林田力 だまし売りのない世界へ

マンション問題や警察不祥事、書籍や漫画の書評など。書籍『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者。マンションだまし売り被害者。東急不動産消費者契約法違反訴訟原告。みんなの未来(あした)を守る会代表。江東住まい研究所長。マンションだまし売りや迷惑勧誘電話、貧困ビジネス、危険ドラッグのない世界を目指します。 http://www.hayariki.net さいたま市の話題は林田力@さいたま市桜区ブログ

 林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社)は東急不動産(販売代理・東急リバブル)から不利益事実を隠して問題物件をだまし売りされた消費者(=原告)が消費者契約法に基づき売買契約を取り消し、裁判(東急不動産消費者契約法違反訴訟、東京地裁平成18年8月30日判決、平成17年(ワ)3018号)で売買代金を取り戻した闘いの記録。

FJネクスト・ガーラ・グランディ木場問題
http://hayariki.x10.mx/
東急不動産で買ってはいけない 被害者が語る「騙し売り」の手口
http://www.mynewsjapan.com/reports/1101

エンタメ

佐賀城本丸歴史館

佐賀城本丸歴史記念館は佐賀藩10代藩主・鍋島直正が天保9年に完成させた本丸御殿を復元した建物です。木造建築では日本有数の規模の建物です。佐賀城は肥前佐賀藩36万石の居城です。藩主は鍋島氏です。本丸御殿は宮大工により復元されたものです。アームストロング砲が設置されています。天守台には石垣だけがあります。本丸の門である鯱の門は国の重要文化財に指定されています。

ACCA13区監察課

オノ・ナツメ『ACCA13区監察課』は架空の近代国家ドーワー王国を舞台とした漫画である。『月刊ビッグガンガン』連載作品で、アニメ化された。

ドーワー王国は13区に分かれ、地方自治が徹底している。元々、13の国々を統一して成立した国であった。過去に12の地域による一斉クーデターが起き、地域毎の自治が認められた経緯がある。分類では連邦制になるが、連邦と呼ばずに地方自治としている。これはソ連やガンダムの地球連邦のように連邦という言葉には本来の意味とは逆に中央集権的・官僚的なマイナスイメージがあるからだろうか(林田力『東急不動産だまし売り裁判45地球連邦の腐敗』Amazon Kindle)。

主人公ジーン・オータスは監察課の副課長である。何を考えているか分からないキャラクターである。データ送信時刻の差異から不正を見抜くところは切れ者である。データのチェックが主体の地味な仕事での見せ場になる。

ジーンは眠そうな目をしている。やる気はなさそうであるが、実力はあるキャラクターは新しいタイプのヒーローである。昭和的な前に進むだけの頑張ります精神に魅力を感じにくくなっている時代を反映している。

本作品には、お洒落な雰囲気がある。しかし、実は全くお洒落ではない。ジーンには「もらいたばこのジーン」という大層な異名があるが、たかりであり、本来ならば恥ずかしいことである。公務員的な存在として最も許されないことである。

また、監察課のメンバーはおやつのケーキを楽しみにしている描写ばかりで、仕事をしているように見えない。別に足を棒にして頑張ることを求めるつもりはない。ジーンのようにデータから問題を見抜くならばケーキを食べても良いが、そのような描写はない。民間労働者としては公務員批判をしたくなる。このように実態はお洒落でないのに、お洒落な雰囲気にしてしまう作者の作品世界の構築力は恐るべきところである。

山本周五郎『一人ならじ』

山本周五郎『一人ならじ』(新潮文庫)は戦国時代から江戸時代の武家物を中心とした短編集である。「三十二刻」「殉死」「夏草戦記」「さるすべり」「薯粥」「石ころ」「兵法者」「一人ならじ」「楯輿」「柘榴」「青嵐」「おばな沢」「茶摘は八十八夜から始まる」「花の位置」を収録する。

最初の「三十二刻」から惹きつけられ、一挙に読み進められた。最後の「花の位置」だけは第二次世界大戦中の小説である。しかし、死の恐怖を克服しようとする点で武家物に通じるところがある。

新潮文庫の山本周五郎の短編集は別個独立した短編が収録される。この点は本書も同じであるが、短編同士の関連性が深い。「夏草戦記」と「さるすべり」は共に関が原の合戦の背後で起きた伊達家と上杉家の戦いを伊達家の武将にスポットを当てて描いている。また、「夏草戦記」で言及された多田新蔵は「石ころ」の主人公である。

本書で印象に残った文章は以下である。「どんな美味でも、それを食べることが義務になったばあいには、食欲は減殺される」(「柘榴」240頁)。嫌なことを強制されないことが自由である。断る自由が尊重されない選択肢は自由な選択にはならない。日本は、この点が軽視されている。大衆文学作家と分類されるが、山本作品は集団主義に陥っていない。この点で現代にも通用する。

「茶摘は八十八夜から始まる」は最後はアルコール依存症患者の禁断症状克服の描写がある。現代のアルコール依存症や危険ドラッグなどの薬物依存症克服の大変さにもつながる話である。この展開は『ながい坂』と重なる。『ながい坂』には長編小説ならではの大テーマがあるが、この展開に限れば「茶摘は八十八夜から始まる」が面白い。

「茶摘は八十八夜から始まる」は健全な人間が依存症患者を救うのではなく、救う側も自身の立ち直りを努力している。また、『ながい坂』は依存症を克服させることが救う側の利益になり、その思惑通りの結果になった。これは悪く見れば相手を利用していることになる。カントの道徳律には反している。これに対して「茶摘は八十八夜から始まる」は依存症患者が救う側にとって予想外の行動に出る。救う側の思惑通りにならないが、その決意を尊重しなければならない。物語として秀逸である。

からかい上手の(元)高木さん

稲葉光史『からかい上手の(元)高木さん』(小学館)は、山本崇一朗『からかい上手の高木さん』のスピンオフ漫画である。大人になった高木さんを描く。高木さんは結婚して名字が変わり、娘が産まれた。名字が変わったので(元)高木さんである。

『からかい上手の高木さん』は2018年にアニメ化され、アニメも好評であった。高木さんのその後が幸福な展開になっていることは喜ばしい。『からかい上手の高木さん』がラブコメならば、『からかい上手の(元)高木さん』はホームコメディになる。

漫画としては『からかい上手の高木さん』のような強烈に突っ込みたくなる笑いは乏しい。本家あってのスピンオフと感じた。代わりに小さな娘が親を振り回す要素が強い。この点は、あずまきよひこ『よつばと!』に重なる。但し、『よつばと!』では周囲の大人との交流で話が広がっていく。逆に脇役が主人公を翻弄するパターンもある(林田力「『よつばと!』第11巻、脇役が主人公を翻弄する逆パターンも」リアルライブ2011年12月1日)。

これに対して『からかい上手の(元)高木さん』は家族内で完結する傾向がある。これは『からかい上手の高木さん』からの傾向である。『からかい上手の高木さん』は登場人物の少なさが特徴である。学園物はネタが切れたら転校生と言われるように人間関係の広がりの中で話を膨らます傾向がある。これに比べると『からかい上手の高木さん』はストイックである。

思春期ならば互いに西片くんや高木さんのことばかり考えていても面白いが、社会人となると現実感が乏しくなる。民間経済人的な意味での生活感が感じにくい。たとえ専業主婦であっても消費者としての生活感を描くことはできる。ここは東急不動産消費者契約法違反訴訟原告として声を大にして言いたい。滅私奉公の仕事中毒は時代遅れであるが、マイホーム主義も昭和的である。個人の個性が見えない点で裏表の関係にある。

はたらく細菌

吉田はるゆき漫画、清水茜監修『はたらく細菌』(なかよしコミックス)は人体細胞擬人化漫画『はたらく細胞』のスピンオフ漫画である。赤血球などの細胞は登場せず、細菌を擬人化する。キャラクターではなく、コンセプトを利用したスピンオフである。

善玉菌と悪玉菌の陣取り合戦を描く。『はたらく細菌』というより『戦う細菌』という感じである。肉ばかり食べて野菜を食べないと体に悪いということを実感させる作品である。この意味で非常に教育的である。臭い屁が出るという点も少女への教育効果がある。

一方で『はたらく細胞』の面白さは乏しくなっている。二つの陣営の戦争となると、個々の細菌は各陣営の駒になってしまう。作者は個々の細菌の個性を描こうとしているものの、所詮は陣地の拡大・防御という大目的の中の話に過ぎない。これに対して『はたらく細胞』には別個の細胞が各々の役割を果たし、それが人体の調和になるという市場主義的な面白さがある。

昭和の日本は皆が一丸となって邁進することに美学を感じる傾向があった。しかし、そこには個人を抑圧する特殊日本的集団主義の大きな弊害がある。『はたらく細胞』は全体的指導者の統制を受けず、個々の細胞が市場主義的に動く面白さである。このような作品が出たことは、昭和とは異なる時代にいることを感じる。

はたらく細胞BLACK

初嘉屋一生漫画、原田重光原作、清水茜監修『はたらく細胞BLACK』(講談社、2018年)は体内細胞擬人化漫画『はたらく細胞』をブラック労働に置き換えたスピンオフ漫画である。表紙の赤血球と白血球は『はたらく細胞』と男女が逆パターンである。

ブラック企業は社会問題になっている。ブラック企業の周りにはブラック士業なども蠢いている。『はたらく細胞』では細胞達が自発的に楽しく働いているように見えるが、そのような職場環境ばかりかということは誰しも思うことだろう。その意味で好企画である。

本作品の人体はストレスや喫煙などブラックである。このために細胞の労働環境も過酷である。それでもブラック企業という観点では物足りなさがある。ブラック企業の最もブラック企業らしい特徴はパワハラだろう。東急ハンズ過労死事件は長時間労働としては相対的に少ないものの、高額の損害賠償が命じられた。そこにはパワハラの存在が考えられる(林田力『東急ハンズ問題』Amazon Kindle)。

本作品は東急ハンズのパワハラのようなブラック企業らしさが乏しい。大変な状態であるが、皆で頑張って何とかしようという世界である。プロジェクトXや下町ロケットに通じる日本的経営の世界である。それをブラックと受け止めるようになったことは日本社会の成熟だろう。

進撃の巨人(23)

諫山創『進撃の巨人(23) 』(講談社、2017年)は舞台が大きく変わってマーレの戦士達の話になる。壁の外の世界では人類同士で戦争していた。このまま源氏物語の宇治十帖のように主人公も変わった話になると思いきや、物語の方向が壁の中の世界とつながる。

但し、これまでは主人公エレン達が分かっていることしか描かれなかった。パラディ島攻略が始まった時、読者はエレンが知らないことを知っていることになる。『進撃の巨人』は謎を想像する点が魅力であったが、その魅力が維持できるか気になる。それともパラディ島攻略はライナー達が視点となり、エレン達の動向が謎と提示されるのか。

『進撃の巨人』は圧倒的な巨人に食べられる無力な人間という展開が魅力であった。ところが、外の世界では科学技術の発達によって巨人の優位性が減少している。実際、エンタメの世界では昭和のゴジラは過去のものになり、地球なめんなファンタジーというジャンルが登場している。本作品も、このようなエンタメ動向を反映している。

リヴァイとミカサ・アッカーマンは超人的な戦闘力を持っている。たまたま二人が超人的という話ではなく、何らかの理由があることが示唆される。話が作り込まれた作品である。

進撃の巨人(22)

諫山創『進撃の巨人(22)』(講談社)は念願の海への到達である。表紙には海辺に立つエレン・ミカサ・アルミンの後姿が描かれる。珍しく爽やかな表紙である。しかし、それでハッピーエンドにはならない。絵が綺麗な分、物悲しくなる。

エレンの父親のグリシャの手記から深刻な真相が明らかになった。真相を知った政府首脳部は国民に情報公開を行う。これは素晴らしい。日本政府ではできないことである。これだけでも革命が起きて良かったと言える。やはり情報公開は改革の一丁目一番地である。

『進撃の巨人』の世界は全体のために個人の犠牲を是とする全体主義的価値観が強い。それは人類自体の生存が脅かされている極限状況だから仕方ないという面もあったが、実際は巨人の脅威自体に民を閉じ込めておくという欺瞞があった。

調査兵団は巨人を一掃することで海に到達した。しかし、巨人は外敵を寄せ付けない意味もあった。巨人が一掃されたことは防衛力が弱まったことを意味する。人間同士の凄惨な戦いになるのだろうか。

エレンは中二病扱いされる。シリアスな展開の中でシリアスな雰囲気を壊さずにギャグが入る。このような作品は中々ないだろう。

はたらかない細胞

杉本萌『はたらかない細胞』(講談社、2018年)は清水茜の体内細胞擬人化漫画『はたらく細胞』のスピンオフ漫画である。赤血球に成長しない赤芽球をニート風に描く。赤芽球はマクロファージに育てられて赤血球になる。赤血球になることを脱核という。ところが、本書の赤芽球達は成長しても赤血球になろうとしない。働くことを拒否してモラトリアムし続ける。何とか赤血球に成長させようとマクロファージが悪戦苦闘する。

『はたらく細胞』は人体の勉強になる点が多い。これに対して『はたらかない細胞』はギャグテイストが濃厚である。『はたらく細胞』のマクロファージは、かわいらしい外見からは想像できない危ない戦士であった。怖くてかわいいお姉さんである。『はたらかない細胞』も外見は同じものの、等身大の悩める教師になっている。

『はたらかない細胞』は働かないように見えて、実は役に立っているという話かもと思ったが、深読みし過ぎのようである。そのように感じた理由としては、表紙の赤芽球が銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーのように見えたからである。働かない非常勤参謀と揶揄されながら、実は有能であった。昭和的な「頑張ります」精神の真逆のキャラクターに魅力を感じる。

ONE PIECE 89

尾田栄一郎『ONE PIECE 89』(集英社、2018年)はビッグ・マム編がほぼ終わる。完全に終わりではない。ルフィとカタクリの死闘に決着がつく。カタクリはルフィの強敵にふさわしい存在である。勝つために手段を選ばない卑怯者は強敵キャラクターとしても相応しくない。日本大学アメリカンフットボール部の違反行為は多くの人々を怒らせ、日本大学のイメージを失墜させた。

カタクリには兄弟姉妹にも隠している秘密があった。これまでは秘密を知られた人を殺してしまうほどであったが、ルフィとの闘いの最終局面ではさらけ出した。カタクリも一皮剥けて、これまでよりも強くなるのではないだろうか。

強敵カタクリとの対決はルフィが独力で進めるが、それ以外の点では多くのキャラクターに助けられている。これを万策尽きると、お助けマンが登場する御都合主義とネガティブに評価する向きもあるだろう。

しかし、一人の力が圧倒的で、現実世界のバトルのように数量の優位性が機能しない世界で、仲間や友情の描き方として意味がある。強敵との闘いを直接手助けはできないが、ルフィができないことを行う。仲間を単なる解説者や応援者にしない。

主人公が圧倒的に強いならば仲間を描く必要があるかという少年漫画の矛盾を克服している。多くの少年漫画は敵幹部と戦わせることで仲間の出番を作る。逆に仲間の見せ場を作るために敵幹部を作ったのではないかと思われる作品も少なくない。『ONE PIECE』でもエニエス・ロビー編などは間延びした印象を抱く向きもあるだろう。この問題は麦わらの一味の仲間が増えていく中で深刻になる。新たな活躍の見せ場を『ONE PIECE』は提示している。

『MISTERジパング』第2巻

椎名高志『MISTERジパング』(小学館)第2巻は蜂須賀小六とのエピソード「蜂須賀村の決闘」の続きである。タイトルが映画作品のタイトルを連想させる点は『GS美神 極楽大作戦!!』に重なる。因みに第1話は「天下を狙え」であった。

歴史漫画であるが、現代感覚が随所に出ている作品である。この点は同じ週刊少年サンデー連載作品の『虹色とうがらし』と共通する。

織田信長と蜂須賀小六の対立を日吉の知恵で回避しようという展開であるが、無理を感じた。信長は小六と全面対決するつもりはなく、実行者を差し出せば撤収するつもりであるが、実行者が小六本人でなかったとしても、無法に乱暴を働いた訳ではない人物を差し出す理不尽を小六が受け入れることはないだろう。信長の考えでは全面対決しか残されていない。

蜂須賀村に圧力をかける織田方が暴走族風である点も信長を浅慮に見せてしまう。うつけ者や傾き者を昭和のヤンキーや暴走族に重ねることは安直である。実際、『花の慶次 雲のかなたに』で描かれた本物の傾き者はヤンキー暴走族のような自称傾き者を潰す存在であった。ヤンキーが恥ずかしい風俗になった現代ではヒーローを暴走族風にすることはマイナス効果だろう。

続く鷹狩りの話では信長がゲームの枠組みを壊すような戦い方をする。常識に囚われない点で信長らしいが、柴田勝家からは認められない。鷹狩りが軍事演習であるという当時の目的を考えると信長の手法は本来の目的に寄与しない邪道になる。今や日本大学アメリカンフットボール部の違反行為のように本来の目的に反して手段を選ばない浅ましさは激しく批判されるようになった。信長は無意味な形式を否定する合理主義者であるが、本来の目的を無視することが合理主義ではない。

MISTERジパング

椎名高志『MISTERジパング』(小学館)は戦国時代を舞台にした歴史ファンタジー漫画である。週刊少年サンデー連載作品。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の若き日の姿をコミカルに描く

秀吉の少年時代・日吉が主人公である。天文17年(1548年)の尾張国の森の中で日吉は強盗につかまっていた。亡父が残した金を奪われた上、殺されそうになっていた。そこで織田信長と徳川家康(松平竹千代)に助けられる。そこから信長との接点が生まれる。

信長、秀吉、家康という有名すぎるほど有名な人物を新たな視点で描いている。信長は常識人から見ればうつけであり、暴君であるが、実は考えているキャラクターに描かれる。破滅的な戦争に突き進んだ第二次世界大戦の日本軍人よりは、はるかに理性的である。

日吉は武力はないが、他の人が思いつかない知恵で解決するキャラクターである。日吉の知恵は相手をだまして利用する悪徳不動産業者のような卑怯なものではない。自分の責任を逃れるために相手に我慢や負担を押し付ける無能公務員のようなものでもない。

竹千代は何故か関西弁を喋る、お調子者である。伝統的な徳川家康イメージからするとキャラクターが崩壊している。

作者は『GS美神 極楽大作戦!!』が有名である。日吉と信長の考えは同一ではないが、『GS美神』からは日吉が信長に利用される展開が予想される。『GS美神』の横島忠夫は美神令子が好きで自分から飛び込んだ点が異なるものの、いいように使われてしまう点に類似性を感じる。

第1巻では日吉が後の豊臣秀吉として天下人になることが予見されるが、本作品の結末はまさかの展開であった。作者は「『MISTERジパング』は打ち切りじゃないと繰り返し言っておく」と言うものの、打ちきりの噂が出た。晩年になってからではなく、最初から腹黒く曲者の秀吉像は『信長協奏曲』とも重なる。
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