P6070002<「私小説千年史」出版記念会で、夏目漱石が「草枕」で試みたのは、切った張ったのない慰やしとしての詩的散文で、それが職業作家になって西欧的な骨格のある小説を書くようになったーーなどを語る勝又浩氏。6月7日、東京・江戸川区にて>
 勝又浩「私小説千年史」(勉誠出版)の出版に合わせて、その記念会が6月7日に、都内で開催された(既報)。勝又氏には、他に多数の著書があるが、本書の場合は、格別に記念会で祝賀しようという気運が周囲から盛り上がったようだ。
P6070015<山崎徳子「三田文学」編集主任は、同人雑誌評欄は、勝又氏の主張を汲んだものを重要視して、編集を続けると語る。6月7日>
 昔は「文壇」といわれる同時代性とジャンルや地域性による文学者集団力があった。そこに文学ジャーナリズムが、読者の興味をかきたてる機能があった。それによって小説が安定して売れたのは過去のこと。現代の作家はせいぜい小集団に「分断」して活動をする。
P6070016<雑誌「文学界」で同人誌評を担当していた故・久保田正文氏の大正大学での、最後の授業を受けた学生であったという山口洋氏。>
 今回の出版記念会の盛況ぶりの背景には、活躍分野の多様化と細分化が進むなかで、発表の場を文芸同人誌及び非商業誌におく仲間たちが、相対的に読者層を厚くしていることと無縁ではないようだ。
P6070019<藤田 愛子さんは「季刊文科」63号に掲載の「 渇いた梢 」が日本文藝家協会編集の「文学2015」(講談社)に掲載された。83歳だという。鎌倉より駆け付ける。6月7日>
 本書は、そのことを意識したのか、雑誌に連載したものを集合させた関係で、自然な流れであったのか、自己表現の形式としての日本の古典的伝統のなかの本質を見出し、主として古典と近代文学に沿って論評を進めている。
 ネット販売のAmazon の読者レビューには、「私小説のすすめ」(平凡社新書)を執筆し、芥川賞候補になった小説「持てない男」の私小説作家・小野谷敦氏であろうと推測される方の、批評とも感想とつかぬ一文を寄せている。≪参照:先行研究と対話せよ
P6070014P6070013_1P6070011<同人雑誌と私小説は縁が深く、随所で文学論に話が弾む。勝又浩「私小説千年史」(勉誠出版)出版記念会のスナップ。>
 たしかに、過去には伊藤整の小説の「研究」や「認識」などの研究書もあるが、私小説に関しては、文壇社会の中での生き方と関連している。その「文壇」構造が失われた現代では、専門的に過ぎるかも知れない。一般読者むけに判りやすくするため割愛するというのも納得できる。
 ただし、このなかで、最終章供屐愡筺戮砲箸辰鴇説とは」で、「語り部の資格と日本の小説道―伊藤桂一と志賀直哉」、「生きる『私』と書く『私』――小島信夫の現在進行形小説」がもっとも現代に近接し、小説の技法と日本の伝統と視点を変えて結び付けているのが特徴であろう。
P6070018_1_1<出版記念会上での松本徹氏(左)と佐藤洋二郎氏>
 書評としては、東京新聞(2月25日付)「大波小波」(主客融合・筆)は、「独自の伝統を軽んじて西欧の文学制度を単純に日本文学へ充当したことへの反省に満ちている」と結論。
 神奈川新聞(5月3日付)は、「個人的には私小説というと、暗い、湿っぽい…とあまり良い印象がない。が、文法を含めた日本語文化まで論じて“目からうろこ”のスリリングな一冊だった」とする。
 毎日新聞の文芸時評(3月25日付)では、田中和生氏が、佐伯一麦の評論集「麦主義者の小説論(岩波書店)のなかの私小説論に焦点を当て、並行して「私小説千年史」との共通点を指摘。「ただの日本文化肯定論にないよう、検討されるべき視点だ」と読んでいる。
 日本経済新聞(3月1日付)「本の小径」では、宮川匡司・編集委員が<大正時代以来、しばしば批判にさらされてきたこの文学様式を擁護している>とし、「西洋近代主義の本格小説にくらべて、思想性や社会性がない。そんな理由で批評家におとしめられてきた私小説を「長い歴史ある民族文学」として、その独自性を明らかにする」と解説。西欧文学からの影響がなお強い日本の文学風土に一石を投じた、と述べている。
 また、歌人の水原紫苑氏が、東京新聞(3月15日付)の書評で、「私小説及び、日記、短歌・俳句などの一人称文学を除外しては、日本文学成り立たないことを、個々の作家論としてではなく、日本語論から展開した本書新鮮で、説得力に富む」とし、あえて疑問を投げかけると「源氏物語」に視野が届いていないこと。また、著者が批判する俳句「第二芸術」論によって、その存亡が問われたから現在がある、と説く。
 出版記念会では、「私小説千年史」というタイトルも秀逸という声が出ていた。
■関連情報=勝又浩「私小説千年史」出版記念会の光景から(上)