関連情報《参照:安部公房が発表詩の署名を消した時羽田は軍事基地だった「詩人回廊」伊藤昭一の庭
 <作家・難波田節子さんも参加していた同人誌「壁」など>
この書誌は文芸評論家・浜賀知彦氏が収集し、編集を続けている1945年〜1970年までの東京南部同人文芸誌の細目である。大田区では、下丸子の電気メーカーで安部公房が夫妻で組合活動をしながら文学運動を推進していたという事例が示すように、働く生活に文学精神が深く食い込んでいた時代の痕跡が明瞭に残されている。今回は1953年から55年を中心に〈細目〉5誌と解題17誌がある。解題では1954年ごろからの同人誌「壁」について、当時、大阪私立大学経済学部講師、上林正一郎氏や、現在「季刊遠近」の作家・難波田節子さん(今年6月に小説集「太陽の眠る刻」蠅うふう刊行・別記あり)の参加が記録されている。
<地下に潜行したことのある作家・小関智弘さん>
同人誌「入新井文学」では創始者の小関智弘氏と守谷隆氏が、地下活動に入って姿を消したことから第4号で中断。小関氏は第3号に「“カバ”先生の死」連載気鯣表したが、第4号には「“カバ”先生の筆を折るについて」が書いてあるという。70歳にして元旋盤工・作家として現在も活躍する小関さんの歴史観が筋金入りであることの証左として読める。今年、小関さんの講演があったので、これから普通の小説家としての道を歩むのでは? と質問したところ「いや、いや、私はそれほど器用ではありませんから」と苦笑されていたことを思い起こす。その時、すでに現在の話題作「鉄の花」(小学館)は書かれていたのであろうか。
<日産の労働争議中に「日産文学」を発行していた浜賀さん>
「臨港詩派」は、1954年日産の職場詩人4人によって大田区で創刊された。前年に日産自動車100日争議といわれる工場閉鎖、第二組合の発生、分裂、逮捕、解雇がつづき、上部団体の全自動車までもが解散に至る、とある。そのなかでこの書誌の編者浜賀知彦さんが社内文芸誌「日産文学」を編集発行していたとある。浜賀さんとは、お会いもし、電話をしているが、文学の記録の話ばかりで、こうした話は初めて知ったことである。私はマルクス経済学の宇野理論の専攻だったので、活動からは縁のないノンポリであるように逃げてきた。その点では、会話があわないであろう。ただ、「ほら、ボスト・モダンなんてさ、どこへ行くのかねえ」と浜賀さん。
 浜賀さんのこの仕事は、日本民主主義文学会員の協力で貴重な同人誌の収集に成果をあげている。最近も北海道教育大学から、問い合わせがあったと聞く。現代における意義は充分ある。それは、ひとたび戦争に参加してしまうと、その後の民主的な精神と文化活動を作り上げるのに、人々はどれほどの社会的軋轢にさらされ、闘わねばならないかという、その事例が京浜工業地帯において、具体的に示されていることである。戦争の大量死は悲惨だが、それだけでなく、その後の社会再生にどれだけ苦しむか。現代のアフガンもイラクもかつての日本のこの時代の問題を包含していくにちがいない。ある地域、時代から学んだ人間の経験、知恵や知性がなぜ遍く認知、認識されないのか。逃れられぬ人間の愚かさなのかという問題提起にもなっている。
発行所=〒146-0082大田区池上1-3-6、東京南部文学運動研究会・浜賀知彦。
  「文芸研究月報」2003年11月号(通巻35号)