1971年製作のアメリカ映画。
監督はピーター・ボグダノヴィッチ。
(あの『ペーパー・ムーン』を作った人)


私は随分前から、この映画を
一度観たいと思っていました。

というのも訳があって・・・


その昔(と言ってもいい頃)
家族が別冊宝島という雑誌を
買って帰ってきて・・・

「このビデオ(の時代なんです)を見ろ!」
という特集シリーズで、その№2「アクション篇」
№3「青春映画篇」,№4「ファンタジー・SF・ホラー篇」
の3冊だったんですが・・・

私はその№2「青春映画篇」の巻頭記事
「えのきどいちろうの『このビデオを出せ!』」
の文章が、ものすごーく気に入ってしまいました。

そしてその中で『ラスト・ショー』(1971)という映画について

「この子(主人公)は俺だ。情けねえなって。
結局俺はああいう子だったから」

私は「えのきど」さんという
名前しか知らなくて初めて読んだ人のコラムが
あまりにも「よくわかる」のに驚いていたので
『ラスト・ショー』が観てみたくなったのです。


そして今回映画を観て
雑誌の記事の意味は解った気がしました。

私は自分が70年代のアメリカ映画が
好きかどうかは・・・ヨクワカラナイ。

私の高校・大学時代に
ピッタリ重なる70年代というのは
私にとっては映画を自由には観にいけなかった
時代でもあります。

それでも、「えのきど」さんが
その雑誌で言っていた意味は
私にはとてもよくわかった(気がした)のです。

それでも、妙な思い込みかもしれない・・・と
今回この記事を書くために、雑誌(’89)を探し出して
もう一度、その記事(長いコラム)を読み返しました。

「よくわかる」感覚は
全く変わっていませんでした。


というわけで、『ラスト・ショー』。

この映画は、50年代初頭のテキサスの
小さな町が舞台になっていて
「何もない」その町で、薬中毒の父親と共に
なんとかかんとか暮らしている
思春期の少年が主人公です。

お金は自分でバイトして作り
食事はいつもダイナー。
彼女はいるものの結局上手く行かず
美しいとは言えない?寂しそうな
でも優しげな体育教師の妻の
浮気相手になったり
彼女を振って親友の彼女と付き合ったり。

とにかくその町の閉塞感と
若い彼らの感じている
将来の見えなさ、出口のなさとが
なんともいえない通低音として
ずうっとなり続ける・・・

70年代にはこういう雰囲気が
どんな映画からも感じられた気もする・・・

そんな映画なのですが・・・

ボグダノヴィッチ監督というのは
とてもとても映画が好き(当然詳しい)人だそうですが
「映画」というものに対する初々しさを
この当時は全く失っていないように見えて
原題の "the Last Picture Show" というのも
映画館が閉館になるエピソードだけでない
繊細なノスタルジーを感じさせる言葉だと思いました。

主人公の少年(ティモシー・ボトムズ)の繊細さ
初々しさにも好感を持ちました。


何も起こらず、少年が生長したのかどうかも
わかるようなわからないような・・・
(ほんの1年間の話なので)

でも、アメリカは朝鮮戦争の真っ只中。
親友は軍隊に入って朝鮮に行き
湾岸では石油の採掘に成功すればリッチに
そうでなければ「出口なし」?に。

でも、「成功」したからといって
「幸福」が待っているかどうかはワカラナイ。

大人になってからも「少年」「少女」のままの部分を
持ち続けている人はごく少数で、大抵は
さまざまなものを捨ててやっと「大人」になる・・・

そんないろんな想いが、漠然と
アタマをよぎる映画でした。

確かに70年代初頭の作品なんですが
今観ても古いとは思わなかった。



神サマ・・・

ひょんなことから、長年
記憶のどこかに引っかかっていた映画を
綺麗なモノクロ映像で観ることができました。

観られて良かった。

ありがとうございました。






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