルスカイナ島で2年間の厳しい修業に入った。

アニメオリジナルの話として海賊バーンディ・ワールドが登場する。大監獄インペルダウンのレベル6からの脱獄者である。かつてのワールド海賊団の仲間を引き連れ、海軍の軍艦、有力海賊達を次々と撃破していた。世界政府は王下七武海を招集するが、ワールドは先んじて海賊女帝ボア・ハンコックを攻撃する。ルフィとハンコックの共闘が描かれる。

ワールドはバイキング風の外見である。「世界の破壊者」の異名を持ち、徹底的な破壊者として描かれる。中世西欧の人々にとってもバイキングは、そのように映ったのだろうか。ワールドは部下に対しても暴虐である。使えない部下を殺してしまうクロコダイルと同じタイプである。部下に裏切られた過去があるために止むを得ないと言うべきか。世界政府にビビッて裏切るようならば最初から海賊になる資格はない。

ワールド海賊団の船には直方体の大きな石が沢山ある。ポーネグリフを集めているのかと思ったが、四角に切り取ることができる能力であった。能力者として物を操作するだけでなく、空気も操作できる。これは能力を高く鍛えているキャラクターと言えるのではないか。

王下七武海に就任したバギーも登場する。『とっても!ラッキーマン』のラッキーマンや『カメレオン』の矢沢のようにラッキーとハッタリでのし上がる。

ハリー・ポッターと死の秘宝

ダンブルドアには大目的のために個人の犠牲はやむを得ないという割りきった姿勢が感じられる。有用なスネイプを利用して使い潰すようにも見え、あまり好きになれなかった。個人主義が徹底した欧米ではダンブルドアのような考え方も一つの考え方として新鮮かもしれない。しかし、個人主義が未発達で後進的な日本では村社会を強化する方に働く危険がある。

村社会という点では誰それがブラック家の出身で、誰と誰が親戚であるという話が結構ある。そのようなものに郷愁があるのだろうか。階級社会のイギリスでは今も生きているのだろうか。

母親の力は物語のテーマである。モリー・ウィーズリーは最強の副官ベラトリックス・レストレンジを倒した。息子が殺された怒りと娘を守ろうとする思いがあったのだろう。マルフォイ家がヴォルデモードと運命を共にしなかったことは母親の動きが大きい。そもそも、子どもを守ろうとするリリーの力がヴォルデモードを撃退したことが物語の出発点であった。このため、家族の絆を描くことは必然であるが、それは家制度という個人を抑圧する前近代的要素につながりやすい。

ヴォルデモードは悪のカリスマというほどの凄みは感じなかった。異種族を支配下に入れた点で凄い存在であるが、魔法使いに対しては恐怖で支配しているだけという印象である。ブラック企業や公務員の忖度組織である。ルシウス・マルフォイは穢れた血を差別し、純血を誇る貴族的な存在であるが、ヴォルデモードの配下では専制君主の顔色をうかがう奴隷と変わらない。本人にとって幸せではないのではないか。

スターウォーズの皇帝パルパティーンのように正義の側の人物を悪に引き込む凄さはない。逆に自分の陣営にダンブルドアのスパイを入れられている。パルパティーンはライトセーバーを必要とせず、フォースの雷で攻撃できたが、ヴォルデモードは杖に依存し、それが敗因になった。

出世する人の英語 アメリカ人の論理と思考習慣

小林真美『出世する人の英語 アメリカ人の論理と思考習慣』(幻冬舎、2018年)はアメリカ人に通用する考え方や英語表現を説明した新書である。ここを押さえておかなければ、日本的組織では有能と評価される人がアメリカではイマイチということになる。

このため、本書のスタンスは、日本とアメリカは異なり、日本人にはOKでもアメリカ人にはNGなものがあるというスタンスである。それはそれで良いが、日本企業の中でも本書の指摘に従うことが働き方改革として必要と感じた。

たとえば打ち合わせを求める場合は最初に用件を述べることが推奨される。古い日本の感覚では用件を最後にしたがるが、それは相手には迷惑である。打ち合わせは相手の時間を奪うものという自覚が必要である。予め用件を明確にする文化はアメリカ人だけでなく、21世紀の日本のビジネスパーソンにも必要だろう。逆に言えばマンション投資の迷惑勧誘電話などが用件を先に言わないことは悪徳商法の所以になる。

「ちょっとご挨拶だけ」もアメリカでは価値を生まない無駄なものとマイナス評価の対象になる(28頁)。これも相手の時間を奪わないことである。また、納期意識も強い。完成度をトレードオフにしても納期を優先する傾向がある(88頁)。これも相手の時間を奪わないという感覚で一貫している。

本書はアメリカ人がフェアという観念を大事にしていると指摘する(34頁)。それ故に軽い気持ちでフェアではないと批判すると大変なことになる。これは正しいが、これだけではアンフェアという言葉を禁句とするという教訓しか導き出せない。

アンフェアと思われない行動をとることが大切である。相手の選択の自由を無視したり、一方的に負担を押し付けたりすることがアンフェアと考える。日本人には過程を無視する結果オーライや「終わり良ければ全て良し」の発想があるので危険である。

鉄板焼きは外国人に好評です。「外国人のなかにはベジタリアンなど食べられるものが制限されている人がたくさんいますが、鉄板焼きならベジタリアンの人も野菜だけ選んで食べられます」(小林真美『出世する人の英語 アメリカ人の論理と思考習慣』幻冬舎、2018年、138頁)

私は本書で紹介されている内容が21世紀の日本のビジネスシーンでも目指す価値があると考え、その観点から共感するところ大である。これに対して本書が著者の接したアメリカ人との経験に基づくもので、アメリカ、さらには海外の人々について普遍性を持たないのではないかとの指摘がある。実は、その事実認識は同意できる。それ故にビジネスパーソンには有用と考える。君主のいないアメリカでも貴族的な階級が存在するとされるが、その真似をビジネスパーソンがしても滑稽になるだろう。

アメリカ人に合わせるばかりで良いかという疑問を抱く向きもある。日本社会から不合理な面を減らし、近代化の方向性につながるものを積極的に合わせたいと考える。ただ、本書は、来日したアメリカ人を食事に連れていく際は薄味の日本料理をあまり好まず、たこ焼きやお好み焼き、鉄板焼が喜ばれると指摘する。そのような事実はあるだろうが、それを日本料理経験として良いのだろうかという思いはある。素材の味わいが日本料理の魅力です。逆にアメリカ人を舐めすぎではないかということは感じた。

人事コンサルタントが教える 生産性アップにつながる「50」の具体策

岩下広文『人事コンサルタントが教える 生産性アップにつながる「50」の具体策』(中央経済社、2018年)は「人材マネジメント改革」を行うための具体的な施策を提案する書籍である。生産性向上に向けた企業のアプローチを「業務の改善/改革」と「人材マネジメントの改革」に分け、後者を対象とする。

本書の分かりやすい点は、最初に生産性アップについて、きちんと定義していることである。生産性向上はインプットを変えずにアウトプットを増やすか、アウトプットを変えずにインプットを減らすことである(2頁)。右肩上がりの経済成長のようなインプットもアウトプットも増やすことは最初から考えていない。ここを理解しないと議論の入口から噛み合わなくなる。

日本企業の生産性が低い理由として、仕事の定義、役割分担ができていないことがある。これは目の前の問題を解決するために皆で頑張ろう的な昭和的な集団主義を正当化してしまうものである。それが付き合い残業による長時間労働につながる。この点で欧米流のジョブ型が優れている。そこで重要になるものが職務定義の明確化である(80頁)。

この職務定義の明確化は公務員仕事の、たらい回しや担当者不在で対応できないという弊害の対策になる。一見すると公務員仕事は自分の担当範囲しかしないというジョブ型の弊害に見える。しかし、たらい回しは職務範囲が不明確であるために公務員が責任逃れするために悪用するものである。担当者不在で対応できない問題も、職務内容が定義され、取り替えできるようになっていないために起きる。これも他人の仕事をしたくないという公務員が責任逃れである。

ジョブ型は「仕事に人を充てる」文化であり、仕事の処理がファーストである。処理しなければならない仕事があるならば、それで人を充てることがマネジメントの役割である。公務員仕事は「人に仕事を充てる」という日本的経営の弊害の極致である。

第3のギデオン

乃木坂太郎『第3のギデオン』(小学館)はフランス革命前夜を舞台とする歴史漫画である。フランス革命を新たな切り口で描く。歴史漫画であるが、ファンタジーやホラーの雰囲気が漂う。アンシャン・レジーム下のフランスは民衆が貴族や聖職者に搾取され、苦しんでいた。平民のギデオンは三部会の議員となり、国政を改革しようとする。『第3のギデオン』の「第3」が何を意味するかは序盤では分からないが、第三身分のギデオンということだろうか。

ギデオンは第三身分の権利伸張を主張し、革命にも言及する。しかし、それは後のフランス革命の王制打倒のような主張ではない。逆にギデオンは国王ルイ16世を貴族や聖職者の特権を廃止する改革者として期待している。敵は絶対王政ではなく、国王と国民の中間で搾取する特権階級になる。東洋の一君万民思想と重なる。

現代日本でも公務員天国への不満が高く、ギデオンのような考えは十分に理解可能である。当時の貴族は民衆にとっては徴税者であり、聖職者は住民票管理者の性格があった。現代日本の公務員への不満と重なる。社会科学の通説的な理解からすると、ギデオンのような考えはナイーブということになるだろう。しかし、戦後日本の社会科学の方がドグマ化している面があるのではないか。

貴族のジョルジュはギデオンに手を差し伸べるが、ギデオン以上に過激な情念を抱えている。通説的なフランス革命観ではフランス革命ではミラボーやラファイエットら貴族出身者は立憲君主制を志向し、血なまぐさい暴力革命は無産市民のサン・キュロットが主導したイメージがある。ところが、本作品では貴族のジョルジュが過激で、平民のギデオンが穏健という逆転現象が見られる。

本作品ではロベスピエールやサン=ジュストという歴史上の人物が登場する。この時点ではロベスピエールも国王主導の改革を期待する立場に描かれる。面白いキャラクターはサン=ジュストである。ロベスピエール信者と描かれがちであるが、本作品ではロベスピエールを利用しようとする関係である。それでも誰かの信者であることは変わらない。
マンションだまし売り被害を消費者契約法で解決した裁判闘争を描くノンフィクション『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者。
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