アニメ・漫画が市民権を得て公共性の高いPR活動に使われることも珍しくなくなったが、一方でそれらのキャラクター、図柄に不快感を持つ人間も少なからず存在する。
アニメ・漫画愛好家からはそうした「嫌悪感」を「偏見」であると決めつける風潮があるが、そうした感情的な態度は何ら建設的結果をもたらすことはなく、いたずらに対立を繰り返すだけにすぎない。はっきりと言うが、アニメ・漫画愛好家側のそうした幼稚な姿勢に心底うんざりしているので、この際きちんとその「根本的な理由」となるものを説明しておくことにする
その理由は至極明白であるのだが、その説明する前に基本的な事柄を確認しておくことにしたい。なぜならばそれこそが毎度繰り返される衝突の原因であるからだ。
いうまでもなく、写実性の高い絵画とマンガ絵(アニメ絵)の差異はディフォルメ・カリカチュアライズされているか否か、ということに尽きる。つまり対象を簡略・誇張された「記号」化し、表現するのがマンガ絵の根幹と言ってい良い。
対象を「誇張化された記号」に置き換えるわけであるので、そこには当然、差別的な蔑視が含まれている余地が大きくある。例えば80年代まで「マンガにおける日本人の記号」とは「出っ歯にメガネ、首からカメラ」であったし、現在においても釣り目はアジア人蔑視の「記号」として根強く残っている。
現代においてそれら「人種差別的な記号表現」を用いることはタブー視され、公共の場で見かけることもほぼ無くなった。常識的な社会人であれば「記号化」は蔑視と紙一重のリスキーな表現であるという共通認識を持つわけが、マンガ・アニメはその「記号化」によって成り立つ表現であるので、その愛好家たちはそうした社会常識を持つことができていない。それが「当たり前」だとしか認識していないからだ。
「過度に誇張された記号」を「侮蔑」と受け取るのは、特殊な政治信条を持つグループだけに見られる現象ではない。「黒人とスイカ」の時代から、あるいはそれよりもっと以前から記号化と侮蔑は常に隣りあわせであったし、それを大げさに不思議がって見せるマンガ・アニメ愛好家たちの態度は、単に己の無教養さをひけらかしているに過ぎない。
マンガ表現における記号、先の例を挙げれば「出っ歯」と「メガネ」、「黒人」と「スイカ」のように、単体では侮蔑的な意味を持たなくとも、その組み合わせによって侮蔑的な意味を持つことがある。
「萌え絵」が女性に対して「侮蔑的」であると受け止められる、もしくは嫌悪感を抱かれるのは、「セックス」と「幼児・児童」の記号が混在しているからに他ならない。
マンガ表現において「セックス」を想起させる代表的な記号は、Betty Boopの時代から「大きな胸」「露出した太もも」「過度に細い腰」「ふくよかな臀部」となる。これらのセックス記号を持つキャラクターの中には、一般的な市民権を得たものも少なくない。
日本において「セックス」の記号を持ち、なおかつ広く受け入れられたキャラクターに「黄桜のかっぱ」があるが、清水崑、小島功両作者が描く「膨らんだ胸部を露出している、性的魅力あふれるかっぱ」には、同時に「大人の女性」であることを示す記号も付与されている。その記号とは、子持ちの母親、既婚者であることを示すものであったり、口紅、パーマをあてたヘアスタイルであったりする。
もっと時代が下がり、ルパン三世の峰不二子もまた「セックス」と「大人の女性」の記号を同時に持つ。高い頭身、ウエーブ(パーマ)のかかった髪、色鮮やかな唇などだ。うる星やつらのラムは「友引高校に通う女子高生」であるので「セーラー服」という「児童」の記号を持つことがあるが、その記号を付与されているときにボディラインは強調されず「セックス」の記号が隠されている。「セックス」の記号はトラジマビキニの私服の時に付与されるが、この時にはアイシャドウでメークアップしており、つまり「大人の女性」の記号を持っている事になる。
萌え絵というのは、少女マンガの記号を借用したものであるので、「大きな目」「細い、もしくは引き締まっていない手足」「低い頭身」といった「児童」の記号と「セックス」を表す記号が混在するものになる。鼠径部ぎりぎりまで露出した太もも、ボディラインを強調するように密着して描かれる衣服、性行為を想起させるポージンクといった「セックス」の記号が「児童」の記号と混在するとき、嫌悪感を持って受けとめられることに何ら不思議はない。それらは本来、相容れない、もしくは社会通念上許容されないものであるからだ。
「マンガ・アニメ絵」が、ネット用語でいう「炎上」をしているときに、共通してみられるのは、こうした「幼児・児童」を表す記号と、「セックス」を表す記号とが混在しているという特徴である。
「なぜ大ヒットしているマンガ、ワンピースのナミはOKなのか?」とマンガ・アニメ愛好家たちは口ごたえをさえずるが、それは至極単純で、ナミは「児童の記号」を持たないからだ。
以上を持って、「萌え絵」がなぜ「嫌われる」のか、全て説明は尽くしたと思う。
蛇足になるが、「記号」である以上、その受容のされ方が集団によって大きく異なったり、記号の意味を見落とされる事も念頭に入れる必要がある。「レ点」は日本においては「不正解」を意味する記号であるが、諸外国によっては「正解」を示すなどといった事である。
記号に頼った表現である以上、そうした「誤読」が発生する事は不可避であるし、その誤読をもって「不寛容」と他者を断ずることはできないのである。
アニメ・漫画愛好家からはそうした「嫌悪感」を「偏見」であると決めつける風潮があるが、そうした感情的な態度は何ら建設的結果をもたらすことはなく、いたずらに対立を繰り返すだけにすぎない。はっきりと言うが、アニメ・漫画愛好家側のそうした幼稚な姿勢に心底うんざりしているので、この際きちんとその「根本的な理由」となるものを説明しておくことにする
なぜ「萌え絵」は「嫌われる」のか。
その理由は至極明白であるのだが、その説明する前に基本的な事柄を確認しておくことにしたい。なぜならばそれこそが毎度繰り返される衝突の原因であるからだ。
「マンガ絵」とは「記号表現」である。ということ。
いうまでもなく、写実性の高い絵画とマンガ絵(アニメ絵)の差異はディフォルメ・カリカチュアライズされているか否か、ということに尽きる。つまり対象を簡略・誇張された「記号」化し、表現するのがマンガ絵の根幹と言ってい良い。
対象を「誇張化された記号」に置き換えるわけであるので、そこには当然、差別的な蔑視が含まれている余地が大きくある。例えば80年代まで「マンガにおける日本人の記号」とは「出っ歯にメガネ、首からカメラ」であったし、現在においても釣り目はアジア人蔑視の「記号」として根強く残っている。
現代においてそれら「人種差別的な記号表現」を用いることはタブー視され、公共の場で見かけることもほぼ無くなった。常識的な社会人であれば「記号化」は蔑視と紙一重のリスキーな表現であるという共通認識を持つわけが、マンガ・アニメはその「記号化」によって成り立つ表現であるので、その愛好家たちはそうした社会常識を持つことができていない。それが「当たり前」だとしか認識していないからだ。
「過度に誇張された記号」を「侮蔑」と受け取るのは、特殊な政治信条を持つグループだけに見られる現象ではない。「黒人とスイカ」の時代から、あるいはそれよりもっと以前から記号化と侮蔑は常に隣りあわせであったし、それを大げさに不思議がって見せるマンガ・アニメ愛好家たちの態度は、単に己の無教養さをひけらかしているに過ぎない。
「記号」と「組み合わせ」
マンガ表現における記号、先の例を挙げれば「出っ歯」と「メガネ」、「黒人」と「スイカ」のように、単体では侮蔑的な意味を持たなくとも、その組み合わせによって侮蔑的な意味を持つことがある。
「萌え絵」が女性に対して「侮蔑的」であると受け止められる、もしくは嫌悪感を抱かれるのは、「セックス」と「幼児・児童」の記号が混在しているからに他ならない。
マンガ表現において「セックス」を想起させる代表的な記号は、Betty Boopの時代から「大きな胸」「露出した太もも」「過度に細い腰」「ふくよかな臀部」となる。これらのセックス記号を持つキャラクターの中には、一般的な市民権を得たものも少なくない。
日本において「セックス」の記号を持ち、なおかつ広く受け入れられたキャラクターに「黄桜のかっぱ」があるが、清水崑、小島功両作者が描く「膨らんだ胸部を露出している、性的魅力あふれるかっぱ」には、同時に「大人の女性」であることを示す記号も付与されている。その記号とは、子持ちの母親、既婚者であることを示すものであったり、口紅、パーマをあてたヘアスタイルであったりする。
もっと時代が下がり、ルパン三世の峰不二子もまた「セックス」と「大人の女性」の記号を同時に持つ。高い頭身、ウエーブ(パーマ)のかかった髪、色鮮やかな唇などだ。うる星やつらのラムは「友引高校に通う女子高生」であるので「セーラー服」という「児童」の記号を持つことがあるが、その記号を付与されているときにボディラインは強調されず「セックス」の記号が隠されている。「セックス」の記号はトラジマビキニの私服の時に付与されるが、この時にはアイシャドウでメークアップしており、つまり「大人の女性」の記号を持っている事になる。
萌え絵というのは、少女マンガの記号を借用したものであるので、「大きな目」「細い、もしくは引き締まっていない手足」「低い頭身」といった「児童」の記号と「セックス」を表す記号が混在するものになる。鼠径部ぎりぎりまで露出した太もも、ボディラインを強調するように密着して描かれる衣服、性行為を想起させるポージンクといった「セックス」の記号が「児童」の記号と混在するとき、嫌悪感を持って受けとめられることに何ら不思議はない。それらは本来、相容れない、もしくは社会通念上許容されないものであるからだ。
「マンガ・アニメ絵」が、ネット用語でいう「炎上」をしているときに、共通してみられるのは、こうした「幼児・児童」を表す記号と、「セックス」を表す記号とが混在しているという特徴である。
「なぜ大ヒットしているマンガ、ワンピースのナミはOKなのか?」とマンガ・アニメ愛好家たちは口ごたえをさえずるが、それは至極単純で、ナミは「児童の記号」を持たないからだ。
以上を持って、「萌え絵」がなぜ「嫌われる」のか、全て説明は尽くしたと思う。
蛇足になるが、「記号」である以上、その受容のされ方が集団によって大きく異なったり、記号の意味を見落とされる事も念頭に入れる必要がある。「レ点」は日本においては「不正解」を意味する記号であるが、諸外国によっては「正解」を示すなどといった事である。
記号に頼った表現である以上、そうした「誤読」が発生する事は不可避であるし、その誤読をもって「不寛容」と他者を断ずることはできないのである。