林田力 だまし売りのない世界へ

マンション問題や警察不祥事、書籍や漫画の書評など。書籍『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者。マンションだまし売り被害者。東急不動産消費者契約法違反訴訟原告。みんなの未来(あした)を守る会代表。江東住まい研究所長。マンションだまし売りや迷惑勧誘電話、貧困ビジネス、危険ドラッグのない世界を目指します。 http://www.hayariki.net さいたま市の話題は林田力@さいたま市桜区ブログ

 林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』(ロゴス社)は東急不動産(販売代理・東急リバブル)から不利益事実を隠して問題物件をだまし売りされた消費者(=原告)が消費者契約法に基づき売買契約を取り消し、裁判(東急不動産消費者契約法違反訴訟、東京地裁平成18年8月30日判決、平成17年(ワ)3018号)で売買代金を取り戻した闘いの記録。

FJネクスト・ガーラ・グランディ木場問題
http://hayariki.x10.mx/
東急不動産で買ってはいけない 被害者が語る「騙し売り」の手口
http://www.mynewsjapan.com/reports/1101

銀河英雄伝説

銀河英雄伝説 2 野望篇

田中芳樹『銀河英雄伝説 2 野望篇』(創元SF文庫、2007年)は常勝の天才と不敗の魔術師を描くスペース・オペラの第二巻である。この巻では銀河帝国と自由惑星同盟の双方に内乱が勃発する。

帝国の内乱は物語にとって必然であるが、同盟の内乱は虚しい。同盟の国力を損なうばかりである。後の帝国の侵攻を考えれば、ヤン・ウェンリーにもクーデター鎮圧に際して同盟軍の損失を少なくする別の方法が採れなかったのかと考えたくなる。

しかし、民主主義は外敵からよりも、自国軍の反乱によって崩壊する方が多いことは歴史的な事実である。その意味ではヤン艦隊の戦いも物語にとって必然である。そして反乱軍を叩き潰すこともヤンにとっては正当であった。ラインハルトと戦う以上に理由のある戦いであった。

帝国の内乱はラインハルトにとって消化試合のように進むが、終結時に衝撃的な事件が起きる。物語のIFを考えたくなるような事件である。物語が折り返し地点に入ったと思ったが、まだまだ序盤であった。この事件はラインハルトの生き方に影響を及ぼす。

物語世界は人工天体を作り、自給自足できる技術を持っている。わざわざ他国の惑星を征服しなくても十分に生きていける上に経済発展も可能な世界である。他人の米櫃に手を突っ込む必要はない。このような状況では宇宙統一は経済的には割に合わない。何がしかのイデオロギーを強く持っていなければ征服戦争をしていられない。

難しい点はパウル・フォン・オーベルシュタインの評価である。組織にオーベルシュタインのような冷徹な人物は必要である。ヤン・ウェンリーも意識的にムライを参謀に選任した。ラインハルトの提督達だけでは軍事ロマン主義に傾きすぎる。

但し、オーベルシュタインには犠牲を出すことに価値を見出しているような倒錯がある。覇業の成就に犠牲が生じることはあるだろうが、犠牲を出したから覇業が成就する訳ではない。無駄な犠牲は避けるべきである。犠牲は少ない方が良く、そこが参謀の知恵の出しどころである。オーベルシュタインにも犠牲を出すことが価値という、ある種の精神主義に陥っているように感じられる。冷徹な組織人の模範とは言えない。

もともとオーベルシュタインは障害者を切り捨てるゴールデンバウム王朝への激しい憎しみが動機となっており、冷徹な組織人と異なることは当然かもしれない。この動機はオーベルシュタインの人間味であり、共感できるが、不必要に広く犠牲を出す方針と同一人の中で収まっていることに違和感がある。

銀河英雄伝説 9 回天篇

『銀河英雄伝説 9 回天篇』(創元SF文庫)では皇帝暗殺未遂事件が起きる。大半の読者も忘れていたと思われる過去の悲劇が原因になっている。これは物語の筆運びとして秀逸である。ラインハルトが衝撃を受ける点は人間味があって好感が持てる。これがローエングラム朝の将来に影響する出来事になる。これも物語の筆運びとして優れている。

元の事件はラインハルトとキルヒアイスの間に溝を作り、キルヒアイスの死にもつながった。私はオーベルシュタインのような人物は組織に必要と考えるが、この点ではオーベルシュタインを許せないと感じる。

オーベルシュタインの論理は、普通に要塞を攻略したら莫大な死者と犠牲が出るというものである。果たして、そのようなものなのだろうか。ラインハルト達は貴族連合軍が兵力で上回っても、艦隊戦ならば脅威を感じていない。貴族は戦略も戦術も知らないからである。

ところが、オーベルシュタインの論理では要塞攻略戦では門閥貴族の率いる軍でも手強くなる。要塞防衛は艦隊戦と異なり、能力不足の指揮官や兵でも、それなりに有効な防衛ができるものなのだろうか。そうであるならば現代の軍事事情と異なり、要塞は非常に強力な設備になる。

この認識が正しいならば、リップシュタット戦役の開戦時に貴族連合軍に要塞を占拠されたことは失策ではないか。当時のラインハルトは宇宙艦隊司令長官であり、要塞は管轄外であって防ぎようがなかったのだろうか。

また、要塞の軍事的価値が高いとすると物語内の要塞の扱いと矛盾する。帝国も同盟も要塞を数多く構築して縦深防御すべきであるが、そのようにしていない。帝国が国内に要塞を持つ理由は反乱鎮圧の拠点であった。イゼルローン要塞は防衛拠点として効果を発揮したが、それはイゼルローン回廊の地理的条件があってのものと説明される。

自由惑星同盟に至っては要塞を持たない。帝国の侵略に晒されていた自由惑星同盟が要塞を建造しなかったことが不思議である。これに対してラインハルトが要塞を首都防衛の要としたことは卓見になるだろう。

銀河英雄伝説 8 乱離篇

田中芳樹『銀河英雄伝説 8 乱離篇』(創元SF文庫)は最もテロに似つかわしくない人物がテロの標的になる。まだラインハルトがテロに倒れる方が因果応報的で納得できる。テロ組織にとってラインハルト以上に思想的に危険ということだろう。権威への不信や組織に対する反骨精神は、実はラインハルト以上のものがある。

ヤン・ウェンリーは査問会体質の自由惑星同盟から離反して独立勢力を打ち立てた。ラインハルトならば査問会ごっこを正面から打ち破るかもしれない。それは結構なことであるが、正面から打ち破ることに成功すると査問会ごっこの関係者を包摂する結果になるかもしれない。査問会ごっこの関係者を無視して独立勢力を打ち立てる方が思想的に過激である。

物語の途中でイゼルローン側の主役が交代することになるが、専制対民主制という物語の枠組みからは妥当である。ヤンは民主制の信奉者との位置付けであるが、ヤン艦隊では強烈なカリスマであり、民主的とは言い難い。ヤンは多様な個性を活かすことに長けているが、ボトムアップで知恵を集めることは必要としていない。実際、銀英伝の二次小説には、もしヤンが貴族に生まれていたら、優れた領主になっただろうとの指摘もある。

ヤンの思想の本質は民主主義よりも個人主義や自由主義になるだろう。本人がやりたくないことを強制されない自由である。本人の意思が尊重される社会である。それは同盟の査問会体質の対極にある。

この巻では多くの名将が倒れる。中でもファーレンハイト提督は印象に残る。闘いに決着が着く直前の回想挿入は多くの作品で使われている。中でも『BLEACH―ブリーチ―』は多用している。それらと比べてもファーレンハイトの独白は秀逸である。これでキャラクターが確立したと言っても過言ではない。

銀河英雄伝説 7 怒涛篇

田中芳樹『銀河英雄伝説 7 怒涛篇』(創元SF文庫)はヤン・ウェンリーが自由惑星同盟から離脱する。不正規隊を連れ、エル・ファシルの独立革命政府と合流した。査問会ごっこなど同盟側の展開にはウンザリさせられることが多かった。同盟から離れることでスッキリした。ヤンが守るものは民主主義思想であって、自由惑星同盟ではない。これまでは、そこがゴチャゴチャであった。そのために矛盾を抱えていた。

帝国領侵攻作戦は民主主義の矛盾と位置付けられている。民意が戦争を望めば戦争に進んでしまう。しかし、これも帝国領侵攻のメリットとデメリット、リスクや損失が説明された上で民意が求められたものではない。都合の良い事実を喧伝するが、不都合な事実は伝えられない。

これは消費者契約法の不利益事実の不告知と同じである。不利益事実が告知されなければ正しい判断はできない(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社)。このため、帝国領侵攻作戦も民主主義は失敗よりも、民主主義が正しく運用されなかった問題と考えている。

その後の査問会ごっこは本質的に民主主義の問題ではない。画一的な官僚体質や秘密主義の問題である。但し、民主主義を標榜する勢力が査問会ごっこを推進することはある。そのために査問会ごっこの被害者が民主主義に反感や疑問を抱いたとしても、それは間違った民主主義であるが、無理からぬことになる。ヤンは同盟を否定することで筋が通った。

この後もヤン艦隊は実用的な問題から同盟軍の軍服を着て、同盟軍の装備を使い続ける。そのために意識しにくいが、自由惑星同盟からの離脱は画期的なことである。銀河帝国と自由惑星同盟、第三勢力フェザーンという固定観念に支配された世界で新たな独立勢力を樹立した。

ある意味でラインハルト以上に画期的である。ラインハルトは簒奪者であるが、建前は禅譲であった。ラインハルトにとって乳児に帝位を継がせることはゴールデンバウム王朝を虚仮にしたつもりであるが、いきなり簒奪しても受け入れられないという権威の重みを否定できなかったことになる。

銀河英雄伝説 5 風雲篇

田中芳樹『銀河英雄伝説 5 風雲篇』(創元SF文庫、2007年)はバーミリオン会戦が華である。ラインハルトとヤン・ウェンリーが直接艦隊決戦を行う。ようやくヤンはフリーハンドを持つことができ、本領を発揮する。これまで自由惑星同盟は査問会ごっこなどヤンの足を引っ張ることばかりしてきた。

ヤンの活躍は素直に嬉しいが、あまりに遅すぎた。既に銀河帝国と同盟の間には圧倒的な戦力差が生じている。ここから挽回するとなると不利な状況を努力と根性で覆す昭和の日本人が喜びそうなガンバリズムの世界になってしまう。それはヤンには最も似合わないことである。

ヤンはラインハルトと五分の勝負に持ち込むことに成功する。それはヤンの天才性だけでなく、ラインハルト側に戦略的合理性に欠けるこだわりがあったために実現した。終始戦略面で優勢なラインハルトであったが、ここでは戦略的に賢いとは言えない行動に出る。

ここでのラインハルトの頑なさは、リップシュタット戦役直前にシュトライトやフェルナーの提案を退けたブラウンシュバイク公に近いものがある。これを五分の勝負を成り立たせるための物語展開上の御都合主義と見ることができるかもしれないが、ヤンだけの力で五分の勝負に持っていったならばヤンが超人的になってしまう。ラインハルトがブラウンシュバイク公に近づくことで五分の勝負に持ち込めたとする方が現実味があるのではないか。

ブランシュバイク公の自信には根拠なく、ラインハルトの自信は実力に裏付けられたものという相違はある。但し、ラインハルトが自分の実力に自信を持つことは客観的にも妥当としても、自分が率いる分艦隊指揮官の能力不足は計算に入れていなかった。この点では自信過剰になる。

また、ヒルダの視点ではラインハルトのこだわりは戦略的に無価値に映るが、ラインハルトは自ら艦隊を指揮し、勝利を重ねることで名声を高めた。ヤンとの戦いを回避することには、自己の支持基盤を壊すというマイナスが生じる可能性がある。この点では正面決戦でラインハルトを破ることにこだわったブラウンシュバイク公に重なる。だからこそ、有能なアンスバッハも、この時はブラウンシュバイク公の判断を支持したのだろう。

その上でラインハルトにはヤンに敗北するならば自分はそれまでという覚悟を持っていると思われる。その点でブラウンシュバイク公とは覚悟に差があるだろう。
月別アーカイブ
記事検索
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ