暮らしのノートITO

伊藤昭一ジャーナル★運営「文芸同志会」「文芸同志会通信」&「詩人回廊」運営。  

   さて、開講式も終わりいよいよクラス別に授業が始まる。
  どんな先生かな、どんな生徒さんがいるのかな。当日は早めに出掛けた。場所は自宅近から20分位自転車で行った創立70年の古い小学校内1階にある。
  私の通った小学校でない。が、その近くにある中学校は母校にあたる。何十年ぶりかでここに来た。
  母校はすっかり綺麗に改装されガラス張りの渡り廊下まである。「いいなーこんな綺麗な校舎で」
  思わずそんな言葉が出た。その日は平日、若い在校生達が何やら楽しそうに話している声が外まで聞こえてくる。
  校舎外、よく放課後の部活で周囲を走った。昭和60代のあの頃。
  紅地のジャージ、あの時の先生、同級生の00ちゃんは元気かな・・・きゅー懐かしさで胸が締め付けられあれこれ回想していたが「あ、授業授業・・」と現実に意識を戻す。
  いつから開講されているのか・・施設概要を調べてみると平成4年<1992年>4月開設、教室、事務室、講師控室、ロビーとある。
  「ふーん」そんな前からあったのかと感心した。
  30分以上前に到着した私。外は既に初夏日、外気温は高い。
  ここまで自転車を走らせ、ロビーに腰を降ろすと安堵感と汗が出てくる。
  年間授業料を支払い、案内された部屋に行く。
  既にそこには、数名の高齢者生徒がいた。どうみても私が1番若そうだ。
  開始時間になり「こんにちはー」若い40代前半位の女性講師が入ってきた。
  「まず、連絡網を作成する」と生徒一覧の紙が配られる。今回このクラスの生徒数は13名<男3女10>
  後で知ったが、その中では最高齢90才男性がおられる。
  自己紹介をお願いされた、こんな景色学生依頼。そこはまさに離れて久しい「学校生活」だった。
  先生、黒板、チョーク、机椅子、チャイム、印刷プリント。
  「そうか、そうか・・何でこんなにもこの景色が懐かしいのか」と改めて考え
てみた。
  社会人になり気がつけば29年もの歳月が流れている。学校生活の匂いは、私からすっかり消え去っていたのだ。
  何気にポストに入っていた募集チラシから始まったこのカルチャーセンター生活、新たな「懐かしい環境」が入ってきた。
  いや、「戻って来た環境」が正しいかもしれない。その事に私自身驚いている。
☆〜〜関連サイト:「詩人回廊」〈やまや白丸の庭〉〜〜☆

IMG_5952IMG_5966〈日比谷公園内の国会通りの西幸門そばの「噴水ひろば」は、昭和59年に東京地方裁判所分室の跡地であった部分を国から借り受け、全国都道府県の木を記念に植樹した「郷土の森」とし、東京都の鳥であるユリカモメを模したカモメの噴水を設置したもの〉
IMG_5959IMG_5975〈祝田通り側を左にして右側は、第2回全国都市緑化フェア記念として、周囲には都道府県の木が植樹された「郷土の森」となっているが、存在感が薄いので、厚みが欲しい〉
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  この辺は、大音楽堂の周辺でもあるが、5月5日であったせいか、カメラを首に提げているせいか、「この辺は禁止です、禁止」と専科を背中を押されてしまった。もともと外回りの樹木観察なので、祝田通りと公園の境目を見てまわった。
IMG_5994〈ちょっと奥になるが、松本楼に向かう道筋の手前に「(公財)東京都公園協会・都民交流事業・ボランティア助成金により管理されているーーとの掲示があった。〉
  管理関係についての複雑さが、日比谷公園の歴史的な遺産を現在まで保存させてきたのかも知れない。
  公園については《日比谷公園の再生整備事業の計画》では、地下鉄「霞が関」の5GやWIFI環境の普及や、先端技術の社会実験の場として,時代のニーズに積極的に対応できる運営管理を先駆的に実施していく、という趣旨だが、現在の課題には遅れているところがある。
  現代は九州熊本や能登半島、千葉県などの地震災害の事例からして、避難芭蕉災害避難場所としての、対策拠点にすることも必要であろう。
5月の日比谷公園に行く(3)ヒートアイランド現象の緩和に
5月の日比谷公園に行く(2)整備計画と巨木の現状
5月の日比谷公園に行く(1)GWのグルメ地元飯フェス
■関連情報=311ピースオンアースをクラウドファンディング
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IMG_6118IMG_6135IMG_6139IMG_6160IMG_6162〈5月11日からと15日までの日々の薔薇〉
  道ばたの街路樹の下のツツジかなにかの繁みのなかでなぜか咲いていたいくつかの薔薇 茂みの影にいた一つをむしり取ってベランダに挿し木した 野外にある雑草の花をとってきて挿し木するのは私の趣味である 植物は気の毒なことに歩けない 屋外で陽の光だけでなく雨や風を受けている 植物は歩けないし逃げられない 気の毒だ リルケの詩に「マドレーヌ・フォン・ブローグリー侯爵夫人に」というのがある 愛しあっているのだろが二人は動けないのであろう 「誰も私達を小屋に追い込んでくれる者がいない」という 動けない運命のつらさを嘆く 私の手で挿し木された道ばたの薔薇は 道端からベランダのプランタンまで移動して花を咲かせた 毎日花の姿が変化するので 眺めるのが楽しみだ そういえば私は外国に行ったことがない パスポートも作ったことがない 機会はたくさんあったが家族の事情で東京をはなれることが出来なかったのだ
関連情報★〜詩人回廊・北一郎の庭

 解散命令が出されるかが、注目されている世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に関する全国の消費生活センターに寄せられた相談が、2022年度に約600件あり、21年度から20倍以上となっていたことが、分かり、消費者庁が近く公表する見通しという。
 各相談内容の時期については不明だが、昨年7月の安倍晋三元首相銃撃事件の影響が顕著に表れたともいられる。
 旧統一教会を巡る相談状況については、消費者庁が昨年9月、過去約10年に計1165件あったと発表。個別の団体に関する件数の公表は異例だったが、河野消費者担当相は「公益性があると判断して公開した」と述べていた。
 昨年9月の発表では、旧統一教会に関する相談は15年度以降、毎年100件以下で推移しており、21年度は27件。しかし昨年7月の銃撃事件の後、相談件数が急増し、22年度は上半期だけで約280件だった。関係者によると、今回下半期も集計したところ、22年度全体で約600件に上ったという。
■関連情報=「まるで野菜の競り…」元信者が語る合同結婚式の実態…旧統一教会が自民党と長く関わりを持つワケとは?|TBS NEWS DIG(2022/08/30)==旧統一教会をめぐっては霊感商法や多額の献金以外にも人生や家庭を壊された被害者が数多くいる。かつて、合同結婚式に参加した元信者が、結婚の実態について語る。(抜粋)
 1988年の合同結婚式に参加 元信者 洋子さん「合同結婚式っていうのが祝福って言われるんですけど、それを受けないと本当の意味で天国に入れないっていう教えを学んでいく」==旧統一教会の元信者の5人を取材。==合同結婚式に参加するために韓国に到着すると・・・。1988年の合同結婚式に参加 元信者 妙子さん「私がその時感じたのは、野菜の競りみたいだなと思って。前で私の相手の人が、誰々と名前を出してそれぞれハイって言って、そこに行く」==1988年の合同結婚式に参加 元信者 洋子さん「韓国の相手の人の、顔とか 雰囲気を見たときに、全然タイプじゃなかったんで。えーって正直思いましたよ。本当にいろんな人がいらっしゃるから、すごい高齢の方が相手だったりとか」〜〜彼女たちは、韓国人の男性と離婚し、教団を脱会しましたが、合同結婚式は信者たちにとって最大の目標だったといいます。
 なぜ旧統一教会は自民党と繋がりを持ったのか。これは、旧統一教会創設者の文鮮明氏の発言集。この中で、日本は「母の国・エバ国」韓国は「父の国・アダム国」と呼ばれ、「日本はすべての物質を韓国に捧げなければならない」とされています。その教団と長く関わりを持つ自民党。1982年、韓国で行われた合同結婚式には岸元総理が祝電を送っていました。
 そもそも、なぜ旧統一教会と自民党はつながりを持ったのでしょうか?
 旧統一教会の問題を長年取材しているジャーナリストの鈴木エイト氏は…。「当時ですね、日本と韓国は反共産主義の同志という関係でしたので、その後ろ盾となったのが岸信介さんということで、当初から自民党とは繋がりがあったと。その繋がりから当時の日本の保守勢力、政治家にどんどん取り入れていったと」近年では教団側は安倍元総理との関係を深め、複数の議員の選挙支援が明らかに
 ジャーナリスト 鈴木エイト氏「(教団側は)選択的夫婦別姓であるとか人工妊娠中絶であるとかLGBT、それも共産主義だっていうといころで攻撃の対象にしたと。それと自民党の右派がそこで共鳴をしてしまったという。保守派の政治家にしても統一教会の反日本、日本を蔑視するような部分に対してはあえて目をつぶってきたのではないかなと思います」
 「正義のためには嘘ついてもいいのが統一教会ですから。もう2、3年すればみんな忘れるから元通りできると絶対思ってると思います」〜〜など。

旧なります〈旧成増飛行場の  掩体壕跡。円弧状のコンクリートの中が物置きとして利用されている。2022/8/19。写真:盛丘 由樹年〉
  ダ増飛行場の掩体壕跡(東京都練馬区成増)
  軍用飛行場の周辺には、主に戦闘機を隠すための掩体壕が多く造られた。空襲を受けても簡単には破壊されないように、コンクリートで頑丈に造られた。
成増飛行場は東京23区内にあって、空襲の危険が迫って、帝都防衛のため、戦闘機を発進させるために、急遽作られた。飛行場はここだけでなく、あちらこちらに整備した。この近辺の例をあげると、調布、立川、所沢にあった。軍部の強引なやり方に、立ち退かされた住民たちには不満が募ったという。
  その跡は、光が丘公園となっている。この周辺にいくつか掩体壕が造られたが、現存しているのは一基だけだという。しかも、この掩体壕は、民間住宅の基礎部に転用されて、完全な形ではない。
私は、8月19日(金)に新宿と池袋を経由して成増駅に来た。ここから歩ける範囲内に目的地がある。
  成増飛行場の唯一の形見として、その存在が一部の人に知られている。この掩体壕は住宅の下部にあるから、かなり正確な位置情報を得てからでないと、探すのは困難だ。その住宅所有者の個人情報などは、明かされないことになっているから、さらに難しい。
  おおよその情報を得ていた私も、周辺道路を歩いていただけでは、見つけられなかった。注意しながらうろうろして、ようやく特徴ある形のコンクリート部分を見出した。近づいてそれを確認するためには、積極的に細い路地に踏み込んで行かなければならなかった。
  ここから光が丘公園の一つの入り口に近いから、見学と散歩を兼ねて、中に入った。そして大江戸線の光が丘駅まで歩いた。
  公園の中は、平日だというのに、人出が多かった。夏休みだからだろうか。野外のスポーツ施設が整っており、若い人たちが思い思いに運動していた。いくつかの休憩所の建屋が巨大で芸術的なことに驚く。そのベンチで寝そべっている中高年も何人かいた。でも、ホームレスではなさそうだ。
  歩きながら、遺構らしいものを探したが、見つけられなかった。飛行場だったというから、平地だろうと思ったが、意外と盛り土があったりして、起伏が多くある。全体的な敷地は、確かに飛行場の形跡になっている。
  さて、大規模な光が丘団地も通り抜けて、地下鉄大江戸線・光が丘駅から練馬駅に出ようとしたが、途中に豊島園駅があることに気づき、寄ってみることにした。「としまえん」は2020年8月に惜しまれて閉園し、都の主導で再開発が予定されている。当然、今は工事の準備中で中に入れない。
  正門近くの高み(練馬城址の一部だったという)に「古城の塔」があり、戦争中の一時期、ここの屋上が「練馬防空監視哨」の役を果たしていたという情報があり、私は外からでもその外観を見たいと思った。
  防空監視哨とは、飛来してくる敵機を監視し、その機種や数、高度・速度・方向などの情報を、人が確認して本部に伝える拠点のことだ。首都圏各地に配備された内の一つだった。この辺りでは、この塔の上が一番高く、見晴らしがよかったためらしい。
  古城の塔はとしまえんの開園時1926年からある、英国式古城を模した建築物で、今では、廃墟の様相を呈しているという。定まった用途はなく、各時代、多用途に使われていた。名称も変遷した。その用途の一つが防空監視だったわけだ。
  私は若い頃から何度かとしまえんに来たことがあるが、古城の塔にほとんど気づかなかったほど、影の薄い存在だった。でも、としまえんのシンボル的存在だったし、それなりの建築的価値があるとされるから、解体に反対する声が上がっている。
  正門付近からよく見えるという情報があるのだが、正門前の広場一帯は板状の「工事中の塀」で囲われ、正門には近づけなかった。外周を回ってみたが、この塀がやたらと高く(刑務所の塀を思わせる)、さらに欝蒼(うっそう)とした樹木に覆われていたから、それらしい建物は見つけられなかった。もう解体されたのだろうか。という疑念が浮かんだ。
  あきらめて、正面入り口に近い西武池袋線の方の豊島園駅から帰った。
  《文芸誌「みなせ」96号「雑事記・戦争遺跡探訪」より抜粋。盛丘由樹年:秦野市在住、フリーライター》

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 文学作品の展示即売会「文学フリマ東京36」が5月21日、東京平和島の東京流通センターで開催され、一万人を超えるイベントとなった。《参照:文学フリマ
 入場者は、興味のあるものが、どこのブースに行けば良いかをさぐるのに見本誌コーナーでそれを探す。ここでは、第2展示場をみてみた。ジャンル面でみると、大きくわけて小説・創作と.評論、詩歌などがあるのだが、自分は評論書の動向に注目している。
 それぞれ、価格付けが出店者には、頭を悩ますところだ。今回で、評論のジャンルが価格の付けのインフレ傾向が感じられた。というより、翻訳ものなどは、その労苦からして、貴重性を強く感じる。将来的に関してはに関しては事務局でテーマを提言し、それをそれに応じた評論ブースのテーマに掲げたらどうであろう。
 今回は、会場入口で協賛の「pixiv小説」「ノベルピア」のトートバッグ無料のトートバッグ無料配布や「ターリー屋」「クルミドコーヒー」の飲食出店が戻ってきた。しかし、カタログは、かなり貧弱感があった。有料にして、商品化を強めたらどうであろう。
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 文学作品の展示即売会「文学フリマ東京36」が5月21日、東京平和島の東京流通センターで開催され、一万人を超えるイベントとなった。《参照:文学フリマ
 かつては、文フリでは自分の興味のあるものが、どこのブースに行けば良いかをさぐるのに見本誌コーナーでそれを探すのが手順であった。このごろは、事前に情報をえているのか、比較的混雑がなかった。
 これは第一展示のコーナーである。一応、小説作品が多い。文学作品の形は、紙の本からデジタル書籍など変化が起きているが、自分には紙のほうが落ち着く。まずは、値段。小説作品は低価格化の値付け傾向みられるのは、デフレ作用かと思った。だが、中には手製の自家印刷などもある。そうなると技術的な進歩で2〜300円の冊子形式のものなら、少部数で採算がとれる。必ずしもデフレ傾向とはいえそうもない。
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IMG_6174IMG_6182〈「文学フリマ東京36」会場に行く。大森駅からのバスで流通センタ前で降りると、モノレールの東京流通センターの裏側からモノレールの下を通り抜ける。センターに入ると、文学フリマでないイベントがあるので、スタッフが第一展示場と第2展示会場への入場者行列の最後尾をしめし、三人づつ横並びになるように案内していた。〉《参照:文学フリマ
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〈従来の静かさの漂う会場とは違って、今回は交流の会話が聞こえる賑やかかさだ。外部への扉も開放され、換気も十分であった。〉
 プロアマを問わず作家や文芸愛好家の作品フリーマーケット「文学フリマ東京36」が5月21日、東京平和島の東京流通センターで開催された。
 12時開場というので、その少し前に大森駅から平和島流通センター行きに乗る。流通センター行きは休日は本数すくなく、空いていることが多かった。だが、この日は満員に近い。いつもと違う感じがした。
 途中、京急・平和島駅から乗るひともいた。車内混雑。流通センター前の停留所につくと多くの人が降りたので、文学フリマのイベント入場者の人たちだったとわかった。
 事務局情報にると、出店数は1500件弱、ブース数1600強であったが、入場者は1万人を超えたようで、過去最高だという。見て歩きでも買うブースで販売数が増えているのがわかる。
 参加者の増加で、文学愛好家が書店や通販で販売される作品への関心が高まっていることがわかる。
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IMG_6184IMG_6189IMG_6191IMG_6194〈「文学フリマ東京36の会場めぐりをして驚かされたのは、その雑踏化である。第一展示場から。〉.. 文芸愛好家の作品フリーマーケット「文学フリマ東京36」が5月21日、東京平和島の東京流通センターで開催された。《参照:文学フリマ
 文芸同志会では、文学フリマ東京には、新型コロナウィルスによるパンデミックの緊急事態による3文学フリマ東京の開催中止以来、参加をしなくなった。会員の評論や創作などを販売したが、入場者が増えると、それなりに成果が上がっていたところであった。しかし、フリマが再会しても、代表のわたしが78歳の高齢であったため、感染すると周囲に迷惑をかけるので、出店参加を自粛した。
IMG_6182IMG_6183 そのうちに、ワクチン接種のせいか、加齢せいか、歩くと股関節と脚が不安定なり、関節が痛む種症状に悩まされ、世活に死守を支障をきたすようになった。さらに、パソコンをWIN11にしたところ、ワード使用者にはひどい改悪で、従来の機能を発揮セルのに、四苦八苦し、腕の腱鞘炎になり、書き込み不自由さから、文芸同志会通信の同人誌作品紹介をやめた。
 それでも、自分なりに文学を社会を写す鏡として、愛好していくので、痛む脚を励まして「文学フリマ36」を見学に行ったのである。
 会場にいってみると、開始が12時からだというのに、その時間は流通センターの入り口に長蛇の列であった。
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 ウクライナのゼレンスキー大統領が20日午後3時半ころ、フランスの航空機で広島に到着、来日した。21日には広島市で開催中の先進7カ国首脳会議(G7サミット)に対面で参加し、G7首脳とサミットに招待された新興・途上国「グローバルサウス」首脳らを交えた「平和と安定」に関する会合にも出席。G7との結束を誇示し、支援の継続と強化を呼び掛けるという。
 ウクライナはロシアからの侵攻をうけており、防衛戦争中の自国を長期間はなれることで、国内情勢のまとまりと持久力を示したことになる。
 また、当初の情報では、ゼレンスキー大統領は米軍機で来日するという話しだった。だが、そうではなかった。今回の準備が始まったのは、ゼレンスキー大統領が今月14日、G7サミットを前に、イタリアとドイツに続いてパリを訪問した時だそうだ。ゼレンスキーとマクロンは同日夜にフランス大統領府で夕食をともにしながら会談。この際に、ゼレンスキー氏が「G7に出席したい」と述べ、マクロン氏に航空機の手配を直接依頼したという。
 マクロン大統領は、先に中国行きをして習近平総書記と会談し、航空機の販売をして親中国的な姿勢がNATO諸国に、疑惑を生んでいるような雰囲気のなかで、その印象を覆すことにもなったようだ。
 さらに特筆すべきはすべきは、日本の平和憲法論を基礎にした核兵器廃絶論が、抽象的なものでなく、リアルさをもって、思想としての説得力を生んだことであろう。
 銃撃死した安倍元首相の後継者として、岸田首相は独自の政治力を発揮する結果になった。それは日本の国としての思想力の存在感を世界印象づけた効果があったといえる。

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