2016年11月26日

宇宙と芸術展 : 森美術館

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2016-11-25-22-09-34


先日、とても楽しみにしていた展覧会へ行って来ました。

『宇宙と芸術展』 : 六本木森美術館

夏から来年1月までかけてロングランで開催されているこちら

今まで個人的には森美術館であまり得たことない、久しぶりの見応え感で大満足でした。(ごめんなさい。はずれの思い出が)

なにしろテーマが壮大ですから、ゾーンごとに、古代から近代、異国から日本、史実からアート表現、史料、絵画、彫刻、映像、インスタレーション、科学技術...

広く展開されており、

一つ一つじっくり観ようとすると2時間はすぐに過ぎてしまいます。

いろーーんな方向へ広がってゆける企画テーマですもんね、、内容が厚くなるわけです。


オープニングはまず、宗教観からの宇宙、チベット、インド
曼荼羅から仏教の伝来と日本江戸時代の宇宙観。

日本で初めて望遠鏡を用いて天体観測を行った、国友一貫斉の遺した史料

月への畏敬と宗教観。
月といえば竹取物語、かぐや姫。

実際の竹取物語の絵巻があるーー!
、、感動しました。


そして日本から背景は世界へ。
地動説と天体の動き。

印象深かったのは
ガリレオ、ダヴィンチの手書きのノート。
えー、、☆こんなのが見られるのーー!という感じで感動しました。

繊細で小さな文字や天体のイラストがびっしりと書かれた、おしゃれで小さな手帖でした。感慨深かった。

そして次のゾーンからは

宇宙理論に発想を得た現代芸術達と様々なアート作品。

月のクレーターを楽譜に見立てた旋律...神秘的でした。

生物、生命の起源、ミクロの世界と宇宙。映像や絵画、写真芸術。

古代の異星人や未確認物体、異星人へのロマン。

体験型の光のインスタレーション。

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ラストは現代科学技術、未来、宇宙旅行や移住の夢。

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楽しかったです!!

これは、一緒にいく人と3時間はうんちく話が止まらないやつですから

色々な人と、数回行っても違う着眼点でお喋りができる味わい深い素敵な展示会です。

1月までですから、ぜひおすすめしたいです。

私達の生きるすべてから、切っても切れない関係にある

根本のもの、宇宙

そして芸術、アートという観念。

感想も各々、放射状に拡がること、請け合いです。

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hayashiyoshimi at 14:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年10月12日

ひとくぎり☆

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(先日朝5:30に目が覚めて出逢えた朝焼けが綺麗でした。)


久しぶりに日記を書いてみようと思います。

最近はすっかりBLOGがご無沙汰気味で。

今日は私にとって、ひとつの区切りの日でした。3年間、牛歩ではありましたが続けてきたことがありました。


思い出してみると3年前、2013年は私にとって試練の年でありました。

人生で初めてのアルバムを作る決心をしたことや、初めてのワンマンライブを行うことを決心し行動したその年は、

何でなのか色いろ重なり

引っ越しをしたり、以前の会社(イタリアの子会社)が解体し、引き継いだ新しい会社に転職をしたり、と

とてもハードなスケジュールで(なんでそんな年にやっちまったんでしょうね、、笑 自分に突っ込みたくなりますが)

アルバムを作るために色んな人に会ったりコンタクトをとったり、曲を作ったりライブの準備をしながら、新しい会社で新しい人達と新しい仕事を覚えたり、、、かなり無茶をして

5月にはついにメニエール、前庭神経炎を発症しぶっ倒れるわけですが(笑)

走り続けた1年でした。今思うと、とても充実していたな、、辛かったことより、嬉しかったことを覚えています。

それでも私の中には情熱がたぎっていて、新しい挑戦を始めよう、という気持ちがしぼむことがなかったです。その時に支えてくれた人達への想いも忘れられません。

それから3年経ち、私はどんなふうに変わったでしょうか

そして何が変わっていないのかな、と、今日はそんなことをしみじみと想いました。

この3年間、色々なことがあり、勿論わたしも年をとり、まわりの世界も歩いています。

ここ最近のわたしは、一言でいうと、充足しています。

主に、仕事のことですね。

世の中の事を見てみましょう。

毎日のご飯が食べられ、暖かな寝床で眠れて、安心して暮らし

ほんのたまの休日でも、好きなことを楽しんで生きることが出来ることは、とても贅沢なことです。

私は山口に住む家もなく、これから東京で暮らしていくのか、
それとも別のどこかへ移ったりするのか、

いまは何も、まだわかりません。

ただ18で上京してきてから、夢を追いながらも

自分の置かれた現実から目を逸らす事なく、毎日働き、しっかりと自分の暮らしを支え、生きてきたことは

ほんの少し、誇って言えることだなと感じています。

そしてこの年になってからは、将来のことも、家族や、社会のことも

少しは責任を持って考え、備えることができるように成ったのかなとも思います。

そんな視点から、この夏は転職も視野に入れて色々な活動をしたり

周囲から結婚への圧がかかり(笑)尻をたたかれて色々な場所へ出向いていく努力をしたり

個人的に色々進めねばならない雑務があったり、

沢山、これからの人生の事を考えた年だったなと思います。

「もう、、やだ、、もう、、疲れたーー」という泣き言を散々漏らした日々だったかと(笑)



正直、音楽のほうは、まだ寒い季節の頃、そして初夏のころかな

いくつかの歌を、取り憑かれたように書き上げましたが

シンセサイザーの電源はオフになったまま、全く音作りに取り組む意欲もなくて

ライブ活動もちょっとお休みしていて

(というか正確には、仕事や日々の生活でくたくたに疲れてしまって、休みの日に、のんびりする意外、何にもしようと思えなかったというか)

過ごしていました。

私はよくわかります。日本社会の人はよく働きますよね。

のんびり、ゆったり、暮らして、思いついた時に思いついた創作をする気力や体力がある状態で
不自由なく暮らせる事は、理想的ですが

なかなかそれを実現する為には、色んな、工夫が、必要なのかもしれませんし

それぞれの抱えた人生は違うものですから、

どうやったって難しいこともありますよね。


そんな中、今日は3年前に始めたことが、一区切りになったわけであります。
(これで冒頭へ戻るわけですね☆)

今日を迎えて、そしてさっき道を歩きながら

この3年間を振り返っていたら

胸にぐっとこみあげる静かな気持ちがあり、とても久しぶりに、

曲を書きました。それは歌詞も全部もう出来上がりました。

これからもずっと、きっと、働きながらでも

聴いてくれる人がほんの少しの人数だとしても

才能がないとか平凡とか色々なことを言われても

それでもやっぱり、私は、歌を作って、よーしできた!!っていう瞬間が一番

人生で、生きてるな!!って感じるのだなという情熱を、定期的にこうして思い出します。


たぶんそれは、同じ年代の生きる仲間がいて

その人達が、生きている姿をみることで、何度でも、何度でも

夢をみてた10代の頃の自分の姿、20代の頃の辛かったこと、嬉しかったこと

思い出すからなんだと思います。


私は音楽が大好きで、高校を卒業した春ーそして両親が離婚したころ
何にも考えずに、バイトで貯めた3万円くらいを持って、スカイメイト(当時キャンセル待ちで若い人だけが半額でのれる航空券があったのですよね)で東京へやって来て

なんでか今も、ここにおる(ことができてる)のですから

まだ夢が続いているんじゃない?それは一生続くんじゃない?

と感じている秋の夜です。(笑)

日々に追われて、なかなか生み出せなくても

沢山の人に必要とされたり、生活の糧にすることがなかなか叶わなくても

私は一番好きなことを死ぬまで続けると思います。

とりあえず、今日はいい日だったなー、色々想いました。

がんばろうって、そして曲も出来たし、早く音にしたいなーーと思ってます。

これからも勉強したこと、練習を続けます。

そしたらきっと、もっと楽しい未来が待ってますもんね。

なので3年前にリリースした初CDを、あと500枚くらい売らなくては!☆(笑)

そして何年かかっても、また次の作品を出して、ライブもやらなくちゃーー



「わたしは何がしたいのかなー」

生きていれば人は、そんなふうに、考えることがあると思います。

それが、はっ!!っと解る瞬間って、そうそうすぐにはやってこないし

やってきたかと思ったら風のように消えて行ったりもします。

だけど、ずっとずっともがきながらも、”いまできること”をとりあえず精一杯やってれば

人間不思議と前に進めてるものです。

今日は久しぶりに曲がかけて

とても嬉しかった日記でした。

創作は一日にして成らず、料理も、仕事も、会話も。。クリエイティブに

ラストは昨日作り置きした常備菜の写真で締めますね。

”マッシャー”というものを手に入れたので、しばらくポテトサラダは定番になるかと。

この常備菜でもって、明日からもがんばるぞーー

お金を貯めて、目標ありますんで☆

読んでくれてありがとう。同じ時代を生きるみなさまへ

明日も、良い一日を。

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hayashiyoshimi at 20:56|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 日記 

2016年09月11日

御礼☆

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皆様、8月25日から9月10日までの約2週間

やくしま森祭りオープニングアクト出演の為のコンテストへ

沢山の応援をいただき、誠にありがとうございました!!

SNSアカウントを使ってのひと手間を越えて投票してくれたかた

期間中何度も投票してくれたかた

24時間毎に毎日のように、FBやtwitterを使って投票してくれたかた....

本当に、本当に嬉しかったです

今回は、わたしにとって思い入れのあるコンテストでありました

正直投票型、というものを、あまり好きではないですけれど

そういう‘ルール’があるならそれならそこには理由があるのですし、精一杯出来ることをやってみようと

本当に毎日、皆様のTLをうっとうしくさせる事を承知で

何度も投票をお願いさせて頂きましたし、
SNSを殆ど利用しない同僚達にすら、
なんとか投票をしてもらえるように言ってまわったり、と(笑)

ほんとに心からやり尽くした感、頑張った感ありまして、実はとても清々しいです

恥ずかしい、とか変なプライドもなく
必死に協力を求めて精一杯、力を貸してください、とお願い出来たのも

心から、やくしま森祭りで歌いたい!という気持ちがありまして

そのトライアルの為にベストを尽くし、
そして沢山の方々がその想いに力を添えてくださったことが

すでに私の胸の中いっぱいにキラキラと輝いております。

結果発表は明日以降ということですが

最終371票、7位という形で、審査へ臨めること

皆様に改めてこの場で御礼申し上げます

どうもありがとうございます☆

結果は追ってご報告いたしますが、

この素晴らしい9月に、特別な想いを持って挑戦できたこと

沢山のかたの真心と応援に触れられたことで

新しい何かが私の中で始まる予感がしております。

これからも、何卒、小さな小さな存在ですが

私という人間の全てと、鳴らす音を

命ある限り見守っていただけたら幸いでございます。


素敵な秋を♪

林 好 hayashi yoshimi





hayashiyoshimi at 21:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 | infomation

2016年08月26日

宝 : 歌詞



さよなら悲しみ
また何処かで会えるその時には
強くなった私の
両腕で抱き留めてあげるわ

ひとつ齢を重ねて
全方位的放射状拡がる
世界を描いて
大切なもの大切にする力

愛がすべての答えだから
たった一つ純粋な心を
やすやすと汚しては駄目なんだ
命を懸けよ 戦士

嘘つきが妄りに
あれやこれやと退屈凌ぎで
尊い命の 奇跡の光
潰してしまうの

ねぇ そんなふうに 創られてないわ
いつからつまらない大人になってしまったの
やめてよやめてよもう 嘘は

愛が永遠の真実だから
とても誠実な想いで
耐えしのび生き抜いてみせてよ
羽を広げよ 君子

こんにちはよろこび
いらっしゃいしあわせ
ありがとう あいしてる          

        作詞/作曲 :2016.6 林好


hayashiyoshimi at 14:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) lyrics 

ゆくところ : 歌詞

    ゆくところ



今日も夜が来るのが少し怖くて
記憶の扉を閉ざすか潜るかを迷った

私のきれいな碧い海を汚したのは
馬鹿で疎かな心を伴わない行い

何にも言わないで
いま いま いまゆくところ
この体に触れないで
触れようとするなら そうね
殺して

生き物の中では 流れる時間の速度が
それぞれ違うと河面に反射する光が云う

私が信じた美しいものを壊したのは
嘘や汚濁ではないの
軽蔑と オフになった電源

姿を見せないで
もう もう もう思い出そうとしない
二度と探さないで
次に逢ったときは そうね
通り過ぎていって

雪が降って 朝には溶けて
消えて 消えて
消して 消して ゆくところ        


         作詞/作曲  2016.1 林好


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2016年06月23日

我と汝・対話 / 読書メモ

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【感想: 自分メモ】
我と汝・対話
/ マルティン・ブーバー著

もしもブーバーが現代に生きていたなら
ぜひ一度結婚生活を共にしてみたかったなと思います。
毎日のすべてが哲学的で、きっと楽しかっただろう

大切な事は全て本に書かれている
気がついていないだけで
文字が思考を通り過ぎていってる

何度も読み返す事が出来ないのでこの本の重要な要点と感じた部分を、引用で残します


[項目10]
[ブーバーの記憶より]
[解説より]


『以下引用』
**********************************************


1、 ‘‘関係とは選ばれることであり、選ぶことである’’
能動と受動は一つになる
すべて真の生とは出合いである。

感情は〈所有されるもの〉であり、愛は生ずるものである。
感情は人間の中に宿るが、人間は愛の中に住む。これは比喩ではなく、現実である。
愛は〈われとなんじ〉の〈間〉にある。このことを知らぬひとはたとえ、ものを感得し、経験し、楽しみ、表現する感情を愛であると主張しようとも、愛を知らぬ人である。
愛はこの世界に働きかけるものである。愛の中にあるひと、愛の中に見るひとは、人間を混沌から正しい活動へ解放する。
善と悪、賢と愚、美と醜、これら一つ一つは彼にとって現実のものとなり、解放され、歩み出、唯一の存在となり、本質的に向かい合う〈なんじ〉となる。
愛の中に生きるひとは、活動し、助け、癒し、教え、高め、救うことができる。
愛は〈なんじ〉にたいする〈われ〉の責任である。
ここにはいかなる感情の中にも成り立ち得ないよつな、すべての愛する者に共通の類似性が存在する。
すなわち、もっとも小さきものから、もっとも大いなる者に至るまで、愛するひとに抱かれて安らかで楽しい生活をおくる者から、生涯この世の十字架を背負いながらも、なお人間を愛するという途方もないことをあえて行うひとに至るまで。


2、 体験される関係とは、出合う〈なんじ〉に関わる生まれながらの〈なんじ〉の実現である。
この〈なんじ〉が向かい合う相手として把握され、独占的、排他的に感受され、最後に根源語で呼びかけられるようになるということは、関係のアプリオリにもとづいている。
生まれながらの〈なんじ〉は、〈関係を結ぼうとする衝動〉(この衝動ははじめ他の存在に手で触れ、次に目で触れる)の中にあって、その能力を示し、やがて一層明瞭に〈やさしい愛情〉の相互性を求めるようになる。
のちになって生ずる創造への衝動(あるいはこれがうまくゆかないときに、分解する分裂、すなわち、分析的な道をとる衝動)もまた、〈生まれながらのなんじ〉によって決定される。
このような現象を正しく理解するためには、狭い領域に押し込めてしまう研究ではかえって傷つけてしまう。
宇宙的、両世界間的起源からの考察と解明を忘れないことが是非とも必要である。


3、たとえば、結婚の場合、二人の男女が相互に〈なんじ〉を示すことによって、真のそれが成り立つのであって、それ以外には結婚の意味に新しい生命を与えることはできない。
双方いずれの〈われ〉でもない〈なんじ〉が結婚をつくり出すのである。
これこそ愛の形而上学的、超心理学的事実であり、愛の感情などは、この事実にあとから付随したものにすぎない。
結婚に〈なんじ〉以外の他のもので新しい生命を与えようとするひとは、結婚を否定する人と、本質的には、いささかも変わっていない。
なぜならば、このいずれの場合も、結婚のもつ重大な事実に対する無知を告白しているからである。
つまり、一方の相手が他方の現存を認めず、全然、相手を眼前に思い浮かべず、ただ自己の楽しみにふける相手という関係を取り除いてしまうならば、そのあとに、一体何が残るであろうか。


夫が妻を愛し、彼女の生命を自己の現存の中に宿そうとするとき、彼女の眼に宿る〈なんじ〉に、永遠の〈なんじ〉の光が映るのを見出すであろう。
これに反して、〈たえず新たな女性の征服〉を望む貪欲なる者が、どうして女性の中に永遠なる存在者の幻を期待できよう。


4、 勝手気儘な我意の強い人間は、運命を信ぜず、出合いに生きることもない。
このような人間は、〈なんじ〉との結合を知らない。
彼はただ外にある熱狂的な世界と、これを利用しようとする猛烈な快楽だけしか知らない。
彼はただ利用するものに古めかしい名前をつけさえすればよいのだ。
彼が〈なんじ〉というとき、〈なんじわが利用できるものよ〉と想っているのであり、彼が自己の運命などといっているものは、実は自己の利用の能力の美化であり、聖化にすぎない。
たかだか事物や衝動によって左右される存在にすぎないのだ。
このようなひとは、事物や衝動の命ずるままに、自己誇示の感情をふりまわして勝手なことを行うのである。
彼が認めるのは、恣意のみである。
彼も人並みに犠牲的行為について口にするかもしれないが、このような行為にはまったく無能である。
彼はあなたに、どうして運命に手助けしてはいけないのだろうか、自己の目的を追求するのに、必然な手段として利用していけないのだろうか、という。
彼は自由な人間さえも、こんな考えで見る。
彼は自由をこれ以外のものとして見ることができない。
目的と手段を求める世界が彼の世界であり、それ以外には何もない。
自由な人間は決意し、人生の岐路に立つごとに決意を新たにする。
もし現実から遠ざかった〈われ〉と、真の〈われ〉という堕落の状態を深く反省するならば、自己否定と復活から新たに出発し直すならば、そこから転換の萌芽が生じてくるかもしれない。


5、 〈それ〉の世界の前進的な増大は、歴史の中にはっきりと認めることができる。
人間と〈それ〉の世界との根本的関係は、世界の構造をたえず検討する〈経験〉と、人間生活の多様な目的と維持、便利化、設備化を行う〈利用〉を含んでいる。
むろん、この場合、言葉の誤用が精神を冒涜している。
なぜならば、そのような〈精神生活〉などというものは大抵の場合精神の中に生きようとする人間にとってむしろ障害であり、これはせいぜい支配し変形して同化すべき素材にすぎない。
だがこれはまさに障害である。
なぜならば経験し、利用する能力をつくり上げてゆくことは、大体、人間の〈われ-なんじ〉の関係を結ぶ力の減退によって生ずるからでありー関係を結ぶ力こそ人間を精神のなかに生かす能力をもっているからである。



6、神に真摯な祈りを捧げながら、この世界を利用するといったことはできるものではない。
世界を利用するものと見るひとは、神をも利用するものとしてしか見ないであろう。
彼の祈りは、おのれの心の重荷をおろす勝手な方便にすぎない。
その祈りは虚空の耳へおちてゆく。



7、 純粋な関係に入ることは、この世をあきらめることではなくて、この世を純粋な関係の根源から立て直すことである。
自己の内部でのみ解決を求めている限り、人は世界を愛することも世界のいぶきに触れることもない。
もしわれわれが決して消え去ることなき真実の世界を愛するならば、あらゆる恐れの中にあっても、すすんで愛し、我々の精神の腕で世界を抱擁するならば、われわれの手は、この世界を支えている別の手に出合うであろう。


8、 ただなんじとの関係を知り、〈なんじ〉の現存わ知るもののみが、みずから決断をなす可能性がある。
決断をなす者は、〈なんじ〉の前にたつがゆえに、自由なのである。

運命と自由は互いに誓いをかわしている。
自由を実現したひとだけが、運命に出合う。

自由な人間は、我意なくして意志するひとである。
彼は現実に信頼を置いている。
すなわち、彼は〈われ〉と〈なんじ〉のもつ二重性の真の結合を信ずる。
彼は運命を信じ、運命が彼を必要としていることを信じている。
運命は彼を束縛するのではなく、運命が彼を待ちうけている。
彼は運命のもとへ行かねばならぬことをよく知っているが、しかし運命がどこで待ちうけているかを知らない。
彼は全存在をあげて出て行かねばならぬということをよく知っている。
彼が欲しているようにはならぬかもしれぬことも知っている。
しかし、みずから意志し得るものを自己が決断するとき、運命と出合うのである。
彼は物質的で衝動的なものに支配されるがままになっている小さな意志、不自由な意思から離れ、必然性や必然的存在から遠ざかり、運命の大いなる意志に自己を捧げねばならぬことを知っている。


9、 〈われーなんじ〉には、真の相互性があるということ、受け入れられていること、結合の全体的な充実感があるということ。
このようなことがどうして生じたか、何によって結合したのか、誰にも答えることはできない。
またこの結合が生活を軽くすることもない、ーむしろ生活を重くするかもしれない。しかし生活に重大な意味を与えるであろう。

われわれが絶望しながらも、なおひとりの人間のもとへおもむくとき、われわれはそこで何を期待しているのであろうか。
おそらくそれは現存ということであろう。
絶望にもかかわらず、意味が存在することをわれわれに語るのは、現存によってである。
それ以来、私は例外であり、現存からの抽出であり、有頂天であり、恍惚であるだけといった〈宗教的なもの〉をすべて棄て去ってしまった。
私が受け入れたものは、もはら日常性以外のなにものでもなかった。
わたしはもはや、要求と責任が有限な時間の中で充実する以外の他の充実を知らない。
あなたは責任のない充実などに呑まれずに、関係の結合を求めるべきである。



10、 人間自らが芸術作品となり、みずからの生きた言葉の音楽をまわりに奏でながら、精神の星空へとのぼってゆく。
それはきままなものではなく、まったく純粋な意志と行為によるものである。
〈なんじ〉はここではさらに深い神秘の中から、人間に現れ、暗黒のなかから語りかけ、人間は生命を賭けてその語りかけに答える。
ここでは言葉は幾度も生命となり、この生命は教えとなる。



************************************

『ブーバーの記憶より』

12歳のとき、わたしは祖父母の田舎の家で夏を過ごした。
たくましい鬣毛の馬のいる小屋にしばしば、こっそり忍び込み、この愛すべき動物の頸をなでてやった。
わたしにとってこのことは付随的な満足というよりは、すぐれた、やさしさのこもった出来事であり、しかも深い感度的な出来事であった。
わたしの手に鮮やかに残っている記憶を、もし今説明するならば、わたしがこの馬について体験したものは、他者であり、途方もないような他者性であった。
それはあたかも生命力そのものの元素がわたしの皮膚にひろがるかのようであった。
わたしがこの生き物に近づくことによって、彼は自己の秘密をわたしに打ちあけ、根源的にわたしと〈なんじ〉との関係に入った。
わたしが馬のために秣桶に、からす麦を入れないときでも、馬はじっとその見事な頭を立て、耳をぴくぴくと動かし、鼻をしずかに鳴らしていた。
共謀者がその相手だけにわかる合図でもするかのように、わたしはその合図がわかった。
しかしあるときー 子供のわたしに何の心変わりが起ったか知らない、とにかくそれはかなり子供っぽいいたずらであったがー わたしは馬をたたいてやることを思いついた。
わたしは自分の手を突如意識した。
この面白半分のいたずらを同じようにつづけた。
しかし何かが変わってしまい、馬と私との関係は以前のようではなくなってしまった。
翌日、たくさん飼料を与えたあとで、わが友の頭を撫でてやったけれど彼は以前のように頭をおこさなかった。
数年たったのち、私はこの出来事を思い返した時、この動物がわたしの不誠実に気がついていたのだということも考えていなかった。
しかしあの当時、わたしはさばかれていたのだ。


*************************************

『解説-より』

ブーバーの聖書にたいする深い理解、キリスト教にたいする伝統的なユダヤ教とはまったく異なる理解、そのほかの宗教にたいする寛大な理解への熱意、他の文化の諸領域への関心等、これらは彼が身をもって示した〈われーなんじ〉に一貫し徹底した生き方に繋がるものである。
彼の生涯に味わなければならなかった内外での迫害、苦難は多い。しかしそれにも関わらず、彼の生涯は〈われーなんじ〉の対話的思惟を一貫して貫いていて爽やかである。






hayashiyoshimi at 15:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年06月11日

つらつらとした雑感

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映画を観た。面白かった。登場人物にあまり共感はないけれど

テーマは面白かったし、色々な思いや考えを想起させるきっかけになって、こうして文字を書いてみている

久しぶりのブログだ。もうすっかり初夏、梅雨で(ここ2、3日は良く晴れているけれど)

日々様々に ”今” が過ぎて行っている

人の世は、というおこがましいけど(世界は、決して人間だけのものではないので。むしろ人間は宇宙の塵のように、小さな存在だ)

それでも世界の色々な哲学者達が言ったように、人間の意識の集合体みたいなものとしての世界の在り方をイメージしてモノを言ってみるなら

世界は

善悪や、愛憎や、喜怒哀楽や、ありとあらゆる感情、思想、理念、直感、本能、倫理、摂理、因果、
信仰、、、、、もうとにかく色々な精神と意識を抜かしては

ただ物理的に、ただ物体としての命とか、我々の存在を語ることなんて出来ない

できそうで、できない。それ無しでは、"生きて"いないような状態だ

時々気分が鎮まる時に想う

何か、本とか、詩、音楽を読んだり聴いたりしていて

私が胸を打たれる、深い共感を覚えて、大好きだと感じる作家は、調べるといつも

精神を病むか、自害していることを、みつける

こういう時、(あぁ、この人は、どうして死んだのかなあ、)という事を

いつも考えてしまうのだけど(それはよくないから考えるな、と言われたりする)

自ら死ぬ人の動機には色々なものがあると想うけれど

その同じ意識にならないように、とは想っている。

でもホッする時もある

彼らはとても、優しく、賢い、人達だ。自害する人は決して強くなんてないだろうけれど。

人は、命の繋がりが切れる時、死んでしまう

人は純粋無垢に信じる心を、裏切られることによって、失い

自分も平気で人を裏切るようになる

傷つけられ、その痛みに、慣れる事によって

人を平気で傷つけるようになっていく

自分が何かを大切だと想う気持ちも、次の瞬間に見捨て

簡単に忘れるようになる

まるでよく反射する透き通った鏡みたいに

人から、人へ、同じように、繰りかえし、おくって、手渡す。よいものもそうでないものも。

自分自身だけを信じる安全な檻へと閉じこもり、

決して誰も信じる必要もなく、決して誰かを必要としたり求めたりすることもなく
(何故ならそれが裏切られ、その願いが叶わない時、人は深く傷付くから)

絶対的に安全な、自分自身による庇護の閉ざされた城の中で

安息の孤独に浸る。(そうして最後には皆自害していったのだ、哲学者達は)

映画を観終わったあと、そういう気持ちになって、本当は少し、安堵した

人は一人でいて、何も求めず、期待せず、何も得ず

自分だけの世界に生きて、或は死んでゆけば

とても楽なのだろうな、と。

人が果たして何かを生み出せることなんてあるだろうか

そう、例えばあの哲学者は言ったよね、

我々は、その存在そのものが、愛が目に見える形になったものだって

そうだね、生命はほとんどが、性交によって誕生するし、その他の場合であっても

愛のないところに生まれ、愛の与えられない環境で育ったものというのは

やはり生きてはゆけずに、死んでいったり、するものだから

生命と、愛とはとても密接に関係している、というか、そのものだろう。

いまこうして私が生きているのも、これを読んでいるどこかのあなたも

いま生きているのは、沢山の、あるいは少しでも、愛が存在しえたから、生きているのだから。

私達は毎日を、安全に、それなりに、時折充足した気持ちで、

頑張ったり、意気込んだり、欲望を感じたり、

時々悲しんだり、腹を立てたり、喜んだり、そしてふとしたとき

穏やかで平穏な虚しさを感じながら、

生きている。

何の為に

毎日何か新しいものを出逢っている

行った事のない場所、手に入れたことの無いもの、見た事もきいたことも無いもの

何かを作る、音楽を、唄を、絵を、詩を

本を読み、勉強をし、新しい言語を習得したり、楽器や、ダンスを練習したり、身体を鍛えたり

働いて、お金を貯めることも

それらは全て、"時の流れ"、時の経過を要するものだ。

一日にしてならず、なものは沢山ある

私達地球上の生命は、星の流れやサイクルに支配されていて、

日々日々小さな一瞬一瞬を、刻んでいるのだ。いま食べたご飯で、身体が作られるにも、

練習するギターが、うまくなるにも、眠るにも

"時間"が必要だから。



新しく曲を書いた。

頂いた賞与も、全て預け入れて、この1年で人生で初めて、本気でお金を貯めた。

お皿を買った。

色々な着ない服を、捨てた。

まだ読んでない本が、テーブルの上に何冊か、あって

提出しなければならない書類とか雑多なものも、ある。

やりかけの勉強と、練習。

いつか行こうと想って、行けていない場所。

いつも夕暮れの空は青くて、その時間しあわせな気持ちになる。

時折思い出す、死んでいった人達のこと

人生で出逢った友人達。



ねえ、考える必要なんて何にもないんだよ、だって考えて、しあわせなことなんて、一つだってあるかい?

という声がする

ねえ、でも何か、答えを求める心に、

その空の向こうにどんな青があるか、知りたいと想う心に、理由なんてあるの?

考えることの理由なんて、考える事をやめる、ということは

精神を、放棄するということに、なりそうだから、だから私は自分を手放せない

色々な事を試している、生きて、ゆくために

人は、理解を求めていると想う。

理解してくれるひとを。それはなぜだろう

それは、人が、限りなく、

寂しがりの、孤独な生き物で

いつもいつも、誰といる時も、沢山の人と過ごす時も、誰かと寄り添っている時も

ずっとずっと、本当はひとりぼっちで

孤独に耐えている、かわいそうな生き物だからだ

私も。何処かの、あなたも。

人の心と、心が、本当に繋がれるのは

何もかもを手放して、一心に、信じて、想い合うときだけ

多分それは、愛を理解する、みたいな現象なのかもしれないですね。

それを探す人、みつけるひと、みつけたと想ったら失うひと、手に入れても失う事を怖れて自ら放棄するひと

夢や希望や愛を失くしても

人がどこまで生きられるかを、しっかり見届けなくてはいけない

世界はいつか答えをくれるだろうか。わたしの命の最後の瞬間に、どんな答えがあるだろう。


「よしみちゃんはいつからそんなふうに、厭世的になってしまったの?」

わからないな、解らないし

最初からきっとそうだったと思うよ

「人生を悲観し易いのは、人生に期待し過ぎだから」

もしそんなふうに言われるなら、死んだ方がマシだと、思いませんか?

正解も不正解も無いんだよ

人が何を信じ、何を想い、何を愛し

何に喜び何に悲しみ、どんなふうに生きて死ぬかは

それぞれの、自由なんだから。



ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの好きな言葉

『私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く』



(自分自身の為に書いて考えをまとめているだけなので心配しないでください)

hayashiyoshimi at 22:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年04月24日

明日は横浜BAYSISで歌います☆

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雨、そして満月、地震、、

色々なことが体力的にも精神的にもしんどいここ最近

そんな中踏ん張っていきます!

新しいデモを入れて手作りCDつくりました☆

夢結 YUMEYUI
5曲入り♪

明日のBAYSISで早速ゲットしてくださいね

明日は一番手です


【ライブ情報】
2016/4/25(月)@横浜BAYSIS

出演:木下直子 / 国吉亜耶子and西川真吾Duo / 宮林愛美/ 沼倉希美 / 林好

開演18:30前売り¥2600(ドリンク別)
ご予約はコメント、FBpageにてお待ちしております☆



hayashiyoshimi at 09:48|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2016年04月23日

【なりすましメールのご連絡】

いつもお世話になっているファンの皆様、友人、関係者さま、みなさま

一昨日、私のメールアドレスから深夜に英語で投資のURLが載ったメールが届いた方々、知らせてくださった皆さま、

ご迷惑をおかけしお騒がせし申し訳ございません!
そしてありがとうございました!

追跡しましたところ、アカウント自体の乗っ取りではなく、なりすましスパムメールだったようでした。セキリュティソフトなどでも防ぐことが難しいようです。
(ひたすら無視、削除、などの対処方ということで...)

現在、メールアドレスは新しいものに変更されておりますので
皆様には追って個別にご連絡させて頂きます。

宜しくお願い致します



hayashiyoshimi at 09:43|PermalinkComments(3)TrackBack(0) infomation 

2016年04月21日

熊本地震から一週間


熊本地震で被災された方々、
救命、支援、復旧活動にあたっている方々、

東京でも ドン!と突き上げる振動を感じた一度めの大地震から今日で一週間ということですが

現地の状況は、TVやSNSで報じられることで知れるばかりです。

まだまだ大変で不便で辛い思いをされていることと思います。

東京で生活する者としては、寄付金、支援金、義援金を送ったり、余震がおさまることをひたすら祈りながら
仕事へ行き、生活を前に進め過ごす毎日です。

まさかこんなに沢山の地震が続くなんて。目に見えない、地殻の中では、一体何が起こっているんでしょう。

何処で暮らしても、いつ、何処で、どんな災害に遭うか、誰にも予測は出来ませんし

こういう時私達は本当に、大きな、運命という流れに委ね受け入れ生きていくしかないのだなぁ、という思いがいたします。

で、あるからこそその運命と自分の置かれた場所において

何をもってどんな信念のもとに、自分という存在と、縁合って出逢う人々や瞬間に対して

どう行動し発言していくのが、など

真摯に‘生きること’に取り組み試行錯誤する日々があります。

ごはんを食べ、眠り、そしてその他の、全ての営み。

存在には理由があるのです、たとえそれは客観的には無いものであっても

自分、という主体性から言えば
必ず在るのです

だから精一杯、命をまっとうしたいですね
与えられた、命

常に、与えられているのだなと思います

愛するひと 大切なひと 愛するもの

世界の、色々な素晴らしいもの。


早く色々なことが平穏になりますように。



hayashiyoshimi at 09:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記