2016年02月06日

フリージアとショコラ

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皆様おげおげお元気ですか

一昨日の日は立春だったそうですね

私は少し働きすぎましてよく食べましてやや太りました
(ツクッた笑顔も不気味な塩梅death)

2月は2度ライブ出演します

新しい曲歌いますよ

ぜひ聴きにいらしてくださいね

まずし明後日はこちら

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2月9日(火)

フリージアとショコラ2016
〜BAYSIS編〜

宮林愛美 / 富田麗香 / 渡辺えりか
/ 林好 / 宮瀬なな

開場 18:00 開演 18:30
当日 ¥2900 前売 ¥2400
L:70408 e+ チケット発売日:2016.01.09(Sat)

http://www.yokohamabaysis.com/schedule.php

ガールズふぇす、でございます

初の横浜

ヨコハマ

YOKOHAMA !

たそがれ!

ぜひいらっしゃいませ〜。

林の出番は19:10頃の予定です




hayashiyoshimi at 09:36|PermalinkComments(1)TrackBack(0) infomation | 日記

2016年01月27日

Subconscious and External factors

ーよく話すひとー

ツイッターやフェイスブックなどで、よく、心境を‘吐露’ している人を見て他人は思ったりする

「この人はよく、恥ずかしげもなく、自分を曝け出してなんでも赤裸々に書いているなあ」

とか

「かまってほしいのかなあ、ひまなんだなぁ」

とか。


でもそれは、『よく話す人』をただ‘演じて’いるだけかもしれない

人は自分が何を考えているか解らないから、書いてみながら発見しようとしているのかもしれない

何もかも赤裸々に書いているように見える人が一番、

‘何にも’。 何一つ。赤裸々になど書いていないのだ

ここまでなら良いだろう、というところまでを、まるで真実のような物語にして語り

他人がどう感じ、自分をどう思うかを
コントロールしているにすぎない。

波に手を触れて斑紋を感じてみようと実験するように
どんな反応が返ってくるかな、と。

それはある程度予測がつくものだから、
例えばああ言えばあの類の人は良く思い、自分に好意的な印象を抱くだろうとか

こんなふうに書けば、こういう類の人は苛々したり反感を感じ、なんだこいつは不愉快だ、と嫌ったりするだろうとか

此れこれの人は、特に何にも感じずに、面倒だから関わるのやめよう、と素通りしてくれるだろう、とか。

すべては、舞台上の、ことなのだ。

舞台を観ていた人は刷り込まれる、
‘この人はこういう人なのだ’ と。

言葉というものは、すべて、目的を持って放たれている

特定の人に向けられた、感情なのだ

まるで不特定多数に向けられたように振る舞われながら

特定の人物、或いは自分自身への。

目的がなければ、それは外側へ放たれることは無い。おそらく墓場まで

未来永劫、宇宙の果てまで。

本当の心、というものは

いつも深い深い心(脳?細胞?素粒子?)の深淵に隠されている

その真実は‘自我’という神秘的な、宇宙と自己との境界線を超越した意識の中に、

常に隠されている。

本当の心、というものは

簡単に言葉になど出来るものではない

自分自身の手ですら

簡単に届くものではない

「あの人は、何を考えているのかわからないね」

そう、誰も、誰一人、

自分が何を考えているかさえ、解るはずもない。

だから、‘決める’のだ。書くことによって。瞑想することによって。歌や絵で表現することによって。意思によって。
体験、経験によって。知識によって。
DNAに刻まれた感覚によって。

そして探ろうとする

いつも答えをくれるのは自分の‘外側’だ

他人が、あなたはこういう人ですよ

と言ってくれる。それは違う、と感じたり、そうだったのか、と、感じたり

この人は、なんだかまるで自分自身をはっきり映す鏡のようだ、と感じたりする

衝撃的に‘自分自身’というものを揺さぶる存在と、突然出逢い、何かが始まり、動き出す

感情という暴れ馬が自らの意思に反して勝手に動き出す

自分と他人、自己と世界との境界を揺り動かす、危険な、未知の、命を脅かす

変化との出逢い。雷に打たれるように。激流に呑まれるように。

ある日突然、世界は一寸前とは様子を変える

目の前にある、鍋が、お茶が、机が、何か語り始め、重要な意味を持ち始めるような、そんな一瞬があり

人は何かに導かれて歩き出す


平穏とは、なんだ

自分が何者でもなく、ただ生きており

太陽の光が眩しく、空は澄み、世界は果てしなく、星は永遠で

世界は愛に満ち、輝いて、身体中に感謝が満ちて

幸福、永久に続く色彩と音楽のようなユーフォリア

思考することを辞めたダチュラ

全てを手放し、赦し、執着せず

人間さまの小さないざこざに胸を少し痛め、同情の涙を流し、気を休めて

暖かな食物と水で身体を満たし

そして穏やかな眠りにつく

それが平穏だ。それが平穏か。?

ここ数日は

シンイチ、暫くわたしは眠る。内側の情報だけでやってみたくなった

そういうミギーの心境でした(漫画、‘寄生獣’より)

私達は神様のエンピツだ

ただ、使われることを許されているだけの。怖れることはない。

不可能は何もない。何故なら私達の精神は、いつも自由だから

神様は時に不機嫌で、世界はあまりに不条理で、現実はあまりに苛酷で

人は残酷で、自分は頼りなく、無力で非力でも

ほら、ゆっくり。

.....



言葉にならない自分自身がある

それは誰も知らない。自分も知らない。まだ誰も知らない、ここから1秒先の

わたし、と、あなた、だ。

すべての世界と、意識だ。

働き、食べ、眠り、学び、遊ぶ。

音楽


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hayashiyoshimi at 09:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年01月19日

1月19日ー 詩人

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人生の中で、喜びがある時は
喜びを歌い

悲しみがある時は悲しみを歌い

冒険も希望も絶望も、その時その時で
歌ってゆけばいいのだと思う

絶望があるから希望は眩しい

希望があるから絶望は深い闇だ

世界の美しさはコントラストで出来ている

それを受け取り、全てを感じきる

今日は休日で、読書をしたり、身体が冷えたので午後からお風呂に入ったりしていて

突然歌がうまれました

‘ゆくところ’という名前をつけた

そのままお風呂から出てピアノに向かってフルコーラスできたけれど

練習しなくちゃな。ライブで歌うには。
(私は面倒くさがりだから、頑張らないと)

もうすぐ私の中で何かが出発の時を迎えます

オーディションはどうなるかな

春からの仕事はどうなるだろう

次はいつ山口へ帰ろうか

健康は大丈夫かな

今読んでいる小説の結末は?

1万円以上出して購入したジャズメソッドの本、私はやり切れる情熱を維持できるだろうか

頭の中には色々な事がある

生きるということ

とか、言うと、つい谷川俊太郎さんの詩集のタイトルみたいだな、

と思う

谷川さんの詩はすごく美しい

シンプルで飾りがなく

素直に心を吹き抜ける

インスタグラムで今日からお気に入りを紹介してみようかな

今日は、

‘ からだの中に / 谷川俊太郎 ’ 。

詩人、って、

大地にさらっと敷かれた

透け感のあるよく乾いた布みたいだ

その布は風に飛ばしたり
身体を包んだり

色々な人に贈ることが出来て
いつでも取り出して顔を拭くことも出来る

唱えればとなえるたび

体に馴染んでゆく布生地のようだ

優しく包まれて眠りたいとき

詩を詠むことがそれを手伝ってくれるかも

詩とは、誰かが誰かに向けて
まるで空気のように、無意識に呟く

愛の結晶のことだから。

それは世界で一番静寂に似た

叫びなのだと思います

春はまだかしら?みなさまあたたかくしてお過ごしくださいませ


hayashiyoshimi at 18:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年01月12日

ある晩の日記

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朝起きて、ごはんを食べ、電車に乗り仕事へ行く

1日働き、同僚達と、お客様達と
様々な時間を過ごす

夜、帰宅する道すがら
(今日も1日終わったなー、)と肉体的な疲労感、少しの充足感、精神的な疲労感を感じながら考える

(今日私が私自身の為に成し得たことは何だろう、) と。

人生は奇跡なんだと、年齢を重ねるごとに、日々への愛おしい気持ちは増してゆく

人間は欲張りなものだ

日々の仕事をし、社会の中で与えられた役割をこなし賃金をもらい
ごはんを食べ、暖かな寝床で眠る

緑や、青い海や、澄んだ空気に触れれば
生命エネルギーをチャージする

お金を貯めたなら、本や、楽器を買ったり絵画や映画を見たり、旅に出たりして
唄を歌ったり音楽を作ったり好きなことをして幸せを感じる

それですべてだ。それがすべてだ。

それでも人は皆、時々こう思う
‘‘わたしは、一体どこへ向かっているのだろう、’’ と

今の自分はまだかりそめの姿であり
自分はもっと何か違う自分で在るべきなのでは?という感覚に突然襲われる

そして待っている
違う場所へ魔法のように連れ出してくれる‘何かを’

唐突に降ってくる当たりくじのような幸運を
奇跡のようにやってくる運命の人を

自分を成功と充足と幸福で満たしてくれる宝物のような存在や、チャンスを
いつかやってくる、その‘いつか’を

今よりも10万円月収が増えることを
(もしそれが叶えば、さらに10万円増えることを)

有名になって10万人に褒め称えられることを (もしそれが叶えば、100万に褒め称えられることを)

武道館でライブすることを (それが叶えば、もっと大きなステージに立つことを)

車をあと1台買うことや高級レストランで食事することを (それに慣れれば...)

今の自分ではダメで、幸福や成功に値せず
足りない、足りない、足りない...と。

果てしない渇きと自身への不満足を感じながら
鏡の中に映る自分に問う

君は何をやってるんだ、全然だめだ
自分を卑下し、怒り、落ち込む

満足したい、満足したい、満足したい.... (それは一生満たされない、恐ろしい無限ループだ)

何か素晴らしい能力を持ち、輝き、成功している人を見て
まるでそうではない自分を至らないように感じたり、勝たねばならない、と考えたりする

ただただそれを心から称賛し、自分のことのように悦び、祝福することができない
嬉しくて、たまらなくなることが出来ない

人と比べて自分を見下し、
自分と人、或いは人と人とを比べて
他者を見下す

何故? 世界から反射してくる凡ゆる感情はすべて、自分の内面から出てくる潜在意識の表出に起因するもので
他者はいない、いるように、見えるだけだ

人を見下すことは、自分自身の不安や不満が原因で、自己愛の欠落なのだと思う

誰をみたって誰と居たって不満足な人は、自分自身に不満足なのだと思う

喜んで、受けとることが出来ないのは
自分が愛されるに値しないと感じているからだと思う
(もはや自分自身を憎んですらいるのかもしれない)

あなたは、私は、素晴らしい存在で
今すぐに、この瞬間にすべてを、愉しめる

分け合って嬉しくなりたい
毎瞬毎瞬、幸福でありたい

そして、いつでもそうなれる
たった独りでもそう出来る
(人は元来独りきりで産まれ独りきりで死んでゆくものだ)

今を感じ楽しみ歓び、他人なんて構わずに
自分で自分を誇れるように
ひとつひとつ自分らしく自由にやれば良い

何故働いたり遊んだりしながら
芸事を追求してはならないという人がいるのだろうか

何故人生で、‘本気の’ことは一本だけに絞って、それだけやることが‘偉い’のだろうか

色んな事が、頑張れないから、一つだけにしておくことと
一つのことをする為に、人生のすべてを頑張ることは、違うと思う

ブッダは苦行僧達を見て、これは違うと悟った
苦しめば救われるというのではない、それはただの自己満足と陶酔で
人は幸せを追求することが使命であると

その方が余程苦しく、困難な探求の道であり、その苦しみは歓びでもある、と。
(苦行僧は自らが予定し想定した範疇の苦しみを自らに与えるに過ぎない。
人生とは予測不可能な生死を分ける苦しみが降ってくるものだから)

誰にでもなんとでも言わせておけば良い
サラリーマンでもパン屋でも
なんだかよくわからなくてもなんでもいい

今すぐに幸せを、全部手にする
焦っているから人生が逃げていく

歓びも幸せも価値ある瞬間も全部見過ごしていたら
今の自分が、可哀想ではないですか
‘現在’の自分を、もっと可愛がって
愛して、大切にしてあげてほしい

今年に入って、そんなふうに思います

とてもとても疲れ果てて仕事から帰宅して
独りきりの孤独の中にいる時間ですら
とても前向きな気持ちがし

建設的で生産的な思考が出来て
明日すべきこと、もっと、わくわくする為にいま取り組むべきこと、

次に挑戦すべきことへの意欲のようなものが、ふんわりと湧いてきます

不思議です (何かを越えて、そうゆう時期に入ったのでしょうか)

3歩進んで2歩下がり、また1歩
人生は、毎日答えがみつかるから驚かされる
そして永遠にすべての答えが出ないから、飽き足らない

誰がなんといおうと、死ぬ時のその瞬間まで
自分の信じる道を探求し続けたい

そして人生で出逢うすべての人や物事に
物凄く意味があると感じてます


自分自身を憎むのはやめて、
自分自身をこの上なく愛して欲しいなと思います

だからそう感じられるように、言いたくなる時がある

あなたは素晴らしい
あなたは美しいです

あなたは
愛されて然るべきひとです
そのままで

hayashiyoshimi at 10:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年01月03日

【2016年】謹んでご挨拶申し上げます

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新年、謹んでご挨拶申し上げます

2015年は有難うございました☆




三が日も過ぎれば、日々はまた河のように流れ始め

あれよあれよと時は過ぎてゆくのだと思います

去年の今頃は、新しい1年に様々な抱負や目標を抱きながらも

時が早く経てば良いなぁと思う自分もおり、カレンダーを眺めて未来に想いを馳せながら必死に毎日を生きていたような気がします

今年は、そんな1年前とは、まったく異なった面持ちのようです

昨年は、自身の内面と向き合う時間が多く、自立や忍耐を学び、自身の中に新しい自分を見つけたり、内なる世界へ理解が拡がった

そんな1年でありました

新年を迎えてみて、なんとなくの感覚ですが

新たに、外側へ、拡がってゆく季節の始まりの予感がしています

新しく発見し、過去を内包し、新たな(空っぽ、同時に満たされた)自分自身と共に

毎日をゆっくり、ゆっくり、大切に、濃密に生きてゆきたいという想いがあります

2016年の抱負は

よく遊び、よく笑い、愉しみ

よく学び、慈しみ、分かち合い

そして表現すること。


それは物質的に側にいるひとや、

精神的に側にいるひと、

或いはその両方であるひとと、

その時、その瞬間瞬間に

私の感じる世界を共有していきたいという気持ちです

そうゆう、純粋な遊びを

わーきゃー言いながら、していきたいです(笑)

はしゃぐように、笑い転げるように

命があふれて、涙が出るように。

へたっぴな楽器を

ガチャガチャやりながらも

心から楽しむ為に

真剣にやっていく、みたいな

伝えたい、その気持ちがなければエネルギーが持続しない

だからその何よりも大切なエネルギーの源泉を枯らさぬよう

世界をはじからはじまで味わえるように

出逢うものひとつひとつと

笑い合い分かち合う響き合う。

そういう人生の1年にしたいです

私はサラリーマンではない

私は音楽家ではない

私は誰でもない

私は何者でもない

ただのわたし、として

働いたり、作ったり、書いたり、歌ったり、考えたり、食べたり眠ったり、泣いたり笑ったり、勉強したり

なんでも全力でしていきます。生きます

去年の1年が、喜びも悲しみも感動も苦しみも、すべて大きな糧となり

またひとつ確かな自分を抱き締めて

過ごしていけるような気がしています


同じ時を過ごすとき

よかったら、一緒に

愉しみましょう、分かち合いましょう

そして周辺に、沢山の花を咲かせましょうね

本年も精一杯がんばりますので、
どうぞよろしくお願いいたします!

林 好

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hayashiyoshimi at 20:54|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 日記 

2015年12月25日

2015年

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メリークリスマス☆

2015年ものこすところあと僅かです。

1年を振り返る、ということ

毎年しますけれど

今年はどんな1年だったか今は正直よく解りません

きっと少しずつ視えてくる、そんな体験をした1年だったのではないかと思います

一言でいうなら、自分自身について今までよりももっと知れた

そんな1年であったと思います

そして愛するということは何か、生きるということは何か

この事を考える時、この1年は今までとはまったく違う視点から見て感じ、思い、学んだ

そんな時間であったと思います

年末のUSTに関するお知らせをビデオメッセージに致しました

今年もありがとうございました

巡り廻る毎日に、命に、日々に。






hayashiyoshimi at 14:30|PermalinkComments(1)TrackBack(0) infomation 

2015年12月17日

モーツァルトとクジラ

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※長文となります。おそらく




「理屈っぽい」、と、人生で何度言われたか判りません


「そんなに色々と考えるのはやめなよ、何も考えずにさあ楽しく生きよう」

そんなふうに何人に言われたか判りません


そうです どんな感情に一時的に流されてても

最後に私の味方をしてくれたものはいつも、
「理屈」、「物事の理(ことわり)」、「真実」、そして「真理」でした


人生には、いつも未知なものが待ち構えています

解った、解った、と感じていても、次の瞬間に全てはまっさらなキャンバスに引き戻され

裸の無防備な姿で世界へ投げ出され

戸惑い苦しみ傷つき、理解するまで逃げる事を私に許しません

とてもつらいとき、そこは終わりのない真っ暗な底なし沼のよう

幾晩も幾晩も眠らずに考えて考えて考える事を辞めてみて、

そしてまた考えて考えて.....


もがきもがき苦しんだ後に、ふっと光のように ”理解” の瞬間が訪れます

その時私の眼は今までよりも大きく見開かれ、この世界、この人生、この宇宙に対して

(神さま、としか表現できないような)偉大な、大きな力を感じて

ただただ敬虔な気持ちになり、ありがとう、と言って涙が出てきます


この数日間で何冊の本を読んだだろう

それは私の人生に初めて訪れたことを乗り越え、理解し、受け止める為に、必要な文献達でした

同じような人生の困難や疑問や答えのない問題にぶつかった様々な世界各国の先輩達が書き記した道しるべでした

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私が理屈や真理を何よりも信頼するのには理由があります

ものの " 理 " (ことわり)とは、

この宇宙の中の(そして外の)万物に対して、

人生の中に起こるありとあらゆる喜怒哀楽に対して、

この世に生を受けた生きとし生ける、全ての命に対して

一切を否定せず、一切を区別せず差別せず、ありのまま肯定し、共有させている

絶対的なゆるぎない”愛”だからです

未知なるもの、未知なる他者、未知なる自分自身を理解することには

大変な労力や忍耐や智慧や勇気を必要とします

だけどその理解を深めることは、私にとって

自分自身の命の理由(いのちのわけ)を知り

神(とあえて表現しますが、自分は特に無宗教です)を知る一番の方法だからです




私は今までの人生で知らなかったものに対して

“正しく” うまく、対応できなかった それは未知なる初めてのものだったから

それでもこの宇宙の何ものかの力が私の人生に必要なことを

私の人生に起こして学ばせようとする

まるで全ては初めから運命の本に書かれているように。

答えのない沼から息もからがらに這い上がって来た時

どうしてその全てが起こったかが視えたような気がする瞬間が在る

その時の気持ちをどんなふうに表現したらよいか、私には解らない

ただ目を閉じて祈るような気持ちだ、自分の中心に還って。


私は突拍子もない行動をとるときがある

今までの人生でそんなことはしたことがないという方法で自分の信念を信じて挑戦することがある

私の思いつきや思い切りで世の中の誰かに何かの負担や迷惑を与える事があるなら

本当にそれは申し訳ない、そして許してくれて、ありがたいって、想っている。

知らない人でも話したことがないひとでも、話を聞いたり、話したり

とてもあたたかい、愉しい時間

まったく後悔はない

だって、苦しみは全部何処かへ行ってしまったもの

縁があって今生で出逢っているひとと

話すこと、聞くこと、分かち合うこと、その体験は奇跡みたいなものだ

自分の中の説明出来ない情熱のままに、行動するしか

もう生きる術がないように感じる時があるから

目の前にいる人に対して、真摯で在りたいと願えば、

いつか必ず届く

本当によかったと思う、人生のすべての一瞬一瞬が、命との出逢いと繋がりであると思う



これから未来のことは解らない

だけどひとつ間違いないこと、確信すること

昨日の自分と、今日の自分とは同じものではない

今日の自分と、明日の自分とは、決しておなじものではない

それは全部がまるっと、古いものを捨てて、新しく生まれ変わるのではなくて、

過去を全て内包した、より大きな、深い容れものになるということだ


人生に起こるすべての出来事への理解をもたらしてくれたこの世界に感謝する

そして過去に感謝して、それらをすべて抱き締めたまま、

いまここで鼓動を打っている現在(いま)の私と一緒に、また未知なる明日に向かって進んでいく


信念は変わらず、そして愛も変わらず、です

そしてもっと成長したい。新しい出逢いと、発見をしたい、作品も作りたい。

今までもこれからも、一生変わらぬものも、胸に抱きながら。


最後に、昨日から読み始めた書物から。美しく切ない物語があったので引用します



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『サボテンと薔薇』 カトリン・ベントリー



遠いむかし、わたしはバラで、あなたは美しく、強く、頼りになるサボテンだった。

あなたの姿、強さ、自信がとても気に入った私だったが、一緒に砂漠に住むのは難しいと気がついた。

自分に合わせて欲しいとあなたは私の緑の葉を切り始めた。

砂漠の土は乾いて、気候は厳しく、私は水が欲しくてたまらなかった。生きてゆく為に。

少しずつ私はしおれ、花は落ち始めた。

手入れされた花壇の土、肥料、色とりどりの植物、全てが恋しい。でも、もう花壇という環境にはなじめそうになかった。

残っていたいた葉は少しずつたくましくなり、私はまるでサボテンのよう。

目のくらむ太陽も砂嵐も気にしなくなった。喉の渇きも忘れた。

何も感じなくなった。砂漠で暮らすにはその方が簡単。でも、ときには、朝、にわか雨の後に感じる、葉っぱに残ったしずくの気持ちよさや、通り過ぎる蝶の優しい感触を思い出した。

砂漠であなたのとなりにいるのは変な感じ。私はあなたがサボテンとは知らず、そんな植物が存在する事も知らなかった。

訳のわからなくなった私は、あなたをバラに変えようと一生懸命だった。あなたにはとてもつらいことだっただろう。あなたがバラになろうとし、バラのように振る舞っているかぎり、私とほかのバラはあなたを愛した。

でも、あなたがサボテンらしく振る舞えば、みんなあなたの側を去っていった。

とうとう、あなたはあきらめて、どの花壇もさけるようになった。

サボテンのほうがずっと自分らしい。みんなの期待するものになれなくて恨みだけが残ったのに、どうして自分は努力しなくてはならないのか?

自分一人でいる方がずっと心地よいとわかって、あなたは孤独に戻っていった。

他のバラ達は私から目を背け、仲間はずれにした。相通ずるものが、何もないから。私はやっかいなしおれた植物、一緒にいても楽しくない。バラ達は肥料のことや私には縁のない話に明け暮れようとした。

だから私は孤独に暮らすあなたの仲間になり、自分の中にある強さを引き出すことができた。

やがて、私は色とりどりの花壇にいた頃が恋しくなった。あなたがずっとサボテンであるように、私はずっと、バラだから。

ある日サボテンの本を見つけた。あなたにも読んでもらうと、そこに書いてあることがあなたにぴったり当てはまると二人の意見は一致した。自分は変種のバラではない、美しく、へこたれないサボテンだと解ってあなたはとても安心したようだった。

サボテンには別の愛情の示し方があるとわかって私も大喜びした。寒々しい孤独を感じていたころ、本当はあなたに大事にされていた。私には、わからなかっただけ。

サボテンの本は沢山ある。でもバラの専門書はない。

約束しよう、サボテンが何を欲しがり、何を喜ぶのか、あきらめずに、わかろうとすることを。私の望みは、あなたがバラのことを知ろうとし、バラの私を認めようとする気持ちになってくれることだけ。あなたがあなたでいたいように、私も私でいたい。

二人が同じ植物になってしまうより、違いを受け入れられるようになろう。

初めて会ったとき、私はあなたのサボテンらしい強さに見とれ、あなたはきっと私の色鮮やかな花びらにうっとりしただろう。

私は前ほど花いっぱいではないけれど、土に根をしっかりおろし、少しの水と肥料があれば、また花を咲かせるだろう。美しいだけでなく、強いバラになっているから、もっとたくさん花を咲かせるだろう。

お互いを大切にし合えば、二人の関係を特別なものに変えられる。

あるがままに日々を過ごし、それを楽しもう。


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自由でまっすぐな明日へ

美しいものを、探す旅

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hayashiyoshimi at 15:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2015年12月12日

ニキ・ド・サンファル展

38度の発熱と下痢は

なんてことはなかった

耳が聴こえなくなるめまいの病気よりも遥かにいい

何ヶ月も楽しみにしていた旅行が
無になり払い戻ってきた僅かなお金で

ニキ・ド・サンファル展を観てきた

わたしの休日の旅はまだまだ永い

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ニキは美しいひとだった

彼女のポップなアート作風とはギャップを感じる程

端麗で繊細な内側。

幼少期に浮気を繰り返していた父親から性的虐待を受けたという

家庭の闇を心に抱えた彼女の

精神的な崩壊

怒り、哀しみ、苦しみ、そして愛する悦び。

聖母、娼婦、魔女、母、少女

女性性を持って産まれた自分自身に対しての

疑問と葛藤、運命と哲学。

家族を捨てて芸術に生きる道を選んだ過去。

彼女のつかの間の悦びと幸福さえ

その表現さえもが

哀しみに照らし合わせてしか描き出せない幸福と悦びのカラフル、色彩のように感じられ

何処までも哀しみだけが色濃く

心を散り散りに引き裂いた

わたしはただ哀しかった



彼女の芸術や表現の具現化を、時代が支えた

アートとは、所詮流行り物の大衆文化なのだ


金を出すひとがいて

はじめてそれが芸術と言われ、成り立つ

いま時が経ち、私がこうして彼女の心に触れる機会を得る

ポップアーティストとして世の中に認知され、活動し、食べていた彼女

だけど人間のひとりひとり

抱えるものは皆同じであろう

違う星と星

彼女の作品に触れられてよかった

それもまた決められたことだ


わたしの心の中にも憎しみや哀しみが湧き上がってきた


『 don't trust a man who says
‘ trust me ’with empty sounds.

there is no ‘last’
there is no future
no love
no music
no faith, and no beauty 』



心が叫んでいる


アーティストだから

芸術家だからという口上で

自分の身勝手を正当化し

わがままや横暴を自分の中だけに赦し

他者を赦すことは決してせず

他人を傷つけて平気な顔をし

利用しなに食わぬ顔で生きている人間は

芸術家である資格はない

この世に人を傷つけて正当化される創作はない

そんななりすましの ‘ 芸術家 ’ は

いなくて良い  自分もそうだ

許されるはずはない


タイミング?タイミングという言い訳はなんだ

それは困難な状況や試練、忍耐、挑戦の場面で思考停止するための

便利なリセットボタンか?

気まぐれに姿を変える風に流されることか?

刹那の欲望に呑まれて自我を忘れることか?

意思を持たず意志も持たずに

楽で苦しまず傷つかず考えず悩まずにいられる "ポジティブ"だけをウェルカムし

自分自身の不誠実と他責(何もかもを他人のせいにすること)とよこしまな欲望が

他人にマイナスを反射させ自分自身の足を引っ張っていることにも気づかずに

その口先からはしたない唾を垂らしながら

偽善と中身の無いペラペラの紙にそれと書いて眺めうっとりと陶酔するような

かりそめの ‘ リアルな愛 ’を掲げながら

消費されるままに腐ってゆく
精神と肉体のことか?

運命とは意志が創り出すものだ
芸術とは信念と勇気の結晶のことだ

愛することとは、傷つき苦しみ勇気を持つ人の行為のことだ

解らぬ言葉を語ってはいけない
愛を弄んではならない

それはお前を生かしもし、殺しもするものだからだ

出来ぬなら

人はみな、愚かな自分を素直に受け入れるべきだ

わたしは愚かだ

わたしは愚かだ

真摯な心でなけれは、純真は凶器となる

その凶器は狂気となり

お前が逃げ続ける限り

お前を赦さないだろう

私が許せないのは

自分自身だ



ニキはヨーコに語っていた

前世での、カルマの話を

タロットは彼女の精神世界に何をもたらしただろう

70数年の生涯にわたる創作と表現は

彼女の苦しみや悲しみを救っただろうか

彼女が安息の地で

愛するひと、愛する家族に抱き締められ

安心と平和の中で

安らかに眠りますように

永遠の、真実の愛の中で







hayashiyoshimi at 17:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2015年12月05日

スペクトラム (love letter)

たとえ自分は何も悪くなくても

自分は何も間違っていなくて

とても‘正しかった’としても

たとえトラウマティックな出来事があったから、正当防衛なのだとしても

たとえ相手が自分を傷つけた‘悪い’やつで

‘敵’だったとしても

その人が自分の為に何か傷ついているのだと解ったなら
(たとえその背景が理解できないとしても)

(たとえその情緒や感情をはかれなくても

(たとえ自分と、相手との、過去から現在までの全ての出来事や関わりの歴史があって
'いま’に続いているのだという一貫性が

感じられないとしても

それが‘今この瞬間’ の自分自身の感覚より、まったく重要ではなくて、何の関心もないとしても

その人にとっては、自分の想像の範疇を越えた、世界があるのかもしれないのだったなら

いや

何もかもどうでもよくて

傷ついた人が目の前にいるなら

それが自分が要因で何か傷ついているのなら

ごめんね、ゆるしてね、と

優しさを配ることは無意味なことなんかじゃないよ

その人はそれで救われるかもしれない

ほんの少しでも


事実や現実が、どうしても人を傷つけないといけない時も

それを伝えなくてはならない時も

その傷が最低限になるよう、自分が耐え忍んで努力しはからうことが

誠意であり人の強さであるとおもう

それが優しさや思いやりなのだと思う

それこそが ‘ 愛 ’ なのだと思う

それは責任や義務ではない

ただ、愛 の証明なんだよ

愛を、伝える、ということはとても大切

心の中で思っていれば充分なのだけどね

人は、その愛を、伝えて、表現することも出来て

それは素晴らしいエネルギーで、

人を、世界を癒す力もきっとあるものでしょう?

波はただ眺めているだけでもきれい

だけどその水に触れたら

その感触や、心地よい揺れを、感じて、体験し

誰かに伝えることができたら、

もっともっと素晴らしいでしょう?

それと同じこと


私達は生きているから

伝える力があるの

これから誰かと共に生きて、歩む人を

大切にしてほしい

何が正しい


誰が悪くて、自分は悪くなくて

そんなことはいい

理解できなくてもいい

人に優しくする意味がわからなくても

誰に対してもできなくってもいい

でも、自分を大切に思ってくれる人がいたら

それを理解できなくても、その人に優しくしてあげてください

そうすればきっと、素敵な笑顔がかえってくる、

期待どうりにならなくても

あなたがそうゆうふうにできたということこそが

素晴らしいことなのだから

これから素敵な愛を育んでいくとき

心の片隅にでも置き留めておいてほしい

幸せになれますように

誰かと一緒に歩む、素敵な人生が

その人のもとへ訪れますように

どうかどうか

素敵な音楽を


https://soundcloud.com/yoshimi_hayashi/a-song-to-me





hayashiyoshimi at 09:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2015年11月30日

11/24ライブ後記

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hayashi yoshimi 公式ホームページ⇒http://hayashi-yoshimi.tumblr.com/

youtube→http://youtube.com/user/hayashiyoshimi
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〈photo by BLUESさん、 waripapaさん
ありがとうございます☆!!〉

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こんにちは。

11月24日、代官山晴れたら空に豆まいて 3マンライブ ‘ 夜を紡ぐ ’
へお越しくださった皆様

本当にありがとうございました

晴れ豆ご担当者さま、スタッフさま
お疲れさまでした、ありがとうございました

共演くださった香月さん、上奥まいこさん、バンドの皆さま、ありがとうございました

この日は、私にとって思い入れの深い晴れ豆さんのライブで、

早い時期からブッキングをお願いしており、時間も多め、フライヤーや新規デモCDを作ったり、力の入ったイベントでございました。

そこへご来場頂けたことは、とても嬉しかったですし

そんなイベントだからこそ自分に何がもっと必要か、様々なことが視えた1日でした

来てくれた方々のお顔をみて、声を聞き、共演のアーティストさんのライブに幸せになっている自分がいましたが

それもそれ、これはこれ、で
もっと表現と創作の力をつけて応えたい、とそれを強く感じたポジティブな1日でした

香月さん、上奥まいこさんの、歌、とても良かった

良い出会いで、楽しかったです

学びと刺激ばかりでした

素敵なお花やお土産もありがとうございます

お写真を撮ってくださった、BLUESさん、waripapaさん、いつもありがとうございますm(_ _ )m

CDをお求めくださった皆さま、ありがとうございます

やはり2000円の‘星’ よりも、500円のデモCDが好評でした(笑)

星のクオリティにはまったく比較できないハンドメイドのCDでしたが

中身はソウルフルになっております、ぜひ聴いてください

色んな(外装の)クオリティの時代を、お楽しみください

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セットリスト

1.eyes
2.抱きしめる
3.月まで届く
4.see you again (cover: charlie puth)
5.eucalyptus
6.パイナップル
7.SUN CHANDELIER


色々考えて、少し緊張した日でした

グランドピアノは沢山練習せねばと思いました

久ぶりの歌も歌えて良かったです

新曲のパイナップルや、懐かしい Sun〜を褒めれもらえて

嬉しかったです

終わったあとは数日間またあれこれと考えごとをしてしまいました

でも答えを探していくためにやはり手探りで進んでみつけてみつめていくつもりです

次回ライブは年明け2月からの予定です

おととい、思いつきで髪をショートカットにし少年のようになりました

今年もあと一ヶ月

噛みしめていきます

皆様に穏やかで素晴らしい日々がありますように

hayashiyoshimi at 09:53|PermalinkComments(1)TrackBack(0) live 後記