林田力 だまし売りのない世界へ

マンション問題や警察不祥事、書籍や漫画の書評など。書籍『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者。マンションだまし売り被害者。東急不動産消費者契約法違反訴訟原告。みんなの未来(あした)を守る会代表。江東住まい研究所長。マンションだまし売りや迷惑勧誘電話、貧困ビジネス、危険ドラッグのない世界を目指します。 http://www.hayariki.net さいたま市の話題は林田力@さいたま市桜区ブログ

 林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社)は東急不動産(販売代理・東急リバブル)から不利益事実を隠して問題物件をだまし売りされた消費者(=原告)が消費者契約法に基づき売買契約を取り消し、裁判(東急不動産消費者契約法違反訴訟、東京地裁平成18年8月30日判決、平成17年(ワ)3018号)で売買代金を取り戻した闘いの記録。

FJネクスト・ガーラ・グランディ木場問題
http://hayariki.x10.mx/
東急不動産で買ってはいけない 被害者が語る「騙し売り」の手口
http://www.mynewsjapan.com/reports/1101

山本周五郎

山本周五郎『艶書』

山本周五郎『艶書』は短編小説集である。だだら団兵衛、槍術年代記、本所霙河岸、金作行状記、憎いあん畜生、城を守る者、五月雨日記、宵闇の義賊、艶書は時代小説。可笑記、花咲かぬリラは現代小説である。

表題作の「艶書」は宝暦事件の頃の武家の物語である。タイトルから色っぽい話を連想するが、そうではない。他の短編もストイックな武士の生き方を描くものが多い。どこの藩かは不明であるが、林田の温泉に湯治に行かせたいという話が出てくる(258頁)。林田温泉と言えば鹿児島の霧島温泉がある。文明崩壊後の日本を描く田村由美の漫画『BASARA』にも林田温泉は登場する。しかし、林田温泉は1929年(昭和4年)に林田産業交通の創始者林田熊一が開発したもので江戸時代に存在しなかった。

最初の「だだら団兵衛」は武士が主君の命で移動中に山賊に襲われる展開が「山だち問答」と共通する。主人公の山賊への態度も同じである。「山だち問答」は孤立を怖れない侍のストイックな生き方が前面に出る。明治の立身出世主義や戦後昭和の右肩上がりの経済成長のアンチテーゼとなる思想である。これに対して「だだら団兵衛」は娯楽小説に仕上がっている。それでも立身出世を求めない点で著者の精神が込められている。

「宵闇の義賊」は義賊とされる鼠小僧治郎吉を捕らえる側から描いた作品である。盗んだ金の大半は自己の遊興に使い、一部を貧者にばらまくことで義賊と持て囃される欺瞞を指摘する。一方で鼠小僧治郎吉を捕らえる方法は卑怯である。正面からでは鼠小僧治郎吉に敵わないと言っているようなものである。それでも組織を背景にせず、一人で戦っている点で現代日本の警察権力のような卑怯さはない。

時代小説は江戸時代のものが多いが、「城を守る者」は戦国時代、上杉謙信の家中の話である。後方の重要性を指摘する。旧日本軍の後方軽視への批判になる。

やぶからし

山本周五郎『やぶからし』(新潮文庫)は江戸時代を中心とした時代小説の短編集である。他の短編集では町人や遊女の物語があるが、本書は武家の物語で構成されている。但し、最後の短編「ばちあたり」は現代が舞台である。

表題作「やぶからし」は「女心のひだの裏側をえぐった」と紹介される。しかし、本書の多くの短編は武士の精神を描いたものである。人情物よりも侍物が好きな読者に向いている。

主人公の侍達は世間的な優等生ではなく、逆に同輩から嘲られもするが、ある種の人物である。時代小説であるが、窮屈な組織に苦しむ現代人に重ね合わせることができる。「「こいそ」と「竹四郎」」では警察の裏金作りのようなことが行われている。山本周五郎は昭和の大衆文学であるが、21世紀人にも響く。

「やぶからし」は、やぶからしのように役に立たない人間と自嘲している。樹木の「あすなろ」になぞらえた「あすなろう」と類似する。紹介文には「幸せな家庭や子供を捨ててはしる」とあり、どうしようもない人間の話かと思ったが、紹介文がミスリーディングであった。

樅ノ木は残った

山本周五郎『樅ノ木は残った』は江戸時代前期の伊達騒動を描いた長編時代小説である。新潮文庫で上中下3巻になっている。NHK大河ドラマにもなった。

主人公は仙台藩宿老の原田甲斐である。原田甲斐は悪役・奸臣と位置付けられがちですが、本書では真っ当な人物として描かれる。但し、原田甲斐には何を考えているか分からないところがある。そのために読者はじれったく感じることがある。

伊達騒動では伊達兵部派と反伊達兵部派の対立と分析されるが、本書では原田甲斐が自己の立ち位置を見せないようにしているため、敵味方もはっきりしない。また、本書では伊達綱宗が酒と女に溺れているとして藩主を退かされたとの説も否定する。

本書を読むと仙台藩は有力家臣が各々領地を持っており、独立の気風が強い。仙台藩の藩祖の伊達政宗は戦国大名として領土を拡大しながら、新時代に適応できた人物である。しかし、政宗個人に適応力があった分、仙台藩の体制は中世的なままと感じた。他の藩が藩士をサラリーマン化して一円支配を進めたこととは異なる。伊達政宗は芯から戦国大名だったと感じた。

この家臣が独立領主になっている点は御家騒動が激化する要因と説明されがちであるが、それは結果論である。サラリーマン化して藩内の地位が全てになる方が権力闘争が激しくなる。自分の領地で内政に励んだり、悠々自適に暮らしたりする選択肢がなくなるためである。徳川将軍家も領地を持たない御三卿ができてから、将軍後継争いが激化した。

ながい坂(上)

山本周五郎『ながい坂(上)』(新潮文庫、1971年)は小藩を舞台とした長編時代小説である。主人公は下級武士の息子であるが、8歳の時に上級武士の家人から受けた屈辱を忘れず、学問や武芸に励む。主人公は優秀であるが、誰もが認める英才ではない。この点は「内蔵允留守」「青竹」のように世間一般とは異なる価値基準で能力のある人を描く著者らしい。

本書では、あまり良い関係ではない人間から別れ際に「気をつけて」と呼びかけれて不快感を覚えたとの描写がある。「ひやっと肌寒さを感じた」「耳を塞ぎたくなる」とまで言っている(212頁)。表面的には「気をつけて」と呼びかけることは悪いことではないが、相手に面倒をかけておきながら、表向き配慮しているかのようなアリバイ作りの欺瞞を感じることがある。本書は人間心理を突いている。

贅沢を否定する主人公の美意識は心地よい。単純な料理でも心がこもっていて人を感嘆させる(539頁)。味と価格が比例するという類の浅ましさはない。贅沢を否定する美学は庭にも表れている。「自然のままの、少しの気取りもない野末のけしき」を以下のように評している。「どんなに費用をかけ、贅をつくして造った庭も、このけしきには遠く及ばない」(下巻12頁)

主人公は家族との関係は駄目だが、社会では有能である。よく「斉家治国平天下」「慈善は家庭から」と言われるが、主人公には該当しない。そのようなパターンもあるだろう。あれもこれもを目指さなくても良い。

著者は江戸時代の情緒を描く名手であるが、本書は現代小説的である。主人公は自我を持ち、生き方に悩む近代人的な心理を持つ。庶民はギリギリの生活に苦しむ一方で、大商人が家老と結託して藩を牛耳る。これは既得権益から利益を得る現代日本の官僚資本主義に重なる。

御用商人は藩から独占権を得て、莫大な利益を上げている。独占権には業界の庇護者としての責任があるという名目になっている。「ところがしばしば、その「責任」は「権利」に転用され、業者を庇護するより、かれらを支配し、思うままに操縦する、という結果があらわれるようであった」(540頁)。これは現代日本の公共性の論理と重なる点がある。故に規制緩和が改革として求められる。

落葉の隣り

山本周五郎『落葉の隣り』は時代小説の短編集である。表題作「落葉の隣り」は長屋で育った貧しい子ども達の物語である。同じ長屋で生まれ育った繁次、参吉、おひさという三人が中心人物である。繁次は、おひさを恋い慕い、参吉に対しては人間の出来が違うと感じていた。

現代の子どもの貧困にも通じる貧困家庭の問題が描かれる。やるせない物語である。誰も幸せにならない。相手のダメさを指摘する人も、その指摘は正しそうであるが、自身は酒に溺れている。終わりに予想外の真相が明らかになるが、それで誰かが変わる訳ではない。これはやるせない。

次の短編「あすなろう」もやるせない。それどころか物語の筋も見えにくい。しかし、最後に話はつながる。ハッピーエンドではないが、それで救われた人は出る。

「あすなろう」は樹木の「あすなろ」を指す。「明日は檜になろう」が名前の由来であり、より良い明日を目指して努力するグループの名前に使われることも多い。これに対して本書では明日なろうと思うだけで、決して檜にはなれないという後ろ向きな意味に使われている。

これらの作品は右肩上がりの経済成長や立身出世主義のアンチテーゼとなる。同じ著者の短編「内蔵允留守」「青竹」のような凛とした清々しさはない。反対に堕落する人々を描いているが、右肩上がりの経済成長や立身出世主義という明治から昭和の日本のメインストリームに背を向ける点では共通する。
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