芸術監督を探しているのはベルリンフィルだけではない。ロンドンがラトルとの契約を発表したのは、アメリカのオーケストラに取られたくないからだという噂もあるほど。そのうちのひとつのニューヨークフィルに関する下馬評もでている。

現在の監督のアラン・ギルバートは2009年に就任したが、2017年以降契約を更新しないことを発表した。ニューヨークフィルがそれほど知名度の高くない40代のギルバートを選んだのは、長期的な関係を望んだと想像できるが、残念ながら8年で終わり。

ニューヨーク・タイムス紙の記事では、避けるべき指揮者として、フリークエント・フライヤー、独裁者、革命的な人、オーケストラのケアテイカー、年老いた人、などを挙げている。フリークエント・フライヤーとは他の楽団の監督だったり、客演が多かったりして地元にいない人のこと。革命的な人とは「チャイコフスキーなんて聞き飽きたから、現代音楽中心する」などというタイプ。アメリカの聴衆はヨーロッパより保守的だから、それでは困るということらしい。

オーケストラのケアテイカーとは、人柄もよくオーケストラの面倒は見る。でもそれだけ。これぞニューヨークフィルみたいな特徴を出せない人もやはり困る。

そういう事で、ニューヨークタイムスが挙げる候補はエサ・ペッカ・サロネンやデヴィッド・ロバートソン、マンフレット・ホネック、スザンナ・マルッキなど。

メジャーオーケストラの監督の人選はクラシック音楽ファンの注目の話題ではある。でもジャーナリストや愛好家の話とアダムから聞いた現実には大きな開きがある。実体を暴露するわけにはいかないけれど、芸術監督の人選は指揮の能力だけ選ばれるわけではない。