落語家の春風亭小朝が大正、昭和の作家菊池寛の短編小説を噺(はなし)に仕立て四月、東京都内で開く独演会で披露する。小朝は「菊池さんは表に出したくない人間の心理をパッとつかんで作品にしている。落語を聴き、原作に興味を持ってもらえたらうれしい」と話す(東京新聞2016年3月4日付け・藤浪繁雄記者)。
 日ごろ、落語の素材となる短編小説探しをしている小朝が「偶然読んでみたらとても面白かった」というのが菊池の作品だった。国定忠次に随行する子分選びの始末を描いた「入れ札」などを例示し「時代が変化しても変わらない人間の心理をはっきり小説にする」と称賛。短編を多く残した芥川龍之介と比較し「芥川さんも読みやすいが格調高く四角い感じがする。対して菊池さんの作品はもうちょっとくだけている」と特徴を示す。
 さらに「菊池さんは小説の終わり方にこだわっていない。余韻とかあまりお考えになっていないと思うので、落語にする際、細工しやすいしサゲもつけやすい」と明かした。過日、東京都内にある菊池の墓を参った。菊池の遺族からは「作品を好きにいじってください。落語をきっかけに小説に興味を持ってもらえたら」とお墨付きを得ており、小朝流の楽しみ方を高座から提示する。
  独演会「菊池寛が落語になる日 vol・1」は四月二十五日午後六時半、東京・新宿の紀伊国屋ホールで開催。菊池作品の落語二席と古典「愛宕山」を予定。問い合わせは春々堂=(電)03・5447・2131=へ。
小朝、菊池寛落語と原作を合わせて楽しめる書籍の出版も視野に入れているという。ーー
  菊池寛の作品が現在でも、面白く読めるのは、ギリシャ時代の戯曲から歴史的に継承されている、舞台演劇への傾倒が影響していると思う。特に短編小説に名作が多いのは、演劇の一幕物に関心あったからであろう。その演劇論をここに紹介する。
【一幕物について  菊池寛】
 ある主人公なり、また一団の人々の生活において、真に劇的な事件ということは、そう度々起りはしない。我々の生活を考えてみても、劇的な事件は半生に一度一生に二三度しか起こらない。そんなな意味でで、劇的な事件はまれにホンの短時間のうちに起るのである。
 従って、ある一人の主人公を中心に、五幕も六幕もの芝居を書いても、幕ごとには劇的な事件は起こりっこないのである。劇的な事件は、第四幕か第五幕に起るだけで他の幕は、
筋をうることとか、性格描写とか、そんな悲劇的な部分で満たされるのである。
 むろん錯綜した劇的事件を書くのには、そうした準備的な場面が必要で、静かな海洋の上に、暴風雨をかもす一朶の暗雲が低迷しているような場面も、面白いには違いない。
 しかし劇の本質は性格描写や境遇説明ではないのである。そんな意味で劇は劇的瞬間を書きさえすればいいわけであるから、いかなる劇的葛藤も、一幕位の時間をしか要さないし、従って、一幕で書き得ればこれに越したことはないのである。むろん、三幕も四幕も書かなければどうしても書き得ないような劇的葛藤もあるし、また第一幕が降りてのち、不安と期待との緊張で第二幕の上がるを待つといったような気持も芝居見物の快感の一つであるから、敢えて三幕物をけなす訳ではないが、たいていの題材は、作者が十分な手腕があれば、一幕に盛り得るものであるし、また三幕も四幕ももの長い物を書いて、長たらしい説明だけで、一幕を了らせてしまうような三幕物四幕物に対し、隻手的事実と取り組まねばならぬ一幕物方が、戯曲家としては率直な道であるという気がするするのである。
だが、だが複雑した劇的事実をを渾然とした四五幕物に拵え上げ、その間に巧みなる性格描写を配する大手腕も、戯曲家として望ましき到達境であることは無論である。
 一幕物作成の難点は、境遇説明と性格描写である。我々は筋を売るような台詞を、一言でも云わせることは、戯曲家の恥だと思っている。しかし台詞に云わせずして、境遇を説明することは、絶対に不可能である。
 我々は自然な会話の裡に、見物に些かの疑念も境遇説明をやらねばならないのである。
 もうひとつ困難なのは、性格描写である。境遇説明は困難は困難でも、やってやれないことはない。
 だが、僅か三十分か四十分の間に、その幕中に活動する凡ての人物の性格を活写することはいかなる大戯曲家も難しとするところであろう。
 劇的事件などは描き易い。が、その中の一人の老婆を個性あらしめ、一人の青年を個性あらしめることは、至難なことである。が、性格を描かずして芝居は書けないから、我々は片言隻語の中にも、できるだけその性格の片鱗をでも現わそうと努めねばならないのである。
 一幕物を書くことは、三幕物を書くより難しい。ただ、一幕物と云えば、きわめて手軽にきこえるので、世に一幕ものを一幕物を志す人達も多いが、一幕物にこそ、凡ての劇の本質が宿っていることを、あたかも一刀流に於いて「討ちこむ太刀は真の一刀」を重んずるのと同じことだ。決してたやすく思いわたるべきことではない。(「日本文学案内」(モダン日本社・昭和十三年一月発行より)
《参照:続「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一